リティ、悪魔と戦う
伝説の大悪魔バフォメット。村にいた頃、リティは旅人から聞いた事があった。山羊の上半身を持ち、大鎌を振るえば千の命を狩り取る。火を吐けば、一夜にして大帝国が滅ぶ。
嘘か真かわからないが、大悪魔と呼ぶに相応しいエピソードをリティは思い出した。
「あなたがバフォメットです?」
「そうさ。この大悪魔が人間と契約するなんざ、歴史をひっくり返しても例がない。なぁ、クーファ?」
クーファは怯えているが、リティはすでにこの悪魔がバフォメットではないと見抜いていた。
それほどの大悪魔を前にしているのに、リティはさほど危機感を感じていない。伝説と容姿が異なるなど、些末な事だ。リティはその上で、この悪魔とどう対峙するか考えた。
「クーファ、契約違反だ。わかってるな?」
「ごめんなさいごめんなさい! 何でもしますから、リティさんだけは!」
「召喚獣と召喚師の契約は絶対だ。お前はそれを承知でオレと契約した」
「リティさん、逃げてください!」
悪魔の爆炎がリティを襲う。狭い通路で逃げ場がなく、リティは後退するしかなかった。悪魔がけたたましく笑いながら、リティを追いかける。
「フレッケッケッケッ! あいつはなぁ! オレとこう契約したんだよ! 『力を貸すかわりに誰とも親しくなるな』ってな!」
「それをクーファさんが?」
二発目の爆炎を辛くも凌ぎ、リティは地下を駆ける。ネームド個体ではないとはいえ、モグラの魔物を一撃で倒した攻撃だ。
伝説の大悪魔が虚言だったとしても、リティが決して侮れる相手ではない。現に爆炎に手も足も出せていないのだから。
「そうさ。オレはあいつの負の力を味わう。あいつはオレのおかげで生きていける。利害が一致してんだよ」
爆炎を止めて、悪魔はその場にとどまる。そしてリティを見て、醜く顔を歪めた。
「親もいねぇ。何の才能もねぇ。奴隷落ち待ったなしの状況で、あいつは聞きかじった召喚術に手を出した。オレと契約したおかげで、あいつはここまで来られたんだよ」
「そうですか……」
クーファが4級になれたのも、すべてはこの悪魔のおかげという事実。しかし、それを聞いてもリティの心情は変わらなかった。
形はどうあれ、召喚師として活動して、実績を積み重ねたのだ。自分のように親がいるわけでもない。何もない状況で召喚術に手を出して、生き続けた。
自分よりも年下であろう少女を、リティは心から賞賛したが決して悪魔には告げない。
「契約違反により、親しくなった相手を殺す。つまりな、お前に死んでもらわないとあいつの為にもならねぇんだよ」
「クーファさんは……今まで親しくなった相手があなたに殺されるのを見てきたんですか?」
「いや? 目はつぶってたぜ?」
斜め上のふざけた回答に、リティの怒りが腹の底で煮える。合意での契約だろうが、リティには関係なかった。
それは一人の人間としての、リティとしての感情だ。召喚師について何も知らないリティだが、そんなものは意に介してなかった。
「わかりました。ではクーファさんに聞きたいことがあります」
「あ? オ、オイ!」
リティはクーファの元へと急いだ。膝を抱えて震えているクーファを見つけて、隣に座る。
悪魔はてっきり反撃してくると思ったリティが突飛な行動に出たので、ゆっくりと着いてくるだけだった。
「クーファさん。あなたにとって、あの悪魔は必要ですか?」
「いないと、わたし、何もできないから……」
「では目の前で誰かが殺されても平気ですか?」
「それ、は……」
「オイオイオイオォイ? 何をそんな今更すぎる質問してんだ?」
悪魔がクーファの頭を掴んで強引に撫でる。涙を浮かべながらも堪えるクーファの表情が、リティにとって答えだった。
リティは無理矢理クーファを悪魔から引き剥がし、手を握る。
「クーファさんはすごい人です。私と違ってずっと一人で、どんな事にも耐えてきたんですね」
最初に会った時のように、クーファは黙ってしまった。健気にも、親しくならないように今からでも努めているつもりだ。
そうしないとリティが殺されてしまうから。本当はもっと仲良くしたかったが、我慢してきた。
ろくに人と接しないせいで対人の免疫すらなくなり。関わってきた数少ない人間が悪魔の毒牙にかかっても。
