星が照らす腐敗
慣れというものは恐ろしいもので、数時間前には苦行としか思えなかったつるはしを振るう動作は、とっくに自分の心から離れて動いていた。
未だに(恐らく)個人の鬱憤を晴らし続けるドワーフの声も、労働を彩る喧騒の一部と化していた。
昼御飯でお腹を満たしたためなのか、時間が解決してくれたのか。
はたまた、あのエルフと一時ではあるものの言葉を交わした為なのか。
「おい月宮!!手が止まってんぞ!!」
顔を赤く膨らませて怒鳴りをあげる同僚の方に目を向ける。
赤子はずっと鳴き続ける気力があるが、こいつにも同じようなものが備わっているのかもしれない。
「...製造。」
重機の稼働音で打ち消された独り言の後、咲の篭には一杯の鉱石が煌めいた。
「これ以上掘っても持てないので一度貯蔵庫の方に行ってきます。」
彼の二の句を待たずに咲は炭鉱を出ていった。
ふと視界に入った同僚の篭には、雀の涙程度しか鉱石がたまっていない。
咲は、自分が彼らのストレスの捌け口であることを自覚すると共に、労働放棄の理由となっている事に気が付いた。
勿論他言するつもりはない。
都合良く先を原因として処理することが目に見えているからだ。
「腐ってるわ...本当に。腐敗って言葉が良くあって...。」
どうせ誰にも聞こえぬ、と愚痴をこぼした事がが良かったのかもしれない。
自然と整理された頭のなかに一つの疑問が浮かび上がる。
「リンネは腐敗を知った者なら告発してるって言ってた。」
「その漏れた密告に対して『転移者』がこの炭鉱に視察している。」
「でも、それを上手く偽装なり何なりして乗り切った、というのが彼女の見立てだわ。」
実際に告発があったのか、また転移者に近しいものらがこの炭鉱の現状を見たかのかは定かではない。
「じゃあなんでリースは...いいえ、さらに言えばリースに伝わったまでの噂の拠出源は、ここの腐敗を知っていたのかしら。」
上手く偽っていたのであれば、そもそも腐敗という評価がくださられる事はまずない。
それに腐敗と同じく下された『不明の地』という言葉が、この課隠匿への評定を十分下している。
「私みたいな受け皿が噂の根元...?いや、でも他に受け皿は私以外には居ないし...。」
「...リースと私で『腐敗』の意味が違う?」
腐敗の評価がなぜ下されたかを考えると、今度は曖昧な言葉の定義に思考が移り行く。
「私はここのドワーフの態度だったりが腐敗の根元だと考えてた。」
だが、それをリースが知っている事がおかしい。
「そう...そうよ。確かあの子は『業務が好きなんだ』って言ってたわ。ここの労働者ではなく。」
「ここで働く者に対しては関心が無い? いや、でも...言葉のあやだったり。」
「熱"ぅ"っ"!!」
無意識に高炉に近づいていたようだ。
凄まじい熱量が、咲のツナギに降りかかる。
別の事柄に注意を向けた事が、新しい糸口を見つけるきっかけとなった。
「腐敗の定義はともかく、なぜそんな言葉が出回ったのかしら。」
「環境も衛生も最悪だから、普通に死ぬ可能性もある...か。」
もしも、その可能性が既に現実で起こり得たのなら。
作業士の上...監督官がその対処に手を着けて居るのでは無いだろうか。
そしてそれが、ドワーフを取り巻く人間関係に依るものであれば咲が『腐敗』の定義を同僚の性根だと思うことは無い。
監督官が手を下しているはずだからだ。
高炉に灯る火炎が、断続的に咲の顔を紅く照らす。
光源がその炉のみのため貯蔵庫周辺は暗闇に閉ざされている。
「腐敗...腐敗...もしかして、リースの言う『腐敗』って...。」
咲とリースの会話の中でボタンの掛け違いが起きていた。
ここには、生物による感情で揺れ動く悪習の他にもっと根深い悪行があるのではないか。
それに気が付いた途端に彼女は自身が行うべき動作に気付きを得た。
まだ素材のままの鉱石を地面に置くと、少女は外の世界へと走り出した。
「リンネ!...いえ、監督官!」
