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雨だけが知る恐怖

バチュン バチュン バチュン


女神は手元の器具を徒に用いる。

ボールペンの様な形状で、上部に位置するボタンを押し込むと刺が出るようだ。


いや、今はこんな分析は必要ない。


「私の恩恵...?」


「でも残念、それは数秒前までの話。月宮ちゃんに渡す恩恵は無くなっちゃった。」


気絶したリンネへと視線を下ろす。


「察しが良いわね。貴方が授かる筈の恩恵は、貴方を庇ったエルフの体にあるわ。」


エレナは、恩恵を身体の一部に込められたと語っていた。


「偶然って恐ろしいわね...”右目の恩恵”が居なくなったら”左目の恩恵”が生まれたわ。」


「込められた恩恵は身体に由来するのか?」


咲は少しでも情報を得ようと女神に質問を投げ掛けた。


「良い推察ね。身体は関係無いわ、恩恵は対象の人生に由来して私が決めるの。」


「だからエルフの中の恩恵は、月宮ちゃんの人生の総括よ。」


「私の恩恵は一体なんだったの...?」


「知った所で意味がないけど教えてあげるわ。貴方が受け取る筈だった恩恵の名前は”月の涙”。」


「あなたの人生を表す事に最も適した恩恵、暗闇を照らす希望の光でありながら、その光を掴もうとする者を狂わせる。狂気と救済の混在者。」


「かつてのあなたの様に、”月の涙”も周りの人々を狂わせる。」


”月の涙”...効果は不明だが、それがリンネに打ち付けられた恩恵の名だそうだ。


「全く身に覚えの無い評価だけど、宝石みたいな名前だから許してあげるわ。」


皮肉な女神、と呼ばれる所以の一端を感じた。

口ではこう言いながらも、咲は心の中では妙に納得してしまっていた。


「でも、”月の涙”は使えなくなっちゃったわね。」


「事故とはいえこの世界の住人に渡しちゃったんだもの。はあ...そう言うことが無いように変装までしたのに。」


メイドの姿はそう言うことだったのか。

とはいえ、今となってはもはやメイドだったという知覚すら失われつつある。


「リンネは恩恵を使え無いってこと?」


「そうじゃなくてね。恩恵を受け入れる素質が無ければ死ぬのよ。世界を渡り歩いた訳でも無し、このエルフに素質があると思えないわ。」


女神の言葉はどこか軽薄だった。

だからこそ俄には実感し難かったのかもしれない。


今この腕の中で倒れた従者は、既に死んでいるなどという事実を認識出来なかった。


なんとも言えぬ虚脱感の中、駆け寄る足音がした。

危急を感じた、切迫した足音だ。


「『女神』!?どうしてここにっ!」


女王の様なドレスを身に纏う少女に咲は見覚えがあった。

久しい様な気もするが、実際は大した時間彼女と離れて経っていない。


「ビーチュ...。」


「元気そうで何よりだわ、月宮さん。」


ビーチュは咲を見ると同時にリンネの惨状を目に映すと、女神の方に向き直った。


「話が違うじゃない。あんたはこの世界に手を出さない筈よ。」


「事故なんだって、そんな怖い顔しないでよ。」


「事故...?よりにもよってリンネを手に掛けて...みんなあんたのお告げにしたがってるのにどうしてそう乱すのよ!」


「あはは、面白いわね、リディニアで見捨ててた癖に。」


「あ、だから駆け付けたの?」


「やっぱりあんたは好きになれないわ。」


ビーチュの声色には憎しみの色が感じ取れた。


「じゃあどうすんの?”ユ...”、いけないいけない、流石に月宮ちゃんの前でバラすのはフェアじゃないわね。」


「んんっ、じゃあ改めて...ビーチュちゃんは女神()に歯向かってみる?」


好き勝手宣う女神と対称的にビーチュは何も語らなかった。


「うんうん、正解正解。どうせ何も出来ないわよ。」


「随分自身満々じゃない。エルフ一人に邪魔された癖に。」


妙に余裕ぶって見下す女神に、咲は苛立ちを覚えつつあった。


「あれ、さっきまで呆けてた癖に話せる様になったじゃない。」


「それでこそ私が選んだ甲斐があるわ。」


「選んだ? 無差別じゃ無いの?」


「そんな訳無いじゃない。貴方が今この場に立っている事にちゃんと意味があるのよ。」


意味ありげに無駄口を叩いている様には見えなかった。

選別にルールが有ることは事実だと思える。




「じゃあ女神の仕事は終わったから帰るわ。後は頑張ってね。」


一拍置いて女神は他人事の様に言い放った。


「待ちなさいよ。まだ終わって無いわ。」


リンネの生死に肩がついていない。


