恋の病
14:37
塔:最上部にて
「教祖様、ご報告に上がりました。」
教祖と呼ばれた隻眼の女性は扉の方へ上半身だけ向けた。
赤いブローチをつけた男は一瞬紅潮した。
「信者に何か問題でも?」
ゆったりと柔らかい口調で女性は尋ねる。
「いえいえ、信者の信仰心に一切の問題は御座いません。ただ、先程門前にて不審者が現れたというご報告を。」
「不審者?」
「聞いた話によりますと、その者は自身を転移者と名乗っていたそうで。」
女性の瞳孔は少しだけ大きくなった。
「事の真偽は不明ですが転移者に関する事柄ですので一先ず報告を上げさせていただきました。」
「なるほど、その者の特徴は_______」
女性は言いかけて、やめた。
「いえ、何でもありません。信者への混乱が無ければ特筆すべき事柄と踏まえておく必要はありません。」
「畏まりました。」
男はその場を後にする。
残された女性は窓からの景色を見下ろしていた。
同時刻
リディニア:路地裏
「こんなところにいたのね。」
路地裏に二人の人間がいる。
一人は少し派手な装束を纏った女性。
もう一人は薄汚れたパーカーを着ている男性。
男は片手に瓶を携えている。
路地裏の段差に腰を下ろしている。
「まーた、飲んでる。お酒も程ほどにしておきなさいよ。」
「この世界じゃ娯楽がこれしかねえんだ。
で、何か掴んだのか?」
吐き捨てるように男は女性を見上げながら言った。
「例の教祖様の情報は一向に掴めないわ。」
「は、なんだよ。最初は息巻いてた癖に随分と苦労してるんだな。」
女性は眉をあげてムスッとした表情を男性に向ける。
「でも、私の情報網に転移者が掛かったわ。」
「転移者?他にもここに来てるのか。」
「本物かわからないわ。例の塔で騒ぎがあったんだけど、起こした人物は自分の事を転移者だと言ったらしいの。」
「そんな目立つ事をする奴が俺らの中にいたか?」
「わからないわ、それ以降は網に引っ掛からないし。」
女性は男性の顔をじっと見つめる。
「あ?おいおい、俺に調べさせるのか?俺は戦闘専門だろ?」
「私もう疲れちゃったんだもの。」
「はいはい、女王様の仰せのままに。」
「良い知らせを待ってるわ、不屈の男。」
「それで呼ぶのはやめろ。」
男はイラついたのか手にもったままの空き瓶を路上に捨てた。
都市の外れに咲とリンネは向かっている。
都市といっても少し歩けば木々に覆われた大地が続き、人工物の影は全く見えない。
「リンネ、試作品の馬車あったでしょ。あれだして。」
「だめです。ありますけど、人に見つかったらまた追い出されますよ。」
「ちっ、は~意味わかんねえ。」
「馬車出せないのは咲さんのせいですけどね...」
塔の裏手側に回り込み、多くの失踪人が最後に寄ったとされる場所に向かっている。
しかし、一つの街程の面積をもつ塔を回り込む事はかなりの時間を要する事となった。
太陽は西に傾き、沈み始めた。
森は暗がりに飲み込まれて夜の姿へと移り始めている。
「何かあると思ったんだけどな~。」
時間をかけて塔の裏手側に回ったが目立つ物は見つからない。
辺りは木、木、木。
頭上には塔の一部が見えるがそれだけである。
「暗い...わけわかんない物を買う前にランタンが必要だった。」
「別に買う必要もないですよ。」
リンネはそういうと、聞き取れないほど短い呪文を唱える。
するとリンネの右手に小さな光球が現れた。
「ええ!?凄い、凄い!」
咲の驚嘆の具合とは異なり、リンネは特に表情を変えなかった。
「初級の魔術です。一週間あれば誰でも使えますよ。」
「リンネが使えるならいいわ。」
リンネは呆れたような顔をしていた。
