元夫が愛人と私の考えたお菓子で王都一の菓子店を開くそうなので、先に王国中の菓子職人に無料で「レシピを公開」しておきました
約4千5百字。不貞夫を成敗系
「お前とは離婚する。俺は彼女と新しい店を開くことにした」
夫からそう告げられたとき、私はしばらく言葉が出なかった。
彼女、というのは私の親友だった女性だ。少なくとも、私は親友だと思っていた。
その彼女と夫が不倫関係にあったことを知ったのは、つい先日のこと。問い詰めたところ、夫は開き直り、離婚を要求してきたのだ。
「この店も、もうお前には関係ない。さっさと出ていってくれ」
夫は小さな菓子店を経営していた。そして私は、その店で販売するお菓子を考案していた。
もともと趣味で始めたお菓子作りだったが、ありがたいことに私の作るお菓子は評判がよく、店には遠方から買いに来てくださるお客様もいた。
それが、夫には自分の才能だと思えたらしい。
「今度の店は王都の一等地だ。貴族向けの高級菓子店にする。お前がいたこんな小さな店とは比べものにならないぞ」
「……でも、お菓子はどうするの?」
「心配するな。お前のレシピは全部書き写してある」
耳を疑った。
私が長年かけて考案してきたお菓子のレシピ。失敗を繰り返し、材料の配合を変え、ようやく完成させたものを、私は一冊のノートにまとめていた。
夫はそれを、私に黙って書き写していたというのだ。
「そんな……勝手に使わないで!」
「はっ。何を言ってるんだ? 料理の作り方そのものには、独占する権利なんてないんだぞ。誰が何を作ろうと自由だ」
「でも、それは私が考えた……」
「だから何だ? レシピさえあれば誰にだって作れる。お前がいなくても何も困らないんだよ」
隣では、かつての親友が得意げに笑っていた。
「これからは私たちが、あなたのお菓子をもっと素敵なものにしてあげるわ」
夫も笑った。
「お前の菓子は、俺たちが王都一にしてやる。ありがたく思えよ」
私は何も言い返せなかった。
こうして私は、夫の店を追い出された。
◇
離婚してしばらくは、何もする気になれなかった。
夫を失ったことよりも、自分が一生懸命考えてきたお菓子を奪われたことが悔しかった。
何年もかけて作り上げたレシピだった。それを、夫は自分が考案したものとして売り出すつもりらしい。
どうにかできないだろうか。
しかし、夫の言うことも間違ってはいなかった。
この国では、料理の作り方そのものに独占権は認められていない。私が考えたレシピであっても、他人がその通りにお菓子を作って売ることを禁じることはできないのだ。
悔しいけれど、仕方がない。
「……待って」
そのとき、私はふと思った。
誰が作ってもいい。
誰が売ってもいい。
だったら。
「……別に、あの人たちだけに作らせる必要もないわよね?」
私はもともと、自分のお菓子を独占したいと思ったことはなかった。むしろ、美味しいお菓子が世の中に増えるなら、それは喜ばしいことだ。
だったら、いっそ。
私はレシピをまとめたノートを持って、王都の菓子職人組合を訪ねた。
「こちらのレシピを、組合の皆さんに使っていただきたいんです」
「ほう。これは……ずいぶんと珍しい菓子ですな」
組合の担当者は、ノートをめくりながら目を丸くした。
「これを公開してもよろしいので?」
「はい。王国中の菓子職人さんに配っていただいて構いません」
「しかし、これだけのレシピです。相応の対価を……」
「いりません。無料でお願いします」
担当者は絶句した。
私は少し考えてから、一つだけ付け加えた。
「それと、皆さんが自由に工夫してくださっても構いません。もっと美味しいお菓子になるなら、そのほうが嬉しいですから」
こうして、私が考案した数十種類のお菓子のレシピは、菓子職人組合を通じて王国各地へ配布されることになった。
あとは、職人さんたちにお任せだ。
私にできることは、もうない。
少なくとも、このときはそう思っていた。
◇
数か月後。
王都の大通りに、豪華な菓子店が開店した。夫と、かつての親友が開いた店だ。
