エクスピース、嵐を駆ける
冒険者のみならず、海での仕事を生業としている者ならば誰もが連想する。
巨大なイカの化け物、かつてキャプテン・クリーバーの船を沈めた帝王イカ。
数多の夢と希望を乗せて祖国に帰還した彼らを悲劇として海に沈めた無慈悲の化身。
今では特級に指定されているその海の悪魔は現在のところ、姿を現していない。
今でも海のどこかに生息していると囁かれて、海に出る者達は嵐よりも悪魔に出会わない事を祈るのが常だ。
「そっくり野郎め」
「そっくり野郎?」
「ずいぶんと似せてきたもんだ。まさかあんなもんを帝王イカと勘違いする馬鹿はいねぇだろうな」
「帝王イカ……」
バランダルはリティと化け物イカを見比べた。模造品だとしても、帝王イカに酷似している事には変わりない。
そしてここにいるリティはクリーバーのモーゼスエッジを所有している。突然、何の縁だとバランダルは笑った。
「ここにきて向かい風が説経しやがる。おい、ガキ」
「リティです」
「ガキ、今から俺達の船はえらい事になる」
「え?」
バランダルはリティに多くを説明しない。彼が何をしようとしているのか、察しろと言わんばかりだ。
バランダルは三番船に向けて口を開けて息を吸い込んだ。
「嵐だァァーーーーーーー!」
リティすら耳を塞ぐ声量だ。その声は三番船にいる長髪の男に届いた。
風の上位精霊を使役している男の名はエルリード。熱くなりがちなグレートバランの冷却装置といったところだ。
この状況でも冷静に俯瞰して、彼の船だけはエクスピースの魔導船を狙わなかった。
そんなエルリードだが、やる時はやる。グレートバランの中でもある意味、もっとも敵に回してはいけない男なのだ。
「シィル、きたぜ」
「うふふ、いっちゃっても知らないわよ?」
全身がエメラルドのような肌と身長以上の髪、肌を見なければ絶世の美女。
風の上位精霊シィルは髪と共に回転した。その様をクーファは目に焼き付ける。
アーキュラにも比肩するその精霊は静める暴母と呼ばれていた。国同士の諍いがあれば嵐をもって静める。
内戦が続けば嵐が吹く。大気を汚す魔導具が開発されてしまえば、そこ吹く嵐。
アーキュラに似た行動原理だが唯一、異なる点があるとすればシィルは何度か人間と契約している。
ただし、そこが彼女の恐ろしいところでもあった。契約した者が善良であればよいが、時として復讐心に駆られた人物とも繋がる。
戦争にすべてを奪われた男と契約した際には、火種となった国を襲っていた。
強いて挙げるならば、その心なりに正義があればいい。だからこそ、シィルはエルリードと契約した。
エルリードはその力に魅了されたからではない。せめて自分が生きている間だけでも、彼女を繋ぎ止めておきたかった。
「か、風が強く……」
「ガキ、おめぇは自分の船に戻れ。そしてついてこい」
「……はい!」
リティはすべてを理解したわけではない。バランダルの言葉をそのままの意味で受け取っただけだ。
そこへ化け物イカが動く。足の一つが海面から出て、天高く上がる。並みの船なら叩き割れるその質量は、見上げただけで恐怖を誘った。
そして再び海面へ足が叩きつけられると、激しい津波が魔導船とグレートバランを襲う。
「あ、あかん! ブアドさん! グレートバラン側に突っ切ってや!」
「はぁーー!?」
「化け物より言葉が通じる人間側のほうがまだマシや!」
エネリーもすべてを察したわけではない。ただどちらに逃げたほうが生存率が上がるか。単純な判断だった。
やがて迫る津波の高さは魔導船ならば簡単に飲み込む。あわやというところでクーファが動いた。
アーキュラの力で津波を割るように分散して抑え込む。その様は海軍やグレートバラン、両陣営を驚かせる。
「……こりゃすごい」
「エルリードォ、まさかあっちに乗り換えようって思ってるぅ?」
「怒らせたらやばいのはお前もあっちも同じだろう。つまり、わかるだろ?」
