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前編

 銀色の糸で造られたそのお屋敷に、真っ白な花の妖精は囚われてしまった。

 年頃の彼女の身体から仄かに香るのは甘い蜜の香り。その味は、多くの蜜食妖精たちに愛されている。だが、彼女を捕らえたのは、蜜食妖精などではなかった。銀色の糸を操る、蜘蛛の魔女だ。屋敷に暮らす無数の手下たちに命じて攫ってこさせたのだ。

 か弱いその花を首尾よく捕まえたことに、魔女はたいへん満足していた。糸でぐるぐる巻きにしたこの状態は、十分に躾が済むまで解くつもりはない。


 ――全ては計画通り。


 魔女は気を失ったままの花の妖精の頬を撫でながらほくそ笑んだ。

 その甘い香りが示すように、この娘は年頃で、蜜もたっぷり抱えている。美味しい蜜と豊満な体つきは、すべて蜜食妖精たちに好まれるためのもの。魔女の狙いは、まさにこの蜜食妖精たちにあった。

 と、その時、花の妖精の瞼がゆっくりと開かれた。


「目が覚めたか」


 魔女は囁いた。


「今日からここがお前の咲く場所だよ」

「あなたは?」


 きょとんとする花を前に、魔女は目を細めた。


「私はこの屋敷の主人だ。妖精たちからは魔女と恐れられている。人間たちは絡新婦と呼んだりもするけれどね」

「じょろうぐも……」


 茫然と呟き、花は首を傾げた。


「わたしに何の用? 蜜が欲しいの?」


 目はとろんとしている。きっとまだ夢見心地なのだろう。

 絡新婦はそう思いつつ、なるべく優しい言葉で教えてやった。


「そうだ。蜜が目当てだ。だが、それを吸うのは私たちではない。お前には囮になってもらいたいのだよ。この場所に縛っておけば、お前の香りに釣られた蜜食妖精どもがやってくる。そして、奴らが動けないお前を貪るのに夢中になっているところを狩りたいのだ」


 悪びれもなく説明してやると、ようやく花は事態を飲み込んだらしく目を見開いていった。

 動こうとしたが、糸が食い込むだけだ。何度か抵抗するも、すぐに諦め、花は息を呑みながら絡新婦に訊ねた。


「わたしを……生餌にするってこと?」


 怯えるその目に狩猟本能が働き、絡新婦は笑みを深めた。


「そうだよ。蜜食妖精どもの最期のご馳走となってもらう。なに、殺させはしないさ。勿体ないからね。危なくなったら助けてやるから安心なさい」

「そ、そんな」


 花の妖精は蒼ざめてしまった。

 確かにその身体から生まれる蜜は、蜜食妖精を誘うためのものに違いない。しかし、彼らの食欲と暴力性は甘く見ることが出来ないのも確かだった。この行為が楽しいものになるか、はたまた苦しいものになるか、それは相手次第。花の妖精にとっては繁殖が目的であるはずなのに、相手次第では恐ろしい死への入り口となってしまう。


 身の危険を感じたらすぐに中断して逃げることさえあるというのに、糸で縛られていてはそれも出来ない。いくら助けると約束されても、花の妖精にとって恐怖でしかなかった。

 だが、絡新婦はその恐怖すら面白がるように、告げた。


「狙いは胡蝶だ。ちょうどお前のような品種の蜜を奴らは好む。立派な胡蝶を呼んでおくれよ。そして奴らの最期の相手として、束の間の優越感を与えてやりなさい」


 絡新婦が頬を撫でてやると、花はそっと両目をつぶった。

 震えが止まらなかった。それもそうだろう。胡蝶と呼ばれる蝶の妖精たちは、蜜食妖精の中でもひと際美しく、それでいて強引な者も多いのだ。自身の美しさで花たちが魅了されることを理解しているからこそ横柄に振る舞い、自身の欲望のままに花たちに無理をさせることも多々ある。

 花の妖精たちはそれをよく知っていたからこそ、胡蝶には憧れと恐怖の二つの感情を抱いているものだ。この花もまた同じだった。縛られたまま胡蝶の餌になるなんて。


 だが、囚われたこの花は、ただ黙って怯えているだけの妖精でもなかった。

 ぎゅっと目をつぶって恐怖心を飲み込んでしまうと、彼女はしっかりとした眼で絡新婦を見つめ、声の震えを抑えながら訊ねたのだった。


「絡新婦様は……胡蝶をお望みなのね?」


 冷静に問いかけてから、花は訴えた。


「でしたら、狩りの前にお伝えしておかないとならないことがあります」

「伝えたいこと?」

「実は……わたしの蜜は今のままだと胡蝶たちを誘えるだけの香りにならないのです」

「なんだと?」


 絡新婦は険しい顔をした。

 花の妖精を捕らえた理由のほぼ全てが胡蝶のためだ。もちろん、他の蜜食妖精だって獲物としては十分だが、中でも好物だった胡蝶が楽に手に入ると期待していたのだ。

 花を捕らえるのだって簡単な事ではなかった。見つけ出すのにも苦労したし、手下たちが捕らえてくるまでも長かった。それなのに胡蝶が手に入らないというのは、忌々しき事態だった。


