鉄の女王を侵す毒
「エレナの恩恵が...まあ、概ね推測の域を出ないとはいえわかったけど。」
「フェティマ教の瓦解への一歩にはなりませんね。むしろ遠退いたような。」
リンネも同じ意見のようだ。
広範囲無差別に掛かるチャームの効果で人々がフェティマ教を信仰しているのなら、そこに打開策はない。
むしろ信仰がエレナによって強固にされているとわかっただけだ。
「とにかくビーチュの所に戻りましょ。石を砕いたぐらいじゃフェティマは瓦解しないでしょう。」
「ビーチュも教祖の恩恵は大体予想がついてたのかな。」
リンネはベッドから出ると、少し背を伸ばして筋肉をほぐした。
「話を聞いてたけど、あんたたちフェティマ教を潰す為に動いているのかい?」
「ええ、そうよ。マルテの人を救うためにね。」
「そうかい。」
「そうかい、って嫌に淡白ね。フェティマ教が無くなるって事はマルテの聖地も戻るって事なのよ?」
「私はリディニアに住むマルテ教の人間と合わなくてね、だからこんな辺境に暮らしているのさ。」
「ふーん、マルテ教も一枚岩って訳じゃないのね。」
「私はフェティマ教に聖地が奪われた、とは思ってないんだよ。」
「場所なんてどこでもいいんだ。ただ、そこにマルテ様が居てさえすれば。」
「ビーチュ~!私よ~咲よ~!あーけーて!」
老婆の小屋を後に、今はリディニアのビーチュの部屋の前にいる。
最近、誰かを尋ねる事が多い気がする。
「開いてるぞ。」
低い声が聞こえる。
応じたのは速水だろうか。
「あら、今日は執事服じゃないのね。」
「昨日限りのコスプレさ。今日はどうかしたのか?」
「ビーチュちゃんが啖呵切った計画の方はどうなってるのかなって見に来たのよ。」
「昨日言っていたことで全部だと思うぞ。」
「は?正面から突っ切って石をぶっ壊すだけってこと?」
「綿密な計画なんて企てるだけ無駄なんだよ。」
「一年間やってわかったんだがな、あそこは多分武力で突っ込むのが一番手っ取り早い。」
「じゃあ...なんで今までやらなかったのよ?」
「必要な軍事力を集めるのに手間取ってたんだとよ。」
「今回武力行使に移るのは必要な兵器が集まったってこと?」
「俺と月宮、あとリンネ。転移者補正の掛かった人間が二人と見る限り能力が桁外れのリンネがいれば、多分塔の信者は手も足もでない。」
リンネは力になるだろう。私はどうだかは知らない。
「確かにそうだけど...まあビーチュと速水がそういうならいいか。」
結局ビーチュは暴力に訴える事にしたようだ。
この際、フェティマ教を処理出来れば何でもよかったのだろう。
彼らがそう結論を下したのなら、今さらエレナの恩恵をどうこう言う必要もない。
恐らく石を壊しても無駄だ、と伝えた所で彼らは考えを改めないだろう。
「で、ビーチュは今どこにいるの?」
「そこの部屋の奥居る...」
バタンッ
速水が言い終わるかいい勝負だろう。
思いっきり扉が開いた。
「今お目覚めかしら?ビーチュちゃん?」
「来てたのね。おはよう。」
「もう昼過ぎだぞ。」
ネグリジェ姿の高慢な女王がそこにいた。
眠たげな目であくびをしている、もう一度真っ裸にさせようか。
「そういえば、昨日は塔に行くのは私とリンネだけだったけど速水も行く事になったのね。」
「ああ、俊一から聞いたのね。あんたたち二人だけだと少し不安だから、不屈の男を護衛につけさせてあげるわよ。」
「計画は馬鹿正直にバベルの塔を登って石を壊すだけでいいのよね?」
「正解正解。好きでしょ?蹴って殴って暴れるの。」
「多分石に近づいた時点で乱闘にはなると思うけど、戦力的に天地がひっくり返っても負ける事はないから。」
「ふあああ~。もう少し眠るわ~。」
「緊張感無いわね。」
「じゃあリンネ、今日明日は観光でもしましょ。」
エルフは目を爛々輝かせている。
小遣いくらいはビーチュは出してくれるだろうか。
「ビーチュちゃん、私すこーしリディニアを観光したいんだけど?」
「は~。俊一、出してあげて。」
彼女に溜め息を吐かれるのは何度目だろうか。
私は速水から金貨十数枚が入った小袋を手に取るとリンネを連れて逃げ出すように部屋を出た。
「大聖堂の場所は~。」
