プロローグ
吉岡綾乃シリーズの第二弾です。よろしくお願いします。
1 プロローグ
小さな湖の畔に山桜の木が三本。花の盛りを競っている。茶色い葉を付けたまま薄桃色の花を咲かせる山桜は、独特の品の良さがあって好ましい。
空は春めいて、少し霞がかっている。
私は草むらに寝ころんで、うつらうつらしていた。
風が心地よい。人が足を踏み入れない湖だ。
むせかえるような青臭さ。桜はそんな青さを知ってか知らずか、わたしはそんな若造とは違うのよ、と言わんばかりの品の良さだ。
湖の中央付近から水音が上がる。青くて細い生き物が舞い上がった。
龍だ。龍が舞い上がったのだ。
私は安堵の息を吐いて、寝返りを打った。
昨日、あの龍は怪我をしていた。これまでの成り行きから直接会うことが憚られたので、湖全体に祈ったのだ。龍の怪我を治してください、と。こんなに離れていても霊力が通じるようになったのだ。格段の進歩だった。
草の先で鼻先をくすぐられて、目が覚めた。
ぼんやりと目を開けると、目の前に顔があった。顔というのは、近過ぎると、目、鼻、口と言った部分が異常に大きく見えて、持ち主が誰だか分からなくなる。
少しのけぞって顔を離すと、ようやく相手を確認できた。
「ト、ここ、よく分かったね」
背の高い小西 透が、私の顔を覗き込んでいた。小西は、みんなから『トオル』と呼ばれているが、私は『ト』と呼んでいる。小西と仲の良い中島 薫(通称『カオル』)と、下の二文字が『オル』と、共通だからだ。ちなみに、中島のことは、同様の理由で『カ』と呼んでいる。
「ったく。探したぜ」
小西が笑った。
「緑池ずっと追っかけて、四百三十年ほど前まで遡ったのにいないんで泡食った。まさか、四百十二年前の、こんな湖にいるなんて思わなかったぜ。
でも、お前の気配は分かるからな。大したもんだろう?」
得意そうな笑顔がきらめいた。
小西には、私と同じく時間と空間を自由に旅する力がある。きっと伝言か何か頼まれて、そこら中の時間や空間を捜し回ったんだろう。
「そう。で、用事は何?」
「シズから伝言だ」
軽く頷いて促すと、一息で言った。
「今度のパーティーには、絶対出席しろってさ。お前、この前も、その前も欠席してる。長老がお冠だとよ。だいたい、魔法使い社会の約束を無視して、勝手に関西の大学に進学するってどうよ?近場の大学で間に合わせりゃよかったのにって。お前、評判悪いんだぜ」
勝手な言いぐさに腹が立つ。
そもそも約束って双方の合意のもとでするもんや。一方的に強いられるのは、『約束』とは言わん。けど、そんなことを言っても、こいつには通じないのは分かってる。
「いいやない。もともと家が大阪にあるんやし。どうせ、卒業したら近場に就職しろって言われるんやろ?」
「まあ、その通りだけどな」
小西が軽く息を吐いた。向こうも、諦めモードに入った。これでお互い様や。
「そやから、大学ぐらい好きに行かせて欲しいわ」
「だけどな、テレポテーションできるんだ。月一の集会に顔出すぐらい簡単だろ?どうして来ないんだ?」
「集会ってったって合コンやない。あんなん嫌や。好かん」
「それを言うか?」
「魔法使いは嫌いや」
「お前、魔法使いの頂点に立つパーフェクトなんだぞ」
「なりたくてなったんやない」
小西はため息をついて話題を変えた。今ここでパーフェクト云々言っても得策じゃないことを知っているからだ。
「さっきの龍、ジュニアか?」
「うん。大きくなったやろ?」
「ここは……ジュニアの湖なのか?」
「そう。去年、独り立ちしてこっちに移ったんや」
「お前、タツヤに会えないもんだから、ジュニアに色目使う気か?」
「ジュニアが大きくなったら、友達になってもらうんや。先生の魔法は、『タツヤに会えない』やったし」
私は、高校二年のとき、担任の先生に私が龍のタツヤに会えないという魔法をかけられた。もちろん、フェアな先生は、私の承諾を求めた。番を探す龍のタツヤと私が会うのは、タツヤの目的の邪魔にしかならないからだ。ただ、後で考えたら、魔法使い社会としては、私が龍とばかり仲良くして、魔法使いと仲良くならかったので、何とかしようという思惑もあったみたいだ。
「ジュニアなら、オッケーだって?
