第二十六話 そして、またしても三馬鹿が動き出す
それ────霊龍アルベスタインは困惑の中にいた。
自分が何者なのか分からない。
妖精であったような気がするし、神龍であったような気がするし、吸血鬼であったような気もする。
ただ、何者かに対する怒りと、怨みは確かに覚えていた。そしてそれが、あるいはそれに連なる者が地上にいることも気づいていた。
だから身を捩って暴れ、地中を進み、天を目指した。きっと数百年ぶりの太陽光を浴び、しかし痛みも恐れも無かった。
ただ、逆上のような感情が自身を染め上げていて、ついには敵を見つけた。
小さい。
小さな『人間』という生き物の中でも、とりわけ小さいと感じたそれは、しかし確かに元凶────その子孫だ。
だから小さな人間へと向かって突撃し、その周辺ごと呑み込んだ。
ざまぁみろ、という感情が湧き出る。全てではないが、何かほんの少し、意趣返しができたような、そんな気分だ。
悪くはない。
起き抜けにちょっと暴れたせいもあってか、どこか晴れやかな疲労感もあり、これもなんとも悪くない気分だ。
元凶は腹の中。
我に敵は無し。
久方ぶりにこの世の覇者と思えたこの情動に身を任せ、周辺の一番高いところへと登る。
呆れるほどに晴れやかな青空に向けて、まるで胸を張るように頭を向けた霊龍アルベスタインは、静かに小休止しようとした。
だが、にわかに周囲が騒がしい。
小さい者たちだ。
この周囲がその者達の住処だったのだろうか。石造りのそれから、わらわらと羽虫の群れのように出てくる。
それは別に構わないが、金切り声のような悲鳴や断末魔は耳障りだ。
せっかくいい気分なのに、これでは気が休まらない。
邪魔だな、と思った時には身体が勝手に反応していた。
自らの鱗が一枚一枚独立して射出された。鱗は大地に突き刺さると、骨の竜兵へと姿を変える。
はて、あれは何だっただろうか────と、自分ですら忘れていたが、唐突に思い出す。
確か、大昔に対立した竜の能力だ。あれを食って、自分は霊龍と呼ばれるようになったのだったな、と記憶が湧き出た。
大した者ではないが、羽虫の群れ程度にはあれで十分だ。暫くすれば、羽虫も大人しくなって静かになるだろう。
そう考えて、霊龍アルベスタインは意識を閉じ、静かに小休止することにした。
●
唐突に現れた暴虐が大人しくなった。
疲れたのか小休止しているのか、あるいはこの陽気に誘われて日向ぼっこしているのかは不明だが、参ったことにアルベスタイン城にとぐろを巻いて。
「アルベスタインなのか? アレが」
「多分ね」
「しかしまた…………随分と大きいと言うか、長いですわね…………」
嵐が去って、合流した三馬鹿が荒らされた本陣へと向かうと、まさに台風一過という様相であった。
ただ、混乱の極みの中でも実質的な総大将であるジュリアが指揮を取って、敵味方問わず負傷者の救出や手当を行っていた。
そんな中で三馬鹿達もやってきたものだから、有無も言わさずに手伝わされ、それがひと息つく頃にボロボロの本陣で主要人が額を突き合わせることになった。
「で、どうしようか。あのアルベニアン・デスワーム」
「いい得て妙だな。出鱈目に硬い鱗があるけどよ」
「龍というよりはミミズですものねぇ、あの頭は」
沈痛な面持ちのアルベスタイン勢に対し、三馬鹿はなんというか、非常に呑気であった。
それを見たシャノンが鋭い視線を三人へ向けた。席を外せ、と言われたとはいえ、主の危急に馳せ参じれなかったことを悔やんでいるのだ。
すぐにでも救いに行こうとしたが、ジュリアに一人で行けるのか? と問われて口を噤み、救出に回った。
この感情が八つ当たりなのは分かっている。だが、それでも口にせずはいられなかった。
「ルミリア様が呑まれたんだ! 何を悠長に…………!」
「あー、それなら大丈夫だ。無事は確認してっから」
「え?」
その機先を制すようにして、レイターがひらひらと手を振った。
そして、右腕の聖武典が ぽてりとテーブルに落ちて、メタリックな蜘蛛へと変化した。ハエトリグモのような見た目のそれは、フリフリと前脚を振って周囲へ愛嬌を振りまいている。
「これをな、あいつの口から腹ん中に突入させて捜索した。いやぁ、びっくりするほど広かったぜ。ピノキオかよ! と思わず突っ込んだわ。ちなみにリリの字は王城の尖塔ってのか? そこに引っかかって伸びてた。ま、その内目を覚ますだろ」
「じゃぁ…………!」
「無事だったぜ。魔法かなんかで障壁張ってたし、そもそも胃の中デカすぎて呑み込んだモンが小島みたいに浮いてて足場もあったから、消化はしばらくはされねぇだろ」
その言葉を聞いて、シャノンもジュリアも、その他の諸将も胸を撫で下ろした。
横────もとい、下から茶々はあったものの、内戦は終結した。後は、呑み込まれた主さえ救い出せば大団円だ。
とは言え、それがまた難事であることは、この場にいる誰もが思っていた。
だから、ジュリアが口火を切ってジオグリフに水を向けた。
「さて、色々と疑問は残るが、どこまで時間が残されているか知れん。────策はあるか、魔王」
「それが人にモノを頼む態度かね、女狐」
「では頭を下げよう。────頼む」
「…………急に常識人にならないでよ。意地張る方が居心地悪いじゃないか」
「ルミリア様の命が掛かっている。手段を選んではいられん」
「君のそういう私情を殺して俯瞰視点で動けるところ、嫌いじゃないよ」
実質的な総大将に頭を下げられて、ジオグリフは嫌そうな顔をしながらも、後頭部をガリガリ掻いて考える。
正直な所、三馬鹿にとって既に協力するメリットは何処にもない。精々がリリティアの救出ぐらいで、それぐらいならばシリアスブレイカーズとして個別に動き、回収後はサヨナラしても構わないのだ。
チラリ、と横目でそのメンツに視線をやると、馬鹿二人は肩を竦めていた。アレは「まぁ乗りかかった船だししゃーなし」といった感じだ。
カズハはじっとこちらの動向を見守っていて、口を挟む気配がない。
そして何より。
(ラティの期待の目が重い…………!)