「どうすればいい?」


 絡新婦が訊ねると、花は少しだけ遠慮気味に答えた。


「そうですね……まずは日当たりの良い場所にわたしを移動していただけますか?」


 絡新婦は不満げに息を吐いた。捕まえた後は縛っておけばいいとばかり思っていたのに。そうする方が、逃げられる心配も、盗まれる心配もない。せっかく無傷で捕らえた花を自由にしてやるのは気が進まなかった。

 だが、胡蝶は欲しい。不本意ながらも、今は彼女の言葉に耳を傾けるべきだろう。そう判断し、絡新婦は彼女の拘束を解いてやった。


「手を離すんじゃないよ」


 強い口調で警告しつつ、糸の屋敷の中でもっとも日当たりの良い場所へ花の妖精を連れて行った。

 外の光を受けて輝くその部屋の美しさに花の妖精は見惚れていた。そんな彼女を部屋の奥へと押しやると、絡新婦はさっそく糸を操りだした。


「さて、じゃあ、ここで縛ってやろうかね」


 そう言って、さっそく花の妖精の腕を掴み上げようとした。だが、花の妖精は慌てて抵抗し、またしても絡新婦に訴えたのだった。


「お待ちください、絡新婦様!」


 その必死な声に、絡新婦は小さく唸った。


「まだ何かあるのか?」


 苛立ち気味に訊ね返す絡新婦に、花の妖精は控えめながらも堂々と頷いた。


「ええ、本気で胡蝶をお望みでしたら、わたしを縛るのはおやめください。縛ってしまうと蜜の循環が悪くなり、味が落ちてしまいます。胡蝶をたくさん呼ぶには理想的な蜜を保たないと……。心配なさらずとも、わたしはここから逃げたりしません。絡新婦様がわたしを大事にしてくださるのでしたら」


 絡新婦は不満だったが、渋々ながら肯いた。

 どうせ逃げられないのは同じだ。逃げたりしないというその言葉を信じるわけではないが、万が一、脱走を試みられたとしても、花の妖精が蜘蛛に敵うはずもない。

 縛り上げるのはおかしな行動をしてからでも遅くはないだろう。

 そう納得し、絡新婦はじろりと花を見下ろした。


「分かった。ならば、この際だから聞いておこう。胡蝶を誘い出すにはどうしたらいいのか。ぜんぶ私に教えろ」


 すると、花は少しだけ安心したように笑みを浮かべると、絡新婦の前に跪いてから語りだした。


「では、全て申し上げます。まずはお水ですが、雨水でも結構ですが、必ずろ過したものをお願いいたします。そして、最低でも二日に一度は汚れを落とすために行水をさせてください。理想は毎日ですが、お水が貴重でしたら文句はいいません。ですが、胡蝶は清潔な花を好むことを頭にお入れくださいね」

「分かった。水は優先してお前に使おう」


 絡新婦が呆れ気味に頷くと、花はにこりと笑った。


「次に食べ物についてですが――」

「まだあるのか?」


 驚いて訊ねる絡新婦に花は平然と頷いた。


「ええ、少なくともあと八つほどは」

「そんなに……」


 絶句したが、花は首を傾げながら絡新婦に訊ね返した。


「胡蝶をお望みなのでしょう?」


 どこか怪しげな問いかけではあったが、その謎の気迫に押されて、結局、絡新婦は花の注文をすべて聞くことになった。

 せっかく捕らえた花の妖精だ。それも、胡蝶が好むような品種のものを傷一つなく生け捕りに出来る機会もそう多くはない。ならば、花にあれこれ指示をされる不快感など気にせずに、胡蝶を捕らえるために万全の態勢でいた方がいいだろう。

 そんな言い訳を並べながら自分を納得させ、絡新婦は注文の多い花の世話をせっせと続けた。


 絡新婦の召使いたちもまた、同じだった。

 そもそも主である絡新婦が言うならば彼らには逆らう権限もない。何よりも、色気があり美味しい胡蝶が何度も手に入るというのならば、多少の我慢など耐えられる。

 全てはいつか口にできるはずのご馳走のため。そう納得しながら、せっせと花の世話を続けた。


 こうして、数日をかけて蜘蛛の屋敷には花の妖精のための空間が築かれていった。

 清らかな水は花の妖精のためのものとなったし、栄養豊富な土や肥料は花の妖精のために度々用意されていた。

 その上で、胡蝶の好む肉体を維持するために絡新婦自らが花の身体を解してやり、蜜の循環を良くしてやったし、身体の清掃までしてやった。


 どうせならば徹底的にやろう。

 次第に絡新婦の方もその気になり、果ては召使いたちに命じて花のための特別な衣装を用意させ、毎日のように着せ替えては美しさを際立たせてやったりもした。


 そうこうしているうちに、糸の屋敷の付近には花の妖精に興味を持ったらしい蜜食妖精たちが目撃されるようになっていった。糸で出来た透明な壁の向こうで自由気ままに過ごす美しい花を見て指をくわえている彼らの姿は、日に日に増えていった。


 絡新婦は心の中で満足感を覚えていた。どうやら苦労しただけあって、計画は順調のようだ。

 次にやるべきは蜜食妖精たちが侵入できるような部屋で、わざと花を自由にさせることだろう。そうして数名はそのまま見逃してやり、数人に一人を生け捕りにする。そうすれば、花の評判を広げつつ狩りが出来るはず。

 将来的に手に入るはずの蜜食妖精たちの肉を想像し、絡新婦はにやりと笑った。

 美味しい思いが出来るのは、もうすぐだ、と。

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