平和への解答
バベルの塔、初めて見たときからその存在は嫌でも認めなくてはならない構造物だった。
最初はただ似ていたからという理由で咲が呼称したが、その推察は後に正しかったと結論付けられた。
またエレナとの闘い、フェティマ教への挑戦においてこの塔は必ずと言って良いほど絡みつく。
教祖は一体何を思ってこの塔を建設したのだろうか。
「”新世界秩序”...?」
「人間は...相も変わらず世界を飛び越えてもその本質は変わらない。」
「自分が何を信じ、何を考えて、何を行動するのか、そしてその評価を得たがる者だ!」
「それだけならまだいい、でも、こいつらは下された評価を盾にして、外れた人間を切り捨てるじゃない!!」
「愚か...ええ、本当に愚かだわ!!」
「でもね、”新世界秩序”が始まれば、別離や差別という概念は消える。」
エレナの発する恩恵の名称に咲は聞き覚えがあった。
「”新世界秩序”、もしも私が知っているものと、そう違わないのであれば__」
「その言葉の意味は、思想や信条を始めとした人間の持つあらゆる差異の統一。」
「よく知っていたわね。その通り、正解よ。」
「鐘の音が聞こえるでしょう?」
「これはね、聞けば聞くほど人間の内面を書き換えるのよ!」
「私が設定した良心や常識にね!」
「そんなの...人間なんて呼べないだろ!!」
速水が斬りかかったが、剣先は届かない。
剣の長さが問題ではない。
速水の踏み込みが浅いのだ、エレナから一歩離れて剣を振り下ろした。
「人間なんて呼べない...?曖昧な差をわざわざ浮き彫りにして、排他するのが人間だとでも!?」
「私はね...元の世界でいやという程人間の愚かさを知らされたのよ!」
「言うなればこれは復讐よ!!」
「嘘で満たされた、宗教という形は人間を扱う手段としては最良だったわ!」
「始まりは霊感商法、恐怖と安堵を与えて信頼を得たの。」
「フェティマなんて居やしない神に容易く鞍替えして...結局こいつらが元々信じてたマルテもその程度の存在なのよ!」
「終いには、中身なんてあるわけ無い儀式に心酔して...本当に人間は底無しの愚か者よ!!」
「フェティマ教の人間は、エレナ・フィッシャーという一人の人間の手のひらで転がされいたに過ぎないの。」
「復讐...だから、バベルの塔を建てたのね。」
「そういえば...咲さんはこの塔の名を知っていましたね。」
「元の世界じゃ有名なのよ、この塔。」
「人間の身の程知らずさを示し、人間の愚かさを表した構造物...それがバベルの塔よ。」
「愚かさを示した...。」
「私の指先通りにバベルの塔を必死に建てる人間の姿は滑稽そのものよ。」
「良い?あいつら人間はね、誰かが上に立って道を示さないと、ろくなことをしでかさないのよ!」
「だから私が支配し管理する。すべての思想、知識、良心的、常識、信条は私が決めたスケールにおさめてあげる。」
「形さえあれば意義や中身なんて物は人間にとって必要ないのよ。」
「全てが一つになるのなら争いは起きない...『この世界を平和にせよ』という命題の答えはエレナにとってこれなのね。」
「これが答えな訳ないだろ!!どんなに一つにまとめても、”恋の病”での咲のように、必ず例外が存在する!」
「”新世界秩序”が異常だと気がつく奴が必ず出てくるぞ!!」
「大丈夫よ、”新世界秩序”が”恋の病”と異なる点は、積極的に異端者は排除する事。」
「足元を見なさい。」
「錯覚じゃない...少しづつ元いた場所から離れてる!」
「ある程度の実力を持ち合わせた者は、『バランスブレイカー』と認識されて”新世界秩序”の内部から弾き出されるの。」
「ビーチュの言っていた事が当たったな...掌握が失敗すれば、次は排除か。」
「それと、お別れの餞別にもうひとつ教えてあげる。」
「”新世界秩序”に曝された者は、ある一つの行為を価値を見いだすようになるの。」
「そして、その行為は”新世界秩序”の領域を広める効果があるわ。」
「新世界は際限なく広がり続ける。リディニアを飲み込み、領土を飲み込み...最後には世界を飲み干す。」
