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「白馬」の王子様

作者: みなみゆき

 幼い頃に読んだ絵本。

 そこには、綺麗で可愛いお姫様と、格好良くて素敵な王子様がいた。

 ふたり並んだ姿はとても素敵で、そして幸せそうだった。キラキラしていた。

 ――わたしも、お姫様になりたい。

 まだ幼かったわたしは、心の底からそう思った。お姫様になれば、素敵な王子様――白馬の王子様が、わたしを迎えに来てくれると思ったから。

 流れ星を見つけては「白馬の王子様が来てくれますように」と唱えたり、七夕の短冊に「はやく王子様が来てくれますように」と願い事を書いたりしていた。

 王子様やお姫様の出てくる絵本や漫画を読んでは、白馬の王子様がわたしを迎えに来てくれるところを想像して、うっとりする。

 ――はやく来てくれないかな、わたしの王子様。

 そんなふうに、夢見ていた。

 けれど、月日の流れとともに、わたしはいつしか空想上の王子様に想いをはせることもなくなった。白馬の王子様は思い出の奥底にしまわれて、もちろん白馬の王子様は現れないまま、わたしは中学生になった。

 もう白馬の王子様を夢見ていたころのことなんて、思い出すこともほとんどない。

 そのはず、だったのだけれど。


「はじめまして、白河夢美しらかわゆめみさん。いや、夢美姫。ぼくは貴女を迎えに来た、白馬の王子です」


 玄関を開けたら、ドアの前に白馬の王子様が立っていた。

 白を基調とした王子様っぽいスーツを、すらりとした細身の身体に身につけている。

 服装だけ見れば、王子様に見えないこともない。

 けれど、顔が馬だった。

「馬顔の人」ではない。馬、なのだ。

 まさしく文字通り、「白馬」の王子様が、そこに立っていたのだった。



           *



 当たり前だけれど、それは本物の馬の顔ではなかった。

 パーティーグッズを扱っているお店にあるような、安っぽい馬のかぶりものだ。

 馬のかぶりものに、王子の格好。

「……変態?」

「変態じゃない! 白馬の王子!」

 わたしが人差し指を突き付けて指摘すると、白馬の王子様(?)は即座に否定した。

 結構大きな声を出したみたいだったけど、馬の顔を被っているせいで、声がくぐもって聞きとりにくい。けれど、聞きなれた声を判断するにはそれで十分だった。

「朝から何やってるの、優希ゆうき

 馬面に向かって言うと、白馬の王子様(?)は目に見えて慌てだした。

「ぼ、ぼくは優希などではない。異国からはるばる君を迎えに来た、白馬の王子だ!」

「わかった、わかった。十分びっくりしたから、もうドッキリは終わりにしてよ」

「ドッキリじゃない!」

 白馬――もとい長峰優希ながみねゆうきは、断固として言い張る。

 どうでも良いことだけれど、喋るたびに馬のかぶり物が重そうにゆさゆさと動いている光景は、ものすごくシュールだった。

 白馬の王子、ねえ。

 まあ確かに、間違ってはいないけれど……けれど人として間違っている気はする。そういえば、この馬のかぶりもの、目の部分に穴が開いていないみたいだけれど、どうやって視界を確保しているんだろう。まさか全く見えていないとか? まさかね。

 わたしは、笑えば良いのか呆れれば良いのか判断しかねたまま、優希に言った。

「ねえ、優希。そろそろ馬の顔とったら? 暑いでしょ?」

「だから、ぼくは優希じゃない。君の白馬の王子様だ」

 わたしは一瞬、あれ、と思った。

 優希がここまで頑なに言い張るなんて、珍しい。

 優希は、わたしとは違って頑固なタイプじゃない。例えば、些細なことで言い合いになったときなんかに、最初に折れるのはたいてい優希の方だ。自分の考えを押し通そうとすることなんて、滅多にない。だから少し、変だな、と思った。

 けれど、そんなことよりも今は、優先するべきことがある。

 わたしは左手につけている腕時計を、ずい、と優希の目の前(というより馬の顔面)に突き付けた。

「それより、はやく着替えた方がいいんじゃない? あんまり遅いと置いてくよ」

 制服姿に、通学鞄を提げたわたし。

 王子様ルックに、馬をかぶった優希。

「わたし、そろそろ学校行くけど」

 優希は、わたしに言われて初めて今が平日の朝だということに気付いたみたいな顔(見えないけれど、多分)をして、何事かを呻くと、慌てて百メートル先にある自分の家へと走って行った。

