Gulf Storm~砂漠の無敵タンクバトル~
なにぶん、こういった短編形式での投稿は初めてになるので至らない部分があるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。それから、短編という割には長文です。
なお、演出の都合上、馴染みの無い単位や専門用語が頻繁に出るのはご容赦ください。
1990年8月2日のイラク軍による隣国クウェートへの突然の侵攻を受け、作戦名『デザート・ストーム:砂漠の嵐』として1991年1月17日に戦端の開かれた『湾岸戦争』は1ヶ月以上に及ぶイラク各地の軍事関連施設やイラク・クウェート両国に展開するイラク軍部隊(陸海空軍の全て)に対する一連の航空作戦と巡航ミサイルによる攻撃に1つの区切りを付けると、ついに多国籍軍地上部隊がサウジアラビアとの国境を越えてイラク・クウェート両国の領内へ侵攻し、クウェート全土の解放とイラクが誇る精鋭の共和国防衛隊を徹底的に叩き潰す地上戦の段階へと突入していった。
そんな中、後に伝説の戦車戦として様々な場面で語られる事となる戦いが左翼(西方)に展開した第18空挺軍団隷下のアメリカ軍第24歩兵師団を構成する第197歩兵旅団に所属する部隊で発生した。
この物語は、その第197歩兵旅団が第24歩兵師団の担当する戦区にあったイラク軍のタリル航空基地への攻略に参加した際のものである。
なお、これから記す戦闘の詳細に関しては未だに公表されていない部分も幾つかあり、あくまでも関係者の証言と一般に公開されている情報を基に推測も交えた再現エピソードという事であった。
◆
私(ケネス・テイラー、アメリカ陸軍の戦車クルーで階級は曹長)の所属する第24歩兵師団(戦車部隊と機械化歩兵部隊を中核に編成した諸兵科連合部隊)を指揮下に収める第18空挺軍団が展開した作戦区域には、共和国防衛隊に代表されるようなイラク軍の重師団(機甲師団や機械化歩兵師団)が配置されていない事が事前の偵察活動で判明していた為、国境を越えて地上戦を開始した時点でも敵の戦車部隊相手の大規模な戦闘などは発生しなかった。
しかし、それで我々の部隊が作戦地域を予定通りのペースで楽に進撃できたのかと問われれば、残念ながら答えは『ノー』である。
なぜなら、この戦区にはイラクと聞いて一般にイメージされるような乾燥した平坦な砂漠とは程遠いワジ(涸れ谷)や湿地帯で構成された地形が多く、特に湿地帯の方は直前に降った雨の影響もあってぬかるみ度が極端に悪化していたからだ。
実際、土地勘のあるイラク軍ですら夜間や悪天候時での移動には相当な苦労を強いられたらしく、私もワジでは横転したりひっくり返ったりした敵軍の戦車や車両を何両も目撃している。
そして、これらの自然の障害に遭遇して苦労させられたのは我々も同じで、湾岸地域に持ち込んだ多種多様なハイテク装備(長距離電子航法装置にGPS、サーマル・サイトやナイトビジョン・ゴーグル、小型赤外線発光ライトなど)によって突破には成功したものの多数の戦車や車両をぬかるみに捕られ、その度に動けなくなった車両を救出せざるを得なくなった事から当初の計画よりも多くの時間を消費する事態に陥っていた。
なので、誰が言い出したのかは知らないが、この忌々しい地域の事を仲間内では何時の間にか『まったく陰険な湿地帯』と呼ぶようになっていた。
ちなみに、この天候と地形の影響をまともに受けた第24歩兵師団でも私のいる第197歩兵旅団が遭遇した地形は特に酷かった上に、今のように夜間の進軍とあってはハッチから頭を出して肉眼で周囲を監視する(その構造上、戦車には死角が多いのと、『M1A1エイブラムス』には車長が砲塔内から視野を確保した状態で外を監視できる装置が搭載されていない)だけでも一苦労だ。
だから私は軽い口調ではあったが、操縦手のライアン・ウォーカー(2等軍曹)に対して慎重にルートを選んで戦車を走らせるよう警告した。
なお、戦車クルー同士での会話には搭乗している場所に関わらず(私を含む3人のクルーは砲塔部分で操縦手だけが車体部分)インターコム(車内用通信装置)を使用するのだが、これは単純に周囲が騒々しくても話すのに支障が出ないようにする(操縦手とは単純に距離がある)為である。
「ウォーカー、予定よりも遅れているようだが、それでも進行ルートは慎重に選べよ。なにせ、陰険な湿地帯の所為で回収部隊が残らず駆り出されてるから、万が一にもスタック(立ち往生)しちまったら泥の中で一夜を明かす事になるぞ」
「大丈夫ですよ、曹長。俺は新兵じゃないんだし、そんなヘマはしませんってば」
「そうか。まあ、お前がそこまで言うなら素直に信じてやるか。だが、もしスタックしたら本土の訓練学校で操縦の基礎を1からやり直してもらうからな」
「ええっ、そりゃないでしょう!?」
勿論、いま私が言った『本土の訓練学校で基礎を1からやり直す』という台詞はただの冗談であり、それに最初から気付いていたウォーカーもわざとらしく叫んで話を合わせてくれる。
すると、真っ先に砲塔上面左側のハッチから顔を出して私と同様に周囲を監視している装填手のエリック・オブライエン(2等軍曹)が楽しそうな声を上げ、彼に続いて砲手のヘンリー・ジャクソン(1等軍曹)も話に加わった。
「あっ、それ良いアイデアですよね!」
「じゃあ、スタック1回につきビールを1杯ずつ奢ってもらおうか」
一応、現在の我々は敵地で作戦行動を行っているのだが、こうやって任務に支障の出ない範囲で他愛のない会話を交わして緊張を解すのはいつもの事だし、特に禁止されている行為でも無かった。
そして、ここまでは最高時速の半分程度に相当する時速19mile(約30km/h)前後で順調に走行していた(咄嗟の出来事にも柔軟に対応可能で、安全かつ確実に夜間の不整地を走破できる速度)のだが、何の前触れもなく壁にぶつかったみたいな感じの激しい衝撃に襲われたかと思うと、その快適な走行性能から『戦車のキャデラック』とまで称される『M1A1エイブラムス』が急停止する。
「うおっ、一体、何が……! まさか、敵の攻撃なのか!?」
その為、私は真っ先に最悪の可能性を頭に思い浮かべ、険しい表情で辺りを見回しながら大急ぎでクルーにも確認を取る。しかし、その可能性は私自身が被弾に伴う爆発や発砲時の閃光、爆発音といったものを知覚していなかった事とジャクソンからの報告によって否定された。
「いえ、違います! サーマル・サイトに敵の反応はありません!」
新世代のハイテクMBT(主力戦車)『M1A1エイブラムス』の砲手である彼の手元には高性能な全天候型のサーマル・サイト(熱線映像照準装置)があり、この装置は気象条件が良ければ夜間でも3500yd(ヤード:約3200m)以上離れた対象の熱源を捉えて正確に照準を行う事が可能(ただし、敵味方の識別は別問題)だった。
なので、その彼が『サーマル・サイトに敵の反応が無い』と即答するのであれば、それは事実だと考えて良いだろう。
しかし、この装置には倍率に反比例して視野が狭くなるのと装置自体が砲塔に固定されている事で死角が生じ易いという欠点があったので、私は念の為に自分の目でも周囲を確かめた上で傍らのオブライエンにも尋ねる。
「オブライエン、そっちはどうだ!?」
「特に異状は見当たりません!」
当然の反応と言うべきか、彼の方でも敵の存在は否定される。つまり、先程の激しい衝撃は敵の攻撃によるものではないのだ。だとすると、次に可能性が高いのは未処理の地雷を踏んだ事による足回り(駆動系)への何らかの損傷だったが、これも大して時間を掛けずに否定する事となった。
なぜなら地雷も爆発を伴うものであり、それを全員が見落とすとは到底考えられず、また車体やシステムの損傷を示す警告ランプの類が1つも点灯していなかったからである。すると、絶妙とも言えるタイミングで操縦手のウォーカーから戦車が急停止した原因についての報告が入ってきた。
「すみません、テイラー曹長。どうやら、泥に足を捕られたみたいです」
「あ~、出来れば悪い冗談であって欲しいが、お前の口振りや現状から推測すると事実なんだな?」
「はい、事実です」
どうやら、本当に泥に嵌まって身動きが取れなくなってしまったらしい。一応、あの忌々しい湿地帯は無事に突破してオーソドックスな砂漠地帯に戻っていたのだが、まだ厄介な地形がトラップみたいに我々を進路上で待ち構えていたようだ。
それ以前に、前方の地形を監視して進路上の安全を確保する責任は私にもあり、その事を理解しているからこそ私は彼を問い詰めるような真似はしなかった。しかし、こんな所でグズグズしている訳にいかないのも事実なので、こうなった以上は直ちにぬかるみからの脱出を試みる。
「よし、ウォーカー。徐々にパワーを上げて泥の中から脱出するぞ」
「了解」
私の命令を受けたウォーカーがエンジンの出力を少しずつ上げていくが、いつまで経っても泥の中から抜け出す気配がしない。
その後、前進と後進を繰り返して地面を踏み固めて脱出しようとしてみたり、その場で左右に旋回させようとしてみたりして必死に足掻いたのだが、クローラー(履帯)は空回りするばかりで鋼鉄の車体そのものは強力な瞬間接着剤で地面に貼り付けたみたいにビクともしなかった。
それどころか、自力での脱出を試みて下手に動き回った所為でより深くへと車体がぬかるみに埋没してしまい、まるで底なし沼に落ちた時のような状態になっていた。
こうなると、最大出力1500hp(馬力)を誇る『M1A1エイブラムス』のガスタービン・エンジンが奏でる力強いサウンドも何処か虚しく聞こえてくる。
「全員、そのままの姿勢で聞け! 現状では自力での脱出が不可能だと判断し、味方回収チームの到着まで此処で待機する。なお、我々のいる場所は最前線からは多少なりとも離れているが、だからと言って敵の襲撃が無いとも限らない。決して気を抜くんじゃないぞ。以上だ!」
「了解!」
こうして自力で泥の中から脱出する事を諦めた私は3人のクルーに状況の説明と新たな指示を与え、それから動けなくなった旨を車載無線を使って小隊長(小隊長が車長を務める戦車)にも伝える。
「B13号車(B戦車中隊第1小隊3号車)よりB11号車(B戦車中隊第1小隊1号車:小隊長車)。数分前に我々の戦車がぬかるみに嵌まり、自力での脱出が不可能になりました。よって、回収チームによる速やかな救援を要請します」
