少女、魔の森で頑張る
「ひゃああぁぁ~~!」
森を進んで数分後、少女は人間の成人男性を軽々と丸のみに出来るオオサラマンダーに追い回されていた。
それどころか火を吐く事もあるので、山火事には要注意といった危険な魔物だ。
そんな巨大トカゲが、風体に似合わない速度で迫るのだから恐怖は計り知れない。
ただし少女が丸のみにされる事はなかった。木々を縫って地形を利用して逃げ切る様は、普通の村娘とは似つかわしくない。
斜面を滑り降りた先で、大岩の影に隠れる事で何とかやり過ごした。
と、安堵したのも束の間。オオサラマンダーの口から、放射状の炎が放たれる。
「ウ、ウソッ……!」
思わず声が出てしまうほどの事態だ。木に着火して、炎が盛りを見せ始める。山火事になられては少女もたまらない。
いよいよどうしようと不安が増大したところで、何かが飛んでくるのを確認した。
枝をうまくかわして飛び回り、スプリンクラーのごとく水をまき散らすのはスプラという鳥型の魔物だ。
火の手が消えてスプラに感謝した少女だが、魔物は彼女を助けたわけではない。水のように見えるが便である。
それを辺りにまき散らす事によって、縄張りを確保していたのだ。
オオサラマンダーの火で魔の森がなかなか火事にならないのは、こうした生態系が存在しているからだった。
入って間もない段階で、とんでも生物達を目の当たりにした少女は当然恐怖する。
だが同時に少女は興奮していた。これが魔の森、そしてこれが冒険。冒険者はこうした大自然と戦って、ようやく物語を紡ぐ。
期待を裏切らないやりがいに、少女は居てもたってもいられなかった。
「これでいいかな……」
落ちていたのは何てことのない木の枝だった。振り回したところで、人間相手にすら牽制にならない。
ないよりはマシだと、少女は頼りない枝を握る。ぶんぶんと素振りをして、感触を確かめた。
村にいた時に何度もやった動作だ。実戦経験もない少女だが、先程より不安はない。
太さもあって、ある程度の重量もある。この辺りの木だからか、割と頑丈そうではあった。
一週間も生き残る為にはまず隠れ場所と食料、水だ。右も左もわからない森の中で、少女がまず取った行動は散策だった。
また魔物に見つからないように、周囲を伺いながら歩く。
ようやく見つけた小さな洞窟を定住場所に決めた。
残りは食料と水だ。木の実があればいいが、こんな場所で育ったものだから毒がないとも限らない。少女は意を決した。
オオサラマンダーは荷が重すぎるので、狙うのは小型の魔物である。鹿を彷彿とさせる大きな角が目立つ、"ヤングラ"だ。
あれでも丸腰の人間には脅威だが、少女には自信があった。背後から躊躇なく飛びかかり、木の枝を振る。
「はぁっ!」
「ギェッ!」
後ろ足を砕き、体が傾いたところで続けざまに頭部に振り降りして仕留めてしまった。動かなくなったヤングラを見下ろしつつ、一息。
戦いに関しては見よう見まねだったが、初戦でうまくいった。
彼女は見ていたからだ。アルディスの剣術を、ドーランドの体術を。
それを目に焼き付けたのだ。完全に付け焼刃だが、村娘と思えない彼女の天性のセンスは本人も自覚していない。
「うーん、これじゃ才能がないと言われちゃうかなぁ。アルディスさんなら、もっと早く倒せたはず。頑張らないと……」
などとぼやきながら、後ろ足を両手で持って引きずった。これで食料を確保と安心していたが、重要な事を思い出す。
「どうやって解体しよう……」
村にいた時から、積極的に獲物の解体を手伝った事もあって心得はある。しかし、刃物がなければどうしようもない。
そこで思いついたのが、手ごろな石を見つけて削る作業だ。プロの職人でもないし、出来るのに時間もかかる。
それでも少女は一心不乱に石と石をすり合わせて、削った。