裏路地でアタッシュケースを広げ、リディニア周辺の地図を拡大する。
賃金をもらったお陰で、臨時の薬屋を営む必要は無さそうだ。
「あ、ここからすぐ近くだわ。」
「あの、本当にあんな計画でいいんですか?凄く杜撰というかなんというか...」
「いいんじゃない?彼女達がああ言ってるんだし。」
「なんかふてくされてますね、咲さん。昨日何かあったんですか?」
「...私はビーチュの駒として動けばいいんだって。余計な事はするなってよ。」
「ああ~、だから咲さん躍起になって教祖の能力を探ってたんですね。」
「対抗心を抱くなんて人間らしい事もできるんですね、私は嬉しいです。」
「あ?」
「だ、だって咲さんって基本的に無気力無関心で、誰かの意見に巻かれるタイプじゃないですか。」
「今回のフェティマ教の件だって、私からお願いしなきゃ断ろうとしてましたよね?」
本当に良く見てるなこいつは。
「悪かったわね、無気力無関心で。問題がはっきりと明示されないと動けない人間だって居るのよ。」
そんな台詞を何かの本で読んだような気がする。
「咲さんの哲学にどうこう言うつもりは無いですからご安心を。私達はあくまでも奴隷と主従なんですから。」
時折この姫は人の心を見透かしたような目を向ける。
いろんな表情を持つエルフだ、と良く思う。
「人の心を読んでないで、時間無いんだから行くわよ。マルテ様が眠る大聖堂はここの裏手にあるみたい。」
アタッシュケースを閉じると、私はリンネを背に歩き始める。
別に特段急ぐ必要は無いのだが。
「あっ!?」
「どうした嬌声なんか挙げて、また盛り始めたのか?」
「またって、私常日頃から発情してる訳じゃ無いですから。むしろエルフって高潔な存在で...。」
「わかったわかった。どうかしたの?」
「あ、いや、今ビーチュさんが居た気がしたんですよ。」
リンネの先には人気のない裏路地だけである。
「今度はビーチュに惚れたの?エレナに惚れたり、本当に見境無いエルフね。」
「ちーがーいーまーす!!ただの見間違いでした!」
ふくれっつらでリンネは私の後ろに続く。
刺されないか心配だ。
「ここが大聖堂。ホワイトハウスくらい大きいわね。」
「なんですか?ホワイトハウスって。」
「そういう建物が私の世界にはあったのよ。建築様式も少し似てるような。」
180度、放射上広がる大階段を上った先に目的の大聖堂は鎮座している。
マルテの神が眠っているとあって大聖堂の外ですら重たい雰囲気に包まれている。
入り口を突き進むと、アタッシュケースの情報で見かけたマルテの肖像画、そして神話が描かれている。
背後に黒い六つの盾を浮かべ、両手で握る剣は天を貫いている。
肝心のマルテの表情は黒い影に覆われて見えない。
「でっかいわねえ。バベルの塔と同じくらい大きいんじゃ無いの?」
「これが...人類の女神...マルテ。」
横のエルフは感慨を受けているようだ。
エルフにも味方した神がいたのだろう。
肖像画の下には、両開きの装飾を施された扉が開いている。
大聖堂の内部は薄暗く、教会の様に真ん中に大きな通路が敷かれ、左右にいくつもの長座席が設けられている。
オルガンで奏でられたような厳格な音楽が辺りに響き渡っている。
「剣、マルテ様の剣は...?」
「咲さんっ咲さんっ。」
細々と耳打ちするような声でリンネは私を呼ぶと、服の裾を引っ張った。
「あれ...フェティマ教の教祖じゃ無いですか?」
リンネが指差す先には、幻覚ではなくシスターの様な服装の女性がいた。
「あれ?でも、今容態はどうなの?」
リンネの表情は塔での苦しみとうってかわって良好そのものである。
恋の病を撒き散らす病原体がすぐそこにいるのであれば、この場で膝をおるほど苦しみ喘ぐと思うのだが。
「何も感じません。苦しくもなんともありません。」
「まだ解いてない要因が残ってる?」
「とにかくリンネはそっちから回って私は反対側から座る。」
「挟み撃ちにするんですね、わかりました。」
私は真ん中の通路から、リンネは長椅子と長椅子の間の小さな通路を歩いてエレナの元に近づく。
「横、いいかしら?」
もしかしたらエレナでは無いのかもしれない。
しかし、すぐ横に座るとその疑念は晴れた。
私がエレナの右隣に座ると同時に、リンネは左隣に座った。
