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夜の校舎には、昼とは全く異なる雰囲気が漂っている。どれだけ耳を澄ましてもあの喧騒は聴こえず、震えるような何かの起動音だけが時折廊下に響く。
俺たちは唯一明かりの点いている職員室で、あまり部に顔を出すことはない顧問の柴田先生から部室の鍵を借りると、スマホのライトを頼りに西棟3階へと向かった。普段見慣れているはずの部室棟も、時間帯が違うだけでまるで別の建物のように見える。そんな部室棟の廊下を俺は白月と葉原の後ろについて歩いていく。すると、俺と白月の間に挟まれて歩く葉原がふと後ろを振り返って言った。
「なんか、夜の学校を探検してるみたいでワクワクするね」
「そうだな。どれだけ体が成長して大人に近づいても、心だけはずっと子供のままなんだって実感するよな」
そうは言ったものの、別に自分が特別子供っぽいとは思わない。きっと男なら誰だって一度や二度、夜の学校に忍び込んでみたいと思ったことがあるだろう。もしかすると葉原のように女子でさえ、普段落ち着いているように見えて実はそんな思いを胸に秘めているかもしれない。
そんなことを考えながら、先頭を歩く白月の後ろ姿に目を向けると、得意げな笑みを浮かべて葉原が口を開いた。
「晴人くん知らないの? “大人” っていうのはね、架空の生き物なんだよ。小学生の時、中学生や高校生が凄く大人に見えたけど、実際はそんなことなかったわけだし。きっと、これからどんどん歳を取っていっても、これは変わらないよ」
「……なんか、格言っぽいな」
そういうと葉原は「でっしょ〜!」と自画自賛しつつ胸を逸らしてみせた。
そんな会話を続けている間に、俺たちは目的の天文部部室前までやってきた。
「無駄話は後にして、さっさと荷物運ぶわよ」
白月はそう言ってドアノブに鍵を差し込み半回転させると、カチャリと扉の鍵が外れる音が響いた。白月は鍵を防寒着のポケットに忍び込ませると、ドアノブを掴んで扉を開ける。
部屋の中は案の定暗闇があるだけで、ライト無しでは何も見えない。白月は手に持ったスマホのライトを頼りに部屋の電気を点けると、チカチカと数回点滅を繰り返してから蛍光灯に明かりが灯った。真っ暗だった廊下に白い光が溢れる。
そうして部屋の明かりが点いたところで、俺は白月に疑問を投げかけた。
「ってか、荷物って具体的には何運ぶんだよ。望遠鏡とかか?」
「今日は月を観るわけでも、惑星を観測するわけでもないから望遠鏡は使わないわよ」
「それじゃあ、荷物って何だよ」
再びそう尋ねると、葉原も同じことを思ったのか首を傾げてみせる。
すると白月は、昼にボール紙を取り出したのと同じ段ボール箱から、片手サイズの黒いケースを取り出した。
「蒼子ちゃん、それ何?」
葉原の問いかけに対し、白月は薄っすらと笑みを浮かべると、それをテーブルの上に置いて答えた。
「カメラよ」
「……カメラ?」
「そう。一眼レフカメラ」
白月が一眼レフカメラなんて高価なものを持っていたことは素直に驚きだが『天体観測』と『一眼レフカメラ』、この2つを結び合わせると自ずと白月の考えも読めてくる。
「つまり、それで星空を撮影しようってことか?」
「えぇ。そうして撮影したものを、部の記録としてまとめておくのよ。まぁ、プラネタリウムと一緒に文化祭の出し物として展示するという目的もあるのだけれどね」
確かに、ただ「天体観測をしました」というだけでは記録としては残らない。しっかり「部として活動した」と証明するためにも、何かしら記録は残しておかなければならないのは当然のことだ。
「なるほどねぇ。……ところで、そのカメラは蒼子ちゃんの私物?」
「いいえ。これは天文部の先輩方が部の備品として購入したものよ。流石に天文部の部費で新品の一眼レフカメラは購入できないでしょうから、おそらく中古品ね」
白月はそう言って、テーブル上の一眼レフカメラをケースの上から優しく撫でると、普段は滅多に見せない柔らかな笑みを浮かべた。俺はそんな、年老いた猫でも見つめているかのような白月の瞳を見て、ふと尋ねる。
「で、お前はそれ使えんのか?」
「……は? 当たり前じゃない。私を誰だと思ってるのよ。使い方も知らないでここまで取りに来るわけないでしょ? 少しは頭を働かせなさいよ」
「…………」
あまりに急な態度の変わりように、思わず返す言葉を見失った。
中古のカメラよりも、俺に対する態度の方が明らかに厳しめなのは一体どういうことなのだろう。ここのところ、少しは暴言や罵倒が治まったように見えていたが、どうやら俺の勘違いだったらしい。
そんなことを考えていると、白月がテーブルの上に置いた一眼レフカメラを手に取り、体をこちらに向けた。
「さて、そろそろ屋上に向かいましょうか。カメラのセッティングもしないといけないことだしね」
「そうだね。蒼子ちゃん、ほかに持っていくものってある?」
「えぇ。それじゃあ……葉原さんはそこのブルーシートを運んでもらえるかしら」
「はーい」
そう言って葉原は段ボール箱からブルーシートを取り出すと、一足早く廊下に出て「早く行こー」と急かすように呼びかける。
「俺も何か運んだ方がいいか?」
女子2人が荷物を持っているのに、男の俺が手ぶらというのはなんだか悪い気がして一応尋ねてみる。
「あぁ、それじゃあ皇くんはそこの三脚を運んでもらえる? それがないとブレて、いい写真が撮れないのよ」
「分かった」
俺は指示された通り、ガラス棚の側に置いてある三脚を脇に抱え、廊下へと出る。そして最後に、ケースにしまわれた一眼レフカメラを持った白月が部屋の明かりを消して部室を出た。
「さぁ、行きましょう。暗いから足元に気をつけてね」
白月は扉に鍵をかけて、それを防寒着のポケットにしまい込むと、再びスマホのライトで足元を照らし、屋上へ向かって歩き出した。




