その3
銀行員
雨森は目を疑った。
それはそうだろう。
教会の天井から、ボトッ、ボトッとヒモが落ちてきた。それはとても重量があるらしくて、地面に落ちると生々しいベチョっという音がした。しかもそのヒモは生きていた。丸々と太っている。まるでついさっき人間でも丸飲みしたようだった。
ヘビだ。
それが天井から、ボトッ、ボトッと雨のように落ちてくる。
「無駄ですよ」
[無駄であるな]
神父とロザリオは、まるで「雨ですよ」「雨であるな」と天気の話をするような緊張感のなさで言った。
彼はとくに力を入れずにロザリオのナイフを振るった。目の前にいたヘビが苦悶の声をあげながら倒れ込んだ。同じことが続いた。ヘビの壁はどんどん薄くなっていった。
「うわー、さすがは殺人鬼さんだね。はんぱない」
「ちょっとちょっと、物忌みさん!」
「銀行員さんは黙っててね。役にたたないんだから」
「いやいや、このヘビって君の仕業なの?」
物忌みは、雨森を無視して神父に問いかけた。
「でも、なんでかな。なんで夜刀のヘビを殺さないの?」
「神である大統領がつくった創造物を殺すなど、わたしにはできない相談です。ですから、行動不能にするだけにとどめているのですよ」
「ちょっと待ってよ。あなたは教会の神父だよね。神様が大統領って、異端レベルの話じゃないと思うんだけど」
「いえ、違いますよ。ほかの全員が異端なのです。彼女こそが究極の神。それ以外など妖怪・物の怪の類に他なりません」
「なるほど、貴方は支配されてるんだね」
物忌みは理解した。
雨森はなにがなんだかわからない。
彼女はステッキを構えると、眉をつり上げて言った。
「それじゃあ、本気でいくからね!」
総会屋
逃げようか、どうしようか、ニートは真剣に考えている。
そりゃあ、自分としても、奴との対決は望むところである。しかし、いくらなんでも唐突すぎる。心の準備ができていない。ニートはあわあわし、視線を泳がせ、ニヤリと笑ってから、すたこらさっさと逃げようとした。
「ちょっと、どこ行こうとしてんのよ」
ジャンヌがニートの腕をつかんで言った。
「HANASE! ちょいとマズいんだよ」
「なにが?」
「俺様ちんのことを憎んでる敵が近くにいてだなあ」
「さっきの、とっつぁんって奴のこと?」
「いやいや、あんなスライムとは別格だよ。ラスボスラスボス!」
「なに言ってんの」
とにかく離せ、そう言おうとしたニートの耳に、こつこつという足音が聞こえてきた。
ニートは観念した。死刑囚が朝の足音に怯えるのと同じように、ニートはその足音に恐怖を感じた。それと同時に、ふうっと体から力が抜けた。顔には諦めが浮かび、満ち足りた人生を送ってきた老人のように優しげな瞳になった。
聞きたくない声がした。
「あら、どこかで聞いた声がすると思ったら、やっぱり兄さんだったんですか」
銀行員
物忌みが地面にステッキを突き立てると、神父の頭上からヘビの大群が襲いかかった。
さきほどの量をはるかに越えるヘビが次々と落下し、どしゃぶりの雨のように神父に降りかかる。
「無駄ですよ」
神父は動じない。
彼はロザリオのナイフを淡々と切りつけていった。ナイフが触れるたびにヘビたちは動かなくなっていく。まったく相手になっていなかった。それでも問題はなかった。
「黒龍、召還!」
頭上からのヘビは詠唱の時間かせぎ。
いま、周囲にはりまぐらされた護符の中央から黒龍があらわれた。形状はふつうのヘビ。しかし大きさが段違いだった。一瞬で成人男性を丸飲みにできそうである。
「なにこれなにこれ、特撮特撮!?」
一人パニくる雨森を残して、物忌みは黒龍に突撃を命じた。黒龍はくねくねと体を這わせながら、驚くべきスピードで神父に近づく、神父は哀れみの表情、人間の足ほどもある大きさのキバを前にして彼は動じない、ゆっくりとナイフを振るう、それだけで終了した、黒龍は地面に倒れ込みそれ以上動かない、物忌みがニコっと笑った、倒れた黒龍の後ろから、もう一体の黒龍が神父の体にまきついた、ブラフ・囮、黒龍が神父の体でとぐろを巻くようにして彼を締めあげていった。
「これでナイフは使えないよね」
物忌みが上機嫌で言った。
しかし、
「申し訳ありません」
[哀れであるな]
