⑩ そして、ローカルホワイトデー
「これ、お返し」
3月6日、佐津紀は生徒会室で塔哉からお返しを受け取った。不織布でできた柔らかい袋の中から紙の感触が伝わってきた。
――返事だ。
佐津紀は、手のひらに汗がにじむのを感じた。
佐津紀は、バレンタインデーのお菓子と一緒に小さなメッセージカードを贈った。返事が来たのだから、塔哉はメッセージを読んだということになる。
塔哉は特に緊張する様子もなく、何かのポスターを作っていた。佐津紀もなんとか気持ちを抑えて、塔哉からもらった袋をバッグにしまった。
「塔哉――」
「ん?」
「――なんでもない」
塔哉は再び作業に戻った。
その日の作業は思うようにはかどらなかった。佐津紀はどうしても落ち着かない。気がつくと、普通教室の半分の広さしかない生徒会室の中をぐるぐると歩きまわっていた。塔哉もやはり落ち着かないようで、油性マーカーのキャップを親指で上げたり下げたりしている。
そのまま10分が経過した。
佐津紀は呼吸が乱れ、目が回りふらふらとし始めた。塔哉の右手の親指はひりひりしている。
塔哉がコトリとペンを置いた。
「今日はもう、終わりに――」
「もうだめ。あたし耐えられない! 先に帰るーーーーーー!」
佐津紀はいきなり大声を出し、荷物を乱暴にまとめて生徒会室から飛び出した。
生徒会室の前では環境委員長が中の様子をうかがっていて、佐津紀が大声をあげた途端ドアから離れようとしたが間に合わず、飛び出してきた佐津紀に突き飛ばされてしまった。後ろに立っていた保健委員長も将棋倒しで倒れ、尻もちをついた。気が動転している佐津紀は謝るのも忘れて、奇声をあげながら廊下を走って行った。
普段なら10分かかる道のりを自分でも信じられないスピードで走り切り、佐津紀は生徒会室を飛び出してから5分とかからず自宅にたどり着いた。
手洗い・うがいもそこそこに2階の自室に入った佐津紀は、バッグからお返しの袋だけ取り出してベッドに腰かけた。
夢中でひもをほどく。中から出てきたのは何の変哲もない既製品のクッキーと、二つ折りにされた便せんだった――予想通り。
便せんは、青空をモチーフにした爽やかなデザインで、中央には鳥が羽ばたいている大きな絵が薄く入っていた。その上に見慣れた塔哉の字(男子にしては丁寧)で書き綴られている。塔哉がこんな便せんを常備しているはずがない。きっとこのためだけに買ったのだろう。いずれにしても、佐津紀にはそんなことを考えている余裕はない。
佐津紀は動悸が収まらず、読み始めてしばらくは文章の内容が頭に入ってこなかった。
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佐津紀へ
このあいだは手作りのチョコありがとう。
おいしかった。
それと、メッセージカード。たぶん、俺が今までにもらった手紙の中で一番短●い。
銀婚式の予定どうする?……はてなマークまで入れてたった11文字だけど、俺が今までもらった手紙の中で一番うれしい文章だった。
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佐津紀は、やっと文章を冷静に受け止められるようになってきた。
「短い」のところは、きっと「短かい」と書いてしまってから送り仮名の間違いに気付き、黒ペンで塗りつぶしたのだろう。几帳面そうでいてがさつな塔哉らしさが見られて、佐津紀はなんだか嬉しくなった。
しかしそれもつかの間、先を読むにしたがって佐津紀の顔は紅潮した。
――これってまさか……
佐津紀は、最後の一文を読んだところで体から力が抜け、座ったまま布団に倒れ込んだ。
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まさかドッキリじゃないよな。
あのカードがドッキリじゃないとして返事を書いてるから。
銀婚式をいつやるかはまだ分からない。
だけど、俺たち二人が中年のオジサンオバサンになったとき、できたらいいと思ってる。
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ゆっくりと起き上がってから、もう一度最後の一文を読んだ。
その衝撃的な文章が読み間違えでないことを確認すると、佐津紀は布団に顔をうずめ、足をばたつかせた。
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結婚式の予定を立てるのが、先だよな。
塔哉
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――これってまさか……まさか、まさか!