「暗闇の一週間」
暗い、そして寒い。毛布にくるまっていなければそのまま凍死してしまいそうだ。
ぼくは暗闇に中にいた。
もうこうして一日が過ぎている。
救援はまだ来ない。被害か大きすぎるから来れないのか、それとも他の理由があるかどうかまではわからなかった。
関東一円を襲ったであろう大震災は、ぼくに平穏と暗闇とをプレゼントしてくれた。
災害に出会っていて「平穏」とはおかしな話だが、この言葉には二つの意味がある。
一つは「静寂」。震災後、すべての音が消え失せた。外の様子はわからない。窓という窓がすべて瓦礫によってふさがれてしまっているからだ。携帯も不通。通話どころか情報を見ることすらできなかった。
幸いなことに食料もそこそこある。水分に関してもジュースなどをそれなりに節約していけば何とかなるだろう。
そしてもう一つは。
「どうなさいましたか?」
心配そうなのぼくの顔を覗き込む彼女の姿があった。
彼女といっても、いわゆる恋人としての「彼女」ではない。そして、人間でもない。
なぜならば。
彼女はロボットなのだから。
彼女は家政婦ロボットだった。姿は人の容姿をしていない。形は人型だが、その利便性を追求したが故の長い腕、軟性ゴムの無限軌道(キャタピラ)、そのグレーのボディはまさしくロボットだった。
それでも、ぼくと彼女の付き合いは十年以上になる。
たしか、ぼくが小学生になった頃、彼女は家にやってきた。
両親は仕事でほとんど家にいない。ぼくが小学生になるまではと母は仕事をせず家にいてくれたが、小学生になった途端、仕事を見つけ家に帰ってこなくなった。
それは重々承知していたことなので、特に違和感を感じなかった。
彼女が家に来た時のことを、僕は今でも思い出す。
それは、その当時の最新式モデル。掃除も料理も、そして小学生程度の勉強であれば家庭教師の代わりまでしてくれるまさしく万能ロボットだった。
初めのうちは、ロボットが家にいるというだけでわくわくとした毎日を過ごしていた。しかし、それが二年も三年も経ってくるとだんだんと状況は変わってくる。
近所で一番最初に購入した頃は、友達を家に呼んでロボットを自慢したりもした。しかし、だんだんと月日が経つにつれ、ロボットが普及し始めると最新だったぼくのロボットは一番の旧式になっていった。
初めは彼女といろいろな話をしていたものだ。ネットワークとリンクしている彼女の話題は豊富でどれだけ話をしても話題が尽きることはなかった。
しかし、その感動も長くは続かなかった。
彼女はロボットだ。それは十分に分かっている。しかしそれでも、彼女に「心」がないことに気付いた時の失望感は大きいものがあった。
彼女の頭の中は0と1の羅列でしかない。書き込まれた数式、プログラムを実行しているだけであり、彼女の行動は人間の模倣でしかないのだ。
そんなことを考えているうちに、ぼくは彼女と会話をすることはほとんどなくなってしまった。
日常生活の上で、彼女と会話する必要などない。最低限の指示で彼女は動いてくれたし、ぼくも彼女とあまり話をしないようにしていた。
そして、五年以上もほとんどまともに会話をしなかった二人が会話をしている。正確には一人と一台だが。
暗闇の中、することもないぼくにとって久しぶりの彼女との会話は楽しかった。
彼女はうれしそうにぼくとの会話を楽しんでくれた。いや、楽しそうに見えた。彼女はロボットだ。決められたアルゴリズムにのっとり、その定められたルールに従って動くロボットなのだ。
それは分かっている。熟知している。人工知能というものが、今現在をもってしても人間の知能に遠く及ばないことは十二分に理解していた。
それでも、ぼくは彼女との会話になぜだろうか、「心」を感じてしまっていた。
彼女はぼくについて話す。小さかった頃のぼくのことを。そのとき彼女が何を「感じ」とっていたかということを。
ぼくが彼女との距離をとり、機械的に付き合うようになって「寂しく」感じてしまったことを。
ぼくが高校を卒業し、大学に進学。そして、再びぼくの世話をするためにぼくの住むアパートに行くことに「喜び」を感じたことを。
「これを、『感情』というのでしょうか…私には理解できません。思考が不安定です」
ネットワークに接続されていない彼女の思考には制限がかかる。それ故に、今の彼女はまさしく「彼女自身」といえた。
「不安に感じることはない」
