「夢を見た男」
俺はレストランで食事をとっていた。
人気のあるレストランらしく、店内は満席状態だった。
おしゃれな内装の店だ。
出されている料理も高級そうで、実際食べてみると、陳腐な言い方だが。ほっぺば落ちそうなほどにうまい。
「これで、彼女が目の前にいればなあ」
言っても仕方のないことを口にしてみる。
「その願い。叶えてあげましょう」
唐突にかけられた言葉に俺はびっくりして前の席を見た。
一人で食事をしていたはずなのに、そこには一人の男が座っていた。
奇妙な男だった。格好はどう見てもピエロのそれだった。
「どういうことだ」
「私は『夢を売る男』でございます」
「夢を売る男?」
胡散臭い。明らかに胡散臭い。
こういう類の人間にはあまりかかわりあいたくないものだ。
「それで、そんな何でもできそうな人間がどうして俺のところに?」
自慢ではないが、俺には金も何もない。
ここで食事をしていることだって…ん。俺はどうしてこんなレストランで食事をしているんだ。そんな金は持っていないはずだったが。
「おや、お気づきになりましたか。これはあなたの『夢の中』でございます」
ああそれで。
俺はようやく納得した。
ならば、この男も俺の夢の産物なのか。
そう思うと、ちょっとだけ気が楽になった。
「しかし、夢の中で夢を売られてもなあ」
「何をおっしゃいますやら」
ピエロはほほほと笑う。
「よく考えてください。人の平均睡眠時間は約八時間。一日の三分の一でございます。人生九十年と考えると約三十年、人は睡眠にその時間を使っているということです」
ピエロの言葉に俺は納得する。
「ならば、その三十年間を自分の思い通りにすごしてもいいではないですか」
確かにそうだ。それは考えてみればすごくもったいないことをしている気がしてきた。
「しかし、支払いはどうするんだ。今は夢の中にいるからこんなところで食事をしているが、実際の俺には金なんてないぞ」
うまい話には必ず裏がある。夢の中でもそれは変わらないだろう。
「確かに、夢を売る以上その対価は必要になってきますな」
いつの間にか出された食事をおいしそうに食べながらピエロはにんまりと笑う。
「それは『夢支払い』でお願いいたします」
「夢支払い?」
「はい、あなた様の夢の中で時々私が代金の回収に参ります。その時にお支払いいただければ大丈夫でございます」
夢の中で支払いをするとは、なんだか夢見が悪い。
「何度も言いますが、ここはあなたの夢の中でございますよ。夢の中で私の望むものを差し出していただければそれで十分でございます」
ピエロは丁寧な口調だった。
夢でこのピエロの望むものを渡してしまえばいい。つまり現実には何の影響もないということか。
「いいだろう。とりあえずなにをすればいい」
ピエロはにんまりと笑った。
「何もする必要はございません。見たい夢の内容をおっしゃっていただければ、私が夢を準備いたします」
まあいい。
「わかった。しばらくお前の話に付き合ってやろう」
どうせ夢の中だ。それほどの影響はないだろう。
そう思ったとき、手のひらがちりちりとしてきた。
「そろそろ、夢が覚める時間でございますな」
そうなのか。今まで意識したことはなかったが、夢から覚めるというのはこんな感覚なのか。
「それでは、良き現実を」
ピエロは霧のように消えていった。
俺は布団の中で目を覚ました。
薄暗い。まだ早朝なのか、カーテンから差し込んでくる日差しも弱々しいものだった。
「やっぱり夢か…」
まあ、面白い夢だった。夢だったのだから、あのピエロの話に付き合ってもよかったのかなと思ってしまう。
「とりあえず、バイトの順備をしないと」
俺は体を起こす。その時になって、俺は違和感に気づいた。
俺は何かを手に握っていたのだ。
それは、俺が夢の中のレストランで手にしていた銀のスプーンだった。
もちろん、こんな高級そうなスプーンが俺の家にあるはずもない。
これは、夢の中の…物なのか?
