リティ、格闘士ギルドの新たな門出を見届ける
格闘士がかつてない賑わいを見せている。ギルド加入希望者が殺到しているのだ。
冒険者だけでなく、一般の民もいる。その中にはかつて辞めた者達も含まれていた。
「支部長、すみません! 自分達が甘ったれてました!」
「どういった風の吹き回しだ?」
「先日のソードラット討伐で、エイーダ達を見たんです。感動しました……それと同時に、自分達の甘えを突きつけられた気分でした」
「それで、もう一度学びたいと?」
冒険者達は揃って、登録料をダッガムに差し出す。しかしダッガムはそれを受取ろうとしなかった。
「すでに受け取っているものだ。いらん」
「で、でも俺達は」
「あるのだ。お前達に返そうと思っていたのだが、いなくなられてはどうにもならん」
ダッガムは彼らから受け取った金を保存していた。彼らがいつ帰ってきてもいいように、または金を返せと乗り込んできてもいいように。
それらに一切手をつけずに、身銭を切り崩していた事実をエイーダ達もつい最近知ったのだ。
「皆、戻ってきたんだね」
「エイーダ、悪かったよ。お前ほどの素質はないだろうけど、やれるだけやってみたくなったんだ」
「粘ればいいんだよ。そうすればダッガム支部長だって認めてくれるはず」
「だといいけどな……」
「その通りだ! やるからには容赦せんからなッ!」
その檄でせっかくの加入希望者が尻込みをするのでは、とエイーダは危惧した。しかし、すでにリティが動き出している。
格闘経験もない一般の者達に、簡単な動作から学ばせているのだ。前のダッガムならば一喝したところだが、今は小さく唸るだけだった。
「……いや、ワシも少し身の振り方を考えねばな」
「支部長、弓手ギルドでは一般の人達が気軽に弓を使えてました。だからここもそうしたらいいと思います」
「だが、リティ。弓などないぞ?」
「一般の人達にはまず、体を動かす楽しみを知ってもらえればいいんです。エイーダさん達みたいに強くなりたい人は支部長が容赦しなければいいんです」
「む……」
弓手ギルドでのクーファを見たリティが出した結論だった。まずはやってみて楽しさや上達を知ればいいと思ったのだ。
それが結果的に良い方向へ向かうとリティは確信している。
「確かに格闘経験がない者を投げ飛ばしてはいかんな。一考しよう」
「それと優しく教えてあげるんです」
ダッガムのどこかずれた結論に、リティが補足する。彼に強制したくはないが、すぐに辞められるのも惜しいとリティは考えていた。
優しくという部分を厳守しようとしているダッガムが、加入希望者達にぎこちなく説明を始める。
これで一件落着と誰もが思ったところで、招かれざる客が門をくぐってきた。
「これは随分と賑やかだねぇ?」
「加入希望者でも見学でもない人はダメです!」
「みゃみゃーん!」
「な、何だねぇ!」
リティがバイダー一味の前に立ちはだかって、両手を広げる。ダッガムがバイダーを視認して歩き出そうとするが、先に動いたのが加入希望者達だ。
「何をしに来た!」
「ここにも難癖をつけて立ち退きさせる気か? あんたらの噂は皆、知ってるんだぞ!」
「帰れぇ!」
「こ、こいつらめ……!」
ブーイングの嵐に、バイダーがたじろぐ。一度は作った握り拳だが、ダッガムは解いた。
手荒な真似をしなくても済みそうだと判断したからだ。怒りに任せたバイダーが双剣を抜こうとも、怯まない。
「何か臭くないか?」
「あぁ、どうもあいつからだな」
「ゲッ……」
バイダーは慌てて自分の腕や体の臭いをかぐ。
下水道にて、シャールに転ばされて汚水に落下した時の臭いだ。あれから狂うほど衣服、鎧、体を洗浄したはずだった。
しかし汚れの集合体とも言える下水に流れる汚水は手強い。結果、至近距離であれば誰もが鼻をつまむ事態となる。
「バイダーさん。お風呂に入らなかったんですか?」
「は、入ったに決まってるねぇ! あのシャールのせいでこうなったのだから仕方ないねぇ!」
「オリガーさんも、あなたに背中を刺されました。エイーダさんもあなたに落とされそうになりました。エイーダさんに、今のあなたと同じ思いをさせるところでした」
「我々と冒険者風情では立場が違うねぇ!」
「それでは筋が通りません。謝って下さい」
その空気をいち早く察知したのがダッガムだ。リティがまとう得体の知れない何か、それは一つ間違えれば殺気にも昇華する。
今はまだその段階ではないだけで、いつそうなってもおかしくないとダッガムは注視した。
「な、なんだねぇ。この僕が謝るなど……」
「あなたも騎士ならば、筋を通して下さい」
「お、お前に、騎士の何が」
それはもはや子どもの言い訳だった。理屈だけではない。発言しているバイダー自身が、周囲からも小さく見える。
そして彼よりも体格が劣るはずのリティの存在感が異様だった。まるで彼女だけ、くり抜かれてそこに置かれたかのような。言い換えれば存在自体が異質だった。
バイダーの呼吸が荒くなり、喉が渇く。いつしか声が出なくなり、門から何歩も後ずさりする。
「出来ないなら、二度と来ないで下さい」
「あ、あう……あ、あぁッ」
足をもつらせて、バイダーは転倒してしまった。部下が彼の両脇を抱えるが、リティから目を離せない。
隊長である彼へのフォローすらも疎かになるほど、彼らもリティを理解できなかった。