瞳をキラッキラさせて「どうするの!? 魔王はこの逆境をどうするの!?」とまるで絵本の続きをせがむ子供のようであった。
この期待の目が、失望へと変わるのを恐れたジオグリフは、ふっと口角を歪め、ばさぁっと無意味に外套を広げ右腕を掲げる。
「レイ、マリー。三手に別れるぞ。余は地下に行く。未だに魔力パスが下から伸びてる。おそらく、あの無尽蔵の回復力や眷属はそれが原因だ。それを壊さない限りはまともに攻撃が通らん。ラティ、付き合え」
「え、ええ…………!」
ならばご期待にお応えしてやってみせようではないか、魔王プレイを! とばかりに声を張り上げ指示を出す。
「レイとカズハはラドック伯と協力して地上の掃討と住民の救出を」
「手段は?」
「任せる。ラドック伯。そいつは余の右腕だ。────あとは分かるな?」
「どうせこの小僧も貴様と同じで出鱈目なのだろう? なら好きにやらせるさ」
その言葉に満足げに頷いた魔王は、次はマリアーネに視線を向ける。
「マリー」
「シャノンちゃんと一緒にルミリア殿下の救出ですわね。────ついでに、リリティアも」
「そういうことだ。────場合によっては、影の獣も解放し、全力でやれ」
「そう、ですわね…………。迷っている場合ではありませんか」
「アレを相手に、出し惜しみは無理だ。余は余でストックが心許ない。邪神決戦の時のような無茶はできん。となればレイか君かだが…………どちらかと言えばレイはああした大物は不得手だ」
「だな。時間制限付きでよけりゃ戦えるが、それで決着つくか分からんし、その後は俺が使いもんにならなくなる」
「長期戦が想定されるから、魔力的な節約ができる君が適任だ」
「ですわねー…………」
懸念がないとは言えない。
何しろ、そもそもシリアスブレイカーズがこのアルベスタイン王国へと飛ばされてきた原因も理由も、未だに不明だからだ。
状況証拠的に、おそらくはマリアーネの召喚術が関わっていることぐらいは察しているが、詳細は未だ不明。臭いものに蓋をする訳では無いが、それそのものを自粛することによって、確かにここまでの道中でそうした強制転移現象は起こっていない。
それを解禁した場合、どうなるかは予想がつかないのである。
だが、ジオグリフが言ったように、既に出し惜しみができる状況では無い。いつぞやの幻想侵食は、今回は魔力不足で使えないのだ。とならば、それ抜きで対策を立てねばならない。そしてその適任者は、マリアーネとなる。
全力解禁もやむ無しだろう、とマリアーネもいよいよ覚悟を決めた。
「さぁ、どうも潮目が変わってきたようなんでね────」
方策は決まった。
やるべきことも。
ならば後は────。
「────茶番は終わりだ」
そして魔王の言葉を皮切りに、三馬鹿が本気になる。
●
ガシャガシャと骨の擦れる音を立てて、竜兵がアルベスタイン王都を闊歩する。
そこに個体毎の意識はない。行われるのは、統率が取れた殺戮だ。
霊龍アルベスタインの命令はただ一つ。不愉快な音を上げるものを全て黙らせろ。
なんとも自分勝手且つ大雑把な命令ではあるが、それに対し竜兵達は疑問にも思わない。大本を辿れば彼ら自身も霊龍アルベスタインとも言えるのだから、それも当然と言えた。
ただ機械的に、そう定められた現象のように音を上げるものへと群がって、黙らせる。
手段は様々だ。手にした骨の武器を使う事もあれば、食えもしないのに牙を使うこともある。
対する音の発信源も様々な対応をする。
二足歩行のそれが大半だが、たまに四つ足のそれもいる。強いて共通点を挙げるなら、押し並べて抵抗をすることぐらいか。
特に二足歩行のそれの抵抗が煩わしい。とても弱い個体がいたかと思えば、竜兵と同じように武器を持って抵抗する個体もいる。時には魔力を使った攻撃も受けた。
無限に近い魔力供給を霊龍アルベスタインから受けられる竜兵は、擬似的な不死者だ。
倒されて、砕かれた所でやがて復活する。総体として変わることもない。
だが、二足歩行のそれらの抵抗は彼らに降された使令を全うするのに、酷く邪魔であった。