「まだ質問でもあるの?答えてもいいけど意味無いわよ?」


この女神は無意味という言葉が好きなようだ。

”月の涙”を語る時も『無意味』という言葉を添えていた。


「意味がないなんてよく言えるわね。」


彼女は一体何を以て無意味という言葉を用いるのだろうか。


「言い忘れてたわね。この一件の記憶は、誰の中にも残らないの。今ここで話した事も、なぜエルフが目を覚まさないのかも」


「そして、私が貴方達の前に姿を顕した事も。」


「エルフの中に恩恵があるだなんて思いもしないし、その恩恵がどんなものかの記憶も無くなる。」


記憶が無くなる、その言葉で咲は一つ閃いた事があった。


「記憶が無くなる、認知出来ない。その二つで思い出した事があるわ。」


「あら、言ってみて? エレナの恩恵を打ち破った貴方の推理を、直接聞いて見たかったの。」


推理などという立派なものではない。

ただ思い付きを語るだけだ、と咲は内心思っていた。


リンネをビーチュに預け、女神へと対峙する。


「私は何度かこの現象に遭遇しているの。五年前にエルフの国を訪れた時、そして二ヶ月前の災害の際にね。」


「何かに勘づいても、次の瞬間には忘れてしまう。そして、その不自然さすらも忘れてしまう。」


「同じ能力、同じ現象。つまり...口に出してしまえば至極当然の事と思ってしまうけれど、”恩恵”とは女神の能力が由来してるのでは?」


「...ええ、その通りよ。なんだ、この能力を防ぐ考えでも思い付いたのかと思ったのに。」


「女神にとっては拍子抜けするような事実でしょうけど、私にとっては重要なのよ。」


これで認知に関わる恩恵を持つ転移者が居ることは明らかとなった。

そして、そいつが噴火の元凶に繋がっている事も確かだろう。


「最後に一つ、女神の能力でそこのエルフを助けられないの?」


「万能な女神様よ。出来ない訳無いじゃない。」


「でもそれだとフェアじゃない。」


「何がフェアじゃない、よ。女神の不注意でこんなことになってるんでしょ?」


「万能な女神様が聞いて呆れるわ。エルフ一人に行動を狂わされる低俗な神様なのかしらね。」


「子供染みた挑発ね。でも乗らないわよ。」


「そうよねえ、記憶を無くせるんだもんね。自分の失敗も記憶で消せる...となると、実は万能って言うのは記憶で消してるだけの嘘なのかも。」


この挑発に意味が有るのかはわからない。

それでも、リンネが目を覚ます為に女神の力が必要だった。


まともに頼んでもこいつは耳を貸さないだろう。


「そんなに言うなら万能の片鱗を見せてあげるわ。ビーチュ、そのエルフを寄越しなさい。」


未だに意識を取り戻さないエルフに、女神と自称する存在は近付いた。


「...なんだ、私が手を出す必要なんて無いじゃない。」


しばらく黙ったあと、ポツリと一言残して姿を消した。


「おい女神...って、あれ? どうしてビーチュがリンネを抱いてるの?」


その時には頭の中からつい今しがた起きた出来事の記憶は無かった。

忘れた、という認識すら無いまま時間が過ぎていく。


だが、ビーチュは違うようだ。


「おかしいわ。リンネが誰かから襲われた情報があるのに、それから先の情報がない。」


咲はこの場にビーチュが居る事に何も感じていないようだった。


「何言ってるの? リンネが襲われた訳無いじゃない。ここには誰も居なかったし。」


「月宮さんは何も感じないの? 何かこう...事実が抜けてる実感とか。」


「言われてみれば...何か大事な事を忘れてる気がするけど。


「なら何か起きたのよ。リンネが襲われた事、私が貴方の前に居ることは事実だもの。」


この王城での一幕は、ただただ不思議な出来事として咲の中で処理された。

不自然なほどこの事に興味を惹かなかったのだ。


「まあ、いつか思い出すでしょ。」


リンネが意識不明という事実にすら、咲は何も思わなかった。


「私...どうしてリンネを抱いてるんだっけ。」


居合わせたビーチュもまた、徐々にこの出来事の奇怪性を失っていった。


「気にしたら負けな気がするわ。リンネ~!起きて!」


呆然と立ち尽くしたまま数分が経ち、彼女の記憶の不都合は独自解釈で埋められてしまった。


「咲さんっ!」


最後にエルフが慟哭と共に目覚めた事で、咲の意識は奇妙な出来事から離れていった。


いつの間にか雨が降り始めている事に、咲は気がつかなかった。

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