認めたその先に
バランダルとリティの壮絶な殴り合いは数時間にも及んだ。両者、譲らないが片方は息を切らしている。
酒浸りの日々を過ごして体力が落ちただけではない。堕落は勝負勘を鈍らせて、気力も削いでいた。
無尽蔵に思えるリティの体力を認めないわけではない。様々な条件を差し引いても相手が怪物とて、負けない自負はあった。
荒波の中、船を丸飲みにする魔物と遭遇した時も自分の敗北などまったく予感しない。船を沈める歌声を聴いたところで怒声まじりのどんちゃん騒ぎで対抗する。
ではそこにいる怪物は何なのか。数多の海魔を凌駕するとでもいうのか。
否、そこにいるのはまだ蕾だ。そう、現時点での話だ。
「なんだっておめぇみてぇなのが今更、現れやがる! 何しに来やがった!」
「冒険です!」
「みゃあんっ!」
バランダルの中で何かが疼いた。それは彼が忘れていた何かだ。
初めて海に出た時、初めて冒険者カードを手に入れた時。それらの感動が渇いていたバランダルの器に注がれる。
渇いた喉を潤した時のような爽快感、呼吸の限界がきた時に海中から頭を出した時の安心感。
すべてが合わさった時、バランダルは本船に向けて叫んだ。
「ヌオッソォ! あれを投げろォ!」
巨大な本船から顔を覗かせた大柄の男がとぼけた顔をしている。
そして姿を消して戻ってきたと思ったら、両手に持っているのは武器だ。船のイカリに刃がついたような形状のそれは斧に分類される。
しかし柄の先には鎖が取り付けられており、その先には同様の形状をした武器だ。
リティの心臓が大きく鳴った。あれがバランダルの武器であり、自分を相手に本気で戦おうとしている。
アリストピア学園のザイエル戦、マティアス教のラブエル戦の時と同じだった。
恐怖すらも好奇心へと変換したリティは興奮を抑えられない。何せバランダルが本気を出すのだ。
こんな機会が早々あるわけがない。この世でどれだけの人間が本気のバランダルと戦えるか。
リティは自分の幸運に感謝した。日頃の行いがそれを引き寄せると、エネリーの与太話を思い出す。
「私、いい子にしてたから……本気を出してくれるんですね」
「……よく今日まで生きられたもんだ」
単なる幸運であっても、それが並み大抵ではないとバランダルはわかっている。
海が気まぐれで人を飲み込むように、人が死ぬ機会などいくらでもあるのだ。
すべてが気まぐれで起こる中、リティは生きている。そういう人間が追い風を吹かす。
バランダルは片手を上げた。
「大船長ォォ! ちゃんと受け取ってくださいよぉ! それぇっ!」
ヌオッソと呼ばれた大男が斧を投げ飛ばす。船員が散って逃げ出す中、バランダルは片手で掴んだ。
しゅるりと巻くようにして、繋がっているもう一つの斧もまた片手で取る。
グレートバランの船長達はさすがに叫んだ。
「大船長! 何やってんすか!」
「そうだよ! そこまでやることないさ!」
「追い風を吹かしてるんだぞ! 気づいてないのか!」
「さすがに応援できねぇぞ!」
彼らが叫ぶのも無理はない。それを手にしたバランダルに勝った人間など一人もいないのだ。
鎖で繋がれた二つの斧に刻まれている赤い紋様を見たエネリーはさすがにリティを引かせるよう動いた。
「あかんで! バランダルの伝説級魔導具ニズベルクや! リティちゃん! 戦ったらあかん!」
「エネリーさん、どうしてもですか?」
「うちらの目的はそのおっさんに勝つ事やない! グレートバランもや! ええ加減にせえや! 仮にうちらを殺してそれで解決するんか!」
エネリーの言葉の意味がわからないわけではない。天下のグレートバランが子どもを人質に取られたくらいで、ズールのような人間の手玉に取られる。
屈辱以外にない。しかしバランダルには火がついていた。久しぶりに自分達に向かい風を吹かせる者が現れたのだ。