遅々として進まぬ駆逐。いや、むしろ気炎万丈とばかりに増えていく音に、そろそろ本体の方が焦れてきた所で────それが来た。
竜兵達の足元に、すっと影が差したかと思って、半ば反射的に空を見上げる。
黒い太陽のようだった。
その認識をした直後、音速超過で降ってきた巨大な太陽────否、鈍色の巨大鉄球が竜兵達を押しつぶし、直撃の衝撃波が周囲を吹き飛ばした。
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「ストラ────イクッ!!」
「すとらいく?」
王都上空で、レイターがゲラゲラ笑いながら叫んでカズハが首を傾げていた。
そう、上空である。
彼と、そしてカズハは上空二百メートルに浮かんでいた。比喩でも揶揄でもない。空の上に立っていた。少なくとも、事情を知らない者が見ればそう形容するだろう。
実情は少し違って、これはカズハの結界術の応用であった。王都を一望できる場所が欲しい、と考えたレイターがカズハに提案して実現したのだ。
やっていることは特に難しいことではない。結界術を螺旋階段のように組み上げていって、都度都度登ってきただけだ。結界自体が不可視のため、何も知らなければ宙に浮かんでいるように見える、というだけである。
カズハの魔力量を勘案の上、維持の関係でこの高さが限度のようだが、それでも十分王都を一望できる。
言ってしまえば超高高度の櫓の上で、レイターが何をやっているかというと。
「いやぁ、ストラックアウトは楽しくていいな!」
ゲラゲラ笑っていると、ぶん投げた鈍色の球体────聖武典が彼の手元に戻ってきた。
それはしゅるしゅると縮小していき、大地に直撃したときは二十メートルぐらいの砲丸であったが、レイターの手に収まる頃には野球ボール程の大きさになっていた。
聖武典は、使用者の意思に応じて形を変える。
だから彼は、手元にあるときは野球ボール大にして、投げた直後に鉄球へと変化させた。そしてこの聖武典、どういう訳か質量保存則をまるっきり無視しているので、見た目通りの重さになるのだ。
正確に測った訳では無いが、仮に鉄と同じ質量だとした上で計算すると、およそ六千七百二十トンとなる。その上、全力の身体強化をした上でレイターがぶん投げているので、軽く音速を超え王都へと着弾。
まさしく爆撃か隕石の落着かと見紛うばかりの惨状を作り出してしまった。
「だ、大丈夫でしょうか…………人以外は色々巻き添えですけど」
「住民の避難誘導はラドック伯が請け負ってくれてるし、建物は既にアルベスタインにあらかたぶっ壊されてっから今更だし。ま、コラテラル・ダメージコラテラル・ダメージ。なーに、王城さえ残ってりゃなんとかなるだろ」
尚、ジュリアが指揮をして王権派宰相派関係なくこき使って王都の住民を救助しており、それが済むと白旗を立てて合図する手筈になっている。
レイターはそこを目印に、目に付く竜兵めがけて高高度質量攻撃を行うことにしたのだ。
結果は推して知るべし、である。
(しっかし久しぶりに全力で投げると気分がいいなぁ、オイ。元高校球児の血が騒ぐぜ…………!)
一応、王都の破壊もやむ無しということで言質は取っているが、それはそれとして久しぶりの投球を楽しんでいる馬鹿がいた。高校三年は野球部で、甲子園には行けず精々が地区予選決勝止まりではあったが、それでもスタメンのピッチャーだった男だ。球を握ればその気にもなる。
「あ、レイター様。あそこに白い旗が上がりました」
「お。じゃぁ、またぶち込むか」
無駄に消える魔球とか大リーグボールとかドリームボールとか再現してみっかな、とニヤニヤしながら鉄球を握って腕を振り上げ。
「んじゃ、ピッチャー第二球、振りかぶって────」
そして、魔力全開で身体強化。
「投げましたぁっ!!」
洗練されたフォームで解き放たれた鉄球は、ベイパーコーンを吹き散らしながらぐんぐん巨大化し、王都に蔓延る竜兵達目掛けて突き刺さり、大地を揺らした。
続きはまた来週。




