万病の薬
「...て...おき...起きてっ起きてって...ミルト!起きなさい!」
微睡みの中、久し振りに聞いた姉の声でミルトは目を覚ました。
「お姉ちゃん...?もうちょっとだけ寝かせて...」
「あんたどれだけ寝れば十分なのよ!いいからほらっ!ヤマモトさんが呼んでるから!!」
「わかったから引っ張らないで...お姉ちゃんの馬鹿力だと私の腕引っこ抜けちゃう。」
「引っこ抜けるか!!いいから来なさい!」
「はいはい...。」
まだ現と夢の境が曖昧なミルトは、ロウの手引きによって事務所を進んだ。
「無理に起こしてすまなかったな。」
「いえ、おきになさらず。」
「もっとハッキリ答えなさいよ、全く。」
「まあまあ、ロウちゃん。彼女は何てたってリディニアの英雄だから、ちょっとくらい免じてあげてよ。」
英雄、その言葉だけがすんなりと耳の奥まで入り込んだ。
「え、英雄!?私が!?」
「ああ、月宮とリンネちゃんが言ってたよ。『リディニアの危機を守った英雄!彼女が居なければリディニアは魔獣都市に変わっていたわ!』って。」
「その昨日の事でミルトちゃんから話を聞きたくてね。」
「昨日? あれ?」
外は快晴そのもの、眠った時と同じ天気だ。
「お姉ちゃん...私、どれくらい眠ってたの?」
「昨日の昼頃帰ってきて、そのまま眠ってたからちょうど丸一日ね。」
「もう一日たってたんだ。私スッゴい寝てたんだね。」
考えてみればずっと眠っていなかった。
ヤマモト達と共にあの巨大な塔に深夜から乗り込み、ツキミヤから渡された液体を散布、それから一度塔から逃げ伸びて、ロウお姉ちゃん達を看病。
そのまま夜になって偶然ツキミヤを見つけてついていき、再び塔へと乗り込み、リンネお姉ちゃんにマルテの剣を届けた。
凡そ二日間、一睡も取っていない。
自分の精力にゾッとした。
「残念ながら、私達は昨日の出来事に記憶の混濁を起こしていてね。事態の全容が掴めていなかったんだ。」
「掴めていなかった?」
「現在は、月宮、リンネちゃん、他多数の元フェティマ教信者の証言からほぼ全ての出来事が明らかとなっている。」
「君に確認したいことは一つ。...誰もが疲労困憊の中、たった一人で同胞を無残に殺害された事で暴走し、リディニアを襲った数万を越える魔獣を片付けた者が居たそうだ。君がその当人だね?」
「え?いや、そんな筈は。あの数を私が処理出来るわけ...。」
「謙遜しなくていい、君の行為によってリディニアが救われたんだ。」
私はやっていない、そう言おうと思ったが次のヤマモトの言葉で全てを悟った。
「君のお陰で、リディニアの人間は獣人に消し難い恩が出来た。そうでもなければ起きなかった事態、という事を非常に残念に思うが。」
「少なくとも獣人への差別や迫害を行う人間が減ることは確かだ。」
「リディニアは今、都市としての基盤を失い統治者すら定かではない。」
「自分の持つ常識、良識、思想が揺らがされ、失う事になった。」
「もはや差別を生み出す差すら消え、迫害を推す理由も無い。」
「獣人が酷い迫害を受けていた事は知っている、そして、私はそれを見てみぬ振りで通してきた。」
「本来であれば、君達姉妹とこのように話す価値すらない人間だ。」
「だからこそ、贖罪として新しいリディニアを作っていきたい。」
「差別や迫害無き都市をだ。これから先、君達のような存在を作り出さないリディニアを作っていきたいんだ。」
「だが、一人では出来ない。どうか、この私と共に歩んでくれないだろうか?」
ヤマモトは姉妹に手を差し出した。
この結果がどうなるかはわからない、されど、歴史的な獣人への差別の解消へと一歩踏み出した事は確かだった。
「...という感じで、多分マルテ教内部の問題は解決するんじゃないかしら? 当人次第だけれど。」
大聖堂では二人の転移者が話をしていた。
奏でられる音楽は変わらない。
「なるほど、差別や迫害の無い都市に...。」
「変にこだわって、差別を無くす為に差別を生みはじめたらどうしようも無いけどね。」
「そのときは...エレナさんのお力で思想を変えてやって下さいよ。」
「あなた良くそんな事を軽々しく口に出来るわね。」
幾つもの足音を聞き、ふと入り口の方へと注意を向ける。
体格の良いシルエットが何十も見えた。
「あ、ちょっとごめん。」
咲はエレナに覆い被さるように姿勢を変える。
「オラアッ!!!フェティマの教祖はどこだぁあ!!!」
長椅子を遮蔽物とするために、咲はエレナと体を密着させる。
エレナを隠すための行動だった。
暴徒は感情が高ぶって荒れているようだった。
「死んでねえんだろぉおお!!!てめぇもあいつみたいにグラム13ゴールドで売ってやるからよぉおお!!!」
足音は着実に近づく。
「おっおっおおおおおお!!!見つけたのぜええ!ぶっころ...ってなんだよ、女同士でマルテ様の墓前で至してんじゃねえよ!」
「はあ、行ったわね。全く、エレナは死んだって事になってるんだけど...。」
「私のしでかした事は...例え死んだとしても償えないのかもね。」
「いつまで抱き合ってるのよ。」
「あ、ごめんごめん。」
咲は体を起こし体勢を戻す。
エレナの表情は、暴徒に恐怖したのか少し固い気がした。