「次は私も怒ります」
「て、転進! 撤退ではなく転進!」
部下によってバイダーが引きずられて、アンフィスバエナ隊が姿を消した。彼らがいなくなっても尚、静けさは変わらない。
リティのそれが怒りである事は全員が察している。しかし、その異質さだけはわからなかった。
「……リティ。もういい」
「あ、はい」
ダッガムによって、リティはいつもの調子に戻る。そして警戒するように、一部始終を伺っていた者達にリティが首を傾げた。
「あの、皆さん? どうかしたんですか? もうあの人達はいないですよ?」
「そ、そうだね。リティさん、ありがと」
エイーダが気さくに振舞う中、未だ周囲の緊張が解けない。それはリティに対する恐れもあったが何より、シンプルなものだ。
「あの子は……何だ?」
「みゃん!」
その疑問に答えたのか何なのか、ミャンの鳴き声が全員に日常を感じさせてくれた。
ここでダッガムは一つの結論に至る。あの娘は"怪物"だと――
* * *
男がベッドに腰かけて、その傍らで美女が眠る。その美女が、先日とは違う人物だとバイダーは気づいていたが言及しない。
男が好色という噂は聞いていたバイダーも、いざ目の当たりにすると恩恵を授かりたくなった。
「臭うな、バイダー。本来ならば門前払いと知れ」
「は、ハッ! しっかり洗い流したのですが……」
格闘士ギルドでの屈辱の後、入浴をして着替えもしたが完全に臭いは取れなかった。
「これもすべてレッドフラッグのシャールにしてやられたのですよねぇ! こうなれば奴を法廷の場に……」
「難しいだろうな。王族や貴族の中にも、奴に入れ込む者は多い。それに加えて事故と言い張られては終わりだろう」
「そ、そこをあなた様の力で……」
「割に合わん。それよりお前だ、バイダー」
バイダーはまさに矛先が向けられた気分だった。鼻先に鋭利な刃を突きつけられたとさえ錯覚させるほどの男の覇気だ。
これにより、バイダーは無言で歯ぎしりをするしかなかった。
「その様ならば、格闘士ギルドの件も期待できそうにないな」
「ギルド加入を希望する奴が増えたようで……」
「それでお前は尻尾をまるめて逃げてきたと?」
「あ、いえ! すぐにでも向かいますねぇ!」
そう口では答えるが、バイダーにその勇気はなかった。昼間、リティへ感じた恐怖が体に染みついてるのだ。
同時に身をよじらせるほどの屈辱でもあった。今でこそ、彼は自らを奮い立たせられる。何故あの時、逃げたのかと。
戦えば自分が勝つはずなのに、何故。何度も何度も何度も、そう自己暗示にかけている。
「何か恐ろしいものでも見てきたような顔だな」
「そ、そのようなことは」
男がワイングラスに口をつけて、もったいぶるようにゆっくりと飲む。バイダーにしてみれば、次の言葉が恐怖でたまらない。
この男がその気になれば、自分の首など簡単に飛ぶからだ。
「私はな、バイダー。この国に冒険者という外来種は必要ないと考えている」
「仰る通りですねぇ!」
「我が国、他国の歴史を俯瞰しても外来種によって食われたものの損失は大きいのだ。そう、まるで虫食いのように穴だらけになる……。その穴に何が練り込まれるか?」
「それは……」
男が臭気に構わず、バイダーの鼻先まで接近した。もはやバイダーに出せる言葉はない。せいぜい命だけは、と心の中で懇願するのみだ。
「堕落だよ。自国の力は衰え、外の力がなければ生きていけない。穴を開けたくせに、手前勝手なものを流し込む。奴らはのうのうと自分達のおかげと言い張る。どうだ……許せるか?」
「ゆ、ゆるせ、ましぇん……」
「ただ土地だけを欲したのではない。あのギルドを潰せと、お前に命じたのだ。言われた事も出来ずに敗走したのだ、お前はぁッ!」
「すみませんすみませぇぇん!」
尻をついて後ずさるバイダーを、男は更に追いつめる。そしてまたかがんで、バイダーの目を覗き込んだ。
乱れる呼吸を整えられないバイダーはすでに涙を流している。
「私の理想を阻む者には容赦せん。そう、誰であってもだ」
「も、もう一度だけチャンスを! お願いしまぁす!」
「では何を賭ける?」
「何、と申しますと……」
そのとぼけた発言が悪手だったと気づいた時には遅かった。バイダーは頭を掴まれて、宙づりにされる。そして締め付けられて悶えた後は腹に一撃。
内臓が破裂するかのような感覚を覚えたバイダーは、落とされると同時に嘔吐してしまった。
「うげぇぇぇぇ!」
「その絨毯は年代物でな。そうだな……大サービスで、お前の全財産と等価だ」
「うえぇぇ、ぞんな……」
「それで、何を賭ける?」
もう間違えられない。バイダーは涙を流しながらも、言葉を探す。そしてヤケクソとも言える賭けに出た。
「僕の命……では、どうですか、ねぇ……」
「二言も撤回も許さん。いいだろう」
男が指をパチンと鳴らした後、使用人が部屋に入ってきて絨毯を片付けさせる。
バイダーはこの日、二度も屈辱を味わった。リティに続いて、今はこの男だ。
現役の騎士である自分を屈服させられる胆力と腕力が未だ健在だと、認識してしまった。
心のどこかでは舐めていたのだ。今は自分のほうが強いと思い込んでいたからこそ、バイダーは男の前に出られたのだった。
「バイダー、あまり私を甘く見ないほうがいい」
身も心も、すべてが見透かされた瞬間だった。




