謎の青年武士
一
夕陽が日本橋の家並みの向こうに沈みかけていた。風のない静かな日で大川端は淡い茜色の陽に染まっていた。大川の川面が夕陽を反射てかがやき、無数の起状を刻みながら、永代橋の彼方まで滔々(とうとう)と流れている。
大川には客に食べ物を売るうろうろ船などが川面を行き来きし、夕陽のかがやきとあいまって華やかな彩りに満ちている。
富樫十六夜は、大川にかかる新大橋のたもとを歩いていた。十六夜の手には防具袋があった。日本橋に品川町にある玄武館へ行った帰りである。
富樫家は、二百石の小禄の旗本で、長女でありながら世継ぎとされている。四年前までは長男の若松が家を継ぐはずだったが病死してしまい、他に男児がおらず長女の十六夜が継ぐことになった。
それでも、中には女の身である十六夜を認めない者もいるため、世継ぎとして恥じないよう文武を怠ることをしなかった。今日も、玄武館へ稽古した帰りである。
十六夜は、十八歳。腰には武士らしく、二刀を帯びて二単衣と紺色の袴が映えていた。腰まで流れるさらさらした艶やかな黒髪を元結しており、髪の隙間から華奢な首が見える。それは、雪のような肌をしている。黒眸は、吸い込むような深淵をたたえ、その姿は気高く美しい武士の女である。
大川端には、ぽつぽつと人影があった。仕事を終えた出職の職人、ぼてふり、風呂敷包みを背負った行商人、それに町娘などがいる。
十六・十七歳と思われるふたり連れの町娘だった。何かおしゃべりをしながら、十六夜の脇を通ったのだ。その着物姿には華やいだなかにも可愛らしさがあり、十六夜の姿とは非対称なものである。
十六夜は、一ッ橋を渡り終えたとき、女の悲鳴が聞こえた。町娘の者がひとり、武士らしき男の怒号と女の悲鳴が混じり合って聞こえた。
……ただことではない。
と、十六夜は思った。嫌がっている娘を、ふたりの武士が無理やり手籠めにするつもりなのか。
十六夜は走り出した。やはりそうだった。町娘を、御家人か江戸勤番の藩士と思われる武士がふたり、強引に連れ去ろうとした。