リティ、実習を受ける
居候している食堂の夫婦に剣士の称号獲得の話をすると、ご馳走を作ってくれた。リティがここに来た時に食べたビーフシチューにオムライス、チキンピザ。
一人で食べるには明らかに異常な量だが、リティにはこれくらいがちょうどいい。
最終的には米粒一つ残さずに、皿を綺麗にしてしまった。
「ご馳走様でした! すごくおいしかったです!」
「どうも。こんなにおいしそうに食べてくれて、こっちも嬉しいよ」
子どもがいない夫婦にとって、リティはかわいい娘みたいなものだった。ついあれもこれもと作りすぎ、甘やかしてしまう。
だがリティは食前の手伝いと食後の片づけ、更には空いた時間には店も手伝ってくれる。二人が口を出す余地もない。
一方でこんな子が冒険者を目指さなくても、と憂う気持ちもあった。それはリティの両親が抱いた感情とまったく同じだ。
「明日から実習か。そのうち魔物と戦ったりもするのかい?」
「はい。冒険者なので、それは避けられないです」
「そうか……」
魔物に人間が殺された話を夫婦は山ほど聞いている。中には街ごと滅ぼされた事件もあるくらいだ。
幸い、このトーパスの街では屈強な冒険者が定期的に魔物狩りを行っているから安全だった。
それでも物騒な話は絶えない。
「リティちゃん、痛かったり辛くなったらここへ戻っておいで。絶対に、絶対に無理はするんじゃないよ」
「そうさ。生きているうちはどうとでもなるからね」
「どうもありがとうございます。あ、これ今日のお金です」
「そんなものいいと言ってるだろう。それは君が稼いだ金だ」
「お世話になってる以上、受け取ってほしいです」
このやり取りも慣れたもの。何度かの押し合いをした後、夫婦が折れる。若くもない上に子どもがいない夫婦にとって、老後の蓄えなど最小限でいい。
それよりはこれから生きていくリティのような若者のほうが大切だ。そう考えてはいるが、リティの気迫に毎度のごとく負けてしまう。
が、今日こそは別だった。
「いいかい、リティちゃん。私達は君の無事を祈ってるんだ。だからそのお金で少しでも助かるんなら、そっちのほうがありがたい」
「……おじさん」
「それにこっちは平気だよ。まだまだお店に来てくれる人はいるからね」
さすがのリティも、こうまで言われては引っ込めるしかない。今日はせっかくご馳走を作って祝ってくれたのだから、野暮な話だった。
好意は最後まで素直に受け取ろうとリティは思い直す。
老夫婦の優しさに、リティは少しだけ故郷の両親を思い出した。
* * *
実習の場所は剣士ギルドの敷地内だ。野営の設置準備、設置場所の選択、持ち運び手段や食事の準備など。多岐にわたる実習は、ルーキー達を四苦八苦させる。
冒険者は魔物だけではなく、自然とも戦わなければいけない。
これらはすべて疑似的にパーティを組んで、役割を分担して行う。覚える事項の多さもそうだが、もっとも厄介なのは身内な事もある。
「教官、俺はパーティなんざ組む気はねぇよ。ソロで十分だ」
「こっちは両親の仕事柄、経験があってね。この手の作業は慣れている」
一匹狼気取りのジスタと上位職レンジャーの両親を持つダニエルが、今回の厄介者だった。
この手の連中がいれば当然、全体の作業にも影響する。前者は消極的で、後者は仕切りたがる。
リティは運が悪く、この二人と同じパーティだった。
「俺は魔物狩りなんかしない。基本的に賞金首がターゲットだから、こんな作業を覚える必要はないんだ」
「賞金首?! すごいですね……」
「だろう? つまり、野営なんざ無意味なの。わかったらとっととお前らだけで済ませてくれ」
「ではジスタさんはいざという時のために、見張りをしてもらえますか?」
「お? おう……」
リティの言動が天然なのか嫌味なのか、計りかねるジスタだった。
剣士ギルドの敷地内に魔物がいるはずもないが、これは本番を想定とした訓練だ。
だからリティとしては実力者のジスタに見張りを頼んだ。とはいえ、これでは実習にならない。
教官の目が光る中、リティはせっせと野営の準備を始めている。
「あー、違う違う。先に火元の準備をしておくんだよ。まったく、なんでそんなのもわかんねぇんだ……」
「そうですよね! どうもです!」
ろくに手伝わず、口を出しては嫌味を付け加えるダニエルも曲者だ。しかしリティは素直に、その助言をありがたがってる。
一人では重労働の作業を黙々とこなすリティは、二人を疎ましがってる様子もない。
「あーもう! バカかよ! そんな設営じゃ、風で飛ぶだろうが!」
「なるほど!」
「火元はどうした? 放っておくと火事になるぞ!」
「はい!」
あそこに自分がいたなら、確実に怒り狂ってるだろう。そう考えたのは一人の見習いだけではない。
傍から見ているだけでストレスが溜まる状況に、複数人がもどかしさを感じている。自分達の作業を進めていても、罵声が聴こえてくるのだからたまらない。
