歪を辿る思考
ガチャン
「ただいま...。」
「あら?朝早くからお散歩?精が出るわねぇ。」
共同スペアには、一人の少女が身支度を始めていた。
キッチンに立っている所を見るに、彼女が今日の朝食の作り手なのだろう。
順番巡りであれば、咲に手番が巡ってくる事もあるのかもしれない。
怠惰な女子高生であった彼女に作れるものは限られるが。
「...? なあに?その人形。」
これから訪れる忙しない時間と相反して、経理部の少女はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ビーチュさんってご存じですか?転移者の。その方から貰ったんです。」
人形を抱えたリンネが答えた。
ビーチュという名は知っているようだ。
「ああ、リディニアに行っていた子ね。ってことは、その人形はいつものかしらね。」
「いつもの?」
「あの人、挨拶代わりに色んな人にその人形を渡してるのよ~。」
「イカれてんな。出会い頭でこんなんもらったら怯えるわ。」
「ちょっと咲さん!」
リンネは忠告するように言った。
居ない場所でけなすのはやめろ、という事だろう。
「確かに、最初はみんな驚くけど。持ってると案外愛着が沸いてくるものなのよ。」
「愛着ねえ...そうだ、ええっと...確か長女面する年増のディーナさんは貰ってるの?」
一変、彼女の雰囲気は突如として苛烈なものに切り替わる。
「は?失礼すぎない?会って数日でなんで『年増』呼ばわりされないといけないのよ。」
もっともだ。
彼女と咲はそれほど親しい間柄ではない。
だからこそ起こった事故だ。
「シルヴィアがあなたをそう紹介したの。特徴としてあげてたから、それで覚えたのよ。」
再び彼女の顔は柔らかになった。
「なるほど...シルヴィアが...。名前を覚える為だったなら仕方ないわね。」
「じゃあ私が矛先を向ける相手はシルヴィアね。」
顔が柔らかいだけだ。
口調はそのまま変わらない。
ディーナは黙って一つの個室に入っていった。
恐らく、彼女自身の部屋ではない。
「おい真面目騎士!!」
怒号がこだまする。
「はい、シルヴィアただいまきしょ...って、脅かさないでください、ディーナ。今日の当番はあなたでしょう?」
どちらも声が大きい。
彼女らの会話は十分耳に届く。
「あ?今日の当番もお前だよ。ほら、早く準備して。」
「なんで怒ってるのか説明いただけますか?更年期は理由になりませんよ?」
「そこまでいってないし、もうそれが理由で良いわ。三ツ星クラスの朝食で許してあげる。」
「舌の肥えたディーナなら泥で充分五ツ星でしょう。全く、理不尽にも程があります。」
喧騒の中で部屋から先に部屋から出てきたのはシルヴィアだった。
呆然と突っ立ったままの咲に会釈すると、彼女はディーナが先程まで居たキッチンに入った。
「本当に...あなたは争いの種しか撒きませんね。」
「え?どういうこと?私が何かしたの?」
「...いえ、何でも。その顔を見たら言葉を飲み込まざるを得ません。」
自分が何の関係もないような、呆けた咲の顔を見たリンネは彼女を背に自身の個室入っていった。
「リンネは何が言いたかったんだろ。」
咲は遅れて自室に戻った。
公車に乗るのも二度目だ。
今度は少し早く出たからか同乗者の数は少ない。
横のエルフは変わらぬ表情で外を見つめる。
一人、また一人と減っていく席を咲は見ていた。
あの特別棟が顔を出す。
誰の目にもつかず、燻り腐った地下へと続く...あの門が。
「じゃあ私は二階ですので。お昼にまた会いましょう。」
リンネはさっさと階上に昇っていった。
咲は一人で開けた更衣室に向かう。
何人かのドワーフがゲラゲラと話していたが、彼女はそれを目にも留めず着替え、地下に向かった。
ドワーフが咲の着替えをじっと眺めていた事を彼女は知らない。
「道具を借りたいんですけど。」
事務的な口調で窓口のドワーフに語りかける。
そこには人間的な情を含んだものは見られない。
「は?なんだその言い方。もっと気力込めて言えよ、やる気ねえのか?」
どういうことなの...?
窓口のドワーフは昨日の奴とは違う。
それなのに咲は圧力の下に脅かされる事となった。
「ん"ん"っ...道具を借りたいのですが、よろしいですか?」
昨日と違う点と言えば、咲がすぐに口調を改めた事だろう。
「やればできんじゃん。そこに名前書いたら持ってっていいよ。」
「まあ、普通は借りずに自分で道具位買っておくんだがな。」
何も言わずに裏手に向かう。
そもそも道具はいらない、と反抗しようとも考えたが彼女はすぐにそれを止めた。
彼女は大きなツルハシと籠を持つと、自分が担当する炭鉱に向かっ
「おい、待てよ新人。」
窓口のドワーフに呼び止められた。
「なんでしょうか?」
「お前今日の日誌読んだのか?確認しとけよ。」
「...すみません。」
「あと、その作業着の着方は規定違反。もっと裾を伸ばせ。」
彼女がそれから黙ったのは言うまでもない。
彼女が昨日の業務で学んだ事は一つ。
『如何に自分が正しく、合理的であろうとも口答えすると厄介な事になる』という事だった。
何も語らず翻さず。
ただじっと咲が黙っていれば、彼らは満足するのだ。
それを癪だと思う必要はない。
小娘に怒鳴りちらして、高圧的であることに満足感を覚える連中だ。
それがその小娘によって与えられた幸福感とすら気付かない程情けない者らに、一体何を思う必要があるのだろうか。
それが咲の至った観念であった。
そして、その観念を実行するために彼女は一つの思いを胸に秘めていた。
『生物は鈍器で殴られると死ぬ。』
うっすらと歪んだ彼女の思想は、これから起こる逃げ場無き二日目を経て、その形を明瞭にしていく。
月宮咲の瞳は、まだいつも通り無気力なままだ。




