表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

「郭公の森に堕つ」

作者: aisernameko
掲載日:2026/04/01

2010.10.12 の作品

・内容

郭公=cuckoo(英語)≒crazy(狂う)の意で、住処(すみか)は「元からその場所に居るべき筈だった」的な意味も含め、狂人の巣食う場所、的な意味もあります。

元々は長編の最後の展開にする予定だったのですが、それより前の文章を書く気がしなかったので、ここだけでも意味はあるかと書いたものです。

精神科の閉鎖病棟に、措置入院・隔離拘束されている状況です。狂っている、という概念への疑問を提起してみました。

 躯が酷く気怠い。金縛りにでも遭っているのだろうか。そんなことを考えながら、辛うじて重い瞼を開く。同時に烈しい頭痛に襲われる。杭が刺さるようなその痛みは、頭にだけ働き掛けている訳ではないらしい。左腕と首筋、下肢の一部に荒々しく包帯が巻き付けられている。全身の彼方此方に痛みが同時に生じて、何処が痛むのかさえ分からない。視界に映る全てが霞み懸かっている。

 此処は灰色に満ちていた。奇声が幾重にも轟いているのに気付く。哭泣の声も怒声も、宛てのない語らいの低い声も。総ての奇怪な声の重なりは、灰色の中に飽和して、空気の重みを増長させるばかりだ。鉄格子と、蓋のない灰色染みた色艶を失くした和式の便器。苦し紛れに刻まれたかのような、如何にも痛々しい文字の彫り跡。所々が剥げた壁に囲まれて、糊が強過ぎる程に残った感触。黄ばんだ、それでいて何処となく青白い、シーツの掛ったベッドに俺は確りと拘束されていた。

 それはあまりに奇妙な光景だった。腹部はに太い、布製のベルトを緩く巻かれている。手首と足首の各々には枷が動きを制限する。幾らかは動かせる程度に伸びる枷と壁を繋ぐゴム製みたいな鎖。ごく狭い筈のこの部屋も、歩き廻ることさえも叶わない俺にとっては、息苦しいに徒広い。天井は何処までも遠く視えた。ずっとこのベッドから起き上がることも出来ずにいる俺には、少なくとも。その天井に嵌め込まれた橙色の豆電球は、消えることなくいつ迄も不愉快に目についた。動かない景色は薄っすらと浮かび上がり、眼球の不随意運動のように時折ぐるぐると廻る。……気持ち悪い。ベッドの反対側に位置する場に、は鉄格子に囲まれた小さな窓が一つある。分厚い曇り硝子の其処から、何とか外には太陽の光が降っているのを識ることが出来た。外の現実を憶うと、現実とは懸離れた何もなく、また何も出来ない此処で、時間からも人間らしい生活からも隔絶されているのを実感する。そんな中に自分がいる確かな事実を、改めて識る。

 俺は“普通”ではない、『此方側』の人間と成り果てたことを。――或いは端から此処にいるべき性質だったのかも知れない、とさえ。



 現実と名付けられた世界で最後に視た色は、此処とは対極だった。そしてその色もまた、現実味の失せた奇天烈なものだった。気味の悪い程にただヽ真白い、清潔を保たれた壁とベッド。調整されているものの、当たりの白を反射して、ヤケに眩しく思える蛍光灯に囲まれた場所。各々の機械から幾つもの管が伸び、ひとつの小さな体に集う。赤味を失った彼女はその無数の管に繋がれ、瞳を閉じて仰向けに睡り続ける。そんな彼女は宛らアンドロイドのようなものだろうか。酸素を送る律動的な空気音、心電図の機械音だけが聴覚を侵し。頭部に巻かれた包帯は常に取り換えられているのか、純白で以て彼女を覆っていた。それがこの真白な部屋の一部と成り、彼女の顔もまた、ソレと同化するかの如く白かった。

 愛しかった存在は、美しい光を放っていた彼女は、ただこの空間と同調して気味の悪い程の白さの中に浮き上がっているだけだった。その姿に嘔気を催す。この場所は正常さを奪う。俺は気分が悪くなり、違和感でしかない純白の威圧感に、倒れそうになる。それさえも赦さないとばかりに絡め捕られた俺は、動くことすら儘ならなかった。

 点滴の雫の落ちるのを視る。心電図の高い機械音と空気を送る規則的な音の正確さ聴く。その他に何も出来ることのない苦痛。それは自身の感覚器官を歪まさるのには十分過ぎる。歪曲されていく世界や、或いは俺自身を思いながら、俺はただ立ち竦んでいた。途切れることなく響く、甲高い機械音の不協和音が止まないことに、俺は発狂していくのを覚え、彼女の横で数本の管を握り締めている自身の右手にさえ気付かなかった。そして引き千切るかの如く引っ張ったのは、アンドロイドと化した彼女を目覚めさせたかったからだろうか。

 彼女の心肺が停止し、遠くからざわめきが聞こえてくると同時に、俺は可笑しさばかりが込み上げてきた。錘が払拭され、自身の重心さえ失う。忽然と軽くなったこの身に違和感さえ懐かず、足が自然と赴く儘に身を委ねた。“屍体”が睡る横で、その個室の窓枠に手を掛け、肢体を浮き上がらせた。俺は漸くこの狂気染みた白の世界から脱却するかのように、最後に迫り来るように映し出された色を全身で感じる。コンクリートの黒ずんだ灰色を。それは鮮明に脳裏に焼き付けるかのようだった。矢張り最後にこの身が急速に近づいていく地面は、或る種の神聖ささえ感じる、“白”の閃光を放つ。まるで白だけに覆われた、別世界へと吸い込まれる瞬間にさえ思える光景だった。