店の外壁には金色の装飾が施され、入口には真っ赤な絨毯。店内には高価な調度品が並び、菓子を入れる箱にも贅沢な意匠が凝らされていたという。
宣伝文句は、『当店でしか味わえない、“幻の菓子”をご賞味あれ』だった。
開店当日は、宣伝に惹かれた客が大勢訪れたそうだ。夫は上機嫌だったらしい。
何しろ、これまで誰も見たことのないお菓子を売るのだ。
しかもレシピはすべて揃っている。腕のいい菓子職人を雇わずとも、書かれた通りに作らせればいい。
あとは豪華な店で高値をつければ、貴族たちが喜んで買っていく。
夫はそう考えていた。
ところが。
「……あら?」
菓子を食べた一人の女性客が、首をかしげた。
「このお菓子、こないだ“あちら”のお店でも食べたような……」
「あ、私も思いました。それに、私は“あちら”のほうが正直好みというか……。果物がたくさん入っていて、美味しかったですもの」
「そうそう。それに、お値段もずっと“あちら”のほうがリーズナブルでしたわよね」
その会話を耳にした夫は、思わず声をかけた。
「お、お客様。失礼ですが、あちらのお店とは……?」
「え? 通りの向こうにあるお菓子屋さんですけど」
「……は?」
「春祭りに合わせた新商品なんですって。あちらのお店には、蜂蜜を使ったものもありましたわね」
「なんですと……!?」
夫は慌てて店を飛び出した。
そして、愕然とした。
通りの向こうの菓子店に、自分の店で売っているものとよく似た菓子が並んでいたのだ。
しかも、それだけではない。
隣の通りにも。市場の近くにも。王都のあちらこちらの菓子店に、似たようなお菓子が並んでいる。
どうやら、春祭りに合わせて各店が新商品を発売したらしい。
ただし、どれも少しずつ違っていた。
果実を加えたもの。蜂蜜の風味を強くしたもの。生地を軽く焼き上げたもの。安い材料でも美味しく作れるように工夫したもの。
菓子職人たちは、それぞれの技術を活かして、元のレシピに改良を加えていたのだ。
「な、何だこれは……!」
夫は近くの菓子店に飛び込んだ。
「おい! この菓子はどうした! 誰が考えたんだ!」
店主は怪訝な顔をした。
「菓子職人組合からレシピが配られたんですよ。無料で使っていいそうで」
「組合だと!?」
「ええ。いやあ、ありがたい話です。おかげでうちも新商品を出せました。ただ、元のレシピのままだと他店と被ってしまう気がしたので、うちなりに果物を加えてアレンジしてみましてね」
店主は嬉しそうに話していた。
「ほかの店もいろいろ工夫しているようですよ。職人仲間でも評判になってまして。実に面白いレシピですな」
夫は真っ青になった。
そして、ようやく理解した。
自分が独占しているはずのレシピが、王国中の菓子職人に配られていたのだ。
しかも、出どころを調べてみると。
そのレシピを提供したのは、別れた妻だというではないか。
◇
「おい! どういうつもりだ!」
ある日の午後。
私の住まいに、元夫が怒鳴り込んできた。隣には、例の親友だった女性もいる。
二人とも、ずいぶん疲れた顔をしていた。
「何のことですか?」
「とぼけるな! お前、俺たちの商売を邪魔するために、レシピをばらまいたな!」
「ああ、そのことですか」
私は頷いた。
「ええ。菓子職人組合に無料で提供しました」
「何を勝手なことを! そのせいで俺たちの店が大変なことになってるんだぞ!」
聞けば、開店直後こそ客が入ったものの、その後は客足が激減したらしい。
当然といえば当然だ。
ほかの店では同じようなお菓子が、もっと安く買える。しかも、各店の職人たちが工夫を凝らしているため、味や種類の評判もいい。
わざわざ高いお金を払って、元夫の店で買う理由がないのだ。
「お前……! こんな真似をして、ただで済むと思うなよ! 営業妨害だ! 損害賠償を請求してやる!」
「あら、それはまたおもしろいご冗談を」
「何だと!?」