次の瞬間、神父にまきついていた黒龍が苦悶の絶叫を上げながら力を失い、地面に倒れこんだ。ナイフは使われていない。雨森は「どういうことなのどういうことなの」とつぶやいている。
「ロザリオさんの能力は、役職者が切りたいと思った対象にダメージを与えるというものなのです。ですから、実際にナイフを振るう必要はないのですよ」
丁寧に説明してくれた神父。
雨森はもう半狂乱だ。
「なにそれ、直視の魔眼よりタチ悪いじゃん! 浅上藤乃かよ! 凶れ凶れ!」
「銀行員さん、うるさい」
「だってだって」
「いいんだよ。大丈夫だから」
「いやいや、大ピンチ大ピンチだよ! こうなったら仕方ない。いいかい、僕が盾になってあいつの視線を遮るから、その間に君は逃げるんだ!」
混乱しすぎてどうしようもない。
物忌みは「ふう」とため息をつくと、雨森をビンタした。バチンっとすごい音が反響した。
「少し落ち着きなよ」
「殴ったね、おやじにも殴ら、」
「いいからそういうのは。ここ現実だから。ね?」
「でもどうするのさ!」
だから大丈夫なんだよ、と物忌みはニヘラ笑顔で童貞の心を奪い去った。
「わたし達がするべきなのは、時間かせぎなんだから」
総会屋
ニートは近くの喫茶店にいた。
テーブルには、3人が座っている。
ニートにジャンヌ、そしてニートの妹である大統領だ。
「久しぶりですね、兄さん」
大統領は優雅に紅茶を飲みながら口を開いた。
漆黒の黒髪に切れ長の瞳。肌は陶器のように真っ白。服装はブレザー型の学校の制服で、お嬢様然とした雰囲気が100倍になっている。そして何より、ジャンヌに劣らず胸がでかかった。
「おひさー。元気にしてたかい?」
「ええ。この2年間、兄さんのことを忘れた日はなかったですよ」
「おーおー、ずいぶん恨まれたもんだなあ。まあでも、この町からお前を追い出した張本人だもんなあ、それも当然か」
「なに言っているんですか兄さん」
彼女は紅茶のカップをテーブルの上に置くと、人を殺せそうな満面の笑顔で続けた。
「愛ですよ愛」
「haha」
兄妹みずいらずの会話を背筋に嫌な汗を感じながら楽しむニート。
彼は目玉をぐりぐり動かして状況確認にはげんでいた。ウェイターや周囲の客たちの様子は普段通りだ。隣のジャンヌもムスっとしているが相変わらず胸がでかくてイヤになる。とりあえずまだ支配されていないようだ。しかし油断はできない。ニートは気づかれないように周囲に気を配った。
「そんなにキョロキョロしなくても大丈夫ですよ兄さん」
「んんッ、なんのことかな?」
「今日は下準備しかしません。完膚なきまでに兄さんを叩きのめして、泣かして、命乞いさせて、わたしのものにするのは明日からです」
「わー、すごく嬉しい! でもでも、さっきはとっつぁんと何かしゃべってたんじゃないの?」
大統領は、そのことですか、と興味がなさそうに言ってから続けた。
「教会の神父が暴走しているという話をあの警察の方がしてくださいましてね。協力してほしいということだったので、ボイスレコーダーにメッセージを録音したんですよ」
「どういうこった?」
「わたしの本当の奴隷は貴方と弟で十分ということです。彼はあまりにも狂信的で、警察にも目をつけられていましてね。しょうしょう使いがってが悪くなったので、」
大統領は、紅茶を置くとにっこり笑って言った。
「切り捨てました」
銀行員
時間かせぎ。
その言葉の意味を雨森は早々に知ることになった。
「幻覚教会の神父、ワシントン・K・スズキだな。傷害罪の現行犯で逮捕する」
ドアをぶち破って現れたのはとっつぁんだった。
後ろに警官を従えた彼が、悠々と教会内部に進入し、殺人鬼の前に立つ。今のとっつぁんは本気モードだ。それは彼が警察の制服ではなく、刑事課時代、悪魔のトレードマークとして恐れられた茶色のコートを着ていることからも分かった。
「誰かと思えば、警察の方でしたか」
神父が哀れみの笑顔とともに続けた。
「しかし、警察ごときにわたしを止められると思っているのですか? 強行突破することなど簡単なことですよ」
「あまり俺らを舐めないでほしいね。日本警察の組織力は世界一。だから、こんなことだってできちゃう」
とっつぁんは、四次元ポケットと噂されているコートの懐からボイスレコーダーを取り出した。
怪訝そうな顔を浮かべる神父。とっつぁんは、これほど頼もしく思えたことはない悪魔の笑顔を浮かべてから、ぽちっとレコーダーのスイッチを押した。
