破れ果てた夢
「あっ...ふぅ...ちょっと疲れた...ええ、ちょっとだけね。」
局地的な災害が襲ったかのように、塔の上層階の損耗は激しかった。
下を見れば滑落、上を見れば青空、と屋内と言うには些か崩落が進みすぎた通路の壁に寄りかかりながら身体を落とす。
横を見ればマルテの像が直立している。
彼女達のいる場所は、不安定極まりない一時の安寧である。
「ここから逃げましょ。」
咲は立ち上がり、未だ座ったままのエレナに手を伸ばす。
「ごめんなさい...今になって痛みが追い付いて来た。」
エレナの身体は、 人間 に戻りつつあった。
「さっきまで普通に歩いてたじゃないの。」
教祖は答えない。
「はー...おぶってあげるわ。とにかく、バベルから離れましょ。」
「ありがとう...。」
少女の声に活力は無かった。
死が近いから、重症を負ったからではない。
彼女の消失によるものではなく、又何か別の大きなものが消え失せた、そんな声だった。
(うおっ、遠目から見てても思ったけど...随分肉付きがいいな。良い物ばっかり食べてたんだろうな。)
「あの、何も言わないで聞いてもらえるかしら?」
「やっと何か話す気になってくれた?」
背負ったエレナが耳元で語り始めたのは、バベルの塔の下層近くになってからだった。
「...。あなたもこの世界に来たときに、女神から恩恵をもらってるから知ってると思うんだけど。」
「恩恵って身体の一部分に与えられるのよ。」
「その人間にとって最も必要なもの、その部位に恩恵を込めるそうなの。」
「女神が私に込めた場所は眼球。それもまだ見える方のね。」
口を出そうとして堪えた。
「ふふっ、抱き付いてるから貴方が何を思ったのか大体予想がつくわ。」
「私が両目を失った時点でね...この戦いに負けたのよ。」
彼女の告白は敗北宣言だった。
「恩恵が無くなったと同時に、あなたを一突きでえぐるような腕力とか並外れた瞬発力も消えていった。」
「痛覚も全く無かったはずなのに...恩恵がなくなって初めて、自分の足が折れていたと気づいたわ。」
「存外呆気ない顛末よね、実は少し前に勝負は決まってたなんて。」
「咲...だっけ?ごめんね...最後の最後に応援してくれたのに、私を助けてくれたのに。」
「バベルの塔は可能性の象徴なのにね。」
「私の夢を叶える事が出来なかった。」
塔の下層広場から、関所への道へと下る。
炎がいまだ燃え盛り、辺りは戦場の一風景と化していた。
彼女が叶えたかったはずの夢は、結局彼女が取り除こうとしたモノによって崩された。
暴力、武力、兵力、それらが生まれた背景はなんだっただろうか。
思想や良識が統一されれば、結果として人の内面による差違は消失し、一人の人間が世界中に生まれる。
他人という存在はその役割を捨て、副産物である競争も姿を消す。
きっと彼女が叶えたかった世界はそういうものだ。
戦争という概念の消失であり、千年の孤独の始まり。
だが、誰しもがこの可能性の恐怖にすぐさま勘づく。
たった一人の人間以外の、人間性の消失である。
平和という難題を解決するための犠牲としては天秤に釣り合わないのだ。
それでもエレナは、この天秤を平和の側へと強引に傾ける手段を手にいれていた。
彼女が人間性を残すたった一人となる、という条件付きの力だったが。
顛末を見れば外部からの、いや、片側の天秤による妨害という形に見える。
しかし、少なくとも『私』はもう一つ、彼女すら気づけていない裏があるように思えて仕方が無かった。
「もう話しても良いかしら?」
沈黙の中で咲はエレナに言葉を向ける。
「なあによ、私の力不足への不満は聴かないわよ?」
「あなた...本当はわざと負ける様に仕向けたんじゃないの?」
「そんなわけないじゃない。好き好んで自分の目を差し出す奴がどこにいるのよ。」
「幕引きが偶然そうだっただけよ。どんな結末にせよ、あなたが負ける様に差し向けたんじゃないの?」
背負ったまま走り続けるのは身体に応える。
景色は建物の無い荒野から、人の集まる都市に変わり始めていた。
「いえ...そんな事は無いわ。私、手を抜いたなんて一分も思っていないもの。」
「じゃ、私が言うことも何も言わないで聞いてほしいわ。」
「心地よいリズムだから、眠ってしまったらごめんなさいね?」
「はー...。」
「始まりは”恋の病”よ。」
「あれは”恋の病”が一体なんなのか、そしてその対抗策を見つけなきゃ勝てなかった。」
「”恋の病”の本質は、結局リンネの状態から魅了だと概ね把握できたけれど。」
「対抗策に関しては、あなたの言葉がヒントになったわ。」
「『神話を見ろ』、この言葉で私はマルテの剣っていうアイテムを得られた。」
「他の誰かから情報得た可能性もあるけれど、マルテの剣に関してはあなたの言葉で最初に繋がったわ。」
「それに、”恋の病”に嵌める為とは言え私に情報を渡したり、礼服をくれたり...催事に関しても教えてくれたし。」
「加えてマルテの大聖堂であなたと出会って話さなければ、ビーチュがエレナ側だなんて思わなかったわ。」
「”隻眼の王”でも、色々教えてくれたし...あそこで得た情報って大体エレナがやった事からだもの。」
リディニアに脚を踏み入れた。
辺りは銀に輝く十字架と頭を抱え込む信者で溢れていた。
”秩序”が消失して混乱しているのだろう。
「それは...単に私の詰めが甘いだけよ。」
「ま、でもあなたの言う通りかも。」
「無意識に何かに責務を感じたのか、恐怖したのか...はたまた正義感を宿したのか。」
「自分の行動のせいでこうなってしまった、と割り切った方が楽ね。」
咲は目的の場所に辿り着くと、ゆっくりと背負った客人負荷がかからないように下ろした。
「えっ!?何?どうして下ろすの!?」
「大丈夫、安心して。」
「えっ...ってこの音楽って。」
咲がエレナを運び込んだのは、亡きマルテが眠っていた大聖堂だった。