 その背中を眺めながら、王子の格好をした馬が走って行く様子はシュールだな、と思った。


 長峰優希は、すぐ近所に住んでいる、わたしの幼馴染みだ。

 学年が同じということもあって、ものごころついた頃から一緒に遊んでいた記憶がある。幼稚園も小学校も一緒のところで、今も同じ中学校に通っている。クラスこそ別々だけれど、今でも朝はたいてい一緒に登校している。

 うんと小さい頃は、一緒にお風呂に入ったりもしていた。さすがに今はもうしないけれど、つまりそのくらい、優希とは家族みたいに付き合ってきた。

 だから、例え馬のかぶりもので顔なんて見えなくても、その雰囲気や声なんかで、すぐに優希だって分かってしまう。

 そんな存在、そんな関係。


 優希の家の前で待っていると、少し経ってから、優希が勢いよく玄関から飛び出してきた。

 今度は馬の顔もかぶっていないし、白い王子服も着ていない。制服姿のわたしと同じように、ブレザーを身に着けている。

 ただし、相当急いで着替えたからなのか、ネクタイは変に曲がっているし、髪は寝癖みたいに、おかしな方向に跳ねていた。多分あんなものをかぶっていたせいで、髪に変な癖がついてしまったのだろう。

「もう、だらしないんだから。ほら優希、ちょっとこっち向いて」

 わたしは苦笑を浮かべながら、優希の曲がったネクタイを結び直した。それから、跳ねている部分の髪を手で軽く撫でつける。完全には治らなかったけれど、少しはましになった。

「はい、できた。もう動いて良いよ」

「ありがと、夢美」

 優希は髪を触りながら、少し照れたような表情を浮かべた。

 こういう顔をするところ、昔から全然変わらない。

「それで? 何だったの、さっきのは」

 並んで通学路を歩きながら、優希に訊ねる。

 わたしより頭ひとつぶん身長の高い優希と話すときは、どうしても目線が少し上になる。優希は中学に入ってからここ一年で、随分と背が伸びた。小学生のときまではわたしの方が大きかったはずなのに、いつの間にか抜かされていた。なんとなく、ちょっと悔しいような気もしないでもない。

「さ、さっきのって、何のこと?」

 優希は一瞬きょとんとした後、思い出したかのように露骨に目を泳がせた。

 相変わらず、わかりやすい。

「馬のかぶりものと、王子の格好。最初、ちょっとびっくりしたんだからね。変質者かと思ったもん」

「へ、へえ。そんなことがあったんだ」

「あんなの、どこで買ったのよ」

「な、何が? ぼく、知らない」

 あくまでも、しらばっくれるつもりらしい。

 そういえば、さっき馬王子姿で現れた優希(?)も、「ぼくは優希ではない」とかなんとか言っていたっけ。あくまでもさっきの馬王子は「優希」ではなく「白馬の王子様」だと言い張りたいみたいだった。

 でも、どうして?

