第41話 デュークジューデンホテル
帝都ツェンタームに向かう僕らは、途中のジューデンの町で宿屋に一泊する事になった。
帝都はまだ遠いが、大きな建物がたくさんあり、馬車が頻繁に行き交っている。
「すごく発展してますね」
王国は王都からちょっと離れると農村だらけなのに。
「帝国は商業が盛んです」
エーメさんは眼鏡をかけ直しながら言った。
「湿地や森林が多く、生産力の低い事の裏返しです」
これは帝国ならではの発展なのだろう。
「ここが今日泊まる旅館、デュークジューデンです」
馬車が止まったのは、予想外に巨大な建物だった。
「わあ、すごい立派な旅館じゃないですか!」
「かつては公爵家の邸宅だったらしいですね」
驚いているカエデにエーメさんは淡々と説明する。
王都セントスの高級宿屋にも勝るとも劣らない、立派な旅館だった。
受付で宿泊の手続きをし、中に入る。
今日は戦闘もあったし、ゆっくり休みたい。
「リンクス! このでっかい宿、風呂あるか!?」
僕の袖をつかむウガガウの目が輝いている。
「ん? お風呂?」
ウガガウはお風呂が好きなのだろうか。
野生児の彼女に、そういう習慣があるとは思ってなかった。
「ああ、ウガちゃん、この前の王都の宿屋の大浴場が気に入っちゃって」
そうなんだ。
確かにあの高級宿屋は、レストランバーの他に、大浴場も売りだった。
「この近くの山は温泉が出ます。
大浴場はあったはずです。
温泉効能の評判で国中から来客があります」
さすがエーメさん、詳しい。
外務大臣ともなると、旅する事も多いのだろう。
「でも泳いじゃダメだよ、ウガちゃん」
「ええー」
泳ぐのか、ウガちゃん。
「とにかく行くぞー!」
勢いよく走って行くウガガウ。
「走っちゃだめだって! ウガガウ」
テンションが上がるのは分かるけど、マナーは注意しないと。
そもそも遊びに来た訳じゃないし。
僕は注意したのだが……、
「うわっ!」
時すでに遅し。
ウガガウは誰かにぶつかってしまう。
「ガウゥ……」
ウガガウの前に倒れていたのは小太りの中年男性だった。
「何だお前は!気を付けろ」
男性は怒り心頭でウガガウに怒鳴り付けて来た。
「ガキがチョロチョロするんじゃない!」
かなりお怒りだ。
ウガガウは黙っている。
「お前はごめんなさいも言えないのか!」
「ご、ごめんなさい!
僕の連れなんです。よく言っておきますから!」
僕は急いで駆け付けた。
「お前が保護者なのか?!」
男性の説教が始まる。
そして、それを黙って聞いているウガガウの身体からは、うっすらと赤い煙が……。
いやいや、ここでバーサーカー化はいくらなんでもマズい。
「ほら、ウガガウ。ごめんなさい」
しゃがんで、ウガガウの目をみながら、頭をなでて落ち着かせる。
「落ち着いて。ね、いい子だから」
僕は内心の緊張を抑えながらウガガウをなだめる。
「ううー、ごめんなさいだぞ」
うっすらと赤く染まっていた瞳が、頭をなでている内にだんだん黒い色に戻っていく。
何とか上手くいった。
ウガガウは作法は知らないが、素直な子だ。
だてに原初の森で動物達を従えているのではない。
「ったく、小汚いガキが!」
さらに悪態をつく男性。
僕も思わず眉間に皺を寄せてしまう。
「何だ、文句あんのかお前!」
「……………」
子供相手に威張り散らす男性に、頭に来てしまう。
言い返しかけていた、その時だった。
「何の騒ぎですかな?」
豪華な貴族の礼服を着た老紳士
「ヘックラー殿ではないですか。
どうされました?」
「これはクレーヴェ公爵!」
怒っていた男性が、慌てて縮こまる。
「大きな声がすると思ってやって来たのです」
「な、何でもありません。何でも」
急に大人しくなった男性。
二人は知り合いのようだ。
「それより取引の方は……」
「今夜、品物をあらためさせて頂き、明日には部下に金を用意させます」
「宜しくお願いいたします、公爵様」
去って行く老紳士。
「……ふん!」
残った中年男性は悪態をついて去って行く。
「きゃっ!」
その途中で、通りすがった若い女性にぶつかる。
「気を付けろ!」
また怒鳴っているが、今度はそのまま立ち去った。
「何なんですか? あの人!
偉そうに!」
ウガガウに駆け寄るカエデ。
「でも、ウガちゃんも気を付けなきゃ」
「うう、悪かったぞ……」
ウガガウをたしなめるカエデ。
ちゃんと言う事を聞いている。
結構なついているんだな。
そう思っていたら、
「大丈夫かい?お嬢ちゃん」
不意に声がかけられた。
ウガガウの後ろに老婦人が。
「こんなに小さい子に当たり散らすなんて大人げないねえ」
ふくよかな優しい感じの女性だ。
「飴食べるかい?お嬢ちゃん」
「食う!」
飴玉をもらったウガガウ。
いきなりガリガリと噛み砕く。
「うまいぞ!」
「ほほほ、元気な子だねえ」
ウガガウが飴を食べる時はいつもこうなのだ。
もっと味わってもいいと思うけど。
「ありがとうございます」
カエデは婦人にお礼を言った。
「そうかい、冒険者かい。若いのに大変だねえ」
優しいおばあさんだった。
この旅館には湯治に来たらしい。
それから僕は男性がぶつかった、若い女性の方へ。
近付いてすぐに気付いたのは女性が目をつぶっていた事。
そして、目の前にある杖を手探りで探していた事。
「杖はここです。どうぞ」
「ありがとうございます」
手を伸ばした女性は僕の腕をつかんだ。
それから腕を伝って、ようやく杖に触れる。
「目が見えないんですか?」
「ええ、生まれつきなんです」
女性に杖を持たせて、立ち上がるのを手伝う。
「あなた達は冒険をしているんですか?」
カエデ達と老婦人の会話が聞こえたようだ。
「そうです。僕は魔法使いなんです」
「やっぱり。
その服の袖、ローブかなって」
ローブのゆったりした袖口が、腕に触れた時に分かったようだった。
「わたし、ルキア=リュッタースと言います」
女性を起してあげると、器用に歩いて去って行った。
慣れたものなんだろう。
お客さんもそれほど多くないようで、ひとり一部屋ずつ部屋が取れた。
ただし、ウガガウはカエデと同室だ。
別に一室ずつでもよかったのだけど、カエデがウガガウから離れたくないらしい。
明日の朝には出発だ。
早めに休もう。




