月に近づく黒い星
「前来た時と比べ物にならないくらい人がいるわね。」
聖書のバベルを模したであろう塔の門には人が列をなしている。
リンネと咲は塔の潜入に息巻いたものの、巡礼に赴く人の前に意気消沈していた。
「この人の多さを見ると思い付くのは祭りなどの催しで集まった、とかですかね。」
「偶然にもハレの日に来ちゃったって事かしらね。」
「フェティマ教の知識は私にはありませんのでわかりませんけど...一体どんな意味合いの行事なんでしょうね。」
フェティマ教は転移者による宗教である。
リンネが詳しくないのは当然だろう。
「それを調べる事も今回の目的なのかも。」
「なるほど...まあ、人が多ければ潜入はしやすいですからね。」
「でもこの人の多さは異常だわ。私も転移者なのよ?並ぶ必要ある?」
「露骨にあきれた顔するのやめて。」
「咲さんって、自分が転移者な事結構誇ってますよね。」
「だって異世界から来たのよ?未知の知識を持ってるのよ?」
「なのに...私が転移者でも優遇された事がないのはなぜかしらね...」
「昨日の夜ビーチュさんと速水さんが話してましたけど、この五年間はこの世界でかなり優遇されてたらしいですね。」
「は?嘘でしょ?」
「咲さんも聞いてたじゃないですか。恩恵のお陰で随分楽しめたそうですよ。」
「あっれ~?覚えてないな...」
「不死身と情報収集に長けた能力と違って咲さんには恩恵が無いんでしたっけ?」
「転移する時に女神と会うらしいんだけどね。私はどうも、女神に会わずにここに来ちゃったのよ。」
「あ、そういえば。どうして製造業のスキルを恩恵だなんて見栄はったんですか?」
「...なんとなくあの二人に情報を与える事が怖かったのよ。特に理由の無い直感だけど。」
「...?。そうですか、まあ咲さんがそう思ったんなら何かしらの事情があるのかも知れないですね。」
「あ、ねえ。私昨日の夜の事覚えてないんだけど、二人がこの世界に来てからの事とか話して無かった?」
「それについては」
言の葉の途中で突如として列は動きだし、話の枝は折れてしまった。
塔の門前より遥か先まで続く人列がみるみる短くなってく様は、圧巻であった。
丁度塔の最低部で並んでいた二人は、二日前に騒ぎを起こした門前で検査を受ける直前まで歩を進める事が出来た。
「ねえ、あの検査官」
「会うのは三度目ですね。咲さんと何か縁があるんじゃないですか?」
「ブローチを見せろ。」
赤いブローチの男は咲の胸元のブローチを見ても何も反応しなかった。
「...?」
「信仰の告白を...」
淡々と事を進める男に咲は呆気にとられていた。
「え?しんこ?え?告白?」
「なんだ?覚えてないのか?」
怪訝な顔をする男は口を閉ざす咲の顔を覗きこんだ。
だが、男は咲の顔よりも信仰の告白を唱えない事に不審を感じているようだ。
「ふぇ、フェティーマと共に。神のご加護を。」
隣のリンネがふと呟いた。
「ん?よし通っていいぞ。」
「ええ!?フェティーマと共に!」
「お前もいいぞ。」
「やったわね!リンネ!」
二人はその場から逃げるように検査官を通り過ぎようとした。
「あ、おい待て。」
事はうまく運ばない。
咲の背中には冷たい嫌な汗が流れた。
「今度から告白は覚えてこいよ。新礼者だからって事気を抜くな。」
「はい!かしこまりました!」
「フェティーマと共に!」
大きな声で返事をするリンネと反対に、咲は検査官の男に振り向いても何も言わなかった。
「あの夜に偶然信者とであっていて良かったですね。」
門を越えた先にはまた道が広がっていた。
といっても、道幅だけでも数十メートルほどあり内側には居住家屋が並んでいる。
塔の外側は緩くカーブを描いた坂でどこまでも続いているようだ。
鉄の柵で囲われいるため余程の事がなければ落下の心配はない。
「ええ、リンネの機転がなければここには入れなかったわね。」
「でも、偶然出会った夜といい今回といいあの男の反応は明らかにおかしいわ。」