そうして出来た不格好なナイフで、獲物を解体した後の問題は火だ。枯れ木を集め、そこに片手を差し出す。
「……ファイア」
バンデラの魔法とは比べようもないほどお粗末だが、彼女は手の平から火の魔法を放った。
バンデラの魔法は途方もない威力で、少女は巻き込まれないように逃げ回って震えた事もある。
しかし、その目に魔法の所作を見様見真似で焼きつけたのだ。
焼いた肉を頬張り、食べ終わって火を消した頃には日が落ちる寸前だった。夜になれば視界も悪くなり、歩き回るのは危ない。
小さな洞窟を寝床にして、夜をやり過ごす事にした。
* * *
三日目の朝までは何事もなく過ごせた。この小さな洞窟で、やり過ごせば無事に終えられるかもしれない。しかし少女は己の力不足を痛感していた。
アルディスに才能がないと言い切られた手前、力をつけて認めてもらうしかない。
捨てられたと知らない少女は健気で真面目だった。
だが、それが少女を強くする。
木の棒を持ち、片手には解体に使った不格好な石ナイフ。昨日、倒したヤングラよりも強い魔物を倒せるようになりたい。
それにはあまりに貧弱な装備だが、少女は己に一切の妥協をしなかった。
武器がないから、教えてもらえなかったから戦えないのはしょうがない。そんな言い訳は少女の中にはない。
ひたむきで真面目でポジティブ、愚直ともいえるその気質は少女を確実に高みへと導く。
「あ、あの鳥……!」
初日、結果的に少女を助けたスプラだ。哨戒するかのように、さほど低くない高さのところを飛び回っている。
初日はたまたまスプラは少女を見つけなかった。だが今、その丸い目が少女を捉える。
初動は少女が速かった。咄嗟に拾った石を投げて、急降下してくるスプラの頭部に命中させた。
頭が弾かれて、目標である少女を見失ったスプラはあらぬ方向へ飛んでいく。その隙を見逃さなかった少女は、二度目の投石を行った。
両手で石を持ち、連撃のごとくスプラを狙い撃つ。その命中精度は、投石スキルを得意とするシーフが見れば愕然とするだろう。
結果、少女は決して弱い魔物ではないスプラを投石だけで落としてしまった。
自覚はないが、石はスプラの急所にことごとく命中している。そうでなければ、投石でスプラを落とす事など出来なかった。
「はぁー! よかった、よかった……」
一人、安堵する少女。これも食料になるかと思い、寝床に運んで解体作業に入る。ヤングラとは違った肉のうまさに、少女は一際感動した。
腹も満たされて、次の問題の解決に移る。それは水だ。水場があればいいが、そこには魔物がいる可能性もある。
今の少女では太刀打ちできないかもしれない。
あのオオサラマンダーに見つからないよう、慎重に歩を進める。ようやく見つけたのは小さな川だった。両手で水をすくい、飲み始める。
冷たくて体中に染みわたるほど気持ちがいい。少女は満たされた気分になって、川のせせらぎに耳を傾ける。
* * *
連日のサバイバル生活の末、約束の期日がいよいよ明日に迫った。
あれからヤングラとスプラは安定して狩れるようになった少女だが、オオサラマンダーだけは依然避けてる。
巨大な体躯だけではなく、あの厚い皮膚は石ナイフで貫けそうにない。このままでいいんだろうか。少女は思案していた。
初日に比べれば、強くなった自覚はある。
だが魔の森は広い。オオサラマンダーよりも強い魔物が徘徊しているエリアもある。
さすがの少女も、こんな場所で一週間も野宿をすれば疲弊する。何の準備もなしに放り出されたにしては、上出来なんて言葉では片付かない結果だ。
しかし少女の中で英雄アルディスは遥か高みに位置する。アルディスさんなら、と何かと比較しては上昇志向をやめない。
一種の麻薬のようなものではあるが、本来少女が持ちうる潜在能力も相まって今は実戦経験も得た。