エルリードもまた初めてシィルと同格の精霊と出会った。どちらも天災を引き起こせる力を持った精霊だ。
シィルを怒らせてしまえば大嵐で船が沈む。アーキュラを怒らせてしまえば大渦に沈む。
この勝負、真剣な殺し合いとなればどちらに軍配が上がっていたか。エルリードはわかっていたからこそ、手を出さなかった。
「クーファちゃん、助かったわ……」
「ついでにあの化け物も討伐できひん?」
「いえ……その前に風が吹きました」
その風は魔導船、海軍やグレートバランすべてを巻き込む。荒波が立ち、各々の船が傾いた。
そんな中、リティが魔導船に飛び乗って帰ってくる。
「皆さん! グレートバランについていきましょう!」
「ど、どうして!」
「わかりません! でもバランダルさんはついてこいって言ってます!」
「どういうつもりなの……」
ロマはグレートバランの船を見る。さっきまで襲ってきた相手だ。信用ならない気持ちはあったが、リティはバランダルと戦っている。
その中で彼と何か通じ合えたのかもしれない。そう考えれば、従うのにそれほどの抵抗はなかった。
「前門の虎、後門の狼っちゅうわけやけどな。せめて虎が襲ってこんなら大助かりや」
「あのイカに加えて、この嵐。なるほどねー。バランダルさんの考えがわかっちゃった。いきましょ」
「ナターシェさんのお墨付きや。いくで」
大嵐となったこの状況ではさすがの海軍も動き出せない。右往左往しており、巨大イカは負けじと次の挙動に移る。
しかし魔導船とグレートバランはすでに動き出していた。巨大イカは大足をもって最後尾にいる魔導船に叩きつけるが、寸前のところで命中しない。
余波が津波となるが、クーファはまたも抑え込む。
「クーファちゃんがいなかったら沈んどったかもしれんなー」
「ハァ……ハァ……」
「ありゃ、無理してるん?」
「だ、大丈夫、です」
アーキュラを完全に使役しているように見えるクーファだが、エルリードとは年季が違う。
大海の波を抑え込むとなれば、まだ簡単にいかないのが現状だった。ミライがクーファを支えて、荒波に船体が揉まれる。
巨大イカの追撃を心配した一行だったが、暴風に巻かれるようにして動きを停止した。
海軍もすでに港に引き上げており、まともな航行は不可能だ。
「惜しかったです!」
「リティちゃん、戦う気だったん?」
「戦いたかったです。でもバランダルさんの言う通りにします」
「武器を構えながら言われてもなー……。それにしてもえらい大嵐や」
これが風の上位精霊シィルだと全員が気づいている。もしグレートバランが総力をあげてきたら、一溜りもなかっただろう。
シィルだけであらゆる戦力が沈黙するのだ。それを完全に使役するエルリードといい、グレートバランの各船長は全員が特級に届く資質を持っている。
これが世界最大の冒険者パーティ、エクスピースはまた一つ高い壁を知る事となった。
「このままどこへ行くつもりや?」
「もう港も見えないわね……。このままガーニス大氷河まで行っちゃわない?」
「ロマちゃんも大胆やなー。せっかくあっちが大人しくなってくれたのにまさに水の泡やで」
「そ、そうよね。あんなの敵に回して追撃されたら……」
大嵐が少しずつ収まり、グレートバランの各船と共に魔導船は大海の真っただ中に来てしまった。
どこにも逃げ場はない。ここで再び彼らが襲ってきたら今度こそ、などとロマは考える。
特に風の上位精霊シィルは脅威以外の何物でもない。単純な戦力差以前に、この海の上とシィルというカードがグレートバランにある時点でエクスピースに選択肢はなかった。
静かになった海の上で、グレートバランの各船が停止する。
「てめぇらッ! おかげでひでぇ目にあったぜ!」
一番船にいたバランダルが魔導船に向けて叫ぶ。
声量はあるものの、リティには敵意を感じられなかった。