「あれ?今まで暗かったから気づかなかったけどこの植物って...」
「あ!これなら私も知ってますよ!麻って言うんですよね!」
先に口を開いた者はリンネであった。
「知ってるの?」
「私たちが元いた国にも群生してましたよ。開墾する毎に途方もなく採れてるんで困ってたんですよ。」
「ええ!?初耳なんだけど!どうして言ってくれないのよ~!」
「どうしてって言ったって使い道は頑丈な縄にしたり、繊維とかにしか使えない物を採ったなんて報告しませんよ。」
「周りにあるのは知ってたけど、そんなに量があるなんて思ってなかったわ...」
「リンネはこの草、いいえ生薬の価値を知らないのよ。」
「また薬ですか?」
「ええと、加工方法は確か乳液を乾燥させて...違う、それはケシだ...」
「ちょっと待ってね、今思いだすから。」
「よし、わかった!成功しますように!」
咲は右手の手のひらを上に向けて念じた。
「わあ、錠剤...?ですかね、これは。」
「口開けてリンネ。」
「?」
何も知らないリンネは口を開けた。
その瞬間、咲は錠剤をリンネの口へと投げ入れた。
驚いたリンネは一呼吸の内にそれを飲み込んでしまう。
「はっ!?ひっ、ひう!ふうっ!」
「こ、今度は何を飲み込ませた!!またろくでもないものか!!」
喉を押さえ、地面に四つん這いになるリンネ。
だが、あげる声は奇声やうめき声のようなものではなく嬌声に近かった。
「あ、あっ!あっ、あああ!!」
「あれ、すっごい即効性ね。緩やかに反応するって読んだんだけど。。」
「ちょっと見たこと無い景色を見るでしょうけど安心して、今までの中では多分一番安全だし。リンネが成人男性よりも丈夫ってことは弁えてるから。」
「はっ、はあはあ、はっはっ...」
「これは、一体...!!」
「まともに話せるほどの理性が残ってるのね。流石だわ。」
「これはね、麻の茎を加工したおクスリよ。」
「はっ、はああ、はああああ。」
「少し落ち着いて来た?長続きもしないのね。」
リンネは冷静さを取り戻したのか地べたに座り咲を見つめていた。
「あ、違うわこれ。トリップしてるわね。」
眼前で手を降ってもリンネは反応を起こさず、とろんとした目は一点を見つめており、口からはだらしなく涎を垂れ流していた。
「やり過ぎね...」
リンネの状態に少しだけ引け目を感じた私は抱き抱えてその場を後にした。
「人一人抱えて歩くのは辛いわ...」
リンネを肩に抱えて暗闇を進む。
体に触れる位置に依って体をビクつかせるため、何度も抱え直していた。
魔術を行使できるリンネがこの状態であるために光球は消滅し、どこに向かえばリディニアに戻れるのかわからない。
取り合えず頭上の塔を当てに進んでいるが、行きの道と異なる気がしていた。
「よかった、灯りがあるわ。」
森を進むと小屋が一軒建っていた。
扉からは温かい光が漏れており、人がいることがわかる。
右手でリンネは担ぎ上げ、左手でアタッシュケースを運んでいるため、転移者補正で体力が増えたといっても限度がある。
扉の前でリンネを下ろすと私はノックをした。
「夜分遅くにすみません、しばらく休憩させてもらえませんか?」
反応はない。
「すみませ~ん、居ませんか~?」
私は扉を叩くが、一向に中の住人は出てこない。
「強引に開けるか。」
ポツリと言葉を溢した瞬間に扉は勢い良く開いた。
すぐ前に立っていた私は全身を大きくぶつけた。
「あああ!痛い痛い!」
「なんだい!?信者かと思って無視してたら強引に入って来ようとしてきて!!無礼にも程があるじゃないか!」
痛みで転げ回る私に、老婆は叫んだ。
「おや?その格好...信者ではないようだね。」