「B11号車よりB13号車。そちらの状況は理解した。だが、回収チームは全て出払っていて到着までに時間が掛かるそうだ。しかし、我々は予定通りに進撃を続けなければならない。そこで君達には援護の歩兵を1チーム付けるので、彼らと協力して現状を維持しつつ回収チームの到着を待て」
「B13号車、了解。現状を維持したまま待機します」
案の定、事前に配布された地図には載っていなかった湿地帯でスタックの多発した我々の旅団に所属する戦車回収チームは大忙しで人員にも装備にも余裕が無いらしく、ここへは直ぐに来られないそうだ。
もっとも、これが戦闘重量が132000lb(ポンド:約60t)にも達するMBT『M1A1エイブラムス』では無く、他の軽量な車両であれば返答は違っていたのかもしれない。残念ながら、この重量を泥の中から引っ張り出すには旅団の保有する戦車回収車1両ではパワー不足だからだ。
実際、私も別の『M1A1』を泥の中から引っ張り出した時には『M88A1ヘラクレス』戦車回収車が2両がかりで牽引しているのを何時間か前に目撃していたので、そう簡単に動けるようになるとは最初から思っていなかった。
それに、部隊が進撃を優先したのも既に当初の予定から大きく遅れている事を考えれば妥当な判断であり、人手不足で苦労している中から警戒・護衛を担当する歩兵チームを1つだけとは言え、こちらに回して貰えただけでも感謝するべきなんだろう。
そして、そんな風に私が現状についての思考を色々と巡らせていると、連絡のあった歩兵チームを乗せていると思われる『ハンヴィー(ルーフトップに武装を搭載していない輸送モデル)』が砂煙を巻き上げながら後方から接近してくる。
なので、私は無意識に『ハンヴィー』をNVG(ナイトビジョン・ゴーグル:暗視装置)の慣れていないと距離感が狂いそうになるグリーンに染まった視野越しに眺めていた。
「うっ……、こうしてると今夜も結構、冷え込んでるみたいだな……」
どうやら先程までは緊張していた所為もあって気にはならなかったようだが、改めて意識すると私の周りを満たす空気は冷たく乾燥しており、そんな感想が思わず口から零れてしまう。
ちなみに、これも私がサウジアラビアの砂漠に展開してから身に染みて実感するようになった事なのだが、赤道に近い中東地域であっても2月下旬の夜の砂漠ともなると意外に寒い。なにせ、この時期だと1日の最低気温(華氏)が50度(摂氏10度)を下回る事も珍しくなかったからだ。
そんな中、徐々に速度を落としながら接近してきた『ハンヴィー』が私の搭乗する戦車の左後方から5~6yd(約4~5m)ほど離れた場所で完全に停止すると、ドアが大きく開いて車内から4人の完全武装をした兵士が姿を現した。
そして、彼らの中でリーダーと思われる1人の兵士が代表して私の方へ近付いて来ると姿勢を正して敬礼をし、簡単な挨拶と受けた命令についての報告をしてくる。
「憲兵中隊のコールマン伍長です。先程、中隊長よりスタックした味方戦車の護衛と周辺警戒を行うよう命令を受けて来ました」
「B戦車中隊のテイラー曹長だ。貴官の支援に感謝する。さて、君達には着いて早々で悪いんだが、今の内に部隊の配置と戦闘時の連携について決めておこうと思う。とは言っても、見ての通り我々の戦車は動けないので人員の配置に関しては君に一任する」
「分かりました。では、我々のチームで戦車の両側それぞれ20yd(約18m)の位置に2人ずつ配置して左右と後方を警戒しますので、曹長を始めとする戦車クルーの方々は前方の警戒をメインにお願いします」
「よし、それでいこう」
そもそも、まるで身動きが取れない状況下では取れる選択肢も必然的に限られたものとなり、また彼の意見に対しても異存は無かったので素直に受け入れる事にした。その為、私は短い返事と共に直ぐに頷いて話の続きを促す。
「そうすると、戦闘になった場合も基本的には先の警戒範囲に基づいて各人が臨機応変に対処するのが宜しいでしょう。ただし、主砲を発射する際は配置に就いた我々への影響も考慮し、事前に連絡を入れて貰えると助かります。通信は小隊内無線のチャンネル4で全員に繋がりますので、今の内に合わせておいて下さい。それと、こちらから砲撃支援を要請する時も同じチャンネルを使用しますので後は、そちらのタイミングで射撃を行って下さい」
「分かった。では、直ちに配置に就いてくれ」
「了解しました」
結局、戦闘時の対応についてもコールマン伍長の提案した迎撃態勢に改善すべき部分は1つも見当たらず、ここで余計な事を言っても混乱を招くだけだと考えた私は彼に配置に就くよう命じた。
なので、その言葉を聞いた彼も敬礼と共に了承の旨を伝えてくると、体の向きを変えて後方の『ハンヴィー』の傍で立ったまま待機していた仲間の下へと駆け足で戻っていった。そして、手短に幾つかの指示を与えるような動きをした後で2人ずつのチームに別れ、それぞれの持ち場へと走って行く。
それを受け、私も戦車に搭乗した状態で付近を警戒しつつ待機していた3人にインターコムを使って状況の説明を実施する。
「これより状況を説明するので全員、よく聞け。まず、このまま我々は味方の歩兵チームと共に回収チームが到着するまで此処で待機する。当然、我々が居る場所は敵の勢力圏なので襲撃に備えて警戒態勢を敷く事となった。よって、今から各人に警戒範囲を割り当てるので指示に従って周囲を警戒しろ。なお、敵との交戦に関しては各自の判断に任せるが、主砲だけは私が命令するまで絶対に撃つなよ。さて、ここまでで何か質問はあるか?」
「味方の歩兵チームの配置はどうなっているのですか?」
とりあえず、概要を一気に説明したところで私が質問の有無を尋ねると、オブライエンが味方歩兵との位置関係について訊いてくる。もっとも、彼が居た位置であれば私達の会話は聞こえていたかもしれないが、この発言は些細な事でも確認を怠ると悲惨な結果を招くのを理解している証拠でもあった。
そこで私は嫌な顔1つせず、彼の疑問には簡潔な回答で応じる。それどころか、他の2人には伝えなければいけない事柄なので、むしろ本心では彼が真っ先に尋ねてくれた事に感謝しているぐらいだ。
「彼らは我々の戦車から20ydほど離れた左右にそれぞれ2人ずつで配置に就き、そこで側面と後方の警戒を担当している」
「つまり、その4人以外に不審な動きがあれば、それは敵の可能性が高いという事ですね?」
「ああ、その通りだが、同士討ちを避ける為にも彼らの所在については常に意識し、最低1回は自分の目で確認しておく事を忘れるなよ」
「了解です、曹長」
「よし、では他に質問のある者は?」
そこで私は彼からの質問に合わせて味方歩兵の警戒範囲に関する説明も行い、彼が理解できたのを確認した後で他に疑問が無いかを尋ねる。
そこには、どんな些細な疑問や違和感も事前に解決しておくのが戦場で生き残るには必須なんだという強い信念があった。しかし、1分ほど黙って待っていても他に質問は発せられなかったので、ここまでの内容は理解できたと判断して各人の役割についての説明へと移行する。
「おそらくは先程の説明で大方の予想はついていると思うが、我々が重点的に警戒するのは前方、早い話が前線のある方角だ。まずは、ウォーカー。燃料は後、どれくらい残っている?」
「そうですね……、アイドリング状態なら後13時間は大丈夫です」
「そうか。なら、このままエンジンは回したままにしておくんだ。それと、お前のいる位置からだと決して視界は良くないが、それでも目視による警戒は怠るなよ」
「了解、曹長」
このタイミングで私が最初に燃料の残量を気にした(最後に補給を受けて以降は全ての兵装を1発も撃っていないので、主砲弾・各種機銃弾ともに最大携行数に達しているのは把握ずみ)のは、『M1A1エイブラムス』の動力源であるガスタービン・エンジンがアイドリング状態でも1時間に9ガロン(約33リットル)もの燃料を消費する所為である。
そして、もし燃料切れでエンジンが止まってしまえば自動的に発電も停止して車両本体への電力供給が断たれ、搭載するサーマル・サイトやFCS(火器管制システム)といったハイテク電子装備が使えなくなってしまう。
哀しい事に、それでは索敵や戦闘における『M1A1』のアドバンテージが完全に消失してしまい、まるでWW2(第2次世界大戦)時の戦車と変わらなくなるからだ。
「次はジャクソン。お前はサーマル・サイトの倍率を必要に応じて切り替え、遠距離における動きを重点的に警戒しろ。おそらく、敵が来るとしたら前方の可能性が最も高いから、どんな些細な事であっても見過ごすんじゃないぞ」
「了解です」
「最後にオブライエン。お前が警戒する範囲は基本的には左側面だが、それだけではなく後方にも注意を払うんだ。徒歩で移動する敵が少数で闇に紛れて接近してくる可能性を否定できない以上、そういった連中による奇襲を常に意識して警戒に当たるんだ」
「了解しました」
こうして3人のクルーに矢継ぎ早に命令を与えたところで私は一旦言葉を切り、仕上げとして自分が担当する任務についても皆に告げておく。
「なお、私は右側面をメインに前方も警戒するので何か異状があれば直ちに報告するように。では、他に質問が無ければ私からの説明は以上だ」
ここで改めて言葉を切り、耳を澄ませて皆の反応を窺う。
「よし。全員、配置に就け!」
「了解!」
暫く待ち、これ以上は質問が出て来ないと判断したところで直ちに行動に移るよう命じると3人のクルー全員の声が見事に重なり、ほんの少しだけ周囲が慌ただしい雰囲気に包まれる。
そして、砲塔上面左側の装填手用ハッチから顔を覗かせていたオブライエンが1度砲塔内に戻ると、ほんの数秒で『M16A2』ライフルを手にした彼が再び姿を現し、それを傍らに置いてから装填手用ハッチの脇に装備されている『M240』LMG(軽機関銃)が射撃可能な状態になっているのを再確認した上で監視任務に就く。
なので、それを受けて私も追加の予備として独断で戦車内に積み込んでいた(本来は戦車1両につき予備のライフルが1挺)『M16A2』ライフルを取りに戻り、それを直ぐに使えるようにすると車長用ハッチ脇の銃座に装備された『M2』HMG(重機関銃)に初弾が装填され、セーフティも解除してあって射撃準備が完了しているのを改めて確かめてから右側面と前方の監視活動に入った。
