だって僕はもうとっくに
こつん!と小石が窓に当たる音と、誰かが叫んでいる声で目を覚ます。
「おい、康太!いつまで準備してんだよ、もやし男」
…声の主は、僕の彼女の美奈だ。女のくせに、口が悪い。ちなみに、もやし男というのは、肌が白くてガリガリの僕についたあだ名だ。
美奈とは幼馴染で、小中高とずっと一緒だ。高校で離れるものだと勘違いして早とちりした僕が、高校受験の直前に美奈に告白し、OKを貰えたのだ。
お互い家がすぐそばにあるため、毎日僕らは一緒に登校している。
窓を開け家の前を見下ろすと、美奈と目が合う。
「え___それもしかしてパジャマ?…信じらんない!バカ?先に学校行っちゃうよ!」
「…すまん、寝坊した。マジすまん」
「ドアホ!」
美奈の罵声を浴びつつ一階に降り、急いで支度をして玄関を出た。美奈はもう行ってしまっただろう______あれ?
「…遅い。もうこれは遅刻だよ、きっと。ていうか絶対」
「…はぁ。なんだかんだお前ってやつは待っててくれるんだよなぁ〜…」
「うるさい!バスはもう間に合わないから、ダッシュするよ!」
美奈と大急ぎで走っていると、僕の足元に美奈の背負っているリュックからキーホルダーが落ちた。…これは、僕が美奈と付き合ってから1ヶ月経った日にプレゼントした僕とお揃いのクマのキーホルダーだ。
足を止めて拾い上げ、顔を上げる。
「美奈!クマ落ちて___」
「あ」
「______美奈」
美奈はその時、トラックに轢かれて、あっさり死んだ。
運転手は飲酒しており、居眠りし、トラックは歩道に大幅に乗り上げていた。
そのあと、僕は、僕は、後悔して、後悔して、…僕が寝坊なんかしなければ良かったと、…僕が悪くて、悪くて、後悔して後悔して後悔して後悔して______
気づけば、毎日、毎日、
自傷行為を繰り返していた。
…僕が悪いから。
***
「………っ、……あ」
痛い。痛い。腕が痛い。
僕の部屋のじゅうたんの赤黒いシミは、まだお母さんにはバレていない。腕の、色素が落ちた何本もの傷跡は、まだ友達にもバレていない。
「美奈」
思えば美奈は僕の全てだった。美奈が世界の中心だった___いや、美奈自身が僕の世界だったのだ。
「…僕が悪いよな」
腕の痛みで気が狂いそうだが、このまま狂ってしまったほうが楽なのかもしれないとすら思った。
学校にこそ行けているものの、以前と比べ元気は全く無かった。当然、友達からは心配された。
大丈夫?と聞かれたら、誰だって、大丈夫だと答えるに決まっている。
「美奈……っ」
涙で視界がぼやけ、ぎゅっと目を閉じた途端、僕は。
___闇の中に______
…いや___闇ではなく___確かに色は真っ黒だが___僕からしたらそれは光だった。
「久しぶり、康太」
「………美奈…」
…また視界がぼやけてゆく。美奈も一緒にぼやけてしまうのが、嫌で、怖くて、思わず抱きついた。…体温は全く感じられない。夢、だからだろうか。
「おっと…。…ごめんねえ、私のせいでそんなキモい腕になってんでしょ?…ごめんね」
美奈は背伸びをして僕の背中に腕を回す。
「…久しぶりって言ったけど___ごめん、ぶっちゃけあの時からどのくらい経ったのかわかんない」
「…今日は8月1日」
「お!そうなの?事故からは2ヶ月くらいか…、ていうか、ちょうど私たちの半年記念日じゃない?!…だから会えたのかな!」
「…」
「おいおい…いくら夢でもせっかくまた会えたんだからさ、そんなめそめそ泣いてばっかりいるなよ。…こっちだって、悲しいんだよ___う、うっ…、う」
「美奈…、ごめん、悪いのは僕だから、ごめん、泣かないで、ごめん」
「うっ、う、康太……もう、そういうの、やめてね、お願いだよ。もやし男なんて言わないから。いくらガリガリでも、私は康太が好きだから。だから、もう、やめて」