「こ、この辺りを散歩していたら迷ってしまって...一晩泊めてもらえませんか?」
「扉を強引に開けようとした不届きものをかい?嫌だよ。」
「まあ、そうですよね...じゃあ、リディニアがどちらの方向か教えて頂けませんか?」
「リディニア!?こっちは全然逆の方向だよ!」
「まさか...」
驚いた私はアタッシュケースを確認して位置を調べた。
リディニアから大きく反れた森の中に反応がある。
戻っていると思いきや、離れていたようだ。
「途中で確認すればよかった...」
「奥のお嬢ちゃんはどうしたんだい?」
落胆する私に老婆は尋ねてきた。
「あー、その、歩いている最中に倒れてしまって。」
嘘はついていない、この状態となったのは咲のせいであるが。
「一晩が駄目でしたら彼女が目を覚ますまで休憩させてもらえませんか?」
「傷病者を放ってはおけない、彼女が目を覚ますまでだよ。」
不届き者を中にいれてくれるようだ。
縦長の小屋は二階建てになっており、奥に階段が見える。
手前には、机と椅子が置いてあり壁際には本棚がずらりと並んでいた。
木製の階段の下に調理器具が並んでいる事からその場にキッチンもあることが伺える。
リンネを背負う時、触れる度に小さな声で嬌声をあげるために手間取ったが今は大人しい。
扉を閉めて振り替えると、扉の上に特異な紋章が描かれていた。
「そこにお掛け。その子はどんな風に倒れたんだい。」
老婆はキッチンに立つとコップにお湯を注いだ。
「苦しんだ、というか突然呼吸が荒くなってパタリと。」
「ふむ、そうかい。あんたも疲れているようだからこれをお飲み。」
良い葉の香りがした。
この辺りは植物について多少の認知があるのかもしれない。
「これはなにをいれたんですか?」
「お湯に治癒魔術をかけたのさ。この香りは脳の動きをよくして疲労感を無くす効果があるんだよ。」
添加魔術というものだろう。カフェインに似た効果をただのお湯に添加できるとは...
「昔は回復術も扱ってたからね、診てあげよう。」
老婆の心遣いに胸が苦しくなった。
「医者だったんですか?」
「元医者だけどね。王国の城で働いてたんだ。」」
「気絶しているようではないね。苦しそうではないけど、顔が紅潮してる。毒の類では無さそうだね。」
「あの塔の近くを歩いていたんだろう?それに当てられたかもね。」
「あの塔ってそんな効力があるんですか?」
「知らないよ。ただ、あそこに登る信者がそんな感じになるからね。」
小さな山よりも大きい塔だ、登る事にも体力を消耗するのだろう。
「そういえば、お婆さんはあの塔に登った事は無いんですか?」
「私は信者じゃないからね。あの塔には、信者か信仰心を持ち合わせた者しか登れないのさ。」
ということは、並んだところであの門は越えられなかったのだろう。
「あれ?てっきりお婆さんは信仰してるのかと思ったんですけど。」
「あの紋章って塔の宗教マークじゃ無いんですか?」
「失礼な事を言うんじゃないよ、あれはマルテ教の宗紋だよ。」
「マルテ教?」
「王国を作り出したとされる神を信仰するのさ。最も、ここでは塔の教えが一般になってるけどね。」
「他にもあるんですか?そういう、信仰みたいなものは。」
「あるにはあるよ?信仰は自由だからね。ただし、王国全土まで広がっているというならマルテ教が唯一だね。」
驚いた。
塔の転移者は元からあった信仰に便乗したわけではなく、一から作り出したというのか。
たった五年で、あの塔を建築できるほどの信者を集めたというのも信じ難かった。
「あんたたち、そういえば珍しい組み合わせだね。」
「そうですかね?」