もっとも、この状況下で敵の襲撃を警戒するのは兵士なら当然の判断なのだが、心の片隅では何事も無く回収チームと合流して航空基地攻略前に戦線復帰できると思っていたのも事実だった。
◆
1ヶ月以上に及ぶ大規模な空爆と巡航ミサイルによる攻撃に続いて多国籍軍地上部隊が国境を越えてイラク・クウェート両国の領内へと進撃を開始したのだが、それを迎え撃つイラク軍の布陣は万全とは言い難かった。
勿論、その理由としては前述の大規模な空爆やミサイル攻撃による直接的な損害が及ぼした影響が最も大きいのだが、それ以外にもイラク軍という組織の常識を疑うような特殊な事情が関係している。
ちなみに、ここで述べる特殊な事情とは一時帰休や脱走による兵士の慢性的な不足であるが、この現象は特に共和国防衛隊以外の招集兵で編成された予備役部隊などで顕著だった。
ところが、この一時帰休というものが想像以上に曲者(欧米の軍隊などでは考えられない話だが、イラク軍では正式な制度として定着していた)で、戦時にも関わらず兵士の一部(本来の定数に対し、各部隊の平均で約20%)が正規の扱いとして前線から離れていたのだ。
さらに、開戦後は爆撃によって前線へと通じるルートが至る所で寸断されていたり、招集された兵士を中心に執拗な爆撃や物資不足に伴う厭戦気分が蔓延していたりした結果、多国籍軍が最初に想定していたよりもイラク軍の兵力はずっと少なかった。
そこへ共和国防衛隊のような精鋭部隊による重装備(戦車や装甲車)の徴発も加わり、一部の前線では装備・人員とも大幅に不足した名ばかりの戦闘部隊しか配置されていなかった。
『なのに、こんな命令を出されてもなぁ……』
その男は10分ほど前に口頭で伝えられたばかりの命令(前時代的な方法が採用された背景には指揮命令系統の物理的な遮断と通信傍受対策がある)を思い出し、遠くの地平線を見つめながら声には出さずに心の中で本音を静かに呟いた。
そして、やたらと騒々しい周囲の状況に半ば無理やり意識を向けると、ここ数時間で何度目になるか分からなくなりつつある大きな溜息を吐くのだった。
「ハァ……」
「隊長、そろそろ出撃しないと間に合わないのでは?」
すると、そのタイミングを見計らっていたかのように別の男が背後から声を掛ける。しかし、そうやって『隊長』と呼ばれた男は背後に立つ彼の方を振り返りもせず、どこか他人事みたいな口調で淡々と答えただけだった。
「そもそも、あの命令を受けた時点で残り時間が5分を切ってたんだぞ。それなのに、戦車から離れた場所にいた俺達が予定通りに出撃できる訳がないだろう」
もっとも、その割に隊長が口にした台詞には随分と嫌味なものが含まれていたが、紛れもない事実なので尋ねた男は何も言い返せなかった。
なぜなら、この時のイラク軍の指揮系統は開戦から続く多国籍軍による戦略的な空爆や電子妨害によって機能を著しく低下させており、上層部から伝えられる命令内容と現実とのギャップは大きくなる一方で通達に要する時間も戦争開始前とは比較にならないくらい悪化していたからだ。
そして、こういった外的要因に加えてイラク軍が抱える縦割りの組織構造も指揮系統の機能不全に拍車を掛けていた事を忘れてはならない。
「出撃準備、完了しました」
「そうか」
そんな2人の微妙なやり取りから更に10分程の時間が経過し、再び部下から告げられた言葉に隊長が静かな声で反応する。ただし、この時点で既に命令書に記されていた出撃時刻を20分以上も過ぎているので彼の表情は硬い。
だが、現状の遅れに対する責任を彼らに問う事は些か酷というものだろう。なにせ、彼が指揮する戦車小隊に配備された戦車はエンジンを切った状態で入念な偽装を施し、その上で砂漠に掘った隠蔽壕の中に隠してあったのだ。
それどころか、戦車を動かすクルーや整備員ですら戦車を隠してある所から最低でも100mは離れた場所で待機していた程の徹底ぶりだ。
勿論、そうなった最大の原因は多国籍軍による空爆で破壊される戦車の数がある時期を境に急増したからで、特に晴れた日の夜などは100両以上の戦車が破壊された事もあり、今は最も危険な時間帯というのが彼らの中で常識になっていたのも関係している。
「よし! 小隊全車、我に続け!」
幾つかの問題点はあったものの、こうして出撃準備完了の報告を受けた隊長は砲塔上面のハッチから身を乗り出した格好のまま身振りも交え、縦隊を組む指揮下の3両の戦車にも自分達の後に続くよう指示を出してから砲塔内へと戻ってハッチを閉め、今度はインターコムで操縦手に前進するよう命じる。
「まずは、全速力で合流地点へ向かえ」
「了解」
インターコムを通じて車長の命令を受けた操縦手はエンジン出力を徐々に上げ、現状で『T-72』が出せる可能な限りの速度で指定された目的地を目指す。
そして、小隊長が搭乗した戦車に追随するように残りの戦車もディーゼル・エンジン特有のエンジン音を周囲に響かせ、排気管から黒煙を派手に吹き上げながら夜の砂漠地帯を疾走するのだった。
もっとも、イラク軍が誇る『T-72』戦車小隊とは言っても空爆・故障・重装備の徴発といった諸問題で今夜出撃できたのは僅か4両(1個小隊の定数は本来3両だが、定数に満たない小隊から1両を編入)に過ぎず、随伴する機械化歩兵による援護や航空支援(航空機やヘリの援護)・砲撃支援も無い戦車小隊単独での極めて無謀な作戦行動であった。
ちなみに、彼らの任務はイラク領内での進撃を続ける多国籍軍(アメリカ軍)地上部隊の後方支援を担う補給部隊の撃破で、作戦地域に近付いた所で自軍の歩兵部隊(非装甲車両で移動する歩兵部隊)とは合流して支援を受けられる手筈になっていたが、先程も述べたように出撃の遅れと連絡手段の欠如から予定通りに連携した作戦行動を取れる保証は何処にも無かった。
◆
たった4両のMBT『T-72』で編成されたイラク軍戦車小隊が深夜の砂漠を全力で移動している最中、その部隊と途中で合流してアメリカ軍への攻撃作戦に参加する予定だったイラク軍歩兵部隊は大きな決断を迫られていた。
なぜなら、肝心な戦車部隊の到着が既に20分以上は遅れていたからだ。しかも、共同作戦を展開する筈の戦車小隊と直接連絡を取る方法が彼らには無く、辛うじて使用可能な通信手段で上級司令部に問い合わせてみても一向に要領を得ず、結局は役に立たない情報が忘れた頃に届くだけである。
そんな状況だった為、彼らは自分達だけでアメリカ軍への攻撃を敢行するか、当初の予定通り味方の戦車小隊と合流してから攻撃するかを選ぶ必要があったのだ。ただし、どちらの攻撃方法を選択しても彼らには大きなリスクが伴う。
その理由は、歩兵部隊単独での攻撃を実施すれば戦力不足(特に対車両攻撃用兵器の不足)で戦果を上げられなかったり返り討ちに遭ったりする危険性が高かったし、戦車部隊との合流を優先すれば今以上に攻撃開始時刻が遅れてターゲットの補給部隊に逃げられる可能性があった。
だが、厄介な事に今は迷っている時間さえ残されていない。そこで彼らを率いる指揮官は、大いに悩んだ末に歩兵部隊単独での攻撃を決断する。
ちなみに、そういう結論に至った背景には何も行動を起こさないで敵を無傷のまま取り逃がせば後で懲罰の対象になるが、たとえ形だけでも行動を起こしておけば苦しいながらも言い訳が出来るという考えが頭の何処かで働いたのかもしれない。
そして、この微妙なタイミングでの決断が彼らと未だに姿を現さないイラク軍戦車小隊、さらには泥に嵌まって身動きの取れなくなったテイラー曹長の搭乗する『M1A1エイブラムス』やコールマン伍長が率いる歩兵チームの運命を大きく変える事になるとは誰も思っていなかった。
◆
私からの報告を受け、憲兵中隊から派遣されてきた4名の歩兵チームと合流してから1時間近くが経過したのだが、その間は『M1A1エイブラムス』のガスタービン・エンジンの音が辺りに響くだけで本当に静かな夜だった。それこそ、ここが戦場だという事を忘れてしまいそうになるくらいだ。
まあ、それが直接の原因かどうかは分からないが、今の妙に落ち着いた状況が私の緊張感を容赦なく奪い去ってゆき、ついつい欠伸を漏らしてしまいそうになる。すると、そんな雰囲気を察したみたいに少し離れた所で警戒中のコールマン伍長から僅かなノイズ混じりの通信が入った。
「テイラー曹長、2時方向の砂丘の上に不審な動きがあります」
「敵なのか?」
「まだ分かりません」
そこで私の方でも報告のあったポイントを入念に探ってみるが、何の変哲も無い小さな砂丘(ぎりぎり我々の搭乗する戦車が隠れられる位のサイズ)が夜の闇の中に広がっているだけだった。ところが、今度はオブライエンからも同様の報告が入る。
「曹長、10時方向に不審な動きがあります」
「ちょっと待て。こっちでも確認する」
そう言って私は再び報告のあったポイントを自分の目で確かめたのだが、やはり今までと変わらない砂だらけの景色が地平線の彼方まで続いているだけだった。
しかし、こうも立て続けに不審な動きの報告が入るのには必ず理由があると思い、より高性能な監視装置であるサーマル・サイトでの偵察を実施しようとジャクソンに命令を出す。
「ジャクソン、前方の左右60度ずつを――」
だが、私の命令は最後まで言い切る前に突然響き渡った銃声によって中断された。
「まさか、本当に敵が……!?」
半ば反射的に大声を上げつつも私は銃声の聞こえてきた方向に顔を向けて銃口から出るマズル・フラッシュ(発砲炎)を探し、少しでも多くの情報を集める事で状況の把握に努めようとする。
すると、直ぐに戦車の左側面で警戒に当たっていた味方の歩兵チームが闇の中に向かって射撃を行っている事実が判明し、それと同時にコールマン伍長からも敵の出現を告げる報告が届く。
「テイラー曹長、敵の歩兵チームが急襲してきました!」
「ああ、こちらでも確認した! いま左側面に展開してるチームが応戦している!」
「違います! 両側面からの同時攻撃です!」
「なんだと!?」
彼からの予想外の報告に驚いて思わず感情のままに叫んでしまったが、それでも僅かに残された冷静な思考回路を総動員して顔と『M2』HMGの銃口を右側面の砂丘がある地点へと向け、別方向からも接近しているらしい敵の姿を必死に探そうとする。