 自分のしたことが、あまりに馬鹿だったと気付いて今さら恥ずかしくなったのだろうか。だったら最初からやらなければ良いのに。

「そ、そんなことよりさ。夢美、今日放課後予定とかないよね? 委員会とか」

「まあ、ないけど」

「そっか、じゃあ学校終わったら、真っ直ぐ家に帰るんだね」

「今のところそのつもりだけど。何、どっかに付き合ってほしいの? 買いものとか?」

「あ、ううん。別に」

 なんでもない、と言って、優希は話題を変えてしまった。

 結局、朝の「白馬の王子様」の話はうやむやのうちに流れ、結局何だったのか、よくわからなかった。

 けれど、まあどうせ深い意味なんて無かったのだろう。わたしの中で「今朝のあれは、優希のちょっとした気まぐれのおふざけだった」という結論に落ち着いた。

 だったのだけれど。


「やあ、夢美姫。今お帰りかい?」


 また出た。

 帰り道、学校から少し歩いたところの曲がり角で、今朝のアレに出くわした。

 顔は馬、格好は王子。記憶に新しい不審者スタイルの人間(?)が、わたしに向かって手を振っている。

 さすがに、呆気にとられた。というか呆れた。まさか二回目もあるとは。

「……優希。あんた部活は?」

 わたしは溜息と一緒に言葉を吐き出した。

「今日は、職員会議があるから部活休みになって――じゃなかった」

 優希(白馬フォルム)は、コホン、と咳払い。

「ぼくは白馬の王子だから、お姫様のもとになら、いつどんなときだろうと優先的にかけつけるのさ」

 微妙にカタコトな歯の浮くような台詞を、幼稚園のお遊戯の台詞を読むかのように言うと、何を思ったのか、白い手袋につつまれた手をわたしに恭しく差し出した。

「さあ、お手をどうぞ、姫」

 どこで覚えたのか、従順な騎士が姫君に対してするかのように、優希はその場にひざまずいていた。

 まあ、こんなふうにされたら、ときめく女の子もいるかもしれない。

 ただし顔が馬じゃなければ、だけれど。

「ちょっと、優希。いくらなんでもやりすぎだって」

 わたしや優希の家の前ならともかく、ここは普通の道路だ。学校からも近いし、人通りはそれほど多くないとは言っても、誰も通らないわけじゃない。実際に、通り過ぎる人たちからの好奇の視線をちらちらと感じる。

 馬顔の王子が道にいたら、それは、つい見てしまう気持ちもわかるけれど。

 けれど、それで変に注目の的になってしまっているのは、正直いたたまれない。普通に恥ずかしい。

「姫? 顔が真っ赤ですよ?」

「あんたのせいでしょ!」

 わたしは両方の手のひらで、頬を隠しながら叫んだ。

 すると、馬の顔がちょっとだけ傾いた。多分優希が首を傾げたのだろう。かぶり物で視界が遮られているお陰で、通り過ぎて行く人達の注目を集めている事に気が付いていないのだとしたら、ずるい。

「もう、いい加減にふざけるのやめてよ。こっちまで恥ずかしいんだから」

「ふざけてなんかない。本気だよ」

 優希は、予想外に真剣味を帯びた声で言う。

「だって、ぼくを望んだのは夢美じゃないか」

 わたしが望んだ?

 何を? 馬の顔をつけた変な王子様に、優希がなることを?

「そんな記憶、全然ないんだけど」

「望んだじゃないか。昔『白馬の王子様が来てくれますように』って、毎日言ってたの、ぼく、覚えてるよ。だからこうして、夢美の願いを叶えに来たんじゃないか」

 優希がそんな昔のことを覚えていたことに少し驚きながらも、わたしは馬顔の幼馴染みに、小さな子に言い含めるような口調で言う。

「あのね、優希。わたしは確かに昔、そんなことを言ってたかもしれないけど。でもね?」

 そこで一気に、爆発した。

「わたしが来てほしいと思ってたのは、『《白馬》の王子様』じゃなくて、『白馬に乗った王子様』なの! 馬の王子に迎えに来てほしいなんて思ってる女の子がいるわけないでしょ!」

 優希は聞き終えるや否や、「えーっ!」と心底驚いたような声をあげた。

 わたしは、そんな間抜けな幼馴染みに、溜息をつく。

 やっと分かった。優希が馬の頭を被って、王子の格好をしている理由が。それにしても「白馬の王子様」を「白馬が王子様の格好をしているもの」だと勘違いするなんて。いくらなんでも、天然にもほどがある。

「わかったでしょ? だから、その格好はもうしなくていいの」

「……やだ」

「は?」

「ぼくは、この格好やめない。だってぼくは、夢美の『白馬の王子様』だから」

「優希、わたしの話聞いてなかったの?」

「聞いてたよ。でも、だってぼくは――」

 ガツン。

 優希は一歩踏み出した瞬間、一部コンクリートがめくれあがっている部分に、足を躓かせた。

「優希、ちょっと、大丈夫?」

 派手に転んだ優希に駆け寄ると、優希は「うう」と呻きながら顔を上げた。不器用にも顔から転んだらしく、鼻とオデコを少しすりむいてしまっている。……ん?

