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そうして5分ほど前のやり取りを思い出して深く息を吐いた俺は、糸で吊られたように正面で真っ直ぐ背を伸ばして正座する白月に再び目を向ける。
「お前、マジでああいうことするのやめろ。誰かに撮影でもされたらどうするつもりだったんだ」
「自分の評判が悪くなることよりも私のことを気にかけてくれるなんて、皇くん、随分と優しくなったのね。……ところで、耳真っ赤だけど大丈夫?」
「……うるせぇよ」
別にこいつの身を案じてそう言ってるんじゃない。人の家に来て、何かトラブルを起こされては困るから言ってるんだ。
それなのにこいつはいつまでもいつまでもニヤニヤニヤニヤと余裕ぶった笑みを浮かべやがって。
俺はこいつのこういうところが嫌いなんだ。
きっと先日のテストだって、こいつはこんな気持ちで受けていたんだろう。人が死ぬ気で勉強して身も心もボロボロになっているなんて知る由もなく、まるでそれが当たり前とでもいうかのように。
こうしてこいつと同じ空間にいるだけで、真夜中の冷たい海に背中から突き落とされ、もがけばもがくほど海の底に体が沈んでいくような、そんなどうしようもない気持ちになる。
ふと背中側にある窓から射し込む橙色の夕陽に手を当てると、皮膚の奥に張り巡らされた細い血管がいくつも見えた。確かに血は通っているはずなのに、指先からはどんどんと体温が逃げていく。
そうして俺が自分自身の体に起こっている異常に不安や恐怖を感じている間にも、白月は部屋の中を眺めては、何か納得したかのように頷いたり、目を閉じて深呼吸を繰り返す。
「この部屋、皇くんの匂いがする」
「嗅いでんじゃねぇよ。気持ち悪りぃ」
「すごく落ち着く。私、皇くんの匂いって好きよ」
平気でこういうことを言ってくるようなところも嫌いだ。いちいち人の心を乱さなければ生きていけないのだろうか。
「お前の性癖についてはこれっぽっちも興味ねぇ。それよりもいい加減、本題に入れよ。何か話したいことがあんだろ」
これ以上生産性のない話をしていても時間の無駄。俺は舵を勢いよく切って、話を本題に向ける。
「私、異性の……というか友達の家に入るの自体、これが初めてなのよ。もう少しこういう話を続けてもバチは当たらないと思うけれど?」
「俺はお前が『何か話したいことがある』って言ったから、仕方なく部屋に上げてやったんだ。こんな無駄話続けるくらいなら今からでも追い出すぞ」
自分から持ちかけた勝負に無残にも敗北した凡人の姿を眺めるのは、それはそれは心地の良いものだろう。けれど、こっちは「仕方のないこと」と割り切れるほど余裕があるわけでも、人間が出来てるわけでもない。
一刻も早く、こいつにはこの場から去ってもらいたい。
と、そんな風に思っていると、正面に座る白月は諦めたように息を吐き、ゆっくりと口を開いた。
「分かった……。あんまり長居するのも確かに迷惑だものね」
「…………」
「…………」
たった1m程度しか離れていない俺と白月の間に、沈黙の壁が降ってくる。
室内に鳴り響くのは、カチカチと一定のリズムで時を刻む秒針の音だけ。
そして5秒が過ぎ、10秒が過ぎ、15秒が過ぎたあたりで、白月がその沈黙を破った。
「ねぇ——、皇くん」
俺は目だけを白月に向ける。
「貴方は、どうしてそこまで私に勝ちたいと思うの? 貴方は私に勝って、一体どうしたいの?」
「……は?」
白月の問いに対し、俺の口からはそんな困惑の声が零れた。




