託された者
「咲はパチリと目を開けた。」
「胴体だけを起き上がらせて辺りをを見渡す。」
「違うな、今は『咲』じゃなくて『私』か。」
『咲』が身を投げた塔を見あげた。
西日で目が眩む。
遥か遠い頂きから、彼女はリンネを助ける為に賭けに出たのだ。
「やるじゃない、咲ちゃん。ちょっと見直したわ。」
「それにしても、よく教祖の恩恵を当てられたわね...同じ景色を見てた筈なのに見当もつかなかったわ。」
私はずっと咲の行動を見てきた。
見てただけじゃない、彼女の身体を借りたりもした。
と言っても自由自在、好きな時に借りられる訳じゃない。
月宮咲の意識が喪失、停止した場合、もしくは月宮咲本人が『私』に貸してくれた時。
そのときは『咲』ではなく『私』として動いていた。
前者の場合で言えば、エルフの国を火山が襲い、そこから逃げる際。
試作品である脱出用の馬車を得る為に『咲』の家に行く必要が合ったが、到達寸前で『咲』の意識は途絶えた。
彼女が次に意識を取り戻すまで繋ぎとして働いたのが『私』だった。
恐らく今回は前者と後者、どちらの条件も適用されたのだろう。
立ってみると身体が完治していることがわかった。
エレナに砕かれた骨も、潰された臓器も、溢れでた血液も元に戻っている。
天空から叩きつけられて木っ端微塵となった身体も、繋ぎ目の一つも見えないほど完成に近かった。
「『私』の仕事は終わっているようね。あとは咲ちゃんが目を覚ますだけ...か。」
「リンネちゃん大丈夫かしら...多分咲ちゃんに薬を飲まされたのよね...。」
初めて麻の群生地を見つけたとき、リンネは薬の副作用で動かなくなってしまった。
そんな時、『咲』は『私』に貸与し、リンネを小屋まで運ばせた。
今回も同じ事だ。
リンネは咲によって媚薬の海に溺れ、極度の興奮状態に陥り意識を失った。
”恋の病”のエレナに抱きついていたのだ。
媚薬と恩恵の相乗効果によるそれは、脳機能に重大な負荷をもたらしていただろう。
「...?」
気のせいか。
風の音かも知れないが、叫び声が聞こえた。
「あああ...ああああああああ!!!!」
気のせいじゃない。
完全に聞こえた、それも頭の上から。
「製造...セーフティネット!!」
「わふんっ!」
「あ...咲さん、ありがとうございます。」
周りに木が生い茂っていて助かった。
『咲』の作るものと比べると、杜撰さが際立つが今は気にしない。
「あなた...あの高さをよく飛ぼうと思ったわね...。」
少なくとも咲は『私』という命綱があったからこそ飛んだはず。
リンネには担保となるものはなかった。
「ははは...下に咲さんがいることはわかってましたから。きっと助けてくれるかなって。」
「まあ、本当は痛みが苦しすぎて考えるよりも早く飛んじゃってましたけど。」
「痛み...紋章の効果が出たってことは賭けに勝ったのね。」
「って、よく私が下にいるってわかったわね。」
「痛みで目を覚ました時、ほとんど寝ぼけてたんで何も考えられなかったんですけどね。」
「視界の端にキラキラ光るものがあったんで、それにすがってみたら神殿から出られたんです。」
「でもまだ光の道は続いてたんで追ってみたら、教祖と信者が一ヶ所に集まってるではないですか。」
「ちょうどその時、激痛が加速的に増していたんで多分教祖のいる所から落ちたんだろうなって思ったんです。」
咲はエレナに砕かれた酒瓶を治さなかった。
見ていた時は何故かと不思議に思ったがこれで解けた。
砕かれたガラスで道を作っていたのだ、リンネが逃げる為に。
「咲さんが送った死地とはいえ、咲さんのおかげで助かりましたよ。」
「え、ええ!当然よ!私は転移者なのよ!!」
こんな感じでいいだろうか。
別に隠す必要があると思えないが、咲のフリをしていた方が面倒はないはずだ。
「はあ、何でもいいですけど。どうします?もう一度教祖の所まで行きます?」
「ヤマモトの事務所まで行きましょう。あそこなら安全でしょう。」
「ただいまあ...。」
「まさかリディニア中の信者が襲って来るとは...。数が多いだけだと思ってましたが、あれほど脅威になるとは。」
リディニアの様相もまた、”恋の病”から一変していた。
信者の誰もが武器をもち、徘徊する狂気の都。
音を少しでも発せばすぐ襲われる、元の世界で見た映画と同じ目に合うとは思わなかった。
あちらは家屋であり、こちらは都市の一つでスケールは比較にならないが。
「同じ狂気でも、まだ停滞に落ちていた方がマシだ。」
ふとした時にそんな言葉を吐き捨てるほどだった。
狂気の綱渡りを歩ききっても『咲』の意識は戻らない。
事務所の最上階より一つ下の階、大広間を開けると見慣れた顔触れが瞳に移った。
「月宮、無事だったか。」
速水は疲れた様に、無意識に歓迎の言葉を呟いたようだった。
「ビーチュの容態は?姿が無いけど。」
「ああ、ビーチュなら...。」
「無事よ。ちょっと化粧治しに行ってたの。」
「元気そうで良かったわ。」
「迷惑...かけたみたいね。正直、ついさっき夢から覚めたみたいな感じで、よく覚えてないの。」
「あなた...月宮さんと会うのだって初めてなのよ。記憶が無くて。」
記憶の混濁、”恋の病”に当てはまる症状だ。
「今日あったことは?速水から聞いてる?」
「ビーチュが起きてから直ぐに話したよ。エレナさんの恩恵の事もな。」
「そう、手間が省けたわ。」
「...少し、休ませてもらうわね。」
「ああ、分かった。下の階にベッドが用意してあるそうだ。」
彼ら彼女が、今すぐにでも次に駒を進めたい事は理解しているつもりだ。
されど、『私』が月宮咲として動くわけには行かない。
せめて『咲』が意識を戻すまでは、あまり事を進めるべきではない、そう思った。
簡素なベッドに腰かける。
リンネはヤマモトに助力して、括りつけられていた獣人の看護にあたるそうだ。
「ああ、よく眠れそう...。」
アタッシュケースを枕元に置く。
願わくば、次に目を覚ます時には『咲』であって欲しいものだ。
「...?。」
微睡みの中、目を少し開ける。
薄暗い部屋の中で一際濃い影が動いているのがわかる。。
影を進む人物は、『私』が寝るベットの枕元に立つと、囁くような声をあげた。
「ツキミヤサキ様ですよね...?」
「わたし、ミルトの姉です...少しお話があるのですが...。」
『私』の時間は、まだ終わりそうにない。