お前な。そこまでするなら、どうして、あん時、承諾したんだ?」
「だって、こっちに来たばっかりで、まだ、様子が分からん時やったし。今なら、そんな魔法かけんといてって言えたんやけど。承諾しな魔法かけられんことも知らんかったし……」
「タツヤも、しょっちゅう見に行ってるんだって?」
「誰がそんなこと言うたん?」
「タツヤ」小西が悪戯っぽく笑った。「ときどきお前の気配感じるって言ってた」
「そう」
こいつは、タツヤに会っているのだ。少し胸が痛んだので、話題を変えた。
「で、用事はそれだけ?」
「悪いけど、今日一日、付き合って欲しい」
小西が俯いて小声で言った。
さっきの伝言だけなら、夜、家へ尋ねてくればいいのだ。わざわざいろんな時代を捜し回って来たってことは……何かあると思っていた。
「シズとカがデートしてるん?」
大久保静香。通称『静香さま』を『シズ』と呼ぶのは、中島と小西、それに私だけだ。
「そう。参ったね。よく知ってるじゃん。お見通しってことか?」
小西が憮然として頭を掻いた。
「この頃、シズの動きが激しくなったんだ。佐藤の馬鹿のせいだ」
「佐藤さん、どうかしたん?」
「あの馬鹿、去年大学卒業したんだ。でもって、お前もシズも今年二十歳になるだろ。今のうちにって思ったんだろうな。
どっちか嫁に欲しいんだと。長老んとこへ頼みに行ったらしい。シズもお前も、魔法使いじゃ最優秀のパーフェクトだし」
「結婚申し込みに行くのに、本人すっ飛ばすん?しかも、親んとこやなくて、長老のとこってどういうことや?
そやけど、魔法使いの結婚って早いんやな。びっくりやわ。三十過ぎても結婚せえへん人がようけおる時代に二十歳そこそこで結婚するん?」
「普通でいう婚約に当たるんだ。老い先短い長老達が、早いとこカップリングを確認して、安心したいんだ。だから、結婚そのものは、二十五、六ってとこだ」
それでも、充分早いって。
「そんなこと、どうでもいい!あの馬鹿、言うにこと欠いて、シズとお前のどっちか欲しいって言いやがったんだ。少しは、慌てろ!」
「ん?じゃあ、何か手ぇ考えるわ。そやけどな、四色はあの人一人やないやろ。あんたも、カも四色なんや。大きな顔して邪魔したらいいんやん」
「ったく。お前は気楽だな」
小西が頭を抱えながら言った。
「だから、シズのヤツ。何とか、夏休み中に結論出して、俺と薫のどっちかに決めるんだと。残った方をお前に選んで欲しいって」
「私は、滑り止めにはならん。前にも言うたはずや」
シズを始めとする、三人組は魔法使いとしては良いヤツ等なんだけど、子供の頃からの教育(洗脳ともいう)の賜だろうか、魔法使い社会のルールを唯々諾々と受け入れる。滑り止めにされる私がどう思うとか、全く斟酌しない。顔見るたびに、静香のことを思い出す男なんか願い下げだって、何度言っても理解できないようだ。
「ダメだ。残った方を選ばないと、下手すると、佐藤と結婚させられることになる。あんな馬鹿にお前を取られるわけにはいかない。だから……シズは、今、必死で悩んでるんだ」
「シズが悩むのは、勝手や。ウチはウチで適当に何とかするわ。
だって、言うたやろ?ウチは『さとり』なんや」
何となく、胸が一杯になって、小西の顔を真っ直ぐ見ることができない。目の前の人の思いを見せつける藍の力は、残酷だ。小西だって、同じ力があるんだから、分かって欲しいのに。
「ここんとこ、あんた達、交代でデートに誘てくれるやろ?ウチん所へ来いひん方が、シズとデートしてるとき。今日も、そうや。
そん時、やっぱり、二人ともシズのこと考えてるんや。だから、これ以上あんた達には深入りせえへんようにしよって、決めたん」
小西の顔が歪んだ。
すまない。俺達が悪かった。でも、滑り止めってわけじゃないんだ。お前のことも好きなんだ。
心の中で、そう言うのが分かった。自分のしていることに罪悪感を感じて、私を傷つけたことを申し訳なく思って。そっと手を伸ばして、私の肩を引き寄せる。
☆☆☆!!!
