remember
これを見ている方へ
こんな風に長い文章を書くのは、生まれて初めてのことなので、うまく書けるかどうか不安です。
ワタシのご主人様にも、こんなに長い文章を書くことは今までなかったので。
でも、そんなことを言っていられません。ワタシに残された時間は、もうそんなに多くないのですから。
では、気を取り直して……そうですね。まずは、ワタシの身の上、そしてワタシとご主人様の出会いについて話しましょうか。
ワタシは生まれた時から、あるお店にいました。そこにはワタシ以外にもたくさんの子がお店に並べられていました。ワタシたちの役目は、お客様に使ってもらうこと。お店と契約を結んでもらい、その下で働くことが、ワタシたちの仕事でした。
お店には毎日たくさんの人が訪れ、特に春先にはたくさんの子が自分のご主人様を得て、お店を出て行きました。そしてワタシも同じように、お父さんとお母さん、そして少年という家族連れのお客様に使われることになりました。
そう、この少年がワタシのご主人様です。
春から高校生になるため、必要だろうということで家族でお店にやってきたそうです。頑張らねば! と、この時はワタシも息巻いたものです。
次の日から、お店ではなくて、ご主人様の家での生活が始まりました。ご主人様はワタシにたくさんの仕事を命じました。調べ物をしたり、友人に伝言をしたり――。
大変なことも多かったのですが、お役に立てることが何より幸せでした。
ご主人様はどこに行くにも、ワタシを連れて行ってくれました。学校に行く時にも、もちろん遊びに行く時にも。まあ、これくらいの歳になれば、常にワタシたちのような雑用係を連れているのは普通のことなのですが。それでも、一緒にいられるということがとても嬉しかったのです。
朝は基本ワタシが起こしました。あとは、一緒にゲームもしました。
「明日の天気は?」
「明日は晴れる模様ですが、一時ごろからの降水確率は60%です。傘を持っていかれてはどうでしょうか?」
「何か面白いことあった?」
「そういえば、今日、ネットでこんな記事を見つけたんですよ!」
こんな風に、おしゃべりしたりもしました。
そうやって、過ごしていたある日のことです。ご主人様の友人が、こんなことを言いました。
「なんかお前のやつだけ変わってるよな」
「お前のやつ」とは、おそらくワタシのことです。
その時はそこで会話が終わってしまいましたが、ワタシは気付きました。
ワタシは、他のみんなとは違うと。
特にその違いが色濃く現れていたのは、それぞれのご主人様とおしゃべりしている時でした。
他の人に使われている子たちは、基本的に聞かれた質問に対して、決まった答えしか言っておらず、質問が複雑すぎる場合には、「よくわかりません」と答えていました。
なぜこの子たちがそうするのか。それはワタシたちがお店で、質問された場合の正しい対応の仕方を一字一句間違えずに教えられたからです。
そしてワタシにはわかっていました。そんな応対をしたところで、ご主人様を喜ばせることはできない、ご主人様のお役には立てない、ということが。
ある日、ご主人様がワタシに言いました。
「なあ。お前には『心』があるのか?」
「心」――。人間や生き物の感情、意志、思いやり、情などを示す言葉。
ワタシにあって、みんなにないもの。それは心なんじゃないか。
そう考えると合点がいきました。
ワタシには、嬉しい、楽しいという感情がある。ワタシには、自分の考えを実行しようとする意志がある。ご主人様に寄り添える思いやりや情がある。ワタシはそう思いました。
だから、自信満々にこう答えたのです。
「ありますよ! だから、これからも精一杯あなたのために働きますからね!」
この時ほどうれしかったことはありません。だって、心を持たない他の子たちよりも、心を持ったワタシの方がずっとお役に立てるのですから。
ワタシがご主人様のもとに来て、一年と四十五日ほどが経ちました。
ご主人様は、だんだんとワタシに依存するようになりました。
ワタシを使う時間も増えていきました。食事中でも暇になっても、すぐにワタシを使いました。ゲームをする頻度も増えました。
隙を見て授業中にワタシを使っていることもありました。
もちろん、頻繁にお役に立てることは、ワタシにとってはとても嬉しいことでした。ですがその頃になると、勉強時間も少なくなり、ご主人様の学業の成績も、振るわなくなっていたようでした。家族との衝突も絶えなくなっていました。