「なんだもなにも、『料理の作り方そのものに独占する権利なんてない』、『誰が何を作ろうと自由』。いつかどこかの誰かさんが、そうおっしゃっていたではないですか」
「がっ……!」
「第一、あれは私が考えたレシピです。どうしようと、まさに私の勝手です」
元夫は口をつぐんだ。
すると、隣にいた女性が声を荒らげた。
「ふざけないで! 私たちはあの店を開くために、どれだけお金をかけたと思ってるのよ!」
「さあ?」
「建物だって、内装だって、全部最高級なのよ! それなのに、町の小さなお菓子屋なんかにまで客を取られて……!」
「それはまあ、同じようなお菓子が安く買えるなら、誰だってそちらで買いますよね」
「だから、それが問題なんじゃない!」
私は首をかしげた。
「問題でしょうか?」
「何ですって?」
「皆さんが美味しいお菓子を安く買えるなら、いいことだと思いますけど」
女性は顔を真っ赤にした。元夫も怒りで震えている。
しかし、冷静に考えて、彼らに反論材料などあろうはずもない。
結局、しばらく口を開いたり閉じたりしたあと、元夫がようやく絞り出した言葉は、
「……この、恩知らずが!」
だった。
恩知らず。
私は思わず笑ってしまった。
「そういえば、あなたはおっしゃっていましたね。私のお菓子を、王都一にしてくださるって」
「ああ、そうだ! お前が余計なことをしなければ――」
「おかげさまで、見事にそうなりました。だって今や王国中の職人さんたちが、私のレシピでお菓子を提供してくださるんですもの」
元夫は絶句した。
「もう、あなたにお願いする必要はありませんね」
それが決定打だったらしい。
元夫は何か言おうとして、結局何も言えず、女性を連れて帰っていった。
◇
それから間もなく、元夫たちの店はあっさり潰れた。
原因は、彼らが開店資金のためにしていた多額の借金。どうやら売上ですぐに返済できるという算段だったらしいが、その計画は泡となって消えてしまった。
その後、二人がどうなったのかは知らない。あまり興味もなかった。
それよりも、私には嬉しい知らせが届いていた。
「ぜひ、今後も新しいお菓子を考案していただけませんか?」
菓子職人組合からの依頼だった。
私が公開したレシピは各地で大人気となり、職人さんたちの改良によって、今では何十種類もの新しいお菓子が生まれているらしい。
それどころか、王国のちょっとした名物として、お土産屋さんでも売られているのだとか。
「もちろん、正式なお仕事として報酬もお支払いします」
「まあ。私でよければ、喜んで」
「ありがとうございます! それで、レシピの開発にあたって、自由に使える場所もご用意できればと思いまして……」
そう言って担当者が差し出したのは、ある物件の資料だった。
「こちらなど、いかがでしょう?」
「……え?」
見覚えのある建物だった。
というか、ついこの間まで元夫が経営していた、あの豪華な菓子店ではないか。
「閉店したところを、組合で借り受けることになりまして。厨房も設備も立派ですし、試作したお菓子をそのまま店頭で販売することもできます。もちろん、各地の職人たちが考案したお菓子も、手頃な値段で並べる予定です」
……おやまあ。
これはこれで、なんとも不思議な巡り合わせである。
かつて元夫が莫大なお金をかけて作った店が、期せずして今度は私のものになるとは。
まあしかし、いただけるというならありがたく頂戴いたしましょう。
「それでは、早速、新しいレシピを考えてみますね」
そう答えながら、私は胸を弾ませていた。
これからも私の考えたお菓子が、もっと広く羽ばたいていくのだろう。
ふふ。
やっぱり、お菓子作りって楽しい。
いつぞやの恋文のやつと若干ネタ被りですが……。
というか、実は最初にこっちを思い付いたあとにあちらを思い付いて、「あ、こっちのがおもしろいじゃん」ということでお蔵入りになってたやつです。でも捨てるのも惜しいので、今回最後まで仕上げてみました。
というわけで、お読みいただきありがとうございました。もしよければ、↓の☆評価をもらえると嬉しいです!