リティもまたミャンからあの伝説級魔導具を取り出す。
「そいつはまさかモーゼスエッジか……!」
さすがのバランダルも虚を突かれた。船長達も遠目ながら、その存在を確認している。
グレートバランは長年に渡って世界中の海を制覇してきたが、追い求めて出会えなかったものもあった。
その一つがキャプテン・クリーバーの幽霊船である。グレートバランが追っても追いつけず、見つからない。
かつて海運業に革命をもたらしたキャプテン・クリーバーはバランダルが唯一、尊敬する人間だ。
「幽霊船も化け物イカも……皆、俺から裸足で逃げやがった。腰抜け……腰抜けが……」
「クリーバーさんは腰抜けじゃありません。最後まで冒険から逃げませんでした」
「何だと……」
「冒険の中であの人は死にました」
バランダルはリティの挑発とも取れる発言に青筋を立てる。
自分がついに見つけられなかったものがなぜリティと出会えるのか。バランダルほどの人物ならば、考えればわかる事だった。
しかし今のバランダルはまだそれを認められない。
「俺の前でそれをひけらかす意味がわかってんのかッ! てめぇは俺に力を誇示したんだッ!」
「あなたが認めてくれたんです!」
「ぬかせっ! この青二才がッ!」
バランダルがニズベルクを強く握りしめた時、船が大きく揺れた。
他の船もぐらりと揺れて、波がアフクルムの港から発生しているとバランダルは気づく。
港の前にはアフクルム海軍の軍船が並んでおり、盛り上がっているのは彼らの前の海面だ。
「大船長! 何か来ますぜ!」
「わかりきってんだよ!」
魔導船の甲板にいる者達も警戒しているが、海面から現れる主の体積は予想を遥かに超えていた。
ぬめりのある頭部が突き出した時、波の激しさが最高潮に達する。
グレートバランの各船や魔導船が激しく揺さぶられて、各船員達が何かにしがみつく。
やがて姿を見せるのは巨大イカの頭部、赤黒い目をぎょろりと動かしてアフクルム海軍を庇っているかのようであった。
「な、なによアレ!」
「ミライ! 掴まって!」
ロマはさすがの体幹で耐えるが、クーファとミライはアーキュラの水球のおかげで態勢を保っている。
どさくさに紛れてエネリーが飛び込むと、改めて化け物を観察した。
それは紛れもないイカであり、頭部だけでもグレートバランの本船と遜色ないサイズだ。
「なにあれ……。海軍は逃げる気配も見せないし、なんかいろいろと合点がいったかな」
「ナターシェちゃんが知らん魔物となるとな。うちもなんか思い出したんや。ついこの前、うちらも出会ったやろ」
「あの変な猿達ね。おかしいと思ったよ。あんなの新種だもん」
察しのいい二人のおかげでロマとクーファも理解できた。
まるでアフクルム海軍の護衛を勤めるかのように現れた未知の化け物イカ。
激昂する大将の手下だった三匹の猿。奇怪な姿をしたあの魔物と化け物イカ。
こじづけではあるが、これらには確実にアフクルム海軍が関わっている。
「あの魔物、まさかアフクルム海軍の手下だっていうの!?」
「少なくともうちらの味方をしてくれるとは思えんなー」
ロマとエネリーが推測している頃、バランダルは手を止めていた。
その化け物イカは未知の魔物ではない。ただし彼が知る魔物とも限らない。
どこか違和感を拭えなかったが、彼の頭はようやく冴えた。予期せぬ事態など、いくらでも起こる。その時、どうするか。
「おい、ガキ。お前の相手はお預けだ」
「あの魔物を一緒に討伐しましょう!」
バランダルは答えず、緊急事態を利用しようと考えた。リティとの戦いで何かに気づかされて、モーゼスエッジを見せつけられて。
認めたくないが、彼はリティを認めつつあるのだ。一流の冒険者バランダルが今、蘇りつつある。この事態を利用して窮地を脱しようと考えていた。




