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爽やかな小鳥のさえずりで目が覚めた。
未だ残る眠気をなんとか振り払って重たい瞼をゆっくり開けると、閉め切られたカーテンの隙間から白い光が漏れ出しているのが見えた。俺は大きな欠伸をしながら上半身を起こし、辺りを見回す。
すると俺の左側、2メートルほど離れたところで涎を垂らしながら心地好さそうに熟睡を続ける葉原の姿が目に入った。時折、口を動かして呻き声のようなものを上げているのを見るに、何かご馳走を食べている夢でも見ているのだろうか。
そんな葉原の幸福感に溢れた寝顔を拝んでいると、ふとあることに気がついた。
葉原の左隣で眠っていたはずの白月の姿が見当たらない。布団はきちんと畳まれていて、部屋の隅に片付けられている。俺は枕元に置いておいたスマホを手に取り、ディスプレイで時刻を確認する。
「……6時か」
俺にしてはなかなかの早起きだったが、白月はそれ以上に早起きらしい。
俺は葉原を起こさないよう静かに布団を畳むと、白月と同じように布団を部屋の隅へと移動させ部屋を出た。
廊下に出ると、小鳥のさえずりがより鮮明に聴こえてくるようになった。そして、その鳴き声に引き寄せられるように玄関へと向かうと、正面玄関から真っ直ぐ続く廊下……その奥の脱衣所から、軽やかな鳥たちのさえずりとはまるで異なる鈍い機械音が聴こえてきた。
「ドライヤーの音……白月か?」
きっと身だしなみでも整えているのだろう。女子は俺たち男子と違って、何かと準備に時間がかかって大変そうだ。
そんなことを考えながら、俺自身も寝ぼけた顔を冷水で洗うために女子用脱衣所の隣にある男子用脱衣所へと足を向ける。別にコソコソする必要はないはずなのだが、何となく癖で足音を立てない歩き方をしてしまう。
そうして、抜き足差し足忍び足で女子用脱衣所の前を通り過ぎようとしたちょうどその時、中から洗面用具一式を持った白月が出てきた。
「きゃっ」
「おっと……」
お互いに突然のことで、思わず声を上げてしまう。
仰け反る白月は一瞬不審者を見るような目で俺を睨むと、すぐホッとしたように短く息を吐いた。
「おはよう。早いわね」
「お前もな。……ってか、何してたんだ? こんな時間に」
そう尋ねると、白月は肩から前に垂れ下がった長い髪を弄りながら小さく答えた。
「……シャワーを浴びていたのよ。寝汗で少し体がベタついていたから……」
そういう白月からは、確かにほんのりと甘いシャンプーの香りが漂ってくる。鼻腔をくすぐるその匂いを嗅いでいると、どうしてか心臓が大きく脈を打ち出す。顔も熱いし、頭もクラクラする。
体の異常を察知した俺は、一歩下がって白月から距離を取る。するとそれを見た白月は、一歩前に出て更に距離を詰めてきた。
「それで、そういう皇くんは一体何をしていたの? ……ひょっとして、私がシャワーを浴びている間に下着を漁って頭から被ったりでもしていたのかしら。……全く、とんだ変態クズ野郎ね。悪いけど今後一切近寄らないでくれる? スメラギ菌に感染して妊娠してしまうわ」
白月はゴミ以下の存在を見るような冷ややかな双眸を俺に向けると、まるでエタノールをぶち撒いて菌を徹底的に殺菌消毒するかのように言葉を並べた。
そうして好き放題罵倒された後で、俺は極めて冷静に言葉を返す。
「勝手な想像で人を罵倒するんじゃねぇよ。ってか、スメラギ菌ってなんだ。小学生か」
「あら、違うの? 昨夜からずっともじもじしていたから、てっきり理性を保てなくなってしまったのかと思ったわ」
「ちげぇよ。……それに元はと言えば、お前が昨日変なこと言ってきたのが悪りぃんだろうが。こっちはお陰で3時間くらいしか眠れてねぇんだぞ」
「同じ部屋で一夜を過ごしたくらいでそんなに戸惑うなんて、皇くん、案外初心なのね」
白月はそう言ってニヤリと嫌な笑みを浮かべると、下から覗き込むように顔を近づけてきた。
——そう。
全ては白月の冗談めいた発言が原因なのだ。