だがリティは嬉々と作業を進めていた。
「ダニエルさん、これでいいですか?」
「フン、まぁまぁだな。だけど、手が遅すぎるんだよ。それじゃとても冒険者としてはやっていけないな」
「頑張らないとですね……」
「ヘッ、親の後ろをついて行っただけなのに冒険者を語るのかよ」
ジスタがダニエルに悪態をつく。こうなれば似た者同士、衝突は避けられない。
「君と違ってすでにノウハウはあるんだよ」
「じゃあ、なんで剣士ギルドなんかに来てんだよ。レンジャーならまず弓手ギルドだろうが」
「はぁ、これだから無知は……。今時、一つの職しか求めない奴なんか時代遅れなんだよ。現に3級以上の実力者の中には複数の称号を持ってる人もいる。それに上位職の中には二つ以上の称号が必要なものもあるからね」
「知識だけは御大層だがよ。お前、ここに来て何年だ? 冒険者になる頃にはジジイになってるかもな」
「やめて下さい」
リティが作業の手を止めず、二人にかすかな怒りを向けた。知識自慢はいい、それは糧になる。
手伝わないのもいい。一人の時でも、作業を進められる訓練にもなる。
必要と思わないなら、やらなくていい。だがリティにとって、一つだけ許せない事があった。
「ダニエルさんのアドバイスはありがたいです。だからこそ、ケンカをしている場合ではありません」
「僕のアドバイスが?」
「はい。レンジャーのご両親だなんて素敵です。そんなご両親を尊敬されて、知識を糧にしてきたんですよね?」
「そ、そうだな」
「ジスタさんも、真剣に見張りをやってくれました。強い警戒心ですし、賞金首専門を目指すだけあります」
「ま、まぁな」
プライドだけが高い二人を、リティなりに真剣に観察していた。その上で長所を述べただけだ。お世辞でも何でもない。
あのアルディスでさえ性格はひどいが、高い戦闘センスは紛れもない長所なのだ。
仲間割れに何のメリットもない。ましてやこれは本番を想定とした訓練である。リティにとってはそれが一番許せなかった。
「ダニエルさん、ほぼ完了しましたが何か不備はありますか?」
「そうだな……。まぁいいんじゃないか」
「ジスタさん、ありがとうございました。あなたがいなかったら、この野営も出来なくなる可能性がありました」
「おう……」
先程までの熱が一気に下がった二人が沈黙する。あれほど白熱しかけていたのが、嘘のようだ。
先に悪態をついたジスタ自身も、それは感じていた。褒められたから調子を良くしたというのもある。
しかし、彼は認め合う事の重要性をここで知ったのだ。
ダニエルもまた、自分の知識に間違いはないと再認識した。それと同時に、一人で出来る事は限られてると己を恥じる。
「ジスタ、すまなかった」
「俺も失礼な事を言って悪かったな」
二人が謝罪したのを確認したリティは、沈黙する。
そこへダニエルが、食材の選定に移った。調理工程で手伝ってくれるのなら心強い。
満足したリティは腕によりをかけて、ユグドラシアにいた頃に作ったシチューを作る事にする。
多数ある食材の中には、日持ちがしないものもあった。他には持ち運びに向かないものなど、本番さながらの判断が求められる。
しかしダニエルが選んだものはすべてが完璧だ。それをリティが調理して、出来上がったシチューに二人は驚く。
「君、これをどこで覚えたんだ? 僕の両親だって、難しいぞ……」
「まぁ、ちょっと……」
「うまそうじゃないか。見張りはもういいよな?」
「はい、ジスタさん。どうぞ」
「なんだ? いい匂いがするな」
ジスタもシチューにがっつき、他の見習い達も匂いに惹かれて集まってきた。担当教官のトイトーも、これには舌を巻く。栄養価、手順、味、すべてにおいて及第点以上だったからだ。
それもそのはず、リティはただでさえいちゃもんが多いユグドラシアを満足させなければいけなかった。
それでも試行錯誤を重ねて、文句はあっても完食してもらえるものを作れるようになったのだ。
「君にこの実習は必要なかったな……」
「いえ、教官。ダニエルさんの指示と食材選びがあってこそです。それにジスタさんが見張ってくれなければ、こちらに集中出来ませんでした」
「そうか。いやはや、まったくその通りだ。ところでこのシチュー、おかわりいいか?」
「いいですけど、そんなに作ってないですね」
「許可する」
もはや当初の目的はどこへやら。見習い達を巻き込んで、リティ特製のシチューパーティ会場と化してしまった。
挙句の果てには教官トイトーが、大鍋を持ってきたのだから騒ぎも大きくなる。駆けつけた他の教官達にこってりと絞られるのも仕方がない。
リティも調子に乗りすぎたと反省はするものの、こっそりと味見をした他の教官を見てしまう。
そんなにおいしいなら今度、正式に皆に作ってあげようと考えるリティであった。