だが、未だに私は敵の姿を捉える事が出来ない。しかし、右側面に展開している味方の歩兵チームが砂丘の頂上に向けて断続的な発砲を続けている事だけは視認できた。
そこで私は3人の戦車クルーに戦闘態勢へ入るよう素早く指示を出すと、それと同時に味方が射撃している方向を参考に手元の『M2』HMGの銃口を砂丘の頂上付近へと向ける。
「オブライエン、左から接近してくる敵がいたら容赦なく撃ち殺せ! ジャクソン、ウォーカー、お前達は前方の動きを注視して何かあったら直ぐに報せろ! 必要なら同軸機銃で射殺しても構わん!」
「了解!」
私が指揮下の戦車クルー3人に敵との交戦を命じると、既に自分達に与えられた任務を充分に理解していた彼らからは短い返事だけが同時に返ってくる。そして、ようやく私もNVGの装着によって普段よりも狭まった視野の中に砂丘の上から銃撃している敵兵士の姿を捉える事に成功する。
当然、そこから先の私の行動に無駄は一切なく、砲塔上面の銃架に搭載してある事で多少は撃ち易くなっているものの大口径弾特有の反動の大きさを考慮し、あくまでも射撃体勢の基本に忠実に『M2』HMGを上半身全体で支えるようにして構え、巨大な50口径弾(.50BMG:12.7mm×99弾)の連射をターゲットに対して数秒間隔で3回ほど浴びせた。
すると、連射を浴びせている途中で敵兵士の姿が後方に吹き飛ぶような格好で視界から消え、それを視認したところで直ぐにトリガーから指を放して射撃を停止する。
その結果、『M240』LMGの連射音が至近距離で響き渡っているのにも気付く余裕ができ、背後のオブライエンも別方向にいる敵に対して射撃を行っているのだと今更ながらに理解した。
だが、それさえも正面から聞こえてきた味方兵士の大声によって頭の中から見事に消え去り、私の思考は一瞬にして自分達が置かれている危機的状況へと引き戻される。
「RPG!(携帯式対戦車ロケット・ランチャー『RPG-7』の事)」
「ああ、くそっ!」
その忌々しい兵器がもたらす被害の事を脳裏に浮かべて悪態を吐きつつも必死で自分達を狙っている敵兵士の姿を探すと、先程の砂丘の上に新たに2つの人影が並ぶように浮かんでいるのを発見した。
しかし、ここからでは新たに姿を現した2人の敵兵士が警告にあった『RPG-7』を構えた連中なのかどうかは判別できなかったので、私は咄嗟に視線を動かして右側面に展開した味方歩兵チームの射撃が2つの人影に集中している状況から“それ”が最優先攻撃目標なんだと独自に判断し、まずは微妙な位置関係の巡り合わせによって僅かに照準を合わせるのが楽だった右側の人影に対して手元の『M2』HMGの断続的な連射を浴びせる。
そして、今度も『M2』HMGの特徴的な発射音と振動を間近に感じながら数秒間の連射を2回ほど行ったところで敵兵士がバラバラになって吹き飛ぶみたいにして私の視界からは完全に消え、それを目撃した瞬間に直感で死んだと判断して反射的に2人目の敵へと照準を移してトリガーを引こうとした。
ところが、私が1発目の銃弾を放つ前に崩れ落ちるようにして2人目の敵も斃れる。おそらく、こちらが1人目の敵に攻撃を集中している間も射撃を続けていた味方歩兵チームの誰かが射殺したのだろう。だが、この敵兵士は随分と往生際が悪かったらしく、斃れる直前に『RPG-7』を発射してきた。
「RPGだ! 伏せろ!」
最後の最後で敵から発射された『RPG-7』の弾頭が自分の方に向かっている事に気付いた私は、ほぼ反射的に叫んで周囲にも警告を発するのと同時に慌てて屈み、頭を頑丈な戦車の砲塔内部へと引っ込めた。ただし、この時も両手だけは『M2』HMGを構えたままである。
そして、直後に今夜の戦闘では最も派手で大きな爆発音と共に幾つもの金属片が戦車の車体に当たる甲高い金属音が聞こえ、車体重量が132000lbもある『M1A1エイブラムス』の中に居ても感じる程の強い衝撃が襲ってくる。
「直撃は免れたか……。全員、無事か!?」
「こっちは大丈夫です!」
「問題ありません、曹長!」
なので、真っ先に3人のクルーの安否を気遣って尋ねると、オブライエンとウォーカーからは直ぐに返事が返ってくる。しかし、続いて声を上げたジャクソンからの報告には良いものと悪いものが1つずつ含まれていた。
「こちらも無事で車体にも損傷はありません! ですが、正面にも敵が現れました!」
そして、その報告に私が反応を返す前に先程の『RPG-7』の弾頭が炸裂した時とは異なる甲高い金属音が断続的に聞こえてきた。どうやら、徐々に包囲網を完成させつつある敵が『RPG-7』の着弾に伴う混乱に乗じて次々に銃撃を浴びせてきているらしい。
もっとも、生半可なライフル弾ぐらいでは『M1A1エイブラムス』が誇る重装甲はビクともしないのだが、それでも無抵抗で撃たれ続けるという状況は決して気分の良いものではない。すると、そんな私の今の気持ちが彼にも届いたのか、砲塔が僅かに右に旋回して機銃を連射する音が聞こえてくる。
どうやら事前に与えた命令に従い、彼が同軸機銃を使って正面に現れた敵を掃討しているみたいだ。実際、こちらが同軸機銃での射撃を始めた途端に敵からの射撃が一気に弱まった。
そこで私も『M2』HMGでの射撃を再開しようとしたのだが、今度はコールマン伍長から通信が入ってくる。しかも、それは良くないものだった。
「テイラー曹長! 右側面の援護を頼みます! 味方が1人やられました!」
「分かった! いま直ぐ援護する!」
まだ散発的な被弾音が続いており、どう考えても敵からの射撃が完全に止まっていないのは明らかだったが、そんな事を気にして隠れていられる状況でないのも事実であった。
なので、私は躊躇う事なく彼からの救援要請に応じると周辺視界を確保する意味でも砲塔上面のハッチから頭を出し、その勢いで『M2』HMGの銃口を報告のあった方向へと向けてNVG越しに敵の姿を急いで探す。
すると、顔に装着したNVGが作り出す明るいグリーンに染まった視界の中で動き回る人型のシルエットが目に入り、私は複数の敵兵士が『AK-47』ライフルの連射を味方歩兵や『M1A1』へと浴びせながら接近を続けている光景なんだと直ぐに理解した。
当然、この状況下では否が応でも周囲を満たす銃声や爆発音、悲鳴といったものを強く意識する羽目になり、それと同時に敵兵士の撃った弾が戦車に当たって火花を上げているのにも気付く。
その瞬間、『殺される』という本能的な恐怖が身体の奥底から急速に湧き上がってきて思わず怯んでしまいそうになるが、軽く頭を振って目の前の現実にだけ意識を向けると最も近くにいる敵に『M2』HMGの狙いを定めてトリガーを引いた。
ところが、それ程までに強い覚悟を持って射撃を開始したにも関わらず、この銃撃戦の幕切れは想像していた以上に呆気ないものとなった。
なぜなら、最初の短い連射で放った50口径弾が敵兵士の頭部に命中したかと思うと、まるでスイカが破裂するみたいに人間の頭が吹き飛んでバラバラになり、残った胴から下だけがバネで弾かれたように砂の上を数ヤードは転がって動かなくなってしまったからだ。
そして、自分の死を最初に意識した交戦さえ無傷で乗り切ってしまえば後は自然と冷静な対応が出来るようになり、私は敵兵士が発砲する際のマズル・フラッシュの光を目標に『M2』HMGの狙いを定めて射撃を実行し、ターゲットが斃れて動かなくなれば別の敵に照準を切り替えて撃つ事を繰り返した。
しかし、こういった局面においては良くない出来事というものが立て続けに発生するらしい。暫くは静かだったインターコムが俄かに騒がしくなる。
「リロード!(弾倉交換・再装填の意)」
「11時方向より敵の増え――、畜生! RPGチームだ!」
左側面の敵を掃討していたオブライエンが車載機銃の弾切れに伴うマガジン(弾倉)交換に入った事を叫び、それと全く同じタイミングで敵の増援が我々の制圧射撃の勢いが弱まった11時方向、そこに出現した事をジャクソンが報せてくる。
しかも、この増援部隊には歩兵が装備する武器の中でも厄介な『RPG-7』を持った連中まで含まれているらしい。だが、この程度の出来事で動揺する私では無かった。
「ジャクソン、同軸機銃で薙ぎ払え!」
「アイ・サー!」
命令を下すと直ぐに彼が反応し、直後に砲塔が左へと旋回して敵の増援部隊に対する機銃掃射が行われる。当然、私も『M2』HMGの銃口の向きを変えて新たに出現した敵兵士の集団に50口径弾の連射を断続的に浴びせた。
ところが、そこまでして我々の持てる火力を集中したにも関わらず、敵部隊による『RPG-7』の発射を完全に阻止する事が出来なかった。
「RPG!」
またしても独特な軌道で飛翔する『RPG-7』の弾頭を目にする事となった私は、半ば条件反射で周囲に警告を発すると先程と同様に身を屈めて着弾時の衝撃に備える。
もっとも、今回は2発も発射されたので爆発音も衝撃も2発分あったし、降り注いだ金属片や巻き上げられた砂の量も多かった。だが、どちらも車体への直撃はしていないので我々に直接の被害は無い。
「とにかく、あの目障りな連中を片付けるぞ!」
なので、私は自分に言い聞かせるみたいにして大声を上げると、まだ走り回って次の攻撃の機会を窺っていた敵兵士に対して次々に『M2』HMGの連射を動かなくなるまで浴びせて斃していく。
ところが、その所為で右側面への警戒が疎かになっていたらしく、敵兵士の1人が味方歩兵チームの警戒するラインの内側にまで侵入して我々へと接近していたのだ。
「曹長、右から敵です!」
「なんだと!?」
その存在に最初に気付いたオブライエンの声で我に返った私が思わず尋ね返すが、残念な事に彼からの応答の代わりに聞こえてきたのは銃弾が至近距離で戦車の車体に命中して跳ね返る金属音だった。
しかも、その敵は明らかに私の事を殺そうと狙って撃っており、飛来した銃弾の何発かは文字通り手が届きそうな程の至近距離に着弾していた。
そこで反射的に『M2』HMGを右に大きく旋回させて接近を続ける敵兵士の胴体中央に照準を合わせると、射撃に集中する為に余計な事は何も考えずにトリガーを引いて50口径弾の連射を浴びせようとしたのだが、どういう訳か乾いた金属音がするだけで肝心の弾が発射されない。