エレナは退路を失った。
「こんなところで会う何て奇遇ね。エレナさん。」
五芒の星をその身に施す隻眼の女性は何も語らない。
「私、あなたとちょっとお話したい事があるの。付き合ってくれるかしら?」
「せっかくのお誘いを断るのは無粋ですわね。私もあなたにお聞きしたいことがあるの、月宮さん。」
相変わらず柔らかな微笑は崩れない。
「ここの音楽...元の世界を思い出しませんこと?」
先に口を開いたのはエレナの方だった。
「オルガンみたいよね。頭に響いて不快だわ。」
「あら、オルガンが不愉快ですの?それは珍しいですね。」
「私の住んでいた場所では神聖な音楽を拒絶する者は悪魔に魅入られた、と言われていたんですよ。」
「はは、悪魔ね。でもそれって迷信よ。」
「夥しい数の人間をたぶらかしたあんたは何も感じて無いじゃない。」
「たぶらかした、なんて酷いお言葉ですわ。私はただ、フェティマの教えを広めただけですわ。」
「鉄の女神の教えをね。じゃあ、その教祖のあんたは差し詰め鉄の女王様って訳ね。」
「どう言われても構いませんわ。まあ、その言葉は私を称える言葉として受け取っておきます。」
「ま、女王なんて言っても無差別に撒き散らす下品な魔法で囲いを作った虚像に過ぎないけれど。」
「エレナ・フィッシャー、あんたの恩恵は魅了の魔法を撒き散らして人を恋に落とし、手駒にする能力だな?」
「あんたが作ったフェティマ教は、その自分の能力を隠す為のフェイク。フェティマへの信奉と、自身への恋情を勘違いさせる為の物だ。」
「ふふっ、フェティマ教を私の能力の隠れ蓑のために作ったとでも?」
「違うのか?」
「さあ、あなたが思うならそうなんじゃないですか?」
「鉄の女神に従事する女王として、私は私がすべき事を為すだけです。」
「みんながみんなあんたに付き従うとは思わない事ね。」
「はい?」
「あんたがどんなに人を支配しようとしても、抗う者は出てくるわよ。」
「リディニアの大部分は支配したのかもしれない、でも、裏側までは掌握しきれなかったようね。」
「ふふ、私が得ようとする訳じゃありません。彼らが私が欲すると考えた物をを差し出すんですよ。」
「リディニアは...マルテの人間が自ら手放したとでも!?」
「リディニアの、表も裏も...私は望んだ訳じゃないんですけどね。」
「二日後の催しでは一体何を差し出してくれるんでしょうね?」
「恋に落ちた人間は、愛を得ようと何物でも犠牲にするんですよ。自分が幸せになるために。」
ねっとりと、蛇がカエルを前に舌舐めずりをするように耳元で彼女は語りかける。
「はっ、二日後とは言わずに今貢いであげるわよ!」
肩にかけた小さなバッグに手を突っ込む。
小さな袋の包装された劇毒が手に触れた。
「これ、どうぞ。リディニアの大通りで買ったの。」
「あら、珍しいお花。」
「ジギタリスって花、餞別に送ってあげる。」
「扱うのには気を付けてね、それ全体に強い毒を含んでるから。」
「御忠告どうも。」
「あなたのお話は終わりかしら?それなら、そこを退いて欲しいんだけど?」
「あんたも私に用があるんじゃないの?」
「ああ、そうでしたわ。」
「私、名前からわかると思うのだけど、元の世界では貴方とは住む国が違ったの。」
「でもね、日本という国について一つだけ思い出した事があるのよ。」
「それが偶然貴方に関係していてね。」
「狂人月宮家って、ご存知かしら?あなたのお名前と同じなの。」
「何でも日本の裏側を支配する正体不明の一族らしいのよ。」
「純正なる神を顕現させるって目的だけはわかっているらしいわ。」
「知ら...無いわ。陰謀論紛いのバラエティ番組で見たのかしら?」
「良くわかったわね。深夜にやってたマニアックな陰謀論を扱う番組よ。」
「あんなの真に受けない方がいいわよ。」
「ふーん、そうなんだ。」
「じゃあ、二日後に塔の最上階で待ってるわね。楽しみに待ってるわ。」
エレナは立ち上がると、呆然とする咲の前をすり抜けて大聖堂を出ていった。
大聖堂にはリンネと咲だけが残され誰が奏でているのかもわからないオルガンに似た音が重厚な音楽を奏でていた。
月宮咲は、しばらく動けなかった。




