リディニアの黒い影
「咲さん見ました?あのお婆さんの顔!」
隣の奴隷は腹を抱えてゲラゲラと笑っている。
地面に手をついて笑う姿に咲は殺意を覚えた。
話は数十分前に戻る。
意気揚々、溜めに溜めて咲の放った一言
「恋の病よ。」
に対する老婆の反応は辛辣であった。
「はあ?バカなこといってんじゃないよ、そんな病があるなんて信じてるのかい?」
「ええ?だって紅潮して動悸がするなんてそれ以外考えられな...」
「あんたの頭はお花畑なんだねえ。」
「はああ!?行くわよリンネ!」
ちゃっかり魔法瓶をもらって冷たい風が吹く闇のなかへと二人は出ていった。
「咲さーん、これ誰の真似だと思います?」
「恋の病、よ」
「あはははははは!!!」
一人でやって一人で笑い転げている奴隷をよそに、咲は進み続ける。
「あんたまだトリップしてるんじゃないの?」
「確かにまだふわふわしてます...まさか!?」
「恋の熱に浮かされたんですかね...?」
恐らくドラッグのせいで気分が高揚しているのだろう。
咲は落ち着くまで放って置くことを決めて森を進む。
ガサガサという音で二人は立ち止まった。
深夜の森深く、この場にいる人間は恐らく咲とリンネだけのはずだが複数人の足音が聞こえる。
「おい薬中少し静かにしてろよ。」
「はいはい、というか思い出したんですけど咲さん...」
「シッ」
腰を屈めて中腰で草を掻き分けて進むと、白い装束に身を包んだ信者が留まって何かしているようだ。
信者の中心ではリンネが先程出したものより小さい光球がふよふよと浮かんでいる。
そのしたには銀に輝く十字架が地面に突き立てられていた。
「うーんえあ・でり・しんでぃーら
うーんえあ・でり・きせのーに
ふぇてーまのかがやきに・みをこがしたまえ」
信者達は唄のリズムに合わせて手に持った金槌を振り下ろす。
カキン、カキンと音を響かせて十字架は埋もれていく。
「心地よさそうに歌ってるわね。」
「あれ見てそんな感想が出る辺り流石ですね。」
「それってどういう意味?」
「何者だ!?」
リンネと話していると信者の一人が声をあげて光球をこちらに向けた。
逆行で眩しかったが、良く見るとその信者は赤いブローチを着けていた。
「あ、」
リンネが息をもらすかのように声をあげた。
「あの人咲さんが騒ぎを起こしたときの人ですよ。」
「ええ~?よりによって厄介なのに見つかったわね。」
「こそこそ話すな!!ここで何をしていた!?」
「散歩してたら迷ってしまって。リディニアに戻りたいんです。」
「ああ、リディニアの客か。」
赤いブローチの信者の表情が和らいだように見える。
「あれ?気づいてない?」
咲がリンネに呟くと、リンネは小さく頷いた。
「リディニアはあちらの方角だ。最近は不審な輩が多いから気を付けろよ。」
「どうもありがとう、行くわよリンネ。」
二人は信者とすれ違い、示された方角に進んだ。
すれ違う間際、その場に居た信者が全員目を細めて睨んでいた以外不思議な事はなかった。
「あ、ところでさっきの話なんですけど。」
「さっき?」
「私が思い出したことです。」
「あ、いいわ。大丈夫、疲れたから早く戻りましょ?」
「私がああなったのって咲さんのせいですよね?
やめてって言ったのにまた変な薬飲ませましたよね?」
「...」
「あのお婆さんに気づかれたくなくて強引に出ていったんですよね?」
後ろにいるリンネの方を見れなかった。
目があったら何をされるかわからない。
「この話はもうやめにしよ?ね?」
背中で会話をするしか無かった。
「まあ、今はいいですよ。」
殺気が収まった、冷静になってくれたようだ。
だが、険悪な雰囲気はその場には留まり続け、リディニアで宿を取るまでそれ以降の会話は無かった。
起きたのは昼過ぎであった。
当然だ、何せ宿のベッドにありつけたのが明け方だったからだ。
「はーい、リンネちゃ~ん朝ですよ~?起きてくださーい。」
「エルフの朝は早いんじゃないですか~?」
「うるっさ...」
「ちょっと!?主人に対する反応じゃないわよ!?」
「何イラついてるの?どうしたの?お腹すいたの?」
精一杯私はリンネに媚を売った。
「チッ...」
「舌打ち...」
毛布にくるまるリンネを横に私はすぐ脇のベッドに腰をおろした。
「そういえば昨日知ったんだけどね?エルフって少数で各地に暮らしてるらしいわよ。」
「災害を起こした転移者を探してるうちにその一端と会えるかも知れないわね~。」
「あ!リディニアにもいるかも!?」
リンネは黙り続けたままだった。
急がなくては。
「って、今気づいたけど出合ったころよりも背伸びたわね。
最初は私よりも小さかったのに、もう越した?」
毛布のシルエットを手でなぞって語りかける。
「今頃気づいたんですか?」
むくりと起き上がった。
「咲さんと出会って二年目くらいでもう抜かしましたよ。」
「あ、ああ~そうなんだ?気づかなかったわ。」
「亜人は人間より成長が早いですから...」
「起きたわね、じゃあ行くわよ。」
「は~、はいはい。」
宿を出るとリディニアは昨日よりも人で埋め尽くされていた。
しかし、そのほとんどがブローチをつけている。
隣の姫様は体調が悪そうだ。恐らく薬の後遺症だろう。
「体調が悪そうだけどそれは魔術で治せないのね。」
