狂気再燃
一人の若き狂気の芸術家が存在した。
男は自身の作品を公表したりはしない。そんなことをすれば、男は間違いなく逮捕されてしまうから。
男がこれまでに製作してきた作品は、櫛や枕といった日用品や、笛等の楽器類だ。それだけを聞けば、どうして作品を公表出来ないのか疑問に思うだろうが、問題なのは作品の見た目及び、その素材だ。
男が作品の素材とするのは人体の一部だ。
素材の部位になぞらえた日用品や楽器等を、男は芸術作品として製作する。
過去の作品を例に見てみると、
切断した女性の右手を丸ごと使った「手櫛」。
切断した女性の両腕、両足をそれぞれ用いた「腕枕」、「膝枕」。
既存の笛に唇の肉や五指で装飾を施した「口笛」、「指笛」等々。
もちろん、素材を確保するために殺人の一線も超えている。
素材にされた女性達は、芸術家の信奉者であり、素材となることを望んで受け入れた。しかし、いかに当人同士の間で合意が成立していたとしても、これが法的にも、社会的にも許されない行為であることは明白だ。
故に芸術家の男も、自身の行いが露見しないように細心の注意を払った。
秘匿や隠蔽に関して、ある種の才能を有していたのだろう。男の芸術作品や犯罪行為が露見することは、終ぞ無かった。
しかし、芸術の糧となっていた男の狂気はある日突然、何の前触れもなく消失してしまった。
スランプに陥ったというべきか、正気に戻ったというべきか。
狂気の消失を機に芸術家の男は活動を辞め、それに付随する犯罪行為も同時に終わりを迎えた。
人並みに、平穏に生きたいと願ったため、過去の犯罪に関しては秘匿を貫いた。
やがて男は人生の伴侶を経て、子宝にも恵まれた。
家族は当然、男の過去の狂気や犯罪行為については知らない。
男が望んだ通り、平穏に時は流れていった。
しかし、狂気はある日突然再燃した。
妻と結婚して30年が経った頃、不意に男の中に、新たな芸術作品のアイデアが生まれてしまったのだ。
それは当時の男では決して作り出すことの出来なかったもの。
今の男にしか作り出すことの出来ないもの。
愛する者を素材としようとする、あまりにも恐ろしい考え。
何度も必死に狂気を抑え込もうとしたが、芸術家としての性はむしろ、己の中の狂気を積極的に肯定してしまう。
今はまだ、素材とするには物足りない。
理想的な長さや太さとなるには、まだ数年はかかることだろう。
「じいじ、遊びに来たよ!」
「おお、よく来たね」
男は、家に遊び来た幼い孫の体を抱きかかえた。
「また大きくなったね」
孫の成長を祖父として喜ぶ一方で、素材の成長度合いを芸術家としても喜んでしまっていた。
芸術家としての狂気を孕んだ視線は、幼い、「孫の手」へと向けられている。
了