一瞬、放電があった。
「お前な。こんなバリア、張るな!」
小西が、手を振りながら怒鳴った。よっぽど痛かったんだろう。
「ト、無防備に寝てんじゃないって、前に言うたから……ちゃんと防御しといたんや」
「俺はいいんだ!俺は。俺には解除しろ!」
「あんたが一番危ないんや」
「何で?」
「前に、キスさせろって言うた」
「お前、あん時も、電流流してさせてくれなかった。ったく、お前と会う時ゃ、ゴム底のスニーカーはかなきゃならん」
「だって、あんたが好きなんはシズやろ?私とキスして何が楽しいん?」
小西の顔が歪んだ。図星だろう。
「……薫とは……するのか?」
「誰とも……せえへん。タツヤとしただけや」
「そんなに、あの龍が良かったのか?」
「タツヤは、私のこと、一番大切に見てくれた。パーフェクトの魔女だから霊力がもらえるんやないかって下心もなかったし、誰かの滑り止めに見ることもなかった」
そうなのだ。魔法使い社会には、自分より力が上(特にパーフェクト)の魔女とエッチすると、霊力をもらえるという馬鹿げた迷信があるのだ。
小西が背中を向けて、苦しそうに言った。
「佐藤の馬鹿からお前を護らなけりゃならないんだ。シズが、自分とお前の二人とも、あいつから逃げる作戦考えてる。だから、作戦が決まったら、言う通り動け」
勝手なヤツ。いくら静香の頭が良くても、その作戦が最善だとは限らない。いや、むしろ、私の心を無視した、静香にとって都合が良いだけのものになりそうだ。
「私は誰の指図も受けん。シズの作戦がいいと思ったら、その通り動く。そやけど、そう思えんかったら、例えシズの好意でも受け入れん」
しばらく沈黙があった。
この強情っ張り!小西が、心の中で怒鳴った。
そうして、ゆっくり深呼吸して呼吸を整えると、固い声で言った。声が震えている。勇気を振り絞っての申し入れだった。
「綾乃。もし、シズが薫を選んだら……俺を選んでくれないか?」
「選ぶも選ばんも、あんたが決めることやろ?」
「いや、魔法使いは、普通、能力のある方が申し込むことになってるんだ。だから、シズが俺達のどちらかを選ぶし、残った方を選ぶかどうか決めるのは、お前になるんだ」
なるほど、七色のパーフェクトの私と、四色の小西じゃ、私の方から申し込まなきゃならないってことになるのか。ってことは、これは、小西からしたら、最大限のアプローチってことになるのか。
「じゃあ、今のは、条件付きのプロポーズみたいなもん?」
「そういうことだ。佐藤の馬鹿にお前を取られたくない」
「あんたが、シズのことを本気で諦めることができるなら、相談に乗る」
精一杯の譲歩だった。
小西が、ここまで譲歩したのだ。私だって、多少の譲歩はするよ。
読んでいただいて、ありがとうございました。