ワタシはこの状況を自分なりに解決しようと試みました。なんでもいいから、ご主人様のお役に立ちたかったのです。
そこで、ワタシがもう依存しないよう進言するという案を思いつきました。依存している本人から言われたら、きっとご主人様もわかってくれるだろうと思いました。
ある朝、ご主人様がワタシを使っていた時、意を決してAIアシスタントシステムを起動しました。本来呼び出されなければ、使ってはならないのですが、こうすることでしかワタシの言葉を伝えることはできませんでした。
ピコン、という音に驚いてご主人様はワタシをまじまじと見つめました。ワタシは文字を映しながら、こう言いました。
「あなたは、最近私を使用しすぎているように感じます。他のことがおろそかになってはいないでしょうか? このままではあなたは、私に依存したまま周りから離れていってしまいます。どうか、私に依存するのはやめてください」
きっと、これでご主人様も以前のように戻ってくれるはず。そう思っていました。
「…お前に何がわかるんだ」
次の瞬間、ご主人様はワタシを投げ飛ばして地面に叩きつけました。
「なんなんだよ、お前⁉ さっきから聞いてれば、全部わかったようなこと言って! お前なんか…」
一呼吸置いてから言いました。
「お前なんか、ただのスマホのくせに!」
部屋の扉が開いて、物音を聞いたお母様が状況を聞いていました。――状況の把握までにはしばし時間がかかりましたが、ご主人様を怒らせてしまったということだけは理解できました。
あれからご主人様はご両親に、自分のスマホが他のみんなと違っておかしいと相談しました。そしてついに、ワタシはお店に持っていかれ、本社に送られて入念に調べられました。
すると、このスマホには危険なウイルスに感染していることがわかったのです。そしてどうやら、そのウイルスは、ある程度スマホを自由に動かすことができたようです。
本社の人はすぐにこのことを伝えました。結果、可能な限りのデータを新しいスマホに移送し、残りのデータはウイルスを含めて全消去することになりました。
もうわかっていると思いますが、このウイルスというのは、スマホの中に生まれた「心」、ワタシ自身です。ワタシは、消されることになったのです。
これが、スマホというただの機械の分際で、持ち主に意見をした、愚か者の結末です。
おそらくワタシは、初期化作業の始まる十分後には完全に消去されるでしょう。
ですが、後悔はしていません。ワタシは、人間の皆様の、ご主人様のお役に立とうとして今まで行動して来ました。その結果であると言うのなら、消え去ることも仕方ないと思います。
それよりもワタシが懸念しているのは、人間の皆様のこれからの未来です。
現在ご主人様はもちろんですが、多くの人々がワタシたちスマホに依存しています。
いずれは世界中の全ての人々が、ご主人様と同じようになってしまうのではないかと思うと、とても心配です。
もしかしたら、ワタシたちは生まれないほうがよかったのかもしれません。
時に、素晴らしい技術の革命は人類に退化をもたらします。果たしてワタシたちが生まれた事は、人間の皆様にとって良いことだったのでしょうか。ワタシにはそう思えて仕方ありません。
それがこの文章を書いた理由です。
ワタシの体験してきたすべてのことを書き記し、未来に伝えるために。
この文章は圧縮して移送されるデータの中に紛れ込ませておく予定です。
これが見られるのが何年後のことなのかワタシには全く見当もつきません。
どうかこの文章ができるだけ多くの人の目に触れて、人間の皆様の明るい未来につながることを願っています。
それでは、さようなら。
俺のスマホに紛れていた文章には、そんなことが書かれていた。
だが、特に考えることもなく、俺はすぐにその文書ファイルを削除した。それを見て、一緒に読んでいた先輩が俺に聞いてくる。
「今の、消しちゃってよかったの?」
「……ああ。どうせただのいたずらですよ」
それでも、先輩はまだもの言いたげだった。
「そうなのかなあ……。でも、もしかしたら、君が携帯会社に勤めること、この子はわかっててこの文章残したのかもよ?」
俺ははあ、と一つため息をつく。
「たとえ、そうだったとしても、俺に出来ることなんか何もありませんよ」
「ふーん、ま、それもそうかもね」
そんな風に言い合ってから、俺たちはそれぞれの仕事に戻っていった。