人生の主役
日が落ちるのが早くなり、夕焼けに染まる空。
電車に乗って学校から帰っていた。
繰り返される正常。周りの他人が決める常識。
それに今日も流されていた。
気がかりはカバンの中に入っている白紙の進路志望の紙。
周りはみんな『進学』と書いていた。
『なぜ?』と聞くとみんながみんな『とりあえず進学する』と言っていてまるで洗脳されているようで気持ち悪かった。
電車に乗っている人たちまで自分の意志を持っていないように見えて早くこの場所から出たいと思った。
ようやく電車から降りると『國井じゃないか』と声をかけられた。
中学の頃の友人が近くに立って懐かしげな顔をしていた。彼は一言二言挨拶を言うと
『まだ野球やってるの?』と聞いた
彼の質問に僕は口を噤み、目を伏せ
『やってるよ』と小さく答えた。
友人は『やっぱり?一生懸命やってたもんな』と顔を明るくした。
二人は通学定期券をかざし、改札を通る。
『お前は高校どうなの?』
そう言おうと顔を上げた時、
『俺、母親に迎えに来てもらってるから、またな。』
そう言って水色の軽自動車に乗って自動車は道路を走っていって僕から見えなくなった。
一生懸命やる事と実力がある事は別で。
僕は練習は一生懸命やるけどベンチのメンバーからさえも外れていた。
それでもいいと思っていた。野球さえできれば高校生活はそれでいいと思っていた。
でも変わった。
二年の冬になると進路の話がチラつき始める。
僕の今の成績だと進学は厳しいみたいだった。
両親は僕に部活をやめて予備校に通うよう言った。
僕は最初は反発してたけど、やがてその言葉に従おうと思うようになった
悔しいけど、理屈は通っているからだ。
翌日学校に行った時、顧問の先生に部活を辞めたいという話をした。
先生は『よく考えた結果なのか』『お前は本当にそれでいいのか』と繰り返し聞いた。
僕はその言葉に『そうです』と答えた。
顧問の先生は『そうか。ならしょうがない』と言った後に
『退部の手続きの紙を今日の練習が終わったら渡すから練習が終わったら職員室に来てくれ』
と言った。
僕は『わかりました』と言って走って練習に戻った。
野球部は練習はキツいけど、野球部全体としての実力はイマイチだった。
でも全員野球がやりたくてやってる事は確かだった、
両親は『結果のでない部活より結果の出る勉強だ。』
と言っていた。
今考えるとそれもそうな気がした。
部活が終わって暗い中、職員室へ向かう。
廊下の電気は消えていたので真っ暗な道を歩いた。
それはきっとこれから先の事のように見えた。
僕は先の事なんて全く見ていないのに、先の事が見えたつもりの大人に勝手に歩かされている。
それを正解とする常識に動かされている。
職員室のドアを開けると顧問の先生が僕の方を見て『こっちだ』と言った。
顧問の先生は『本当にいいんだな?』ともう一回確認をした。
僕が返事をできないでいると
『これが書類だから、辞めるなら書いてきてくれ』と一枚の紙を押し付けるように渡した。
『ありがとうございます』そう言うと
『そうだよなあ』と明後日の方向を見て言っていた。よくわからなかった。
『失礼しました』
僕は職員室を出ていって帰路についた。
イヤホンで音楽を聴きながら電車に揺られていると、脇腹のあたりを肘でつつかれた。
見るとこの間の中学の友人の彼が立っていた。
イヤホンをしていたので聞こえなかったが
『よっ』みたいなことを言っていたと思う。
『どうしたんだよ思い詰めた顔して』
茶化すように僕に言うので
『成績が悪いから部活をやめないといけない』
と答えた。
彼はギョッとしたような驚いた顔して
『本当に思い詰めてたのかよ』
と笑った。
『本気で悩んでいるんだ』
そう強めに言うと
『そんなの、お前次第じゃないか』
僕の目をまっすぐ見て言った。
『両親や先生が何を言おうとお前の人生、お前が何をやったかじゃないか。』
『そんな簡単なことじゃない』
僕は俯いて言い訳をするように言った。
実際、言い訳だった。
『お前がそう思うならそれがお前の人生なんだ』
さっきまでの強い真っ直ぐな声の反対の声でそう言う
と
『俺今日はここの駅なんだ』
と言っていつもの駅の一つ前で降りた。
『じゃあな』
屈託なく笑った彼に
『じゃあな』と返した。
家に帰って親に退部の書類を渡した。
母親は『今忙しいんだけど』と不満そうにしながらも書類を受け取り、その場で書いて僕に渡した。
『お前は本当にこれでよかったのか?』
彼の声が僕の頭に響いた。
『これでいいんだ』
一人でそう呟く。
『大人になるってのはお前のなりたいお前を諦めることじゃない』
彼の声は続いた。
『お前は誰のために生きてる?』
答えられなかった。
親の言うことに従って。
誰かの言う『正しい』に流されて。
『正しい』とは何か?
誰のために生きてる?
次の日の朝も電車で彼に会った。
この日は僕から声をかけた。
『よう』小さく声をかけると彼も『よう』と言った。
『まだ悩んでんのか?』
彼のその問いかけに
『うん』と返事をすると
『お前の人生の主役は、お前だろ?』
彼は笑いながら言った。
『よくわからないけど、きっとそうだ』と僕が言うとそこからは二人を包む雰囲気が柔らかくなって、他愛もない話をした。
その日、僕は親から渡された退部の紙を顧問の先生に渡さないで『僕、やっぱりやめません』と言った。
顧問の先生は驚いた様子だったけど
『そうか。良かった。でも両親にやめろって言われてたんだろ?両親とはしっかり話せよ。』と言った。
練習が終わって家に帰って母親に『部活はやめない』
と言うと血相を変えた。
すぐに父親を呼んで、僕の部屋で二人で僕の前に立ちはだかった。
母親は『どういうことなの?』とヒステリックに叫ぶ。
僕は『部活やめたくないから』とそれだけ言った。
『あなたの成績が悪いのがいけないんじゃないの』
そうやって僕に怒声を浴びせる。
僕は『それはそうだけど』と答えたきり、言葉が出なくなる。
父親が『まあ話を聞いてやれ』と母親をたしなめる。
『やめないで、どうするんだ?』と父親に聞かれる。
『部活をやりながら勉強する』
そう言うと父親は
『できるのか?』と問い詰める。
深く重い言葉だった。
『やるから』
僕も慎重にそう答えると父親は
『そうか、ならこの話は終わりだ。』
と話を切り上げた。
最後に『頑張れよ』と僕を励ますと部屋から消えていった。
人はいつからか、なりたい自分となれる自分をすり替えて大人になったって言い張る。
自分に嘘をついて生き始める。
僕は自分に嘘をつかないでなりたい自分に近づいていこうと、そう思った。
僕はきっと僕のために生きてるから。