当然、予想外の出来事に焦った私は何度かトリガーを引いて射撃を行おうと試みるが、やはり弾は1発も発射されなかった。
「くそっ! こんな時に……!」
ほんの僅かな時間を置き、その現象が単なる弾切れを意味するものだと理解した私は声を荒げて悪態を吐くが、そんな事をしている間にも敵との距離は着実に縮まって至近距離への着弾も増えていた。
しかも、都合の悪い事に『M2』HMGは弾薬ボックスに収められたベルトリンク(弾帯)によってチェンバー(薬室)へと給弾する方式だったので、一般的なライフルやオートマチックのハンドガンのようにマガジンの交換と初弾をチェンバーに装填するだけでリロードが完了するタイプの銃とはリロードに要する手間や時間が大幅に違う。
それどころか、今のように一刻を争う状況下での『M2』HMGのリロードはただの自殺行為にしかならないので、私は万が一の時の為にセーフティを解除した状態で手元に置いておいた『M16A2』ライフルを咄嗟に掴んで銃口を敵の方へ向けると、そのままトリガーを引いてバースト射撃(トリガーを引くごとに数発ずつ発射される射撃モードで、『M16A2』の場合は3発ずつ発射される)で照準を微調整しながら何度も何度も敵兵士が斃れるまで22口径ライフル弾(5.56mm×45NATO弾)を浴びせ続けた。
すると、高速のフルメタルジャケット弾(弾頭の鉛を真鍮で完全に覆ったタイプの弾薬)が命中して身体を貫通していくたびに電気が走ったように痙攣する動きを敵兵士が見せ、それから段階的に動きも鈍くなった後で膝をつき、最後は地面へと崩れ落ちて微動だにしなくなる。
どうやら、今度は30発入りの『M16A2』のマガジンが空になる前に接近中の敵兵士を射殺できたらしい。しかし、先程は初歩的な油断から接近を許した事もあって私は周囲へ鋭い視線を向け、他にも接近中や潜伏中の敵がいないかどうかを慎重に確かめておく。
だが、現実とは総じて皮肉なものらしく、こうして緊張感をもって警戒している時に限って怪しい動きは見当たらないし、こちらが銃撃を受けたり狙われたりしている兆候も感じられなかった。そして、それを裏付けるようにジャクソンからの報告がインターコムを通じて聞こえてくる。
「テイラー曹長、1時方向に敵の輸送トラックを1両発見しました。ですが、この場所より撤退する模様です」
「それは本当か?」
「はい。こちらに後部を向けて遠ざかりつつあるので間違いありません」
敵部隊の急襲によって酷い目に遭わされた事もあり、その報告を彼から聞かされた私に迷いや逡巡などは一切なかった。
そこで、直ぐに『M16A2』ライフルによる射撃体勢を解いて身を乗り出していたハッチから砲塔内へと戻ると、これから実行に移そうとしている事に備えてNVGを外し、素早くハッチを閉めてから戦車長用のシートに腰を下しながら彼に最後の確認を行う。
「なら、そいつを主砲で狙えるか?」
「勿論です」
すると、私からの問い掛けにジャクソンが即答してきたので、その実行しようとしている事を他のクルーや味方歩兵にも手短に伝えておく。
「全員、よく聞け! これより敵の車両を砲撃で破壊する。オブライエン、砲弾は?」
「HEAT弾(対戦車榴弾)、装填済みです!」
その流れで必要な事を尋ねると、私に続いて砲塔内へと入ってきたオブライエンが装填手として現時点で主砲に装填してある砲弾の種類を告げてくる。
ちなみに、最初に主砲に装填されていた砲弾がHEAT弾(正確にはHEAT-MP:多目的対戦車榴弾)だったのは我々の所属する部隊の攻略目標となっているのが敵の航空基地であり、そこでは各種装甲車両・非装甲車両・敵陣地・歩兵といった多種多様な敵との交戦が予測されたので攻撃時の汎用性を重視した結果である。
だが、それ以外に対戦車戦闘に最適なAP弾(徹甲弾。『M1A1エイブラムス』に搭載されているのは弾芯が劣化ウランのAPFSDS:装弾筒付翼安定徹甲弾)の数がアメリカ軍全体で不足しており、最重要攻撃目標である共和国防衛隊の殲滅を主任務とする第7軍団所属の各部隊に優先的に支給されたという現実的な事情も関係していた。
もっとも、だからと言ってHEAT-MP弾がMBT相手の対戦車攻撃で使うには威力不足という事にはならず、採用されている装甲の構造によっては戦車の中で最も頑丈な正面装甲でさえ貫通する威力を秘めていたのだ。
「今から逃走中の敵車両を主砲で吹き飛ばす。全員、発射の衝撃に備えろ」
「了解しました。いつでも、どうぞ!」
私は最初に作戦を立てた時に決めておいた通り、コールマン伍長が率いる味方歩兵部隊にも今から主砲を発射する事を簡潔に伝えて何も問題が無いのを確認しておく。そして、全ての条件が整ったと判断したところで改めて砲手のジャクソンに攻撃命令を下す。
「よし、ジャクソン! 敵車両を吹き飛ばせ!」
「アイ・サー! ロックオン、完了!」
「ファイア!」
彼が私の命令に従ってトリガーボタンを押した直後、戦車内でヘッドセットを付けていても五月蝿く感じられる程の轟音と発射時の反動に伴う衝撃が襲ってくる。
それと同時に砲塔内にはコルダイト(無煙火薬)特有の臭いが立ち込め、反動を緩和する為に後退した砲尾からは小さな撃ち殻が排出(『M1A1エイブラムス』の主砲弾は発射時に燃え尽きる焼尽薬莢を採用)され、私は主砲弾の発射を全身の感覚で味わう事となる。
さらに、サーマル・サイトが捉えたターゲットの情報が表示される砲手用照準装置の画像をリアルタイムで伝達して共有する眼前の車長用照準装置には、かなり粗い解像度の中でも主砲弾の直撃を受けた敵車両が爆発・炎上する様子を輝くグリーンの光点として映し出していた。
「こちらでもターゲットの撃破を確認した! 相変わらず良い腕だな、ジャクソン!」
「システムに任せてればいいんですから、割と楽なもんですよ、曹長!」
こうして激闘の果てに敵の襲撃を撃退できた事で自然とテンションが上がり、それに釣られて私やジャクソンの声も弾んだものになる。しかし、直ぐに浮ついた気持ちを捨てると彼はサーマル・サイトによる前方の索敵、私とオブライエンは再びハッチから頭を出して目視による周辺警戒へと移行する。
だが、どれだけ耳を澄ましても1発の銃声も聞こえないし、不審な人影やマズル・フラッシュも確認できなかった。どうやら、本当に敵は全滅したか撤退したようだ。そして、敵の気配が無くなった事で私には他の物事にも気を回す余裕が生まれ、それらを順番に片付けていく。
「全員、よくやった。やはり、お前達は最高の仲間だ」
「ま、当然だな」
「ちょっと、こうなった原因を作った張本人が何で偉そうなんですか?」
「何と言っても曹長の的確な指揮があったからですよ」
そんな訳で私が真っ先に3人のクルーに労いの言葉を掛けると、ウォーカー・オブライエン・ジャクソンは明るい声で口々に応じてくれる。
「だが、まだ完全に危機を脱したとは限らないからな。気を抜くなよ」
「了解!」
無駄に緊張し過ぎて固くなるのは良くないが、あまり気を緩め過ぎるのも良くないので最後は警戒を促すような台詞で締め括る。もっとも、それは余計なお世話だったらしく、3人とも気合の入った返事を寄越すと私が細かく指示を出さなくても各人の任務に取り掛かっていた。
なので、それに満足した私も周囲の様子を慎重に確かめると、警戒と護衛の大任を果たしてくれた歩兵チームのコールマン伍長に通信を繋ぐ。
「そちらの状況はどうだ? さっき、1人撃たれたと言っていたが……」
「こちらでも敵の存在は確認できません。おそらく、撃退に成功したと思われます。ですが、我が方の負傷者は3名です」
「もしかして、後方への搬送が必要な者がいるのか?」
「はい。1名は軽傷ですが、2名は医師の治療を受ける必要があります」
どうやら、頑丈な装甲に守られていた我々とは違って歩兵チームの方は先程の戦闘で大きな被害を受けたらしく、2名の重傷者を抱えていた。
「命に関わる状態なのか?」
「そこまで酷くはありませんし、2人とも今は意識もありますが、応急処置をしただけなので無理は出来ません。それに、手持ちの弾薬も1人につきマガジン1~2本分しか残っておらず、戦闘継続は困難になったと言わざるを得ません」
彼の報告を聞く限り、我々は敵の撃退には成功したものの、今後の展開を考えると極めて難しい状況に置かれている事が浮き彫りとなった。なぜなら、援軍として派遣された歩兵チームが事実上、戦闘能力を喪失して壊滅に近い状態になっていたからだ。
そして、この現実を前にして私が苦しい決断を迫られた時、不幸中の幸いとも言うべき報告が中隊本部を通じてもたらされる。
「テイラー曹長、回収チームが後15分程で到着するそうです」
「本当か?」
「ええ、間違いありません」
インターコムから聞こえてきたオブライエンの声に一瞬、私は自分の耳を疑ったが、それが聞き間違いでないのを理解すると躊躇う事なく決断した。
「コールマン伍長。たった今、回収チームが後15分で到着するとの連絡があった。だから君達は治療と補給の為に後方へ下がっても構わないと思うが、どうする?」
「流石に自分の一存では決められませんが、本部の許可が下りれば曹長の提案を喜んで受け入れたいと思います」
「分かった。なら、後の判断は君に任せよう」
「ありがとうございます」
こうして彼との短い通信を終えた私は、まずは時間が無かった所為で弾切れを起こしたまま放置していた『M2』HMGの弾薬ボックスを弾薬の詰まった物と交換してチェンバーに初弾を装填し、敵の襲撃に備えて射撃可能な状態にしておく。
そして、戦車が泥に嵌まって動けなくなった時と同様に砲塔上面右側のハッチから頭を突き出した格好のままで右側面と前方の警戒に移るのだった。
もっとも、回収チームが到着するまでの残り時間を考えると、ここまで徹底した警戒態勢は杞憂に終わるかもしれないが、こうしている方が何となく落ち着けるような気がしたのだ。
ちなみに、こちらが黙々と作業をしている間にコールマン伍長は自身の所属する憲兵中隊の本部へと通信を入れて後退の許可を得ていたらしく、私の前に姿を現して簡単な挨拶と敬礼をすると重傷を負った2人の仲間を慎重に『ハンヴィー』に乗せて我々の下から走り去った。
だが、この時の我々は後に伝説として語られる事になる戦闘が間近に迫っているとは微塵も思っていなかった。