「エルフに人間の二人組だろう?エルフは普通、大人数で同じ種族と行動するからね。」
「彼女は他のエルフとはぐれてしまって、私と一緒に旅をしてるんです。」
「そうなのかい。まあ、エルフならどこでも会えるから適当なところに返してあげるといい。」
「え?エルフって滅亡したんじゃ...」
「エルフが滅亡?」
ハハハ、と老婆は笑った。
「確かに、人間の次点で弱い種族だけれど滅亡はしないさ。」
「エルフは中規模で社会を作るからね、大陸の全土に住居区が分布してるんだよ。」
考えてみれば、たった400人弱の種族というのは明らかにおかしい。
この世界ではそれが普通かと思っていたが、そうではないようだ。
老婆は席を立つと、床に直で横たわるリンネのすぐ側に腰をおろした。
「私が医者として出来ることはないが、祈るくらいはしてあげよう。」
黒に染まった丸く平べったい形状の石をリンネの胸に乗せた。
「私達の神様は盾の女神と呼ばれていてね、祈りを込めた黒い盾は厄を払うと言われてるんだよ。」
その効果があったのか、リンネは正気を取り戻した。
「ううん、ああ、あれ?ここは?」
「目を覚ましたかい、エルフのお嬢ちゃん。」
「え、あれ、ああ、どうも。」
老婆はリンネが目を覚ますまでずっと隣に座っていた。
「あんたが倒れたからってあのこがここまで運んできたんだよ。」
老婆はそう言いながら私を指差した。
「倒れた?そんな、確かに夢を見ていたような。」
「気分はどう?ボーッとする?」
「あ、咲さん。調子はいいです、少しボーッとしますけど。」
「じゃあ、お婆さん。休憩させてくれてありがとう。」
「もう行くのかい?」
「夜も更けてきたし、長居するのも悪いわ。」
「その子は大丈夫かい?」
ふらふらとリンネは立ち上がった。
「あー、夜風に当たれば恐らく。」
「全く、何を急いでるのかわからないけど少し待ってなさい。」
老婆は再びキッチンに立った。
「もってお行き。」
水筒だろうか、木製の箱を2つ差し出した。
演算では内部と外部の温度が離れており、保温性を持っているようだ。
「流石に夜となれば寒さは増すから、気を付けなさい。」
「どうもありがとう。」
「あんた、この子にあまり無理をさせるんじゃないよ。」
バレていたのだろうか、渡される時に耳打ちされた。
呆けていると老婆は続けた。
「たまにこの小屋を訪れる者がいてね、そいつらは共通して顔を紅潮させながら異常な動悸に興奮を訴えるのさ。」
「この子みたいに気絶するほどの症状を訴えた者はいなかったけどね。」
リンネと同じ症状を訴えた、ということは同じように麻の群生地を訪れた者がいたのだろう。
だが、いくら群生してるとはいえ未加工品がそんな異常を与えられるだろうか。
それほど含有量はないはずだ。
例え魔力の影響だったとしても私に影響は出ていないし、リンネもキめるまではなんの影響も無かった。
ふと、ある病の症状が頭を過った。
もしも、この病であれば多少の辻褄はあう。
「気絶する、なんてそれ以前に余程働かせてなきゃ起きない。」
「あの子をもっと大切に扱いなさい。奴隷だとしても限度があるよ。」
体を見たときに主従の紋章を確認したのだろう。
「わかったわ、気を付ける。」
「それならいいけどね。」
「その子も同じようにただの疲れのようだからね。リディニアの温かいベットに寝かせてあげなさい。」
水筒を渡すために差し出した腕を老婆は引こうとした。
「まって、お婆さん。リンネも、ここに来た人もただの疲れじゃないわ。れっきとした病よ。」
「病?私が医者だった時にはそんな症状の病は無かったよ。」
老婆は驚嘆の声をあげた。
「病といっても、ただの病じゃないわ。」
「恋の病よ。」