「弾き出された者は、いずれこの世界に居場所を失って消え去るわ。」
「後に残るのは、私が決めた定規を満たす者のみ。速水君が一縷の望みをかけた例外はちゃんと処理されるわ。」
「さあ、楽しいお話はおしまいよ。」
「さようなら。精々、外の世界で指を咥えて生き延びなさい。」
速水とエレナを遮る壁は、次第に広がっていく。
ゆっくりと熱を帯びるように。
リンネもまた『バランスブレイカー』として認められたのだろう、徐々にエレナから離れていく。
「ええっ!?私も?」
「...私、さっきから全然立ってる場所変わんないんだけど。」
だが一人、いや二人...ミルトと咲は選別から免れたようだった。
「咲ッ!!」
速水は咲目掛けてマルテの剣を投げた。
残ったお前であいつを斬れ、という意味なのだろう。
受け取った時、速水の姿は無かった。
間もなくしてリンネの姿も消失した。
咲はじっと手に持った剣を見つめた。
「どうやらあなた達は新しい世界に迎え入れられたようですね。」
「とはいえ、まだ書き換えは済んでいないでしょう。」
「抵抗の意思も残っていると認識いたしますわ。」
「ミルト...マルテ様の剣を持って逃げなさい。」
「え?」
「私達が残ったという事は、エレナに勝ち目が無いと言うこと。」
「今ここで徒に歯向かうよりもリンネと合流すべきよ。」
「それに、内部にいたんじゃ書き換えも始まるからね。外まで逃げ切ればなんとかなるわよ。」
「ツキミヤはどうするんだ?まるで私だけ逃がすみたいな口振りだが。」
「私は...うん、大丈夫よ。」
「わかった...!また生きて会おう!!」
ミルトは崖から飛び降りた、行きの階段を使うつもりなのだろう。
「よし...行ったわね。」
「また時間稼ぎのつもり?打開策なんてあるわけ無いじゃない。」
「そんなんじゃないわ。...降参よ、降参。」
「は...?」
「もう戦う意思も理由も無いわ。だから、降参。」
「い、今さら何を言ってるんです!?信じられる訳無いでしょ!?」
エレナの興奮と対称的に、咲はいたって冷静だった。
なにもない塔の広場に木製の長椅子を造る。
「は~...。」
身を預けるように腰掛けると、彼女は漏らすようにポツリポツリと話を始めた。
「私ね、正直この世界の人間がどうなろうが知ったことではないのよ。」
「じゃあ何故フェティマ教を潰そうと?」
「速水とビーチュ...あとリンネに頼まれたから。」
「彼らはリディニアの人間を守るって意志があったからね、私はその意志に協力しただけ。」
「私は彼らと違って、大勢の誰かの為に動くつもりなんて無いの。」
「元々、エレナと敵対したのは、私を頼みにした者がエレナの敵だったからよ。」
「私自身に敵対の意志はそもそも無かった。」
「なんで...もう他人事みたいな顔してるんです?貴方はまだ渦中にいるんですよ?」
「他人事よ。だって邪魔するつもりなんてないし。」
「私にとってみれば、ビーチュの思惑も速水の努力も、リンネの願いも...エレナの野望も同じものよ。」
「全て報われ、成し遂げられるべき、人間の可能性よ。」
「まあ、私の依頼主は”新世界秩序”の効果でここにいないからさ。」
「なんだったら今からでもエレナに協力するわよ。あ、もう詰めの段階だからする事なんてないか。」
咲の言葉は、その全てが真実だった。
この場を切り抜ける為の詭弁では無かった。
「良いじゃない、人間を支配するなんて...恩恵を授かったからこそできる事よ。」
「本当に諦めると?」
「ええ、諦めたわ。こんなに完成した能力、一部の隙すら見えないんだから彼らもいずれ諦めるでしょ。」
こうして、月宮咲の降伏によって内部の反抗者は居なくなった。
「ビーチュ!!交渉は片付いたか!?」
「ええ、たった今ね!話はすべて聞いたわ!」
「最終手段よ!王国の兵器を以て、あの塔を打ち砕く!!」
外部の人間はまだ反抗の意思を残していた。
そして彼らは兵器による破壊工作という、考えうる結末において最も最悪の道へと踏み出そうとしていた。