◆
諸事情によって出撃が大幅に遅れた結果、予定していたポイントでは味方歩兵部隊との合流を果たせなかったイラク軍戦車小隊は上層部からの命令に従う事を決め、現場の状況から戦車部隊の到着を待たずに先行したと思われる歩兵部隊を追い掛けるように単独で夜の砂漠を進撃していた。
しかし、彼らには戦場となる地域の土地勘はあっても敵味方双方の部隊に関する最新の情報が無かった為、遅れて戦闘に参加する事になった場合の対応を決めかねていたのだ。ところが、数奇な運命の巡り合わせから欲していた情報を入手する機会を得る。
「なる程な。そちらの状況は理解した」
「健闘を祈ります」
そう告げた兵士は縦隊の先頭に位置していた『T-72』の砲塔上のハッチから顔を覗かせていた人物に敬礼をすると、彼はエンジンを掛けっぱなしだった小型車両に乗って戦線の後方へと走り去る。
ほんの数分前の事だが、イラク軍戦車小隊の4両の戦車が索敵を行いながら前進を続けていると偶然にも合流予定だった味方歩兵部隊に所属する兵士達が搭乗した小型車両と遭遇し、彼らからアメリカ軍地上部隊に関する貴重な情報を得る事が出来たのだ。
ただし、攻撃を仕掛けた歩兵部隊の方はアメリカ軍の反撃に遭って20名以上の死者・行方不明者を出し、兵員輸送トラックも1両が破壊されて事実上の壊滅状態に陥っていた。
そして、運良く脱出に成功した彼らが言うには遭遇した敵部隊は後方支援を担う補給部隊では無く、何らかの理由で立ち往生したと思われる戦車が1両と非武装の小型車両が1両、それと少数の歩兵で構成されていたらしい。
当然、それは彼らが最初に想定していた攻撃目標とは違ったが、ここで迂回して見逃すには惜しい獲物であるのも事実だった。だから、イラク軍戦車小隊の指揮官は大声で部下達に命じる。
「まずは、この連中を始末するぞ! 全車両、このまま前進だ!」
「了解!」
戦車小隊指揮官が同じように砲塔上のハッチから身を乗り出していた配下の戦車長3人に行動を促すと彼らは即答し、再び小隊長の戦車を先頭に縦隊を組んでディーゼル・エンジン特有の轟音を響かせながら黒煙と砂埃を盛大に巻き上げて走り出した。
もっとも、そんな風に意気揚々と出撃していった彼らを待ち受けていた現実は、あまりにも無慈悲で悲惨な悪夢のような結末であった。
◆
泥に嵌まってスタックした『M1A1エイブラムス』の傍を歩兵チームを乗せた『ハンヴィー』が離れて10分程の時間が経過した頃、サーマル・サイトを覗き込んで前方の監視に当たっていたジャクソン1等軍曹がインターコム越しに緊張した声を上げた。
「曹長、12時方向に接近中の車両を複数発見しました」
「味方の回収チームか?」
「現在のところは不明です。ただ、数は全部で3……、いえ、4両が確認できます」
「分かった。そのまま監視を続行し、何かあったら直ぐに報告するんだ」
「了解」
この時、テイラー曹長が彼に警戒を続けるよう命じたのには理由がある。なぜなら、接近中の車両部隊の規模や姿を現したタイミングから味方回収チームの可能性は充分にあったので位置を報せる為に合図を送っても良かったのだが、出現した方向が前線のある正面だった事が妙に引っ掛かっていたのだ。
そこで彼はハッチから頭を出し、報告のあった方向に目を凝らして様子を窺う。だが、人間の目よりも遥かに高性能なサーマル・サイトですら識別できないものの正体など分かる筈もなく、状況は不確かなままだった。
『こんな時、味方の歩兵チームがいれば助かるんだが……』
その為、どうしても余計な思考が彼の脳裏に浮かんでしまう。確かに、コールマン伍長の率いる歩兵チームが健在であれば彼の抱える問題は解決していたかもしれないが、そんな事を今さら嘆いたところで何の役にも立たない。なにせ、ここには彼らしか居ないのだから。
ちなみに、『M1A1エイブラムス』に搭載されたサーマル・サイトは気象条件が良ければ3500mの距離でもターゲットの捕捉と照準が可能ではあったが、あくまでも精確な射撃が可能になるだけで敵味方の識別までは出来ない。
なぜなら、最大探知距離ともなればMBTクラスの大型車両であっても単なる光点として映し出される程度に過ぎず、とても敵味方の識別が出来るような解像度は得られないからだ。
それどころか、実際に敵味方の識別が可能になるのは1500m程度にまで接近してきた段階で、これはイラク軍に配備された『T-72』の装備する主砲の有効射程圏内でもあった。
つまり、同士討ちを避ける為には相手の接近を待つより他に方法が無く、これでは3000m以上離れたターゲットに対しても精確な砲撃を行える『M1A1』の優位性を全く生かせなかった。
「ジャクソン、まだ識別は出来ないのか?」
「もう少し待って下さい。先程、撃破したトラックの熱でサーマル・サイトが……」
ジャクソン1等軍曹からの返答を受けたテイラー曹長が一旦砲塔内へと戻り、素早くNVGを外してから車長用照準装置を覗き込んで接近中の車両を自分の目でも確認する。
しかし、彼が見た光景は報告にあった通りのものだったらしく、直ぐに目を離すとハッチから頭を出して再び前方を見据えた。そして、そこから数分間は戦場特有の緊張感に満たされた時間がゆっくりと流れていたのだが、叫ぶように発せられたジャクソン1等軍曹の声が全てを一変させる。
「曹長、正面に現れたのは敵の戦車部隊です!」
「くそっ、こういう時に限って……! 全員、配置に就け! 対戦車戦闘だ!」
「アイ・サー!」
テイラー曹長は反射的に悪態を吐くが、それでも彼は瞬時に思考を戦車長としてのものに切り替えて指揮下の戦車クルーに命令を発し、それに他の3人が短い返答で応じた。
さらに、周辺警戒の為にハッチから頭を出していた曹長とオブライエン2等軍曹は急いで砲塔内へと戻ってハッチを閉めると、2人ともNVGを外して対戦車戦闘に備えるべく自分に与えられた役割を淀みなく遂行していく。
「ターゲット、正面・左に位置する敵戦車! 弾種、サボー!」
「サボー、アップ!」
僅かに左右に拡がった縦隊で正面から堂々と接近してきたイラク軍の『T-72』戦車部隊に対し、テイラー曹長は彼から見て最も左に位置していた敵戦車を最初のターゲットに定める。
当然、今回は対戦車戦闘に最適なAPFSDS(戦車クルーは『Sabot:サボー』と呼称する)を装填するようオブライエン2等軍曹に命じた。
そして、命令を受けた彼は膝元にあるスイッチを膝で押して砲塔後部に設置された弾薬庫の頑丈な金属製の扉を開け、即用弾ラック(扉を開ければ直ぐに取り出せる側の弾薬ラック)に弾底を砲塔内に向けて並べてある砲弾(17発)の中から瞬時にAPFSDSを選び(弾薬庫に積み込む際に弾底部分に印を付けて直ぐに判別できるようにしておいた)、掌で弾底部分を押すとバネ仕掛けで砲弾が少し飛び出してきたところをすかさず掴んで弾薬庫から取り出す。
後は、それを抱えたまま回転する装填手用シートに腰を下し、床を蹴って素早く体の向きを変えると主砲(44口径120mm滑腔砲:砲の内部にライフリングが刻まれていない火砲。この場合の口径は砲身長を表し、44口径120mmなら5.28m)の砲尾にある閉鎖機構の中に砲弾を装填する。
なお、弾薬庫の扉は膝元のスイッチから膝を離すと自動的に閉じるので、装填作業の終わった彼が特別な操作をする必要は無い。その上、アメリカ軍では弾薬庫から砲弾を取り出して装填する作業は体力に余裕のある状態なら10秒未満で完了できるよう鍛えられていた。
ところが、その僅かな時間が経過する間もイラク軍戦車部隊は怒涛の勢いで接近を続けており、最終的に双方の距離が約1000mに達した所で最右翼(アメリカ軍戦車から見れば最も左に位置する)の『T-72』が今夜の戦車戦における最初の砲撃を放った。
「全員、着弾の衝撃に備えろ!」
イラク軍戦車部隊の展開状況を探ろうとしてテイラー曹長が照準装置を覗き込むと、ちょうど『T-72』が砲撃を行ったのが見えたので彼は咄嗟に叫ぶ。
その直後、およそ1秒で1000mの距離を飛翔した主砲弾(『T-72』の主砲は51口径125mm滑腔砲)が『M1A1エイブラムス』の砲塔正面の左側へと直撃し、それによって発生した巨大な爆炎が『M1A1』の砲塔正面を一瞬にして包み込む。
どうやら、この『T-72』が主砲に装填していたのはHEAT弾だったらしい。しかし、HEAT弾では『M1A1』の複合素材(鋼板・セラミック・チタン・劣化ウランなど)を使用した頑丈な正面装甲に煤を付けた程度で目立った損傷は見当たらない。
なので、『M1A1』に搭乗する4人のアメリカ軍戦車クルーには着弾時の衝撃と轟音こそ伝わったものの、それだけで終わってしまい戦車と同様に彼らも無傷であった。
その為、砲手のジャクソン1等軍曹は最大倍率に切り替えた照準装置を覗き込みながら主砲のコントロール・ハンドルを巧みに操作し、戦車長に指示されたターゲットに照準装置の中央に投影されたレティクル(照準の目安となる表示)を合わせる。
それからレーザー・レンジファインダー(レーザー測距儀)を作動させてターゲットまでの正確な距離を測り、他のセンサーが集めた各種データと共に砲撃に必要な数値をスイッチ1つでFCSへと送り込んで準備完了の声を上げた。
「ロックオン、完了!」
「ファイア!」
その声を聞いたテイラー曹長が即座に主砲の発射命令を下すと、ジャクソン1等軍曹はコントロール・ハンドルにあるトリガーボタンを押してシステムに最後の指令を与えた。
すると、後は『M1A1エイブラムス』に搭載されたFCSが自動で最適な発射タイミングを瞬時に割り出して砲弾後部の雷管に電気信号を送り、お返しとばかりに120mm滑腔砲からAPFSDSが約1650m/sという高速で撃ち出される。
それと同時に『M1A1』の砲塔内には発射に伴う衝撃と轟音が伝わり、コルダイト特有の臭いと僅かに燃え残った撃ち殻だけが残される事になる。
当然、音速の5倍近くにも達する飛翔速度では1000m程度しか離れていないターゲットまでは1秒と掛からずに到達してしまい、貫徹力を極限まで高める為にダーツの矢のような形状をした劣化ウランとチタンの合金で作られた弾芯(弾芯そのものは主砲の内径より直径が小さいので発射時は装弾筒で支えられており、発射されて砲口から飛び出した瞬間に装弾筒が分離して弾芯だけがターゲットに向かう)が驚異的な運動エネルギーを保ったまま『T-72』に直撃する。
