エピローグ
総会屋
「おい、醤油とってくれ」
ニートが言った。
彼と彼女はアパートの一室に居をかまえていた。朝食の最中らしく、昭和のちゃぶ台の上にはご飯と味噌汁、煮物に漬け物、目玉焼きがのっている。
「はい」
ジャンヌが醤油をとってやり、それをニートが無造作に受け取って目玉焼きにかけた。ニートはむしゃむしゃ食べる。ジャンヌは彼のことをじっと見つめている。彼女はムっとして言った。
「こら、ちゃんと煮物も食べなさい」
「なんでですかー」
「野菜よ野菜。温野菜も食べなきゃダメ」
「なんだいなんだい、どこの母親だよおまえは」
「母親じゃなくて妻なんですけど」
ぶううッ!
ニートは飲んでいた味噌汁を吹き出し、ジャンヌのことを見つめた。相変わらず胸のでかい女だなと思ったニートは、彼女がしてやったりという笑みを浮かべているのを見た。
「イタズラ女めが」
「え、婚姻破棄?」
「誰が!」
「次にあうのは法廷ね」
完全に主導権を握られている。
ニートは、けっと吐き捨てるとズズズっと味噌汁をすすった。ジャンヌは満面の笑みで胸をおしつけた。
「ひいッ」
「無視しないで(ぐりぐり)」
「食べます! 食べますから!」
がつがつがつ。
煮物があっという間になくなり、ジャンヌは満足そうに笑った。ニートは「ううう」と呻いて巨乳に恐怖している。
「ちくしょう、なんだってこんな目に」
「しかたないでしょ。大統領がまたいつ攻めてくるかわからないんだから」
「それ、チミが俺の家に住む理由にならんよね?」
「愛してるって言ってほしいの?」
「ううぅッ!」
熟練の域に達した夫婦漫才が今日もさえわたる。
主導権を握られっぱなしのニートは、今日も今日とてジャンヌの尻にしかれていた。
雨森大樹
雨森と物忌みは山の上にたっていた。
幻覚町を一望できるそこで、彼と彼女は手をつないでいた。それはとても自然な手のつなぎ方だった。雨森と物忌みは互いの体温を感じながら、幻覚町の町並みを見下ろしていた。
「あんなことがあったなんてウソみたいだね」
「そうだね」
どちらかが言って、どちらかが答えた。
「なんだか頭にモヤがかかったみたい」
「たしかに。まるで夢みたいだ」
「傷は大丈夫?」
「すっかり直ったよ。そっちは?」
「平気だよ」
二人は黙った。
物忌みが言った。
「もうすぐ雨が降るよ」
それは静かな声だった。
「雨が降ったら、わたしは行かなくちゃ」
「また会えるよね」
「わからない」
「でも、」
「わからないんだよ」
二人は黙った。
ペナルティなのだ。どうすることもできない。少なくとも、今は。
雨森はぎゅうっと物忌みの手を握った。彼女はその手を一瞬だけ強く握ると、すぐに振りほどいた。二人が山の上で向かい合う。雨森が言った。
「僕はもう一度、銀行員になるよ」
「うん」
「そのときは、隣にいてほしい」
「うん」
そのとき、ザアアっと雨が降ってきた。
降水確率0パーセントがはずれた。それはどしゃぶりの雨だった。
雨森は彼女が顔をゆがませるのを見た。くしゃっとなった顔はそれでも笑っていた。
「それじゃあ、雨森くん」
かすれた声が言う。
しだいに彼女の姿が雨にまぎれ、ぼんやりと薄くなっていった。
「またね」
彼女は消えた。
雨森はぼんやりとそこに立ちすくんだ。
彼にはなにも見えなかった。どこにも出口はないように感じられた。胸にぽっかり穴が空いたようだった。
雨が唐突に止んで、かんかん照りの太陽が姿を現した。葉っぱには水滴がたまり、そこに光が反射してもう一つの世界をつくる。緑の上に、万華鏡のような異世界が数えきれないほどにたまっていった。
銀行員でなくなった彼は万華鏡の中で泣いていた。声はもらさず、涙も落とさなかった。
どこか別の世界では、雨が降り続いている。
これで終わりです。
続きが書ければまた書いてみたいです。