俺はそう思いながら、スプーンをテーブルの上に置いた。
そのままバイトの準備に取り掛かる。
そして、そうしているうちにスプーンのことなどすぐに忘れてしまった。
その晩の夢の中。
「こんばんは。おやおや、今日は落ち着いていますね」
俺はピエロと食事をとっていた。
昨日、正確には昨晩の夢の中と同じレストランだ。
料理は昨晩とは違っていた。これもまたおいしい。
「どうですか、少しは信じていただけましたでしょうか」
「ああ、少しは信じてみようかと思う」
俺の言葉にピエロはにんまりと笑みを浮かべた。
このピエロに出会ったら何かを聞いてみようかと思っていたのだが、思い出せないでいた。
「よろしい。それではどんな夢を見たいのですかな」
「彼女が欲しい。そして、このレストランで一緒に食事がしたい」
「なんだか質素な願いですね」
うるさいな。とりあえず当たり障りのない願いを言ってみただけだ。
俺はどうものこピエロが信用できない。
だから、まずは被害の少なそうな夢を言ってみただけだ。
「よろしいでしょう」
ピエロは納得したようにうなずくとぱちんと指を鳴らした。
とたんにピエロの姿が消える。
周りを見回してもその姿はどこにもなかった。
昨日と同じ、レストランのままだ。
まさか、だまされたのか。
そう思いながら、俺は食事を続けようとフォークとナイフを手にしたそのときだった。
「この席空いていますか?」
控えめな感じの女性の声がした。
顔を上げるとそこには落ち着いた感じの女性の姿。
それが、俺と彼女の最初の出会いだった。
それからのことは多くを語らない。
ただ、俺は出会ってからずっと彼女に夢中だったということだけは言っておこうと思う。
それは夢の中だけの出会いだった。
彼女と出会うことのできる時間は限られている。
そして、目が覚めたときに彼女がいないというその現実に何度絶望しただろう。
毎日の生活に何の魅力も感じなくなったこともまた事実だった。
寝ることだけが、彼女と会うことだけが俺の生きがいだった。
ピエロは彼女と会うようになってから、出会うことはなくなった。そのことを最初は気にしていたが、やがて気にならなくなった。
いったいどれだけの月日を共に過ごしただろう。
「結婚しよう」
もう、彼女なしでは生きられないと感じてしまうほどに彼女のことを愛してしまっていた。
彼女は俺の言葉を聞いて泣き出した。それが、歓喜の涙だということを俺は知っていた。
しかし、現実の世界に彼女は存在しない。ここは夢の中なのだ。
そして、俺はあることに気づいた。
確か、ピエロと出会ったその日、手にしていた銀のスプーンを俺は現実の世界に持っていけたのではなかったか。
電撃が走ったかのように、俺はその場に凍りつく。
それは果たして可能なのだろうか。
いや、あれが本当に夢の中のものを現実に持ち込んだことになるのだろうか。
手のひらがちりちりとしてきた。
そろそろ夢が覚めてしまう。
「俺は君と離れたくない!」
「私もあなたと離れたくないわ!」
俺は彼女をぎゅっと抱きしめる。力の限り抱きしめる。
早く覚めてしまえ。
俺は心の中で念じた。強く強く念じた。
彼女のことも同じくらい強く念じた。
そして。
俺は見慣れた部屋の中で目を覚ました。
抱きしめていたはずなのに、ずっと放さないと誓ったはずなのに。
自然と涙があふれてくる。俺はまた戻ってきてしまった。現実の世界に、彼女のいない世界に。
ふと、涙する俺の顔をそっとなでる優しい手があった。
慌て身を起こす。
そこに彼女の姿はあった。先ほど別れたときと同じ格好のまま。彼女は布団の中にいた。
「きちゃいました」
彼女は笑う。
俺もつられて笑う。
彼女を現実の世界に連れてくることに成功した!
なんと喜ばしいことか。
「大好きだよ」
「私も大好きです」
もう一度彼女を抱きしめる。
絶対に放さない。もう決して手放さない。
彼女のぬくもりを失いたくないと切に願った。
「おやおや、夢のものを現実世界に持ってくるとは…それはルール違反ですよ」
ぞくりとした。
振り返るとそこには、夢の中で出会ったピエロがいた。
「何で、お前がここにいるんだ」
俺の質問に、ピエロはにんまりと笑う。
それは人を小馬鹿にいたような、醜い笑みだった。
「あなたが彼女をこの世界に連れてくることができたように、私もこの世界に来ることができるのですよ」
ピエロは俺の前に音もなく立つ。
「では、お客様『夢支払い』のお時間でございます」
ピエロの言葉に、俺は寒気を感じた。
そうなのだ。最初のときに確かにそういう話をした。
しかし、ここは現実の世界だ。支払いを求められたも何も出せるものがない。
「私が欲しいものは、あなたのその後ろにいる彼女でございます」
「嫌っ!」
彼女は俺にしがみつく。俺も彼女の腕を強くつかんだ。
「お願いだ。彼女だけは勘弁してもらえないか」
ピエロは俺の言葉に首を横に振るばかりだ。
「夢の世界のものを|現実(この世界)に持ち込んだことに目をつむっているだけでも破格の対応なのですよ」
ピエロは、にんまりとした笑みを浮かべたまま。
静かにぱちんと指を鳴らした。
途端。
今まで伝わっていた彼女のぬくもりが唐突に失われる。
目の前にいたはずのピエロも消えていた。
何だったのだろう。
今までのことがおぼろげな記憶として希薄になりつつあった。
先ほどまでのことが現実だったのか、夢だったのかそれすらもあいまいになっていく。
「それでは、良き現実を」
どこからか、声が聞こえた。誰の声だったか。それも思い出せなくなっていた。
「さて、バイトでも探すかな」
理由は思い出せないが、俺はバイトをやめたらしい。いや、辞めていることを今思い出した。
部屋も散らかり放題だ。俺は今まで何をやっていたんだ。
おかしい、何か大切なことを忘れてしまっているような。大事な何かをなくしてしまっているような。寂寥感はあるのだが、その原因となるものが思い出せない。
俺はテーブルに置いてある缶コーヒーに手を伸ばした。
一口飲み、再びそれをテーブルの上に戻す。
カタン。
置こうとした缶コーヒーが何かに当たった。
よく見てみると、テーブルの上に何かがのっている。
それは、俺の家には不釣合いな立派な銀のスプーンだった。