「今朝から高位の回復術をかけているんですが治りません。」
「魔術も薬には勝てないって事かしらね~?」
「今まで咲さんが飲ませた薬...毒は大体これで治りました。
でも今回は、毒以外にも魔術効果があるようで全く効きません。」
「おかしいわね...そんな薬効あったかしら...?」
「多分回復薬を飲めば治ると思います。」
「今回ばかりは買ってあげるわよ。」
「主人に感謝しなさい。」
「は?」
「い、行きましょうか。」
人だかりを掻き分けて進み、やっと回復専門の店を見つけた。
薄暗い雰囲気のせいか外の大通りのは異なり中は静まり帰っていた。
客もまばらだ。
「魔術方面は分からないからリンネ選んでよ。」
「その前になんですが、咲さん今いくら持ってます?」
肩にかけたバックを開ける。
中には酒、薬、草が小分けに包まれていた。
貨幣を入れたポケットに手を突っ込み、有り金をリンネの前に差し出した。
「足りないです...」
「え?だって金貨も何枚かあるわよ?」
リンネは無言で店の壁を指差した。
「私に効くエリクサーは多分あれです。咲さんの持ち金でも足りません。」
「あれの値段自体は17000Gです。」
「咲さんは凡そ3000G程しか持ち合わせていません。」
「いまいちこの世界の貨幣が分からないのよね。」
「まあお金がないなら仕方ないわね。リンネは我慢し」
リンネは手元のアタッシュケースを見つめていた。
「これ売れば買えるかしら...」
「待って。ちゃんとエリクサー買うから、売らないで。ちょっと店を出ましょうか。」
二人大通りを出ると裏路地に向かった。
リンネはもう震えていない。
広場につくと昨日と比較にならないほど人がいる。
「何するんですか?」
「そこで座って見てな、私のスキルで荒稼ぎしてあげるわよ。」
バックを確認すると咲は目を閉じた。
「製造!!」
「咲さんがそのスキル使うときに詠唱したのなんて見たことないんですけど、今なんで大きな声でスキル名言ったんですか?」
余計なことばかりこの奴隷は気がつくものだ。
薄汚れたベンチで足を組んで肘をついて座っている。
ぶん殴ろうかと思った。
だが今はそれどころではない。
訳のわからない人間が叫んだことでこの一瞬で誰もが咲に注目している。
もう一度声をあげるなら今だ。
「神に出会える丸薬入りませんか~!!」
そこから先は早かった。
大声に反応した民衆が近寄って来ると、その一人に薄めた丸薬を飲ませてトばした。
それをみて我先にとこぞって客が押し寄せて、咲は大金を得た。
しかし、客はすぐさま服用したため、広場には天国に向かった者、バッドトリップした者、ストーンドへ向かった者であふれかえった。
死屍累々の広場に、客は居なくなった。
_____筈だった。
「これでエリクサーが買えるわよリンネ!!」
一部始終を見ていたリンネは不調もあってか特に反応が無かった。
「一人を救うために一体何人地獄に落としたんですか。どうなっても知りませんよ。」
「私の元の世界にね、異世界に転移する物語があるんだけど。」
「大体、転移した人間がその世界でろくでもない事をしても許されるのよ。」
「お約束ってやつなのかしらね。だから私も大丈夫よ。」
「前話してましたね。その物語の話。」
「ところで咲さん、その時もうひとつ[お約束]について語ってたんですけど。」
「うん?なんだったかしら?」
「転移あたってチート能力とやらを貰うのがお約束なんですよね?」
「あ」
「咲さん貰ってましたっけ?」
「おいお前。」
リンネが言い終わった瞬間に話しかけられた。
声の主の方を見ると、薄汚れたパーカーを来た男が立っていた。
「こいつらは死んでるのか。」
パーカーの男は倒れ込んだ客の一人に近づいた。
「?...脈はあるな、見たところ外傷もない。」
「だが、これだけ人が倒れていてあんたら二人だけ平然としているのは異常だ。」
「あんたら、いや特にお前。何をした?」
男は咲の方を見つめる。
咲も警戒していた。
このリディニアで、この世界でパーカーを見ることが初めてであった。
転移者、という予見が頭を過った。
最後に転移者の位置を見たのは昨日だが、塔の転移者以外は確認していない。
「別に、エリクサーを売っただけよ。」
「良くそんなことを...」
咲にしか届かないほどの声量でリンネが呟いた。
「エリクサーを売っただけ?」
男は辺りを見回した。
「俺にも一本売ってくれよ。」
「ええ、喜んで。」
咲はスキルを使わずにバックの小瓶を取り出した。
昨日買った粗製酒だ。
「いくらだ?」
「2000G」
「ふむ、サイズにしては高価だな。」
「払えるの?払えないの?」
「ははっ、払えるさ。」
男はどこから取り出したのか金貨数枚を差し出した。
「どうも。」
「ああ、すまねえ。1500Gしかだしてねえ。」
金貨を受け取った瞬間に男はそう言った。
もう一枚金貨を差し出すと、小瓶を受け取って男は去っていった。
「咲さん、今の人...」
「もう一人の転移者かしらね。」
「長居してたら厄介事に巻き込まれるわ、ここから離れるわよ。」
リンネが変なことをいったせいで少しばかり緊張した。
だが、今はもう胸を撫で下ろした。
「なあ、待てよ。」
先ほどのパーカー男が戻って来たのか?
「はい、何か?」
振り向いた瞬間に黒い袋を被せられて咲は連れていかれた。