もしアルディスが今の少女を見れば、驚きを隠せないだろう。だが彼が少女とここで再会する事はない。
そしてその日の夜、少女は夢を見た。
* * *
収穫が一段落つき、丘の上から田畑を眺める夕暮れ時。少女は父親と並んで座り、休息をとっていた。
「お前はまだ冒険者になりたいと思ってるのか?」
「うん。私も自分の目で見て、歩いて……冒険してみたい」
「農作業は過酷だ。一生懸命やっても、災害のせいですべてが台無しになる事もある。冒険者も同じだろう? 良い事ばかりじゃない」
「そうだけど……」
「辛い時は本当に逃げ出したくなる。ましてや冒険者は命すら落とす……静かで刺激がなくても、こうして平和に生きるのが一番なんだ」
「でも、知ってるよ。お父さんとお母さん、私には食べさせてくれるけど二人はほとんど食べてない時もあるよね?」
「それは後で食べて……」
「嘘だ。この村での生活はギリギリだって、おじさん達が話してたの聞いたもん。それなのに私を育ててくれて……だから。冒険者になりたいだけじゃない。二人に、村に恩返ししたいの」
「気持ちは嬉しい。だが危険……」
「作物だって、こうして実ったら嬉しいよ。冒険者だって危ないし辛い事もあると思う。でも嬉しい事も絶対ある!」
「そうだな。だがな、お父さんもお母さんも、お前に危険な事はしてほしくないんだ……それはわかってくれ」
「わかる、けど……」
* * *
眠りから覚めた時、頬を涙が伝っていた。
草木を踏む何かが近づいてくる。
咄嗟に起きて息を殺していると、何かが洞窟に顔を覗かせた。
「な、何?!」
その初動が遅れていれば、少女の命はなかった。怯まずに入口、すなわち魔物に向かって駆ける。
魔物の顔との隙間をくぐって脱出した直後、炎が洞窟内を満たした。オオサラマンダーだ。初日に出会った個体と同じかはわからない。
匂いを辿ったのか、何らかの習性か。ここが今の今まで嗅ぎつけられなかったのは、運がよかったからだった。
少女はそれを察し、己の未熟さを恥じる。手元には木の枝と石ナイフ、逃げる他はない。
しかし、少女は考え直す。一晩中、逃げ続けられるわけがない。
暗闇で視界が利かない森の中だ。そうなった時に戦っても遅い。
意を決して踏みとどまり、迫りくるオオサラマンダーの目に石ナイフを突き入れた。
片目から血をまき散らし、怒りで体を揺さぶるオオサラマンダー。
飛んでオオサラマンダーの背中に、木の枝を振り下ろす。だが、厚い皮膚には何の打撃にもならなかった。
石ナイフは片目に刺さったままだ。ダメージは与えたが、致命傷とは程遠い。このまま火でも吐かれたら最悪だ。
少女は考えた。どうすれば、この化け物に致命傷を与えられるか。
「アレしかない!」
オオサラマンダーが火を吐く前に決着をつけるしかない。
イチかバチか、少女は突進した。小柄な少女が突進した先は、石ナイフだ。オオサラマンダーの目に刺さった石ナイフがググッとより深く刺さる。
悲鳴を上げたオオサラマンダーがのたうち回り、体を横転させて少しずつ動かなくなっていった。
まだ止めを刺しきれてないけど、このまま放置しても死ぬはずだ。
「ナイフ……返してもらうね」
オオサラマンダーの目から石ナイフを引き抜いたと同時に、ボロリと崩れる。あと少し遅かったら、と思うと生きた心地がしない。
もう少し短かったら、内部にまで届かなかったかもしれない。思わず少女はその場に、座り込んでしまう。
呼吸を整えるのに、時間を要した。
「もう武器はこれしかない……。今からもう一本、石ナイフを作る時間もない」
誰にともなく、呟く。もう日が落ちるというのに、ここを離れなければいけなくなった。血の匂いを嗅ぎつけた他の魔物が寄ってくる可能性がある。
こんな都合がいい洞窟が他にあるとも思えない。期日まであと少しなのに、その緊張感と焦りが少女の心臓を高鳴らせた。