「そうですね。あの人との初対面は咲さんが暴れた時、嫌でも印象につくはずです。」
「二回目は深夜だったとはいえ、その日に騒ぎを起こした張本人だと気にも止めていないようでした。」
「そして、今回のこれよ。あれだけ近づいたよ?どうして私だと気がつかないのかしら。」
「考えられるのは2つです。」
そういうと、リンネは少し声を細めた。
「まずは、あの時顔を覚えられていない。咲さんが起こした程度の騒ぎは日常茶飯事であり特に印象に残ることではなかった、などの理由です。」
「なるほどね。じゃあ、第二は?」
「こちらは可能性が低いと思います。」
「咲さんだと認識できなかった。塔による摩訶不思議な効果で騒動を起こした人物と深夜に出会った人物が一致しなかった、という理由です。」
「塔の効果はわかりません。第一のように記憶を抹消するのか、挙げればキリがありません。」
「その前に、塔の摩訶不思議な効果が在る事はわかるの?」
「え?咲さん感じないんですか?」
「は?何を?」
「この塔全体、引いてはリディニアにまで。ここを中心として膨大な魔力が渦巻いてます。比喩とかではなく、本当に台風みたいに渦巻いてるんです。」
「渦巻いている...?」
「台風の目がこの塔なのはわかるんですが、より詳細な位置となるとわかりませんけどね。」
どれ程歩いたのだろうか。
坂道の居住地区を登り終わった先には一際広い広場に出た。
もちろん、塔はまだ続いており少し離れた前方には登る坂が見える。
大半の信者は続けてここを登り始めたが、リンネの息があがっていたので二人は広場をみて回る事にした。
「少し見て回りましょうか。」
「すみません...なんだか、すごく動悸がして...」
塔を見上げると、今いる広場は全体の四分の一程度の高さに位置するようだ。
といっても、外側から下を見下ろすと目眩がするほど高かった。
おもむろに咲は路傍の小石を掴むと、外側からそっと落とした。
「演算処理、展開。大気圧条件変動、係数測定、条件一致。10...20...秒数同期。」
「さ、咲さん?なにをブツブツ言って...」
「反響確認、誤算範囲内。最大値演算。」
「ああ~疲れた。目を酷使するのが欠点ね。」
「今は高度1700mちょっとか...。そりゃ軽い高山病にもなるわ。」
「え?今の一連の奇行でここの高さを測ったんですか?」
「奇行ってなによ。別に虚空をじっと見つめてただけでしょ。」
「今ずっとブツブツしゃべってましたよ。」
「え!?嘘!じゃあ今まで気づかないうちに話してたって事!?」
「このスキル使うの控えよ...」
気がつくと後ろがざわめいていた。
考えてみればここには何百という信者がひたすら黙って登っているのだ。
その中で訳のわからない言葉をいい続ければ、自ずと注目は集まり不審者は再び顕現する。
潜入という使命はここで終わってしまうのだろうか。
とにかくこの場を去ろうと後ろを振り向くと。
「はぁい、元気?」
信者からの注目を浴びている隻眼の女性がそこにいた。
彼女は周りの信者と異なり、黒と白の礼装に身を包んでいる。
近しいのはシスターのそれだが、少し違う。
胸元にはブローチは無く、黒い布地に白の糸で五芒星が刺繍されていた。
黒い長髪を背中で揺らしながら、ゆったりとした物腰で彼女は二人に近づいた。
広場には着いた時と比べ物のならないほど人で溢れていたが、不思議と彼女と二人の周り半径10メートルには誰も近づかなかった。
「咲さん!私の後ろに!」
リンネは何かを察知したのか、外際で膝を下ろす咲の前に立った。
「ごめんなさいねぇ。折角来てくれたのに、お迎えも出来なくて。」
「周りのと同じ服を来てたから全然気が付かなかったけれど、何とか会えて良かったわ。」
「この魔力量は一体...?」
「咲さん!恐らく、前方にいる彼女が転移者でありここの教祖です!」
「そうみたいね...潜入も何もあったもんじゃないわ、こんなに早くバレるなんて。」
そういうと、何気なく咲は立ち上がった。
「え...?咲さん、なんとも無いんですか...?」