「あ、馬」

 優希の顔から、あのヘンテコな馬の頭が消えていた。

 周囲を見回してみると、わたしのすぐ後ろに、無残に転がる馬の抜け殻があった。転んだ拍子に顔から脱げたらしい。

 素顔になった優希は、気まずそうな表情でわたしから視線を逸らしている。わたしはブレザーのポケットからハンカチを取り出して、半ば無理やり、優希の顔についた汚れを拭いてやった。

「痛いよ、夢美」

「このくらい我慢しなさい。本当に、どじなんだから」

「うん……ごめん」

 優希は大人しく、わたしのされるままになっていた。

「ぼく、いつも夢美に世話焼いてもらってばっかりだね」

「何言ってるの、いまさらでしょ」

「だから、約束くらいは守りたかったんだよ」

「約束?」


 ――約束。


 遠い昔に、仲良しの幼馴染とした、約束。

 わたしはふいに、十年前の事を思い出した。


『ねえ、夢美ちゃん。何をお願いしているの?』

『白馬の王子様が来ますようにって、お願いしたの。いつか夢美のところにも、素敵な王子様が来てくれるといいなぁ』

『大丈夫。絶対、絶対来るよ、白馬の王子様』

『ほんとう?』

『うん。ぼくが大きくなったら、白馬の王子様になって夢美ちゃんの事迎えに来てあげる』

『わあ、嬉しい。じゃあ、約束ね?』

『うん、約束』

『ありがとう、優希ちゃん!』


 もしかして。

 もしかして、優希。

「あんな昔に言ったこと、覚えてたの?」

「忘れるわけないじゃん」

 優希は下を向いたまま呟いた。少し拗ねたような言い方だった。

「大きくなったら夢美の王子様になろうって、ずっと思ってた。なのに夢美は、全然覚えてないし」

「だって、あれって幼稚園の頃のことでしょ? 仕方ないじゃない」

 それでも、優希は覚えていたのだ。

 そしてそれを、実行した。約束通りに。

「どうして?」

 わたしは、優希に訊ねる。

 どうして、そんなに、その約束にこだわるの?

 幼いころの、他愛のない約束。大きくなったら自然に忘れてしまうような、そんなささやかな約束を、どうして、今までずっと覚えていたの?

「だって……」

 優希は、言いながらそっぽを向いた。頬が仄かに、桃色に染まっている。

「だって、そうでもしないと、夢美のこと守れないもん。ぼくは、女の子だから」


 ――夢美ちゃん、ぼくが守るよ、夢美ちゃんの事。王子様になって、ずっとそばにいるよ。


 優希が自分のことを「ぼく」と言い始めたのは、いつの頃からだっただろう。

 昔から少し抜けているところがあって、ずっと世話の焼ける妹みたいだと思っていた優希。でも、肝心な時に助けてもらっていたのは、いつもわたしだったのかもしれない。

 今だって、わたしの願いをかなえるために、わたしとの約束を守るために、こんな変な格好までして。本当は、すごく恥ずかしいくせに。

「ばか」

 わたしの口から、自然と言葉が漏れる。

「優希はばかね。本当に」

「ばかって……そりゃあ、ぼくは夢美みたいに頭良くないけど」

「女の子でいいのよ」

 わたしは、困惑する優希の首に腕をまわした。

「王子様になんてならなくていい。そのままの優希で、わたしのそばにいてよ」

 そのままでいい。そのままがいい。

 ちょっと抜けてて、ばかみたいに素直で、全然頼りにならなくて、でもとても優しくて。

 格好良い王子様なんか、いらない。

 そのままの、優希がいいよ。

「でもぼく、頼りないよ」

「知ってる」

「これからも、夢美に迷惑かけると思うよ」

「でしょうね」

「それでもいいの?」

 わたしは、こつん、とおでこをぶつけた。

 優希の体温は、小さい子どもみたいに、温かい。

「ばかね。いいに決まってるでしょ」


           *


 幼い頃に読んだ絵本。

 そこに出てくる、素敵な王子様。

 もしかしたらこの先、いつか本当に白馬に乗った王子様が、わたしを迎えに来てくれる日が訪れるかもしれない。

 でも、ごめんなさい、王子様。

 わたしには、もう既に『王子様』がいるんです。

 おばかで抜けてて頼りなくて、そしてとびきり可愛い――わたしだけの、王子様が。

 

 〈了〉

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