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そうして昨夜の出来事を振り返った後で、俺は白月に顔を洗いに行くことを伝え、そのまま男子用の脱衣所へ向かおうと足を動かす。すると、思い出したように白月が俺を呼び止めた。
「あぁ、そうだ。皇くん」
「なんだよ」
後ろを振り返り、言葉を返す。
「準備が整い次第、食堂に来てもらえる?」
「……あぁ、分かった」
理由は聞かずにそう答えると白月は薄っすらと笑みを浮かべ、「よろしくね」とだけ残して部屋へ帰っていった。
去って行く白月の後ろ姿と、未だ鼻の奥に残り続ける甘い香り。
それらを意識しながら、俺は再び脱衣所へ向かって足を動かした。
***
顔を洗うついでに寝癖を整え部屋に戻ると、まだ眠っている葉原を起こさないよう服を着替え、白月に言われた通り食堂へと向かう。
入り口にかけられた暖簾をくぐり中に入ると、広々としたダイニングに10人掛けのテーブル席が3つ並んでいるのが確認できた。
ふと視線を右にやると、そこには電子レンジや冷蔵庫が並び、調理台に向かって長い髪を後ろで一本に縛って何やら作業を行う白月の姿があった。
「葉原さんは?」
白月はこちらに目を向けずに尋ねてくる。
「まだ寝てる。……あいつも昨夜、かなり混乱してたように見えたけど全然だったな」
「そうみたいね。皇くんも葉原さんを見習った方がいいんじゃない? あなた、少し神経質なところがあるから」
「お前は俺の母親かよ。……でもまぁ、確かに少しは見習った方がいいかもな」
葉原が持つあの明るさや積極性は、彼女が生まれ持った才能だろう。
真似しようとして出来るものではないけれど、それでも俺はあのポジティブさを少しは見習う必要がある。
そんなことを考えながら、先程から続けている作業について白月に尋ねる。
「で、お前は何やってんの?」
「見ればわかるでしょ?」
「ここからじゃ見えねぇよ」
「なら、こっちに来なさい」
「…………」
命令口調が少し気に食わなかったが、とりあえず言われた通りダイニングと調理場を分ける仕切りを超えて白月の元へと向かうと、ようやく白月が先程から何をしていたのかを理解した。
「それ、お前が作ったのか?」
「えぇ」
白月が先程から行なっていたのは、おそらく今朝の朝食として準備する予定のおにぎり作りだった。袖をまくり、ラップの上に白い湯気が立つ艶やかな白米を乗せ、丁寧に形作っては皿に並べていく。
そんな、普段女王風を吹かせてばかりいる白月が、自ら朝食を作っているという姿を物珍しく眺めていると、あからさまに嫌そうな目を向けられた。
「何突っ立ているのよ。あなたも早く手伝いなさい。そのために呼んだんだから」
まるで、使えないバイトに指示を出す店長の如くそう告げると、白月は再び炊飯器からしゃもじで白米を掬い、それをラップの上に乗せた。
別に朝食作りを手伝うことに関して文句はないが、白月の態度がいまいち気に食わない。
それでも嫌な上司に仕える平社員の如く、大人しく言われた通りに朝食作りを手伝うことにした。
「ってか、いつの間に米炊いてたんだよ」
「あぁ、それね。昨夜、皇くんがお風呂に行ってる間に気を利かせて準備しておいたの。『朝からコンビニ飯』なんて、悲しい事態を免れたのも私のお陰ね。さぁ、遠慮せずに感謝しなさい」
「たかが米炊いたくらいで、調子に乗りすぎだろ……」
「あらそう。なら皇くんだけ、今日もコンビニ飯ね」
「分かったって……。どうもありがとうございましたぁ」
そう言って朝から面倒臭さMAXな白月の機嫌を取りつつ、俺は白月の作ったものに比べてやや不格好なおにぎりをひたすら皿に並べていった。