 彼女はもう、俺の生きるこの世界にはいない。彼女を殺めたこの掌は、縛られながらも未だ血が廻るのを止めることはない。意思に甘んじることが出来る儘で、俺は此処に在る。何れにせよ、あの頃彼女に見出したに光を、再び目にすることはないのは既に分かっていた。心臓が動いていたとして、あの真白い空間にはもう彼女の生命はなかった。機械に依って“生”を識らされたとして、動くことのない彼女に俺は感情を懐くことは出来ず、瞳も唇も開かないその表情に、今迄の彼女の所在を識る術はなかった。鼓動は機械音として聞こえるだけで、その身からは何も聴こえない。何も、視えやしない。もう彼女は俺の存在を識ることはなかった。同時に俺も、彼女の存在を視ることは出来なかった。

 この世界では互いに存在し得ないのだから、せめて何処か、どんな場所であっても良い、と。もう一度、その姿を互いに認識し得ることが可能ならば、と未知の、そして不可知の逢瀬を希った。――それでも俺は此処にいる。“生”に未だ縛られ、蜘蛛の巣に掛かったように絡み取られ、この現実に在る器を抜け出すことは叶わずにいる。


 死んだ彼女を留めていた管を握った右手を、枷に繋がる紐の伸びる限り掲げ、低く天井を仰ぐ。色は此処の灰色と同調し、橙色の光の翳となって黒ずんでいた。罪業の穢れを帯びたように、内側から禍々しいものが浸透しているかのように、その色に染まっていた。

 顔面にその掌を近づける。僅かな距離を残して届かずに浮遊したソレは、天井の豆電球に透かされて、より醜い肌色を映し出した。眼窩から生温い滴が伝うのを拭うのさえ叶わずに、耳に冷たく滴り落ちるのを不快にも感じた。誰もいない、自分しかいないこの場所で泣くことが、酷く愚かしく想えた。その涙も、その意味さえも、知られることはないのに。いつでも監視出来るよう、部屋の一部は外と直に通じている。手を通すのが精一杯の大きさの其処からは、廊下の白い光が幽かに射し込んでいる。外の患者の声が、其処から不愉快な振動となって響いてくる。

 誰かが叫喚した。扉を烈しく叩く音が、地面からもがたがたと音を立てて伝わる。同時に別の、女性の甲高い叫び声が耳を劈く。気が狂いそうだ。――否、狂ってしまいたい、と思った。理性も何もかもを失えば、如何程に楽になるだろう。この空間の重圧も、違和感に歪み往く色や音も、美しい記憶も苦しむことの認識も、麻痺して凡てが判らなくなったのなら。泣くことも、縛られて猶も足掻こうとするのも、莫迦げているなどと自嘲することさえなくなれば、如何程に……。

 自ら命を絶つのを“不可能”だと思わされることは、こんなにも恐ろしいものだったのか。――そう思わずにはいられなかった。俺はいつだって平常な人間でありたくないと努力した。「偏執狂」を謳われ、揶揄されるのが心地好かった。

 今、俺は「異常者」のレッテルを貼られている。この場所にいること、ただそれだけの理由で、お巫山戯でさえ「狂言」と成る。俺が演じてきた「変人」とは、どんなにか平凡で単純だったのだろう。こうして今、平凡に戻りたいと願っている。完全に狂い、自我を喪失することを、こんなに酷く渇望している俺は……。


 俺は叫んだ。嘗て出したことのない程の、自身ですら聞いたことのない声量で、酷く耳障りな声で。その姿を醜いと思った。狂気染みた、愚かしい行為を自覚しながらも成す自身を恥じた。

『狂った振りをしたいのか。』――侮蔑の言葉が脳裏を過ったが、その言葉が如何に意味のないことだと思うと、可笑しくさえ思えた。

 此の場所で叫んでいた誰かを狂人だと蔑んだ俺は、同じくして周囲のことさえ顧みずに叫んだのだ。ソレはもう、既に彼らと同じ“患者”と成ったことを意味する。頭で自身の言動に抵抗を見せても、ソレを低劣だと識っていたとして、それらは何一つ意味を成さない。頬を伝う濁水でさえ、理性の結晶になることもなく、流れては蒸散した。



――俺はもう此処の住人に相応しい、鳥篭のような巣の中に生きる『郭公』の一羽に過ぎないのだ。

・解説

彼女が交通事故で植物人間になった事がきっかけで、精神錯乱している男性の話です。互いに感覚で識り得ないことを嘆き、殺して自分も咄嗟に飛び降りた訳ですが、階が低かったので傷を負って暫く意識を失っていただけだった、という流れで、無意識に起きた時に変なことを言った為か精神病患者の殺人、という訳で措置入院で精神科へ、という感じです。

死ねない状況、生理活動だけを機械的にされる事の苦痛、狂人との境と理性・意識、精神病院に居ることで、言動の意味が変わってくる、等の現実を痛々しく…描きたかったのですが。


・反省点

感情描写が堅過ぎて面白くない、読み難いものとなりました。思想系ですか?と聞きたくなる文章に…。叫ぶ辺りの描写に手を抜き過ぎました。色を出す割に、統一されなかった感が凄まじいです。

あと病院である程度高い所では人が入り込めるだけの間隔は開けられないのが現実なので、フィクションだからと無理しすぎました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