上階の事務室には気だるそうな表情をしたエルフが座っていた。
周りの監督官が必死に何かを書き込んでいる辺り、こいつは自分の仕事を終わらせてのんびりしているのだろう。
作業士兼主人が叫びをあげて彼女に近付いた途端、奴隷の顔は明るくなった。
「咲さ...如何なされましたか?事故か何か?」
「...連れて行った方が早いわ。適当な理由作って私と一緒に来なさい。」
「これでも暇じゃ無いんですよ? そんな勝手に現場に行ける訳無いでしょう。」
咲は言葉の音を一つ上げる。
「周りの奴らが必死に何かしてるのにリンネさんはボーッとしてるんですね。」
「職務怠慢じゃ無いですか?人事部に言い付けても良いんですよ!!」
「効きませんよ。今の私は監督官、あなたの言う事に平服する事はありません。」
「ですが、私は現在手持ちぶさた、何か事故があったのかもしれません。作業士の対応も私の役目ですからね。」
リンネはそういって立ち上がると、全体を見渡していた者に近寄り二、三回言葉を交わした。
良く聞き取れなかったが、彼女は戻ってくるや否や簡易的な防護服を纏い咲の後にに続く。
「それで一体私に何をやらせようと言うんです?」
「あの炭鉱全体を照らす光球を作って。」
リンネは溜め息を一つの吐いた。
「それ最初に絶対やるなって言われたんですけど。地下で働く作業士の視力に著しい障害を与えるから、って。」
「あんな暗闇で作業する方が体に悪いわよ。」
長い階段を下りる。
事務室のドワーフはリンネを見るなり瞳を煌めかせたが、当の本人は気がついて居ないようだ。
「こっちじゃ無いんですか?」
エルフは咲の炭鉱を覚えていたのだろう。
歩みをまっすぐそちらの方向に決めていた。
「追々ね、先に貯蔵庫の方よ。もっといえば高炉の近く。」
「なにをしたいのか見当が付きません。」
「お昼に話したでしょ。腐敗がどうこうって。」
「ええ、咲さんが元の世界の技術を使って成り上がるんですよね?」
「自分で言った事とは言え驚きだわ。確かに、それが一番の解決策かも。」
「でもあまり乗り気じゃなかったような...。」
「そう、もしもこの現場の問題点が『ドワーフの対応』という感情的なものであれば、私は恐らく何も動かなかった。」
「でも改めて考えて気が付いたのよ。」
「何にですか?」
「ここの腐敗の根元はそこじゃない。」
「リースが知っている腐敗はここの労働環境だったのよ!!」
「...?過酷で劣悪だとは思いますが、仕方の無い事なのでは?」
「順を追って説明するわ。」
「リースは最初に、ここの環境と衛生が最悪だと言っていたわ。」
「そして、一日ここで働いた私は『関係性の環境』が最悪なのだと見込んだ。」
「でも違うのよ。もしもリースの耳に届いているのなら、その前にリンネのような監督官にも伝わっているはず。」
「...なるほど、でも伝わっていない。なぜなら隠匿するから。私自身、それを経験してますし、可能性を考慮してました。」
「じゃあ何かと、思えばもっと単純で明瞭なものよ。」
「ここの労働環境よ。」
「さらに一つ踏み込めば、『監督官が介入した上で、是正が効果を為さない環境』ね。」
「ええ、ええ、そうですね。最初に説明がありましたよ。現場には必ず防護服を着ていけって。」
「監督官がその危険性を承知している。だから、その問題も処理しているはず。」
監督官が防護を纏っているのに、より現場に滞在する作業士がツナギ一枚、というのはあまりにもおかしい状況だ。
二人は高炉にたどり着く。
咲が放置した鉱石の山は、そのままだった。
「ここを照らして。遥か上の天井まで、隅々の隙間まで。」
「かしこまりました。」
言葉が終わった瞬間、遠近法で観測しうる太陽のような光球が現れる。
暗闇を打ち消した星の光は、地底にクモの巣の様に蔓延る無数の小さな通路と、壁にかけられた道具の数々を顕にした。
「埃を被ってる...やっぱりね。」
「ここの腐敗...問題は『機能していない衛生処理』よ!」




