駆走る監督官
ディーナの作る夕食を食べた後、咲は部屋にこもっていた。
突然扉が開く。
「おーいリンネ!さっきの話...ってあれ?サキがなんでいるの?」
ノックが無かったせいか一瞬反応が遅れた彼女は、慌てて机に開きっぱなしだった手帳を手で覆う。
「リンネと部屋を変えたのよ。暑い暑いってずっと言うから。」
「ああ、そうだったのか。」
チヒロは上半身だけ外に出し、部屋の表札を確認にすると納得したように言った。
「今何を隠したんだ?」
「え?隠した?なんのこと?」
いつもは無気力なくせに、余程焦っていたのか声がうわずっている。
「その手で覆ってるモンだよ。隠してるだろ?」
「単なる日記、習慣的に付けるようにしたのよ。」
「へえ、なるほどねえ。ふんふん...。」
彼女は扉口から動かず、咲が隠す日記を凝視すると表情を切り替えた。
「やっぱ転移者だな!さっぱり書いてある文字がわからん!」
咲は安心すると同時に恐怖した。
文字が元の世界のものだから良かったものの、あの距離で隠された日記を読める身体の能力に恐れたのだ。
この日記が咲の手の内に有る限りは安心だが、万が一漏れれば争いの種になりかね無いのだから。
「あ、ねえ、ちょっと。」
さっさと追い出したかったが、彼女はチヒロを部屋に留めた。
「リンネとの話ってなんのこと?」
チヒロが元リンネの部屋を訪ねた理由を知りたかったのだ。
「別に大した事じゃないさ。三週間後の入社式に向けて、警備の相談がしたくてな。」
なぜそんな一大事に、リンネを頼るのかにも疑問が浮き上がる。
そんな咲の表情を見たのだろう、チヒロはそのまま続けた。
「魔術の防御展開に関して、効率的な配分を知りたかったのさ。リンネって確かエルフだっただろ?」
「なあんだ魔術に関してか、もっと警備の根幹の相談かと思ったわ。」
「それはアタシの仕事だよ。ま、リンネには一応そのあたりも教えとくがな。」
彼女は笑みを浮かべてそう言うと、咲に挨拶を述べて隣の部屋に向かった。
チヒロはこの部屋に居た四人の中で、もっとも周りからの信が厚いそうだ。
きっと真っ先に疑わずに、最初から底無しに相手を信用するからだろう。
ただの危機感の無い行為に思えるが、一方で交流を深める上で簡単には出来ない最良の行動だとも読み取れる。
不思議なものだ。
たった一週間の付き合いでしかないのに、知れば知るほどチヒロの在り方は咲と正反対に感じる。
初対面では咲とチヒロは同じだと確信したはずなのに。
咲は今日の分の日記の続きを書き記すと手帳を閉じた。
「うーん...炭鉱ってやっぱり広いなあ。」
リンネからもらった小さな光球をふよふよと浮かせ咲は自身の炭鉱で模式図を見つめて居た。
彼女に一ヶ月は付くはずだった研修は二日前に外されていた。
この点だけは、特加専の業務が腐っていて良かったと実感する。
間ともな新人教育であれば、嫌々ながらも一ヶ月しっかり付いてしまうからだ。
咲は炭鉱に付くとすぐに、自身のスキルで鉱石を取り出し、純度の切り替わるブレイクポイントを概算してインゴットに変えた。
後はこれを誰にも見つからずに貯蔵庫に置くだけで一日分の業務は終わる。
「サーキさん!ちょっとお願いしたい事があるんですけど!」
朝っぱらから元気そうな声が炭鉱に反響する。
不愉快きわまりない。
「監督官の仕事はどうしたの? 昨日終わり際に任されてたじゃない。」
「その件でお願いです。咲さんのスキルでちゃちゃっと終わらせて下さい。」
「入社式で使う備品の設計図を作らなきゃならないんです。ドワーフが製造を使えるように。」
「任せろ。」
「さっすが咲さん!演算に関しては頼りになりますね!」
彼女を強引に帰らせたのだ。
そのシワ寄せはきっと周りの者に行った筈だ。