「神父さん」
それはまぎれもなき大統領の声だった。
神父はその声を聞いた途端、「おお」と感極まった声をあげ、恍惚とした表情を浮かべた。しかし、その興奮は、一瞬のうちに崩れさった。
「あなたはもう私の奴隷ではありません。顔も見たくありません。早々に幻覚町から去りなさい。それがイヤなら選択肢は一つです。自殺しなさい」
ブツっ。
声は途切れ、沈黙が訪れる。
大統領に慈悲はなかった。いらなくなった玩具は捨てる。ゴミはゴミ箱に。いくつものコンマとピリオドとコロンとセミコロンに挟まれた言葉を読むもう一人の大統領は、彼女を敬愛する500万人の人々を愛することはないのだ。
「おおおッ」
神父がロザリオを落として地面にヒザをついた。目は虚空を漂い、わなわなと震えている。神に見放された彼はもろく、一人ぼっちで、殺人鬼を背負うにはあまりにもちっぽけだった。
「連行しろ」
とっつぁんが言い、警官がワシントン・K・スズキに手錠をかけて連行した。
悪魔の味方は悪ぶりもせずに、雨森に向かってこう言った。
「よお、おとり捜査、ごくろうだったな」
「ああ、そういうことだったんですか」
「おうともさ。そっちの彼女は、銀色のブレスレットをプレゼントしたときに気づいてたみたいだけどな」
「うちの家族は鈍感なのが多いんですよ。その最たるのが僕なんです。兄さんより鈍感とか、ギネスにのれると思いませんか」
雨森は利用されることに慣れていたので、これくらいのことで腹を立てることはなかった。それよりも、連行された神父こそ心配だった。
「彼はどうなるんですか?」
「そうさなあ」
「被害届けはだしませんよ。あと、被害者は処罰を望んでいないって、ちゃんと書類にしておいてくださいね」
「おいおい」
「約束してくれないと、警察を買収します。なんなら検察も買収して不起訴にしてもいい。あなたみたいに強い人ばかりじゃないでしょう。一人1億円くらい積めば、簡単に思いのままじゃないですか?」
「おお怖い。ったく、ガキに金もたせるとコレだから始末におえないんだよなあ」
わかったよ、ととっつぁんは約束した。でもなんでそこまでするノン? という質問に対して雨森は淡々と答えた。
「神父さんだって犠牲者なんですよ。これは家族の問題です。姉の暴走を止めるのは、いつだって兄弟の役割ですからね」
雨森は教会のステンドグラスを見つめた。
十字架に磔にされた「救い主」。無償の愛と完全な支配の近接性にガラにもなく思いをはせながら、彼は姉の心配までし始めていた。
総会屋
大統領は紅茶を優雅に飲み終えた。
紙フキンで口をふく。
几帳面にフキンを4つに折ると、カップの横に置いた。
その一つ一つの動作はあまりにも魅力的で、周囲の人間は彼女が口をつけた物をなんとか手に入れたいという欲求を我慢するのに相当な努力を強いられた。
「それでは兄さん、わたしはこれで失礼しますね」
「おいおい、もういっちゃうのかよ」
「ええ。明日の準備がまだなので」
「まだいいじゃない。明日なんてこないよ」
ふふっと笑う大統領と顔をひきつらせるニート。
それまで黙っていたジャンヌが不機嫌そうに言った。
「ねえ、そこのアンタ」
大統領へ向けた言葉。
しかし、彼女はジャンヌに対してなんの反応も見せなかった。話しかけることはおろか視線すら向けない。ニートとの会話の最中と同じく、大統領はジャンヌが存在しないかのようにふるまっていた。
「ねえねえ、妹ちゃん。ジャンヌさんが聞いてるよ?」
「ええ。それでは御機嫌よう、兄さん」
「いえ、あのね」
カチン。
無視されて黙っているジャンヌではない。
彼女は大統領の肩をつかもうとした。店内に一瞬の緊張が走る。やばい。ニートはテーブルを乗り越えると、大統領とジャンヌの間に入りこみ、金髪の体を力いっぱい抱きしめた。
次の瞬間、大統領の視線がジャンヌに向けられた。一瞥しただけだ。まだ本気ではない。なのに店内にいたニートとジャンヌ以外の人間の運命は変えられた。奴隷化が完了したのだ。
「ふふっ、楽しみはとっておきましょう」
大統領はゆっくりと喫茶店から出ていった。
その後を、店内にいた客やウェイターが続いていく。彼らは恍惚とした表情で、大統領の後を夢遊病患者のようについていった。




