戸惑う監督官
不思議な事じゃない、彼女が彼女で情報を拾い集めていた様に私だけが拾っていた情報があっただけの話だ。
リンネは数歩で階上への段差を駆け昇ると二階へ向かわずに外に出た。
「庶務室ならこっちの方が早い。」
壁を蹴って浮き上がり、その勢いを微塵も殺すことなく体勢を建て直して開いた窓から室内に入る。
恩恵補正もあるだろうが、おそらくその体躯はエルフだからこそ生まれたものだ。
彼女が得た情報は一つ。
ペルメテリア内部に存在する裏切り者への疑惑だった。
昨日の夜だったか、部屋で軽く運動していると扉を開ける者が居た。
総合警備課所属のチヒロだ。
彼女からは数日前より、入社式における防備の相談を受けていた。
彼女がなぜエルフである私に目をつけたのか、それは良くわかっている。
最早残存が疑わしい祖国で独自の発達を遂げた軍事体系であるエルフ式国防術の指南を受けたかったのだろう。
ロストテクノロジーになるよりもペルメテリアに持ち込んだ方が良いと考えた私は、相談役の任を快く引き受けた。
そんな役柄の功労だろう。
入社式とはいえペルメテリアは優秀な人材の宝庫のはず、なのになぜ警部に全力を注ぐのかを訊ねた。
『サキには言わないでね。』
というく口外の禁止を述べた後に彼女は続けた。
『ペルメテリアの中に...考えたく無いんだけど裏切り者が居るみたいなんだ。』
『裏切り者の目的は不明、ただペルメテリアの在り方に反対側であるらいんだ。』
『だから現在ペルメテリアは、大抵の者は気付かないけど準特別警戒体勢に入ってる。』
『ええ?全く気が付きませんでした。』
『リンネが気付いてないなら概ね良好だな。そして、入社式っていう催事の時には特別警戒体勢に入るってわけだ。』
スパイに悩まされる事はよく知っている。
幸運にも咲と過ごしたエルフの国では、その懸念に捕らわれる事は無かったが、内部造反者の居る可能性はいつだって平穏を脅かす。
『でも、私の国防術は一朝一夕じゃ取り入れるのは難しいと思うわ。』
『はは、だろうな。だが、聞かずにはいられないのさ。』
笑顔の裏に苦悶の表情を浮かべるチヒロの努力を知った私は、されど、なんの行動も起こす気にはならなかった。
次に向かう場所は、私がいつも雑務を任される事務所だ。
情報を得るためではない。
そろそろ戻らなければ他の物に迷惑がかかってしまう。
「すみませーん、監督官リンネ、ただいま戻りました。」
咲が記した設計図の束を手に所内を歩いて自分のデスクに戻る。
残念ながら、一見した所では何を造るつもりなのかわからない。
咲は見るや否や、『おお、この技術も実用化してるんだ』などと言っていた。
そういえば一枚だけ...見た途端に私に一瞥を与えた模式図があった。
外の世界の技術が取り入れられていたのだろう。
一通り製造図の枚数を確認して今度はその足を課長のデスクに向けた。
適当に言葉を綴って束を置く。
「他の子のも見てもらって良い?」
首を縦に降りながらその意志があることを告げて、同期の元に向かった。
さて先の裏切り者の話に戻す。
チヒロの見立てでは裏切り者は複数で、最近の入社なのでは無いか、という事だった。
ちなみに私も一度裏切り者の名に挙がったが、チヒロの独断によって下げられたようだ。
裏切り者と、あの咲が見つけ出した穴蔵を繋げる情報はまだない。
なぜあんなものを作ったのかすらも不明だ。
仮定として結びつけるならまず第一に浮かぶ要因は密会現場だろう。
特加専がそもそも離れた特別棟であるし地下炭鉱の見えない穴蔵など丁度良い場所だ。
その調査は咲が行っている様に思う。
その炭鉱の隠匿に加え、そこを密会現場と選ぶ辺り、裏切り者は監督官に狭まると思う。
さらに言えばチヒロの推測から入社日が近しい者...庶務室でそのデータを見たから、大体どいつが何年目か知っている。
課長は入社式4年で最も長く、次点が中途採用なのか3年と10ヵ月。
少ない方から見れば(データは無かったが)私、次点が半年と言ってたようなものだった。
入社一年未満を当たって行けばいつか正解に行き着くだろう。
そんな楽観的な見解を胸に抱えて、私は同期の製造図設計業務に手を差し出した。
「どうも、進んでますか?」
新人に進捗のマネジメントを任せるとは一体どういう了見なのだろう。
見方を変えれば新人の鋭い才能を見抜いて一任させた、とも受け取れるが。
「ははは...いえ、笑っているばあいじゃないですね...情けない話、ずっと手が止まっています。」
彼が声を震わせて言う様に図案作成は滞っていた。
その業務に苛立ちを覚えていたのだろう、そいつは勝手に愚痴を漏らし出した。
「本当...困っちゃいますよ。全く関係無い課に飛ばされて来てみれば、学生行うような数字の問題を任されて。」
「僕の才能はこういう物には使え無いんですけどね。」
リンネは特に彼を責める事はしなかった。
自身への評価が高い為に、任された職務と釣り合わないの自認する者は多い。
そこにとやかく口を出しても彼の自身への認識が変わるわけでもない。
課長に頼まれていた事とはいえ、所詮は切羽詰まった故に私にすがるしか出来なかったのだろう。
責任が伴わない為に功利を求める必要が無かった事も、リンネが口を閉ざす要因の一つだった。
その後は監督官に助力する降りをして彼らから口を開かせた。
常に無関心で、たまに人が変わったような性格を取る女と四六時中行動を共にするリンネにとっては工夫の要らない真っ直ぐな収集だった。
「俺はこんなところで終わらない。」
「僕に任せる業務は他にあるはずだ。」
「さっさと終われば良いよ。適当適当。」
他も詳細な文言が異なるだけで意味は等しく同じ。
休憩室でリンネは独り言を呟いた。
「怠慢よ...怠慢。誰一人、特加専に目を向けて無いじゃない。」
「そういえば私が現場に行っても、他の人が現場に降りたのは見たことがない。」
そもそも監督官も地下炭鉱の情報が充分ではないのかもしれない。
もしかしたらあの秘密の通路は、外部の、とりわけ特加専の内情に通じた者の策略の一つなのかもしれない。
可能性を見ていくと、その先には更なる可能性が現れる。
裏切り者の範囲は外に広がってしまっていた。
課長から再び一人分の量とは思えない程の仕事が回されて、その日に裏切り者に辿り着く事は無かった。
多音に彩るチャイムが規則正しくなった後に静寂が訪れる。
そして次には単音による乱れた蹂躙が響き渡る。
「リンネ、帰るわよ。」
回りから『ドラのあいつ』と噂され始めた少女が淀んだ空気の出口で待っていた。




