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互いに、人1人分の間隔を空けてベンチに腰掛けると、周りの迷惑にならないよう配慮しながら白月が尋ねてきた。
「今日は何をしていたの?」
「昼から輝彦たちと街に出かけて、それからボーリングしたり、カラオケに行ったり、ゲーセンで駄弁ったりして、途中からはクラスの他の男子たちとも一緒だったな」
「ふーん……。楽しそうね」
同年代の友人とどこかへ出かけるということをほとんどしたことがない白月にとってみれば、俺の話はファンタジー世界のことのように聞こえるのではないだろうか。
そんなことを考えながら、今度はこちらから尋ねる。
「お前は?」
すると白月は、どことなく浮かれたような表情をして話し始めた。
「私は朝から葉原さんと一緒にショッピングするために街に来ていたのだけれど、ついさっき別れたから1人でここに来たのよ」
「あー、何か『合宿の前に買い物行こうね』って誘われてたもんな。……で、何買ったんだ?」
「……皇くん。あまり女性に対して軽々しくそう言うこと聞くもんじゃないわよ。というか、合宿に必要なものなんて大体想像できるでしょ。それとも何? 私の口からそれを言わせて辱めたいの? とんだクズ野郎ね」
「ただ聞いてみただけだろうが。被害妄想強すぎだろ……」
さっきまでの穏やかさが嘘のように、態度を豹変させて罵倒してくる。変に突っ込んだ質問をするんじゃなかった。
「それで、葉原との買い物は楽しめたのか?」
気を取り直して再び尋ねる。
「まぁ、それなりに楽しかったわね。……ただ、葉原さんの高すぎるテンションに合わせるのが少し大変だったけれど……」
確かに白月の話と表情から、ピョコピョコと犬のようにしっぽを振る葉原の姿が容易に想像できる。普段、誰かと共に行動することをしない白月にとってみれば、葉原の溢れ出る行動力は全く理解できないものだろう。
「まぁ、楽しめたんならいいんじゃねぇの?」
あの白月が年の近い同性の相手と出かけたということだけでも十分驚くべきことで、彼女にとってみれば大きな進歩なのだろうが、何より白月本人が「楽しい」と感じたということは、数ヶ月前に比べて白月が『人間』としても成長したということの証明にもなることで、素直に喜ばしいことだと思った。
「そうね。……ところで、合宿まで残り1週間ほどだけれど、くれぐれも体調管理には気をつけなさいね。夏休みだからってだらけてばかりいると、免疫力の低下にも繋がるわよ」
「分かってるっつーの。そんなことより、お前の方は合宿、本当に大丈夫なのかよ。両親に部活のことちゃんと話してんのか?」
正直、天候の悪化や体調不良なんかよりもそっちの方が気掛かりだ。もし、白月が黙っているのだとしたら、最悪合宿は中止になってしまう。それは他の誰でもない白月が最も後悔することになるだろう。それだけは避けなくてはならない。
そんなことを考えていると、隣に座る白月はクスクスと余裕の表情を浮かべて笑ってみせた。
「心配性なのね、皇くんは。……でも、大丈夫よ。ちゃんと合宿のことは話してあるし、許可も貰ってる。だから安心しなさい」
俺はそんな白月の強い瞳を見て「俺も合宿に向けて少しは星に関する知識を増やしておかないといけないな」などと考えながら小さく呟く。
「そうか……。なら、いい」
ふと後ろの窓硝子を振り返ると、先程よりも陽が弱まっているように見えた。
俺は膝に手をついてベンチから腰を上げると、白月の方に体を向ける。
「んじゃあ、俺はそろそろ帰る」
「そう、わかったわ。私もちょっと寄りたいところあるし、そろそろ帰ろうかしらね」
そう言って、俺と同じようにベンチから腰を上げる白月に一言加える。
「あー……」
「なに?」
「いや……帰る前にもう1回だけお前の描いた絵見て行っていいか?」
そう告げると、白月は艶やかな唇に薄っすらと笑みを浮かべて小さく頷いた。
「えぇ、もちろん。……それじゃあ、次は合宿の日に会いましょう」
「あぁ」
「またね。皇くん」
そう言って、エントランスを出て行く白月の後ろ姿を見送ってから、俺は再び展示ホールに足を運んだ。
もう一度、あの絵をよく見たい。白月の描いた絵に込められた意味を読み取りたい。
そんな想いを胸にして白月の作品が展示されているパーテーションのところまで来ると、白月の作品の目の前で青年が1人、立ち尽くしている姿が見えた。
薄い茶色の髪を整髪料か何かで整え、180cmはあるように見える高い身長で、白月の作品をじっと見つめている。
きっと歳は俺と同じくらいだろう。言い方は少し悪いが、見た目はかなり派手で遊んでいるように見えるため、静謐なこの空間にはふさわしくないように思える。彼も絵に興味があるのだろうか。
そんなことを思いながら、白月の作品の前で微動だにしない彼を別のパーテーションの陰から見つめていると、彼の口が僅かに動いたのが見えた。
何を言ったのかまでは聞き取れなかったが、口の動きからして恐らく「しらつき あおこ」と口にしたのだろう。やはり、あの絵には見る人の心を揺さぶる『何か』がある。
そんなことを考えながら、俺は静かに視線を彼の横顔に持っていった。
——その時だった。
頭の天辺からドライアイスをかけられたかのように体が震え、凍りついたように固まった。
彼の “その” 表情を見て、俺は恐怖した。
彼が浮かべる “その” 表情からは、俺がよく知る感情が伝わってきたのだ。
—— そう。
俺がかつて、白月蒼子に向けていたのと同じ『天才』に対する強い嫌悪感が。
彼は俺と同じだ。
理由は知らないが、彼もまた『天才』に対して強い嫌悪感や憎悪を抱いている。
間違いない。
あの目は……白月の描いた作品に向けられていたあの凍てつくような鋭い目は、間違いなくそういう目だ。
どうする……。
思い切って声をかけてみるか?
いや、変な奴だと思われることはなるべく避けたい。けれど……。
そうして少しの間彼から目を離し、己の中で葛藤を繰り広げている間に、絵の前からその青年の姿はなくなっていた。展示ホールはそれほど広くはない。だから探せばきっとすぐに見つかるはず。
そう考えはしたが、結局俺は彼を探すこともせず、白月の作品を見ることもしないでそのままエントランスを後にした。
なんとなく……なんとなくだが、俺はまたどこかで彼に遭うことが出来る。そんな気がしたのだ。
そんな得体の知れない予感と疑問を抱えたまま、俺は暮れていく空の下を家に向かってゆっくりと進んでいったのだった。