「...彼ら、視力が戻ってるみたいだったけど?」
「当たり前じゃない、”隻眼の王”が無くなったらその効果も消えるわよ。」
「ええっ?密造酒の話は!?」
「ああ...あのときは驚いたわね。無意識に漏らした言葉から勝手にどうやって視力を消したかまで連想するんですもの。」
「全く身に覚えが無かったけれど、それで納得してるみたいだったからそう思わせておいたの。」
「咲さん。」
「うあっ...びっくりした、いつから居たのよ。」
振り向くとエルフが一つ後ろの長椅子に座っていた。
彼女の瞳は深く濁っており、疲労の色がうかがえる。
「つい今しがたです、漸くマルテの人間の追跡を逃れて。」
「追跡?」
「貴方がマルテの彫像の顔を私にしたせいで!彼らに逃亡を促した私と速水さんを、マルテとその使いだと思い込んでるんですよ!」
「あら羨ましい。」
「はあ、全く...ああ、咲さんに伝える事がありました。」
「どうしてかわからないけど凄く嫌な予感がするわ。」
「王城直属の喚問です。既に大聖堂前に馬車がつけてあるので、早く顔を出せ、との事のようです。」
「あああ、予感的中ね...五年ぶりの王城か、行きたくない。」
「あら?咲さんにも苦手なものがあったんですねえ、尚更王城に赴かなくてはなりません!」
「じゃあ、マルテの剣を戻したら行きましょう!」
エルフは大聖堂の前に走っていった。
馬鹿力で剣を刺し戻すつもりなんだろう。
「エレナはリディニアに残るの?」
「ええ、行く宛も無いからね。」
「そう...ここでお別れね。」
「存外あなたとの時間は楽しかったわ。」
「そういって貰えると嬉しいわ...じゃあ、またね。」
「...!ええ、また。」
咲の何の行動が、彼女のその感情を引き出したかはわからない。
最後も一声は、驚くほどの慈愛に包まれていたような気がした。
「...いつまで嫌がってるんですか!早く王城に面見せにいきますよ!」
咲は引き摺られるようにして、大聖堂を後にした。
リンネに首を捕まれながら、咲は数時間前の会話を思い出していた。
「なるほどね、昨日の爆発はそういう事だったわけかい。」
付加魔法をかけられた飲み物を一杯老婆から貰う。
彼女の小屋は奇跡的に船の落下に巻き込まれなかったのだ。
強い硝煙の香りのせいで口に含んだ物の味すらわからない。
この場所が半壊すらせず残っている事はまさに奇跡だろう。
「だからもう”恋の病”も無いから安心して、リディニアはそろそろ元に戻るわよ。」
「恋の病なんて...あんたはまだそんな事を言ってるのかい?」
「な、何でよ、言ったら駄目なの?」
「恋に『病』なんて言葉をつけるんじゃないよ。」
「恋は万病の『薬』なんだから。」
「何よ、私と言ってることなんて対して変わらな...。」
最後の答えを閃いた、とでも言うのだろうか。
鮮烈な考えが映像として頭に浮かんだ。
一つ、曖昧なまま終わった出来事がある。
エレナが教祖に成り上がる際、彼女はただの石を高額で売り付ける霊感商法で信者を得た、と語っていた。
つまり、フェティマ勃興の基点は『霊感商法が上手くいった』という偶然の産物であり、エレナはそれを利用したに過ぎない。
だが、もしもこの老婆のように、”恋の病”が薬として作用していたのなら。
エレナ自信も無意識なまま、彼女の恩恵は周囲の人間の健康状態を改善するに至り、信仰を得た。
ならば、フェティマ教という組織は、エレナがいたからこそ生るべくして生った組織であり。
またその組織は、リディニアに蔓延っていた悪習を絶ちきる薬となった。
「ほら、思い当たる節があるだろう?」
「オラッ乗れ!王城行くぞッ!」
乱暴すぎる従者の指示で馬車に乗り込む。
こじつけだと言われればそれまでだ、帰結と前提を繋ぐ証拠もない帰納的な推論だ。
恋に始まり恋に終わる。
リディニアでの一件は、その全てに恋という物の手引きに思えてならなかった。
晴れぬ視界の中で、二つの足音が離れて行く事がハッキリと解る。
既に死んだと思っていた私の心は、一歩づつ遠退くその靴音に苦しみを感じていた。
つい先ほどの出来事を思い出す。
彼女は私を隠すために、私に抱きついたのだろう。
あの時だけは、本当に顔を見れなくて良かったと思う。
彼女の温もりを感じただけで尋常じゃない胸の高鳴りを覚えたのだ、直接見てしまったら彼女にも聞こえかねない程の心音だっただろう。
案外私は、私が思っている程強く無いことに気が付いた。
彼女へのこの思いをいつから孕んでいたのかは覚えていない。
ただ、単純過ぎる程簡単に、この情念を持ってしまった事は覚えている。
何も見えなくなってしまった今では、この感情を持つのも悪く無いかもしれない。
何せ、恋は盲目なのだから。
あの憎たらしい女神の言葉を流用するのは屈辱的だが仕方がない。
...私はブラックジョークにも限度がある事を学ぶべきだと思う。
そんな事を案じていると、ふと身体が軽い事に気付いた。
恐怖や緊張から解き放たれた、弦の緩むような自由を感じる。
見知った懐かしい形見が側に在るからか、彼女の存在が私の中でそれほど大きいからか。
呪いや宿命のように私に取り憑いた孤独の影は、もう私の側には居なかった。