そして、砲塔前面右側の装甲を弾芯の持つ運動エネルギーによって容易く貫通された『T-72』は砲塔内部に搭載していた大量の弾薬が一斉に誘爆を起こし、大爆発と共に砲塔そのものが10m近く空中に吹き飛んで完全に破壊された。
勿論、それだけの大爆発に見舞われた戦車の内部にいた人間が無事で済む筈も無く、3人のイラク軍戦車クルーは爆発と同時に全員が即死した。なお、この被弾時における弾薬の誘爆は『T-72』が抱える構造上の欠点でもあり、数多くのイラク軍戦車クルーが犠牲になっている。
だが、反撃の狼煙を上げた『M1A1』が1両目の敵戦車を撃破したのと全く同じタイミングで2発目の砲弾が今度は砲塔正面の右側に直撃し、またしてもHEAT弾によって発生した巨大な爆炎が『M1A1』の砲塔正面を覆い隠すように包み込んだ。
ところで、なぜ最初の2両の『T-72』が主砲にHEAT弾を装填していたのかというと、本来の彼らの攻撃目標がアメリカ軍の補給部隊だったので非装甲車両と交戦する確率が高いと思われた事に由来している。
「やったか!?」
砲撃を行った直後の『M1A1』に絶妙のタイミングで追撃を加える事に成功した『T-72』の車内では、その戦車の指揮を任されている戦車長が明らかに興奮した様子で叫んでいた。
しかし、彼の喜びは一瞬にして悪夢へと変貌する。なぜなら、『M1A1』は2発目のHEAT弾の直撃を受けたにも関わらず、これといって目立った損傷は見当たらなかったからだ。それどころか、新たな獲物に狙いを定めるかのように砲塔が旋回を始め、砲口が彼の搭乗する戦車に向きつつあった。
当然、そんな光景を目撃したら心の底から恐怖を感じた事だろう。おまけに『T-72』に採用された自動装填装置とFCSの組み合わせでは『M1A1』の発射速度に勝てず、結果的に1分間で発射可能な砲弾の数に倍近い開きがあった。
つまり、現状では『M1A1』が先に攻撃できるのだ。ただし、その辺の裏事情は現場で戦う兵士達には知る由も無く、半ば本能に突き動かされるように彼は部下に命じる。
「は、反転しろ! ここから全速力で逃げるんだ!」
「りょ、了解!」
もっとも、この信じ難い現実を前にして恐慌に陥ったのは彼だけでは無かったらしく、その命令を聞いた『T-72』の操縦手は言われるがままに戦車を左旋回させて180度の方向転換を行うと、安全な場所を求めて全速力で戦闘地域からの離脱を試みた。
まあ、部下である兵士が上官の命令に忠実に従うのは当然の事なので、この行為自体は模範的なものと言えるだろう。しかし、彼らの命運は真正面からの砲撃戦を挑んだ時点で完全に尽きていたのだ。
「全員、無事だな!?」
「勿論です!」
「ちょっと耳鳴りがするぐらいで、他はなんともありません!」
やや興奮気味ではあったが、『M1A1』のクルーに死傷者はいない。
「なら、次のターゲットは今、正面から撃ってきたやつだ! 弾種、サボー!」
「サボー、アップ!」
実は1両目の敵戦車を攻撃する前からテイラー曹長の中では次の標的が決まっており、敵戦車の撃破を確認した後は彼から見て1両目の戦車の右隣に位置する『T-72』を攻撃するつもりだった。
ところが、その命令は相手が先に砲撃してきた事で後回しになってしまうが、仲間の無事と眼前の計器盤に警告表示が1つも点灯していないのを確かめてからの行動は速かった。
先程と全く同じ要領でオブライエン2等軍曹がAPFSDSを弾薬庫から取り出して120mm滑腔砲の砲尾に装填し、ジャクソン1等軍曹が指示されたターゲットに主砲の照準を合わせる。
「ロックオン、完了!」
ちなみに、『M1A1』の砲撃準備が完了したのと狙われた『T-72』が反転を終えて逃走に移ったのは、ほぼ同時であった。そして、直後に曹長の口から死刑宣告同然の言葉が発せられる。
「ファイア!」
こうして命令が発せられてから僅か10秒程で『M1A1』の主砲は2発目のAPFSDSを音速の5倍近い高速で発射し、慌てて逃走を図った敵戦車の後部へと劣化ウラン製の弾芯を叩き込む。
しかも、今回は1両目を撃破した時とは違い、最も頑丈な正面よりも装甲の薄い後部へ1000mを少し超える程度の距離からAPFSDSが直撃したのだ。なので、その現実がもたらす結末は誰の目にも明らかだった。
まるでベニヤ板みたいに戦車後部の装甲を貫いた弾芯は威力を大きく失う事なくエンジンルームにまで到達し、そこにあった巨大な金属の塊である『T-72』のディーゼル・エンジンを破壊して爆発を引き起こすと、それによってエンジン本体を空中高くへと吹き飛ばす。
当然、エンジンの爆発は燃料タンクや搭載弾薬といった全ての可燃物の誘爆も引き起こして強大な爆発エネルギーを発生させ、結果的に戦車を内側から一気に破壊して炎で焼き尽くしていく。
勿論、この大規模な爆発がもたらした被害は戦車に搭乗する3人のクルーにも及び、彼らは衝撃波で全身の骨と全ての主要な臓器に致命的な損傷を負った上に飛び散った無数の金属片で全身を切り裂かれ、ほとんど苦痛を感じる事もなく瞬く間に絶命し、そのまま戦車と一緒に燃やされてしまった。
「もっとだ! もっと接近しろ!」
そんな風にして味方の戦車が次々に撃破されていく中、イラク軍戦車小隊を率いる小隊長は自身が搭乗する『T-72』の操縦手に大声で怒鳴った。それを受け、車体前方に座ってステアリングを握る操縦手の方も砂漠という不整地で『T-72』が発揮できる最高速での突撃を敢行する。
そして、ここまでは圧巻の反撃を演じてみせた『M1A1エイブラムス』だったが、その反撃を支えてきた技術的な優位性が幾つかの条件が重なった事によって僅かに揺らぎ始めていた。
「よし、今度は正面、右端のヤツだ! 弾種、サボー!」
「サボー、アップ!」
テイラー曹長の命令を受けたオブライエン2等軍曹は訓練通りの機敏な動きで砲弾を装填し、直ぐに装填完了の報告をしてきたのだが、どういう訳か今回に限ってはジャクソン1等軍曹の操作が普段よりも遅れている。その為、微かに焦りの表情を浮かべた曹長が彼を急かす。
「ジャクソン、ロックオンはまだか!?」
この時、『M1A1エイブラムス』に搭載されたサーマル・サイトは撃破されて激しく炎上する2両の『T-72』と、その2両が発射した2発のHEAT弾の爆発によって生じた大量の熱で画像全体が淡く光り、敵戦車の発する熱源を示す光点を探すのが難しくなりつつあったのだ。
そこで彼は、サーマル・サイトが捉えた画像を映し出す照準装置の表示モードをグリーンの背景に熱源を黒く表示するよう切り替え、先程よりは幾分か見やすくなった画像を使ってターゲットを捉えようとしていた。しかし、余分な操作を行った代償としてターゲットの捕捉に数秒の遅れが生じる。
「あれは……」
そうやって彼がターゲットの捕捉に全力を尽くしていた頃、サーマル・サイトが捉えた画像を共有して表示する車長用照準装置を覗いていたテイラー曹長は、その画像の左端の方で何かが動いているのに気付いて独り言を呟きそうになるが、そこへ割り込むようにして飛び込んできたウォーカー2等軍曹の声で一気に現実へと引き戻される。
「砲撃――!」
ところが、彼が言い終えるよりも早く、テイラー曹長達が今までに感じた事のない強烈な衝撃と甲高い轟音が『M1A1』へと襲い掛かってきた。そして、あまりの衝撃と轟音に4人のクルー全員が表情を引き攣らせ、凍りついたみたいに動きを一瞬だけ止める。
ちなみに、この早撃ちの決闘にも似た状況下で先に砲撃を行ったのはイラク軍戦車小隊の小隊長が直に指揮を執る『T-72』で、なんと彼らは『M1A1』までの距離が400mを切るまで接近してから砲撃を実施していたのだ。
当然、これ程の近距離になれば照準を合わせるのに細かい調整など必要なく、砲身が向きを変えて砲撃に伴う閃光が深夜の暗闇の中に迸った直後には『M1A1』の砲塔正面に発射された砲弾が吸い込まれるようにして着弾していた。
しかも、今回の砲撃で『T-72』が125mm滑腔砲から発射したのは対戦車攻撃に最適なAPFSDSである。
そして、本来なら運動エネルギーの損失が極度に少ない近距離からの砲撃であれば充分な威力を発揮する筈なのだが、それさえも『M1A1エイブラムス』の正面を守る複合装甲は平然と受け止め、防弾鋼板の表面に窪みを作っただけで容易く弾き返してしまった。
「なっ……!」
流石に、この必殺の一撃を容易く跳ね返されるとは思っていなかったのか、それを目の当たりにした小隊長は呆然とした表情を浮かべて絶句する。だが、彼は瞬時に冷静さを取り戻すと、何の躊躇いもなく自身の前方に存在していた小さな砂丘の背後に隠れるよう操縦手に命じた。
「11時方向に見えてる砂丘の後ろに隠れるんだ!」
「了解!」
それどころか、小隊長兼車長の怒鳴るような命令を受けた操縦手の方にも迷いは無く、『T-72』を不整地において安全に左右への旋回が可能な全速力(約35km/h)で走らせ、ぎりぎり戦車1両を隠せそうな大きさの砂丘の背後へ向かって前進し、速度を落とさずに方向転換して車体を綺麗に隠した所で急停止して待機状態へと移行する。
はっきり言って、この極限状態における小隊長の咄嗟の判断力と操縦手の大胆な行動力は、今回の戦車戦の中でも最大級の賞賛に値する。
なぜなら、2番目に撃破された『T-72』のように焦って見通しの良い場所で方向転換をし、そのまま無防備に後部を晒した状態で逃走を図っていれば、間違いなく『M1A1エイブラムス』の装備する正確無比で強力な主砲の餌食になって破壊されていたからだ。
「今のはヤバかったな……。全員、無事か?」
「はい、無事です」
「こっちも無事です」
「とりあえず、俺も無事です」
一方、近距離からAPFSDSを被弾した『M1A1』の車内ではテイラー曹長がクルー全員の無事と戦車の状態を確かめていた。
すると、即座にジャクソン1等軍曹・オブライエン2等軍曹・ウォーカー2等軍曹から無事を報せる声が届く。かなり危険な状況ではあったが、幸いクルーにも戦車にも被害は無かったらしい。なので、曹長は反射的に反撃を命じるのだった。
「よし、それなら直ぐに反撃するぞ! あの目障りなヤツを狙え!」
