#しゅ、主人公が喋った……
手櫛で髪を梳かしながら、私は電車の窓に映る自分の顔を見つめる。背後にはスーツ姿のサラリーマン達が、詰め放題の袋の様に隙間なく立っていて。朝の通勤ラッシュの電車に乗るなんて十年振りだな。とそんな事を考えた。
今日は受験の日であり、会場の高校へ向かう為に電車に揺られている。車掌のアナウンスと共に窓越しに見える景色が、駅のホームまでまもなくだという事を告げていて、私は忘れ物はないだろうかと足元をさっと目で確認を済ませた。電車も減速を始めホームに立つ人々が見え始めたが、既に一杯のこの電車には不可能であろう人数が並んでいる。しかしそれでもきっと乗れてしまうのだろう。サラリーマンという一山いくらの歯車はそういう物だ。
停車した電車の開いていくドアを出て、改札へ向けての歩みを進める。4歩ほど進んだ時だろうか? 私の背から女の子の声が聞こえた。
「す、すみませんー、降ります! 降ります!」
しかし既に乗り込む人の列が進もうとしている。振り返った私は電車へと身を滑らせ隙間に手を伸ばし声をかけた。
「手、掴むよ!」
「……っ」
そして隙間に見えた手を掴み引っ張って、人混みから外へと連れ出した。押し退けられたサラリーマンには睨まれたが、軽く頭を下げて手を引いたままドアから離れる。
「あ、あの……」
その声と共に掴んでいた手を放す。そして視線を彼女に合わせると、そこには美少女が居た。鳥の濡羽色をした艶やかな髪をハーフアップにしていて、ちらりと見える三つ編みは後ろで結んでいるのだろうか? 制服はこの辺りでは見たことがないセーラー服を着ていた。スカートと一体型で腰の辺りをベルトで止めるという変わった物だ。
「えっと、いきなり手を掴んでごめんね?」
「いえ、助かりました! 本当に出られなくて、降りれなかったらと思うと……」
「通勤ラッシュの時間帯だから、大変だよねぇ」
その少女の声も澄んだ物で、見た目にあっていてとても可愛らしい。しかし、今日この時に見たことがない制服という事は恐らく。
「ねぇ、君ももしかして今日受験だったり?」
「はい! あっ、貴女もですか?」
どうやら当たりだったようだ。この駅から行ける高校は一つしかない。彼女が降りる駅を間違えていない限りは、目的地は一緒だろう。ならばこれも一つの縁かもしれない。
「うん。これも何かの縁、よかったら一緒に行かない?」
「ええ、是非!」
「ん、よろしくね?」
そのまま改札を出て、二人並んで学校へと向かう。時間にはまだまだ余裕がある。この調子だとどうやら無事に間に合いそうだ。
「あぁ、そういえば名前を聞いてなかった。私の名前は音鳴 鈴だよ」
「御門 沙耶です。音鳴さんは――」
二人で会話しながら進む。どうやら彼女は春から両親が転勤する事になり、こちらの高校へ一人で受験しに来たらしい。前日の昼に一度ルートは確認していたが、朝の電車がこんなに混む物とは思わず、人混みに埋もれてしまったそうだ。
なんて会話をしていたら高校へと辿り着く。看板を持った先輩方の方向指示に従って進んでいくと、受験生への案内が掲示されていた。どうやら御門さんとは別の部屋で試験の様だ。お互いの健闘を祈って別れると、私は教室へと向かって席に着席し、最後の復習をするべく参考書を読み流した。
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第5限の社会試験も終わり、これで受験は終了した。昼食は教室で食べながら参考書を流し読んでいたのだが、保温機能付きとはいえお弁当にカツ丼とはいかがな物だろうか? 朝に揚げたてを味見していた弟は喜んでいたが、これは母と議論の余地があると思う。私はやはりお弁当はシンプルに玉子焼きが一番だと主張したい。
帰る用意を済ませ校門へと向かっていると、御門さんと鉢合わせた。まだ桜の咲いていない並木道を、一緒に駅まで歩いて帰る。御門さんは帰りはそのまま家へと帰るので、別の方向の電車に乗るという事で改札でお別れだ。
「次に会う時は、この桜が咲いてる頃だね。まぁ、お互い合格してたらだけど」
「合格してますよ、きっと! ……うん、してる筈です」
しまった、彼女を少し不安にさせてしまったか? 駄目だな、私は本当に。
「ぁー、御門さん。なんていうか、漫画かって感じだけどさ」
私は自分の鞄につけていたキーホルダーを外す。可愛らしいうさぎのぬいぐるみで、とってももふもふしているそれを、御門さんへと差し出す。
「よかったら、ゲン担ぎって事で……次に会った時に返して、ってどうかな?」
「……ふふっ」
私が差し出したそれを、御門さんは笑って受け取った。きっと私の顔は赤くなっているのだろう。自分の事ながら、柄にも無い事をしたと思う
「うん、まあ、あれです。恥ずかしい事する奴だなとか、思わないでね!」
「そんな事思わないですよ。ありがとう音鳴さん」
「じゃ、じゃあまた1か月後にね!」
恥ずかしくなった私は、見えていた改札へ向かって駆け出す。そんな私の背に御門さんの声がかかる。
「1か月後に、絶対会いましょう!」
切符を通した改札を潜り抜け、丁度停車していた発車間際の電車へ飛び乗って私は心を落ち着ける。ふと振り返り閉まるドア越しに改札の方へ視線を向けると、御門さんが笑顔で手を振っていた。私も手を振り返して、彼女へ笑顔を向ける。
電車が走りだし彼女の姿が見えなくなると、本当に恥ずかしい事をしたと改めて思う。勢いと思い付きとは怖い物である。けれど、彼女と。御門さんとまた会える事を何故か望んでしまう自分も居た。流れていく景色を眺めながら、もう一度会えると良いな、とそう願った。