美奈は僕の傷だらけの腕におでこをつけて、肩を震わせて泣いている。と、その時、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を急に上げた。
「あ」
***
…
ここは…僕の部屋だ。目を覚ましてしまった。
「あ、って…なんだよ、美奈」
___また会えるだろうか。
***
「康太!康太康太康太康太!」
はっ、と目を開ける。…視界はほぼ変わらず真っ暗だが、美奈は、ぽっかりと、そこにいた。
「嬉しい…また会えた!…私、ちょっと気持ち悪いかな?もう…死んでるのに___夢に出てきちゃって」
「ううん、全然!美奈に会えて僕も嬉しい」
「あー、良かったぁ…」
「それはそうと、この間、何か言いかけてなかった?」
「へ?」
「あの…ほら、めっちゃ泣いたじゃん、僕ら。それで…」
「あ。あれか!あれはね。いいこと思いついたな〜、って思って」
美奈がゆっくり近づいてきた。
「ねえ。また、腕見せてよ」
「…なんだよ。もう、あれから何もしてねえよ」
「ほほー!偉い偉い!…ふふ」
美奈___この間とどこか雰囲気が違う気がする。
「治りかけが1番痛いんじゃないかなぁ…。きっと」
「は?…どういうこと___」
その瞬間、びりり、と大きな音を立てて皮膚が傷口に沿って破れた。…いや、破れたんじゃない。
___美奈が、両方の親指を使って傷を開いたんだ。
「うわあっ!!」
美奈を思いっきり突き飛ばした。
痛い。痛い…なぜだ?夢だこれは夢、夢なのに___
夢なのに、
燃えるような痛み。
血が、激しく動く心臓に合わせてドクドク溢れ、真っ黒な床に吸い込まれて溶ける。
「ちょっと…突き飛ばさなくたっていいじゃん。痛いよ〜。…そっちのほうが、私よりも全っ然痛そうだけどね___あははっ」
僕は確信した。
…これは、美奈じゃない。美奈じゃなくて、きっと、病んでいる僕が作り出した美奈であって、あの時僕を起こしてくれた美奈じゃなくて___
「あ、顔真っ青だよ、大丈夫?…それ以上白くなったら本当にもやしになっちゃうよ。ていうか男なんだから、私より白くなるなよー!」
僕が着ている制服が赤黒く染まってゆく。
「…もしかして、私が私じゃないとか思ってない?残念、私は康太と付き合ってたあの美奈だよ!康太の目の前で、トラックに轢かれて死んじゃった、可哀想な私」
…夢なら覚めてくれ。
「うわぁ、手首って結構血出るんだね…グロっ!私が事故った時に頭から出した血の量とさほど変わりないんじゃない?人間の身体って不思議だねえ」
どうしてそんなに楽しそうに笑っている?
「ああ…1人でべらべら喋っちゃってごめんね!また康太と一緒に居られると思うと嬉しくて。…私、まだ康太のこと大好きだからさ」
血が大量に抜けたからだろうか、全身の震えが止まらない。
「私もずっと康太のこと好きだったから、康太から告白してくれて本当に嬉しかったよ。どうせ両想いだったんなら、もっと早く付き合っていたかったねっ」
…起きたら僕はどこにいるんだっけ。そもそもこの夢を見る前僕は何をしていたっけ。
「まあこれからはずっと一緒にいれるんだから、遅かろうが早かろうが一緒だよね。…ねえ。どうして後ずさるの?この前は抱きしめてくれたじゃん。血なんか気にしないよ、また抱きしめてよ」
___僕は。
なるほど、と思った。
そうだとしたら、もしかすると。
だって僕は…
「…よう、渡辺」
やっぱり、そうだ。
…こいつも連れていきたいな。
「え、……康太?!お前…」
「ああもう言わなくていいよ___なんとなく気づいてるから。…そんなことより、お前の夢の中でまた会えて嬉しいよ」
「あ、ああ…?ていうかお前……いや、なんでもない。___なあ、お前の両親が学校に来てたけどよ……、泣いてたぞ」
「ははっ」
______だって僕は、もう。