「アイ・サー!」
危機を脱した事もあって随分と気合の入った声でジャクソン1等軍曹が応じたのだが、直ぐに悔しそうな表情を浮かべて報告してくる。
「ダメです! 砂丘が邪魔で直接は狙えません!」
「なんだと!?」
彼からの報告に思わず曹長が訊き返し、その直後に車長用照準装置を覗き込んで自分の目でも状況を確認する。当然、そこには敵戦車の姿など何処にも見当たらず、小さな砂丘が鎮座しているだけだった。しかし、そうやって自分から照準装置を覗き込んだお陰で曹長は“ある事”を思い出す。
『待てよ。確か、敵の戦車は全部で4両だった筈……、まさか!』
その事実に気付いた曹長は頭の中で瞬時に状況を整理すると、咄嗟の判断で手元にあるコントロール・ハンドルに付いているパーム・スイッチを押してオーバー・ライド機能(砲手の操作に対して車長の操作を優先させる機能)を作動させ、砲塔を左に大きく旋回させながら照準装置に映る画像に目を凝らして目的の物を探す。
そして、彼は焦燥に駆られて操作が雑になりそうになるのを必死で抑えつつ明るいグリーンに覆われた画像の中を探し続け、ついに目的の物をサーマル・サイトで捉える事に成功した。だが、ほんの僅かな時間差で発見するのが遅れ、またしても大声で叫ぶ羽目になった。
「全員、衝撃に備えろ!」
そうやってテイラー曹長が叫ぶのと同時に戦車が激しく揺れる程の強い衝撃と何か硬い物が高速で衝突したような音が響き、車内にいた全員の肝を大いに冷やす。それは先程も全員が体感したものに非常によく似ており、寿命の縮む想いをしたのと共に被弾した事を否が応でも理解させられる。
この時、イラク軍戦車小隊の小隊長は報告にあった小型車両の姿が見当たらなかった事から歩兵部隊は撤退したものと考え、戦車の数で勝っているのを利用して正面からの力押しでの撃破を基本としつつも失敗した場合に備えて1両だけは側面へと回り込ませ、いざという時には正面より装甲の薄い側面を攻撃して『M1A1』を撃破する作戦を立てていたのだ。
もっとも、曹長が途中で気付いた事により完全な奇襲とはならず、結果的には最も頑丈な正面の複合装甲で攻撃を受けるのに成功し、およそ600mの距離から発射されたAPFSDSの弾芯を防弾鋼板に僅かな窪みを作っただけで空中へと弾き上げた。
ちなみに、彼にとっては敵戦車が主砲を発射する前に撃破するのが理想だったのだが、それを発見したのが『T-72』の装備する125mm滑腔砲のマズル・フラッシュを目にしたのと同時では流石に無理だった。だが、それでも被害は全く無かったのだから、ここは良しとするべきだろう。
「このまま攻撃に移る!」
そう声高に宣言した曹長は自分でコントロール・ハンドルを操作してレーザー・レンジファインダーを作動させてターゲットをロックオンすると、最後に主砲の発射ボタンを押して必殺のAPFSDSを敵戦車にお見舞いする。
次の瞬間、『M1A1』の車内にも砲撃に伴う振動や轟音が届き、発射時の反動を緩和する為に主砲が後退して燃え残った撃ち殻がコルダイトの臭いと共に砲尾から排出された。
そして、1650m/sを超える高速で砲口を飛び出したAPFSDSは直ぐに装弾筒を分離して弾芯だけとなり、それは偶然にも狙った『T-72』の車体と砲塔の隙間部分に命中した。
当然、最も頑丈な正面装甲でさえ容易く貫徹できるAPFSDSの弾芯の前では隙間部分の防御力など無いも同然で、簡単に砲塔の反対側へと達して内部に搭載されている砲弾の誘爆を引き起こす。
こうなると戦車内にある全ての可燃物や爆発物が連鎖的に誘爆し、その勢いで砲塔を10m以上も空中に吹き飛ばす大爆発と共に大型地上兵器の中心的存在である戦車を燃え盛る残骸に変えてしまい、同時に内部にいた人間は全員が恐怖も苦痛も感じる事なく即死する。
「ジャクソン、主砲のコントロールを戻すぞ」
「了解、受け取ります」
同じ頃、間一髪のタイミングでイラク軍戦車からの奇襲攻撃を凌いだ『M1A1』の車内ではテイラー曹長が主砲の制御を砲手のジャクソン1等軍曹に戻していた。しかし、厄介な事に敵戦車が1両だけ残っているのだ。
それどころか、現在の互いの位置関係では間にある砂丘が障害物となって射線が確保できない上に『T-72』の姿を視認する事も出来ず、おまけに彼らの搭乗する戦車は泥に嵌まって身動きが取れないのでは他の射撃位置へ移動するという選択も不可能であった。
もっとも、迂闊に攻撃や移動が出来ないのは敵も同じなのだが、そんな綱渡りにも似た膠着状態は敵に増援が現れれば直ぐに崩れ去ってしまうだろう。
まあ、イラク軍側もアメリカ軍に増援が到着するのを警戒しているだろうから、両者とも早々に決着をつけたいと考えていたのかもしれない。すると、それを見越していたかのようにジャクソン1等軍曹がインターコムを通じて現状を打破できるかもしれない事を口にする。
「曹長、敵戦車の位置を特定できたかもしれません!」
「それは本当か!?」
「はい、砂丘の背後から熱い空気の揺らぎが上がっています! おそらく、敵戦車のエンジンから排出された高温の排気ガスです!」
彼が曹長に対して行った説明は、まさにハイテク戦争における戦術の変化を如実に物語るような痛烈な一言であった。
なにせ、彼が熱源を明るく表示する通常のモードに切り替えたサーマル・サイトで砂丘の付近を探ってみると、照準装置の画像には『T-72』の搭載するディーゼル・エンジンから吐き出される高温の排気ガスが陽炎として立ち上っている様子がはっきりと映し出されていたからだ。
どうやら、敵戦車を指揮する戦車長は反撃を避ける為に咄嗟に車体を物陰に隠すという優れた判断力を発揮したものの、最後の最後で1つだけミスを犯していたらしい。
それは、高温を発する所為でサーマル・サイトには格好の標的として捉えられてしまうエンジンを直ぐには切らなかった事である。当然、これ程の大チャンスをテイラー曹長が見逃す筈が無い。
「なら、そいつを目安に狙えるか!?」
「勿論です!」
そんな曹長からの問い掛けにジャクソン1等軍曹も力強く答える。
「よく言った、ジャクソン! だったら、これで終わりにするぞ! ターゲット、2時方向・砂丘の背後に潜む敵戦車! 弾種、サボー!」
「サボー、アップ!」
「ロックオン、完了!」
曹長が強い決意を示すように力強く叫んだ後、勇猛果敢な突撃で見事な攻撃を仕掛けてきた上に最後まで生き残ったイラク軍の『T-72』を撃破する為の攻撃命令が下った。
それを受け、まずは手順通りにオブライエン2等軍曹が7秒程で主砲にAPFSDSを装填し、ジャクソン1等軍曹がサーマル・サイトの捉えた排気ガスの位置と隠れる直前の動きから『T-72』の潜伏地点を推測すると、そこへレーザー・レンジファインダーからレーザーを照射してロックオンを行う。
「ファイア!」
そして、ターゲットを指示してから10秒と掛からずに砲撃準備が完了すると最後にテイラー曹長が主砲の発射を命じ、即座に反応したジャクソン1等軍曹がトリガーボタンを押した。
その直後、『M1A1エイブラムス』に搭載されたFCSが最終セーフティの解除を意味する彼の操作を的確に処理し、理想的なタイミングで電気信号が雷管を発火させて砲撃を実行に移す。
それによって120mm滑腔砲の砲口から音速を遥かに超える高速で飛び出したAPFSDSは直ぐに装弾筒を分離すると、ダーツの矢に似た形状の弾芯が砂丘の狙った箇所へと一瞬で吸い込まれるように命中した。
すると、命中から僅かに遅れて砂丘の背後で轟音と共に大爆発が起こり、『T-72』特有の丸みがかった砲塔が空中へ15mは飛び上がった後で落下し、もう1つの特徴である長い砲身が砂の地面へ根元まで突き刺さって墓標のようになる。
まるで冗談みたいな話だが、『M1A1』の主砲から高速で発射されたAPFSDSの弾芯は砂の壁を貫き、その背後に隠れ潜んでいた敵戦車を一撃で破壊してしまえるだけの威力を持っていたのだ。
勿論、そんな規模の爆発に人間が巻き込まれればひとたまりも無く、このイラク軍戦車小隊を率いていた小隊長以下3人のクルーは全員が同時に爆死して原型を留めない程バラバラになって燃えていた。
そして、今までで最もインパクトのある光景は程なくして『M1A1』のクルーの下にも届き、ようやく彼らは攻撃を仕掛けてきた4両の『T-72』を全て撃破した事を実感する。
「全員、よくやった! だが、まだ警戒は怠るなよ!」
「アイ・サー!」
こうして深夜の砂漠で行われた戦車戦にも一応の決着がつき、テイラー曹長は敵戦車の撃破に貢献した3人のクルーを褒めるが、立て続けに襲撃を受けた経験から警戒を促す事も忘れなかった。
当然、言われた方の3人も状況は理解していたらしく、全員が声を揃えて気合の入った返事をするのと同時に周辺警戒に取り掛かっていた。だが、そんな万全を期した行動も今回ばかりは杞憂に終わり、次に彼らが目にしたのは味方回収チームの姿だったのだ。
そして、回収チームの装備する『M88A1ヘラクレス』戦車回収車が結局は3両がかりで戦友とも言える彼らの『M1A1』を泥の中から引っ張り出し、被弾箇所や足回りを中心に車体各部を入念に検査した結果は何処にも異常が見当たらないという驚異的なものであった。
つまり、アメリカ軍が湾岸戦域に持ちこんだ第3世代MBT『M1A1エイブラムス』は、地上戦が始まる前まではイラク軍が最強だと自負していたMBT『T-72』を完全に凌駕していた事になる。
ちなみに、身動きが取れない状況で完璧な返り討ちを演じてみせた『M1A1』はAPFSDSとHEAT弾を2発ずつ被弾していた事から大事を取って後方へ送られ、そこで砲塔を新品の物に交換して整備と補給を終えた後で何事も無かったかのように戦線に復帰したという話だった。
最後までお読み下さり、本当にありがとうございました。
本文を読まれた方はお分かりでしょうが、かなりの長文な上に内容も作者の趣味が全開だったので正直、どれ程の需要があったのかは見当もつきません。ですが、現代戦における現代兵器が主役の作品である以上、どうしても妥協はしたくなかったのです。
まあ、自己満足と言われれば返す言葉もありませんが……。
ですが、皆様が少しでも楽しいと思っていただけたのなら、それだけで自分はとても嬉しい気持ちになれます。
では、また何処かで。