咲にとってはどうでも良かったが、この一件でリンネの立場が危うくなってはならない、そう思って快諾した。
「はい、ありがとうございます。」
「造作もないわ。こういう職務だったらありがたく続けるわ。」
リンネの頼み事は終わった筈だったが、彼女は戻ろうとはせずに咲の横に腰を下ろした。
「監督官の職務はどうした?」
最初に投げ掛けた問いをもう一度彼女に問い掛ける。
それでも彼女は黙ったままだった。
「はあ、ま、良いわ。」
炭鉱全体の図にもう一度目を下ろすと、咲はリンネを連れて貯蔵庫の方に向かった。
鋳型の加工場を兼任するそこは、元々ダクトの配置が局所排気を想定したものだった。
だから変えた。
どうせ誰も配置など覚えていない、とタカを括ってダクトの排気口を風下と風上の二点配置、つまり全体換気を意図として置き換えた。
もはや『製造』という概念を上回っている気がしたが、実際に変えられた所を見るとスキルはちゃんと作用したらしい。
あとはファンを見つから無いように設置すれば良い。
ダクトの内部に位置する、ダクト自体の減耗の要因であるベントも極力減らした為、貯蔵庫の衛生はしばらく維持されるだろう。
もはや貯蔵庫を訪れる必要は、毎日のインゴット運び以外には無いはずだった。
「咲さん?なにしてるんです?」
咲は貯蔵庫に着くや否や、土石で覆われた四方も壁を数メートルの感覚を開けて叩いていく。
「音の反響を視てるの。あ、別に静かにしなくて良いわよ。」
図を見て気がついた事が一つあった。
疑いが最初から有ったわけではない、個別の炭鉱の衛生をどうしようか考えていて閃いた。
「ここら辺だな。」
視界に映る数値に、誤差の範囲だとは定め得ぬハズレが見えた。
「製造。」
壁としての役務を全うしていた土砂は咲の横に堆積した。
作業士の少女の前には風が流れる大きな穴が開いた。
「設立当初の全体図と今の貯蔵庫を比べて、一つ違う点があった。」
「面積よ。」
淀んだ空気が新鮮なものに切り替わる。
貯蔵庫を囲む四方の土砂は偽りで、本当の囲いは壁の向こうに隠されていた。
面積の違いからなにが隠されていると見込んで壊してみれば、よもや空気の通り道があるなど誰が思おうか。
「たった一週間だけどね、ちょっとだけドワーフに思った事があるの。」
「不平不満ですか?」
「まあ視点を変えればそう思えるかもね。」
「ここのドワーフって傲慢で酷い性格だけど、その傍らですごく臆病なのよ。」
「だからリンネ...監督官が現場視察になんか来たら、わかりやすい位態度を変えちゃう。」
勤務初日のリンネを案内したドワーフがその通りだった。
そして、その習性はドワーフ一般に言える事なのだと感じた。
「だからね、衛生設備を放棄してこの炭鉱の環境水準を下げて、ドワーフだけの組織にするなんて悪行を」
「ドワーフ単身で行えた筈がない、と思ったんですか?」
「美味しい所だけ持っていって...まあ、そういう事よ。」
「気のせいだとの思ったけど...これで確信したわ。」
「元々存在した通風口を隠すなんて大それた事がドワーフの判断で出来る訳がない。上の監督官が降りてくればすぐわかっちゃうもの。」
「え?じゃあ、もしかして...。」
「ここの炭鉱がこうなった要因は、ドワーフの帰属意識だけじゃない。」
「もう一つ上の監督官も関わっているのよ。」
「ドワーフだけがやらかしたのであれば、理由はなんだかはっきりしたけれど。」
「監督官の手が加えられているのなら、もっと根深い理由がある気がするわ。」
淡々と推測を語る咲は、後ろのリンネが居なくなって居ることに気が付かなかった。
咲に恥をかかせる為ではない。
リンネは自身の持つ正義の元で動き出したのだった。