そう言いながらも、ぼくの心は不安でいっぱいだった。不安定なのはネットワークにせつぞくしていないためだ。しかし、ネットワークが復旧してしまえば、おそらく彼女は彼女でなくなる。ネットワークに接続すると同時にプログラムの修正がかかり、彼女は「ロボット」に戻ってしまう。均一の思考、それは「個」を失うこと、並列化した個性はいわばぼくにとって「無」になるになるのと同義だ。
「私はこの『気持ち』を忘れたくありません」
彼女のブルーの瞳が輝きを増す。暗闇の中で彼女の瞳だけが唯一の光源だった。
救援はいつ来るのだろうか。
早く来てほしいという気持ちと、彼女をこのままにして欲しいという気持ちとがせめぎ合っていた。
彼女のネットワーク接続はセキュリティの観点から設定を変更することはできなくなっている。
今のぼくには何もできない。
それが悔しかった。
そして、閉じ込められてから一週間が過ぎた。
豊富にあったかと思われた水と食料は二日前の昼で尽きた。
そして、問題はこの寒さだ、
失いつつある体力ではもうすでに熱を作る余力さえない。
「大丈夫ですか?」
心配そうにぼくの顔を覗き込む彼女。
その瞳に光はない。節電モードに入っているのだ。
充電なしで一週間。ほとんど動いていないとはいえ彼女のバッテリーもそろそろ限界のはずだ。
このまま、この暗闇の中で死んでしまうのだろうか。
一抹の不安が脳裏をよぎった。
しかし、それも一瞬のことだった。それも悪くない。彼女と一緒ならば悪くない気がした。
「…音が、聞こえます」
彼女の声が聞こえた。
それは一瞬錯覚かと思われた。
確かに聞こえる、これは人の声。
話し声だろうか。
行方不明者を捜索しているという声ではない。それはそうだろう、災害があってから一週間。この寒さの中で生存者の確率は皆無。瓦礫の撤去と不明者の遺体の捜索が主な任務だろう。
声を出し、救出を求めたくとも声が出なかった。起き上がろうにもその力だがなかった。
「今まで、ありがとうございました」
彼女の腕がぼくの頬に触れる。何事かと意味を理解する前に、彼女の体から大音響のアラームが鳴り響く。それは、彼女の最後の切り札。非常時における警報アラームだった。家事や災害、不法侵入者に対しての警報システムだ。
やめろ!
ぼくは身動きできないまま叫んだ。
彼女は最後の力を振り絞ってぼくを助けようとしている。
しかし、それは彼女のエネルギーを使い果たす結果になる。
このままでは、彼女の「心」が消えてしまう。
警報は、ぼくが救出されるまで鳴り続けた。僕が助け出された時、彼女の警報は既に、聞き取れないほどの音にまで小さくなっていた。
ぼくが救出されてから、一週間が過ぎた。
命に別状はなく、手足に軽い凍傷があるくらいだった。
ぼくの救出劇はテレビなどでも大きく報じられ、救出後三日もしないうちに多くの報道陣がぼくの元を訪れ、一週間の生存劇を事細かに質問していった。
その中でも、彼らが一番注目したのは「彼女」の存在だった。
話を聞いた報道陣の誰かが、そのことにひどく関心を持ち、いろいろな機関に問い合わせてくれたみたいだが、専門家の意見では「そんなことはありえない」ということだった。
彼女はここにはいない。救出時、人間を救ったロボットとして回収されたということまでは聞いている。そして、そのまま修理機関に搬送されたことも。
そこで、彼女は検査され、修理され、整備され何もかもが新しくなって帰ってくるだろう。しかし、それはもうぼくの知る「彼女」ではない。
そう思うと悲しかった。あの暗闇の中での一週間が、ぼくにとってはとても輝いて見えた。
またさらに一週間が過ぎた。
ぼくは避難所に移ることになった。震災の被害はすさまじく復興までどれくらいかかるのか見当もつかないとのことだった。
そして、ぼくの元にロボットはやってきた。
ボディはすっかり新しくなり、動きも以前に比べて滑らかになっていた。
「おかえり」
ぼくはささやくように言う。たとえ彼女がぼくのことを覚えていなくても、ぼくは彼女のことを覚えている。あの一週間のできごとをぼくはきっと忘れない。
彼女の腕がすっと伸びてぼくの手をつかむ。
何事かと思うその前に、彼女の腕がぼくの体をそっと抱きしめた。
「ただいま、帰りました」
彼女の声が、ぼくの耳にやさしく響いた。
後日談だが、彼女の型式が古く故障したネットワークシステムは修理できなかったということだった。