ただ生きるためにすべてを堪えてきた。これからもそれを当然とするのかと、リティは疑問に思っている。
「クーファさんは何かやりたい事がないんですか?」
「やりたい、こと?」
「目標です。夢です」
「な、ない、です」
「そうですか。それじゃこれから見つけましょう」
クーファが顔をあげると、リティはすでに悪魔に武器を向けている。強引ではあるが、もはやリティには我慢ならなかった。
生きていれば大変な事もあるが、嬉しい事もある。15という短い人生ではあるがルイズ村、ユグドラシア、トーパスの街での経験が彼女をそう思わせたのだ。
もしリティがユグドラシア時代に自暴自棄になって命を絶てば、それ以降の経験はなかった。マームの時のように、またも自己投影したリティは悪魔が憎くてたまらない。
「……お前、召喚術について何もわかってないな」
「はい、何も知りません」
「言っただろう。オレは格安で契約してるってな。召喚師の中には、肉親や恋人を捧げた奴だっている」
「え……」
さすがのリティも、それには衝撃を受けた。それが契約条件だとしても、そうまでする人間がいる事が信じられなかったのだ。
そんなリティに追い打ちをかけるようにして、悪魔は楽しそうに喋り続ける。
「契約違反にしても、術者の命と引き換えだったりな。力がでかいほど、それも大きくなる。これも説明したはずだぜ?」
「……なるほど」
「そもそも契約出来ただけで認められるのが召喚師ってジョブだ。オレが召喚されなかったらお前はどうなっていた? なぁクーファ?」
「生きて……こられ」
クーファが何か言う前に、悪魔から遮るようにして前に立つ。その瞬間、余裕を見せていた悪魔の顔が強張った。
それはかつてリティと敵対したニルスが感じていたものと同じではない。どちらかというと、無意識のうちに彼女を恐れていたアルディスに近い。
ディモスに向けられた、夢に対する障害となるものを排除する時のそれだ。もはや悪魔はリティにとって、気分が高揚する対象ではない。
「生きましょう。私がついてます」
悪魔は何故、目の前の少女に恐れを抱いているのかわからなかった。巨大モグラを倒した手腕は大したものだが、それでも自分の敵ではない。
悪魔はリティに見据えられるほど、危機感が増大していく。
「あなたがバフォメットでない事はわかっています。もし本物なら今頃、私は死んでいますから」
「だ、だったら殺してやるよぉ!」
悪魔が片手から爆炎を放ち、再びリティを追い詰める。リティが曲がった先にも爆炎、更に爆炎。逃げてばかりいるリティに、悪魔はわずかな安堵を覚えた。
「どぉした! オレを殺すんじゃなかったのかぁ?!」
悪魔がまた爆炎を撃った直後、その体が切り裂かれた。真横からだ。いつの間に、と疑問を持つ暇も与えない。それどころかたった一撃だ。
「ぐはぁッ!」
「ここ、抜け穴があったんですよ」
天然洞窟に加えて、大モグラが掘り進めた複雑な洞窟内だ。そうなれば自然に出来た小さな通路の一つや二つはある。そんな目立たない通路から現れたリティに悪魔が対応できないのも、当然だった。
冒険者たるもの、ダンジョンの地形は把握すべし。リティはそれを忠実に実行しただけだ。最初に到達した時も、野営した時も、大モグラと戦っていた時も。
「お、お前ッ……ひ、卑怯だぞぉッ……」
「卑怯?」
悪魔が無節操に爆炎を撃って逃げている間も、リティは先を見据えていた。その上で、リティは悪魔が何を言ってるのか理解できない。
冒険者として当然の事をしていただけだ。まさか悪魔が何の策も観察もなしに戦っていたのが、リティからすれば予想外だった。
「私は卑怯なことなんかしてません!」
「そ、そんなせこい抜け道から不意打ちしやがったくせによぉ……」
この虚言悪魔は、リティが決して侮れる相手ではなかった。そう、なかったのだ。
自分よりも遥か格上に挑んできたリティと、格下しか相手にしてこなかった悪魔。この差からして、もはや埋めようがない。
「それが卑怯……?」
冒険の中で奇襲され、奇襲するのが日常のリティにとってはやはり悪魔の主張が理解できなかった。
ほんの一瞬だけ、自分が何かとてつもない罪をおかしたのではないかと考えたほどだ。しかし、すぐに悪魔の戯言だと自己の中で消化した。




