エクスピース、突入する
「大聖女就任式に相応しい晴天で何よりですな」
「えぇ、本当に。でもアイシア様が心配ね」
人々が心待ちにしているのは大聖女就任式だ。
大通りでは行商人達が出店しており、稼ぎ時という事でしのぎを削っている。
この日ばかりはすべての施設が休業となっており、人々は大神殿周辺に集中していた。
そんな中、見回りを行うのは司教と神官以下の者達である。一人がボソリと口を開く。
「知ってるか? 賊が大神殿への侵入を試みているという噂を……」
「なにを馬鹿な事を。そんな不届き者がいるものか」
「いや、実は小耳に挟んだのだがな。どうも大神殿の奥には宝があるという噂があるらしい」
「ハハハッ! なんともバカげた噂よ!」
「いや、馬鹿にできたものではないぞ」
神妙な顔つきになった神官が、仲間に耳打ちする。
「前日、大神殿周辺で怪しげな人影を見たという者が相次いでな。中でも手薄な東側の様子を伺っていたという話もある」
「東側……しかし、あの高い壁と池を越えるのは困難だろう」
「相手は賊だぞ? 我々の想像もつかない手段での侵入を試みているのかもしれん」
「む……いやいや、さすがにそれは……」
「万が一、賊の侵入を許せばただ事ではない。こんなところをのんびり巡回している場合ではないぞ」
神官の気迫に押された者達が押し黙った。
「……念のため、東側も周ろう」
「そうだ。さすがの賊も人通りが多いこの場所で大きな行動は起こさんだろう」
巡回していた神官達が踵を返して、大神殿の東側へと進路を変える。
その際にちらりと後ろを見た一人の神官が、とある者達に目で合図を送っていた。
* * *
「神官長エーレーン! 東側にて、怪しげな集団を目撃したとの報告があります!」
「なんですって? 東側に?」
短期間で神官長にまで上り詰めたエーレーンは直前まで上機嫌だった。
大司教リョウホウに警備の指揮を託された以上、虫の這い寄る隙間もない警備を敷いていると自負していたのだ。
この一報により、たちまち眉間に皺が寄る。
「何をしているのです! すぐに捕まえなさい!」
「報告します! 西側から不審な集団が大神殿へ接近しております!」
息を切らして登場した神官の新たな報告に、エーレーンは戸惑った。
万全な警備態勢を敷いた以上、まさかここまでトラブルが起こるなど予想できなかったからだ。
「あなた達! ただちに西側と東側へ急行しなさい!」
「ほ、報告します! 大通りにて乱闘騒ぎあり! 手練れの冒険者達です! 神官長、応援をお願いします!」
「今度は何です! そんなものあなた達で対処しなさい!」
「しかし、このまま騒ぎが大きくなれば就任式への影響が出かねません!」
エーレーンは熟考した。
大聖女就任式の成功は自分の出世にも繋がる反面、トラブル一つで破綻すれば大きな責任問題となる。
大きく舌打ちしたエーレーンは決断した。
「……すぐに行きましょう」
エーレーンが大神殿の大広間から離れる。
入れ替わりでやってきたのは一人の司教だった。遅れてやってきた者達に、片手で進行方向を示している。
* * *
「こちらへ!」
司教に誘導されたエクスピースが、聖域の入口へと向かう。
彼を含めた反教皇派が賊の情報を流すことで警備を攪乱したのだ。
もちろん情報はすべてガセである。まんまと現地に向かった警備の者達が見事、肩透かしをくらうのだった。
手薄になった警備のおかげでリティ達が警戒されずに大神殿内へと侵入できたのだ。
途中、警備の者が巡回していれば手引きした司教が立ち会う。
「どうも外が騒がしいようだな。ここは問題ないと思うが、警戒しておいてくれ」
「ハッ!」
足止めしている間にリティ達が素早く通路を通り過ぎる。
一度、エネリーの侵入を許しているだけあって内部もそれなりに人数はいる。
しかしこうした巧みな工作により、エクスピースは聖域への入口に辿り着いた。
「私が手引きできるのはここまでです。後はあなた達を信じるしかありません」
「はい!」
短くやり取りした後で、リティは聖域への扉を前にする。
彼女は違和感を覚える。反教皇派の協力があったとはいえ、こうもうまくいくかどうか。
頭の片隅でそう考えつつも、盗賊スキルの鍵開けを実行する。
結果、盗賊ギルドで行った鍵開けの試験よりも遥かに簡単な点も腑に落ちていない。
扉の先にある聖域に踏み入るエクスピースだが、エネリーが見た異質な光景に見とれてる事はなかった。
そこにいる存在に目を奪われたからだ。
「ウ、ウウゥ……ウウォォ……」
それは呻き声とも判断がつかない。
目鼻がなく、口だけがついた全裸の存在が目的もなく徘徊していた。
筋肉の形状からして男性だと判別したリティだが、次の行動は早い。さっそく先制の蹴りを入れて吹っ飛ばす。
「な、何なの?!」
「来ます!」
痛みなど感じていないかのように、謎の存在は跳ね起きた勢いでリティに殴りかかる。
これを回避するも、追撃がかすってしまう。腕、足、腰。ゴムのような柔軟性がリティとの近接戦闘を成立させていた。
が、ピタリと動きが止まる。
「ウウウォ……」
「……攻撃してこない?」
「リティ、今のうちに進みましょう。無駄な戦いで消耗する必要はないわ」
一行は謎の存在を無視して走るが、連れているミライが名残惜しそうに振り向く。
「クーファお姉ちゃん、あれ……モンスターじゃない」
「え……?」
「殺さないで……」
「わかりました」
クーファも多くは聞かない。そんな時間などなく、ミライの直感をすでに信じているからだ。