振り返ったリンネの顔は、熱に浮かされたかのように酷く苦しんでいた。
一方リンネはまた平常時そのものの表情の咲の顔色を見た。
「取って食ったりはしないわよ。客人を持て成すのは当たり前のことでしょ?」
塔の教祖、即ちエレナ・フィッシャーは静かにそう告げた。
「リンネ、とりあえずこれ飲んで。今は彼女に着いていきましょ。」
咲は礼装の懐に隠し持っていた小瓶を開けて、錠剤を一つリンネに渡した。
「咲さんこれって...?」
「今回は信じて、今までのようにはならないから。」
リンネは目を瞑り覚悟を決めると錠剤を口に含む。
それを合図にエレナは背を向けて歩き出し、二人は後に続いた。
「ささ、ここに腰かけて~」
現在居るのは塔の頂点から最も近い広場に設けられた一室である。
最初の広場よりもかなり狭く、これより登る道は一見見当たらなかった。
エレナの先導で塔を登る途中、もう一つ広場をみた事から塔には全部で3層に分けられているのだろう。
「ちょっとそこの、彼女達にハーブティーを淹れてあげて。」
紫色のブローチを着けた信者は、部屋の奥に引っ込んでいった。
「じゃあ、お茶を待つ間に。」
「ようこそ!フェティマ教祖総本山、バベルの塔へ!」
「バベルの塔...やっぱりモチーフにされてたのね。」
エレナは咲とリンネを交互に見ると、咲に向かって口を開いた。
「元の世界を知ってるなら貴方が転移者ね。」
「でも貴方...五年前には居なかったわよね?」
「自己紹介が遅れたわね。私は月宮咲、隣の従者はエルフのリンネ。」
体調が優れないのだろう。リンネはエレナに軽く会釈だけした。
「私は貴方達がここに来て半年後に転移したの。本来召喚される筈だった10人目としてね。」
「なるほどね。じゃあもう知ってるだろうけど、私はフェティマ教教祖にして転移者のエレナ、エレナ・フィッシャーよ。」
エレナが言い終わったと同時に紫のブローチの信者がお茶を淹れて来た。
「魔法の添加物じゃない...これは本物のハーブティーだわ。」
「この塔で栽培されたものよ。」
「こんなものしか出せなくて悪いわね。言ってくれたら祝典とか開けたんだけど。」
「まあでも、ここに来たのは調査が目的なんだから言うわけないわよね。」
私の動悸が少し早まった。
「何で知ってるのか、って顔ね。貴方の身内に内通者が居るわけじゃないのよ、ただリディニアや塔での出来事は私の耳に入ってくるのよ。」
どうして転移者の女はこうも情報収集に長けているのだろうか。
「貴方の裏に誰が居て、何を企んでるのかも大体わかってるわよ。」
つまり...私達はスパイとしてバレた状態で敵の本陣に入った訳だ。
目の前に座るエレナを見ることができない。
折角淹れてくれたハーブティーの湯気は少しづつ勢いを無くしていく。
「そんな怯えないで。何かしようって訳じゃない。むしろ、貴方が欲しい情報ならなんでも教えてあげるわよ。」
余裕に満ちた笑顔で教祖はそう告げた。
「教祖になってから転移者は誰も会いに来てくれなくてね。退屈してた所に貴方が来てくれたものだから嬉しくて。」
「だから、私は一分一秒でも長く貴女とお話してたいの。」
裏が在る、そう考えずには私はいられなかった。
「来てくれたご褒美よ。なんでも教えてあげる。」
「貴方もこのだだっ広い塔を見て回るよりも塔の全てを周知した人間と話した方が良いでしょう?」
彼女が嘘を吐いているようには見えなかった。
背景に企みが在るようにも思えなかった。
降って湧いた疑問は幾つもある。
彼女はその源泉を打ち留めるだけの解答を持ち合わせているだろう。
だから逃げるという選択肢は無かった、という訳ではない。
私は今、彼女の掌の上で転がされている状況だ。
彼女の機嫌を悪くさせたならどうなるか想像に難くない。
ここは彼女出す甘美な餌に食い付くしかないのだ。
不穏な噂の絶えない、秘密主義の塔を瓦解させるための情報を得るために。
塔の女王の魔の手から逃げ延びリディニアに無事戻るために。