何よりこれはミライという一人の少女の為でもある。根拠はなくとも彼女を信じてやると、エクスピースの面々は言葉にせずとも一致しているのだ。
特にこの場においては闇雲な考察や判断よりも信頼できると、誰よりもクーファが確信していた。
「あの木々……まるで森よ。何なの、この聖域って……」
広い聖域内のルートがわからず、戸惑うエクスピースの前にまたも謎の存在が立ちはだかる。
大小、まるで大人や子どものようだとロマは勝手に想像して背筋が冷たくなった。
そしてその直感は間違いではないと、ミライの発言が裏付けている。
「ワァァ、オオォ……」
「フフフッ、フーフフフ……」
「ヒィヒヒ……ヒー……」
姿を現した者達はやはり全裸のような姿で、目鼻がない。
一部、髪が生えた個体もいる。特に長髪の個体が、明らかに女性であった。
「……水属性高位魔法」
水属性高位魔法。幽霊船の時にも使われたそれはアーキュラの力の一つで、真実の姿を映し出す。
水しぶきと共に、その者達の姿が変化した。しかしそれはあくまで映し出しただけであり、戻ったわけではない。
そう、彼らが何らかの手段で変えられた人間というのはすでに明らかだった。
大人、子ども、女性がいずれも苦悶の表情を浮かべていたのだ。
「あ、あなた達は一体?!」
「イ、ダ、イ……アアアァァァッ!」
不意の攻撃により、ロマが叩き飛ばされてしまう。怪力と呼ぶに相応しいその力は、人間を凌駕している。
「ヅッ……!」
「ロマさん!」
「強い……。ミライちゃんのお願いも聞いてあげたいけど、これは……」
「素晴らしいでしょう?」
白いローブをまとった男がゆったりと姿を現す。
大司教リョウホウかと警戒したリティだが、すぐに違うと気づいた。
フードがはらりと脱げて顔を見れば、丸めた頭以外の共通点がない。
「あ、あ、い、いや……」
「ミライ?!」
「グ、グランド、シャーク……」
怯え始めたミライの様子を見ても、クーファにはわからなかった。
何故そのメンバーがここにいるのかなど、様々な判断材料が頭の中で渦巻く。
混乱している余裕などない事はわかっていたが、目の前の人物に対してクーファはリアクションを取れずにいた。
「グランドシャーク……。私の忌まわしい咎人時代に所属していた冒険者パーティですね。思えば、そこの少女にはずいぶんな仕打ちをしてしまいました。それは紛れもない私の罪であり、天へと流されるべきです」
「あなた、ギリーザですね。ファクティア王都で唯一、捕まらなかったグランドシャークの一人ですよね」
「えぇ、そのような忌まわしい過去もありました。ですが今の私は敬虔なるマティアス教の司祭……。これもあのお方に救っていただいたおかげです」
リティにとって、ギリーザの事はアルディスがグランドシャークを従えていた時に少し見た程度である。
あのジョズーの仲間だった男である以上、彼と遠からぬ人間性なのは明らかだ。
変わったのは性格だけか。リティにはそこが重要だった。
「ところで、そこの彼らはお察しの通り元々は普通の人間です。といっても重い病に苦しんでいたり、婚約者に裏切られたなど……。とても凄惨な過去をお持ちの方々です。その苦しみがおわかりですか? それは筆舌に尽くしがたい……もはや死を選んでもおかしくないほどです」
「それでそんな風にしたんですか」
「思いの他、察しがいい。ですが勘違いしないで下さい。彼らが望んだのです。すべての苦しみから解放されて、人という存在を超えたいと……そう願ったのです」
「そうですか」
リティの淡泊な反応に、リョウカイはやや顔をしかめる。
怒り、嫌悪、悲痛。いずれかの反応を予想していたからだ。
その読めなさがリティの強さでもあり、リョウカイも飲まれつつある。
「ミライさん。あの人達、治しましょう」
「うん……」
「……なに?」
リョウカイの余裕の態度がやや崩れる。
それはギリーザだった頃の性根がやや現れた瞬間でもあった。
更にクーファが後押しする。
「ミライなら出来ます」
「出来るわけないでしょう。何を言ってるんです?」
「出来ます」
「はぁ?」
ミライにはタハラジャル王宮にて、ジリアナに姿形を変えられた兵士達を戻した実績がある。
ミライが何を望んでいるか。クーファにはわかっていたのだ。
ミライならそうすると理解した上で、導いた。彼女の手で道を切り開かせる事で、成長に繋がる。そう願い、クーファはミライの手を握った。
「あなたは何もわかってません。ミライはすごいんです」
「世迷い事を……。まだ気づかないんですか? あなた達は誘い込まれたのですよ?」
これにはクーファも息を飲むが、かわりにリティが答える。
「クーファさん、ミライちゃん。私はギリーザと戦うので、ロマさん達と一緒にあの人達をお願いします」
「……やれやれ」
リョウカイが独特の構えを取り、リティを迎え撃つ準備を整えた。
元人間達に囲まれたエクスピースだが、ここに絶望する者はいない。
むしろ普通の魔物と思い込んで討伐してしまった可能性があったと考えると、希望しかない。
それはミライという存在が加わった事による新たなパワーでもあった。
「やはりリョウホウ様から聞いていた通りです。あなたを見ていると、なぜか癪に障る。いいでしょう。咎人リティ、あなたの罪を天へと流します」
言葉こそ丁寧だが、リョウカイの額には血管が浮き出ている。
それはグランドシャーク時代に何度も見せていた狂暴性の表れでもあった。




