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狩りのあとさき  作者: 柏木椎菜


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九話

 現れたのは知らないオトコだった。ワタシよりも大きくて年上みたいだ。見たことない顔だな。この辺りを縄張りにしてるんだろうか。それだとちょっと面倒そうだな――そんなことを思ってると向こうが話しかけてきた。

「初めまして、だな。どっから来た?」

「あっち、下のほうから来た」

「へえ、そりゃまた何で?」

「元の寝床の周辺がちょっと危なそうだったから……それで、斜面を上って、新しい寝床を作ろうと思って」

「新しい寝床か……」

 オトコはこっちに歩み寄って来ると、ワタシの作りかけの寝床をのぞき込んでくる。やっぱり問題があるのかなと思って、ワタシは聞いた。

「もしかして、ここ、アナタの縄張りだったりする? それならすぐに――」

「いやいや大丈夫。ここはオレの縄張り外だから。何も気にすることないよ」

 ホッとしながらワタシは続けて質問した。

「それじゃあ、ここで何してるの?」

「別に何かしてるってわけじゃないよ。ただフラフラ歩いてただけ。ついでに食い物でも捕れたり、面白いものでもないかなってさ。そしたら、アンタを見つけたってわけ」

 オトコは辺りを見回してから、ワタシに視線を止めて言う。

「こっちのほうは久しぶりに来てみたんだけど……アンタみたいなオンナがいるとは知らなかったよ。ずっとこの辺りに住んでるの?」

「独り立ちしてからは、そうだけど……」

「へえ、そうなんだ。本当、知らなかったなあ」

 このオトコ、何かやけに馴れ馴れしいな。ちょっと嫌かも。

「ワタシ、見ての通り寝床を作ってる途中だから……」

「ああ、大変そうだな。オレが手伝ってやろうか?」

「そういうの必要ないから。散歩中なんでしょう? こっちは構わずに――」

「じゃあさ、寝床ができ上がったら、また遊びに来てもいい?」

 え、と思わず身も心も引いてしまった。

「遊びに? 何で?」

「何でって、そんな冷たいこと言うなよ。オレはアンタともっと仲良くなりたいと思ってるだけだから。いいだろ?」

 馴れ馴れしい上に軽過ぎる態度は、まったく気持ちが受け付けない。こんなオトコを自分の縄張りに呼ぶなんてできるわけない。

「ワタシは、アナタと仲良くしなくてもいいけど」

「まあた冷たいこと言う。同じ仲間だろ? 仲良くしといて損はないんだからさ」

 そう言いながらオトコはこっちにさらに近付いて来る。身を寄せ、頭をくっつけてこようとする動きに、ワタシは咄嗟に怒鳴った。

「ちょっと! それ以上近付いて来たら、その顔引っかくからね!」

 これにオトコは一瞬怯んで、ワタシから距離を取った。

「おっと、そんなに怒らなくてもいいだろ? オレは仲良くしたいだけなんだって。アンタの寝床を横取りなんてしないから」

「どうだか……用がないなら、もうどっか行って」

 ねめつけてやると、オトコは渋々といった感じでワタシの側から離れた。はあ、無駄な時間を使った。早く作らないと……。

「なあ、あれって、アンタが捕ったのか?」

 作業を再開させようとした途端、またオトコが話しかけてきた。仕方なくワタシは顔を上げた。

「……あれって、何のこと?」

「ほら、あの枝に乗っかってるやつ」

 さっき乗せた獲物をいちべつして、ワタシはああと答える。

「……そうだけど」

「美味いんだよな、ニンゲンって。ちょっと臭いけど」

「ニンゲン……?」

「そう、ニンゲン。あいつらはニンゲンっていうんだよ。知らなかった?」

「うん、初めて知った。ふーん、アレってニンゲンっていうんだ」

 ワタシより年上のせいか、知識はたくさんあるのかもしれない。だからって仲良くする気はないけど。

「アナタも食べたことあるんだ」

「ああ、前に何匹か食ったよ。見たらまた食いたくなったな……こいつ、まだ生きてるけど、アンタ食わないの?」

「まだ食べない」

「何で? 美味いのに……ならオレにくれよ。代わりの食い物は捕って来てやるからさ」

 そう言うとオトコは木に近付いて、後ろ足二本で立ち上がって獲物のいる枝に前足を伸ばそうとする。なっ、何勝手なことを――見た瞬間、ワタシは怒りを感じてオトコに駆け寄った。

「ソレに触るな! ワタシの獲物だぞ!」

 木とオトコの間に身体をねじ込んで、獲物の横取りを阻止する。ワタシに弾かれたオトコはふらつきながらも倒れることはなく、体勢を戻して後ずさった。

「危なかったあ……そんなに怒るなって」

 なおも軽い口調に、ワタシは睨んで言った。

「危なかったのはこっちだよ。コレはワタシだけのものなの。アナタには腕一本だってあげないんだから」

「ええー、それってケチじゃない? 美味いものは仲間同士で分け合おうよ」

「やだ。コレはワタシが食べるの。アナタになんか分けない」

「つれないこと言わないでさ、一緒に美味しく食べようよ」

「やだって言ってるでしょ! アナタと食べたら美味しくなくなりそうだもん」

 これにオトコの態度は、明らかにシュンと小さくなった。

「そんな……アンタは、オレのこと、嫌いなのか?」

「ふらりと現れて、馴れ馴れしくしゃべりかけてきて、勝手に獲物を食べられそうになれば、そりゃ嫌いにもなるでしょ」

「あ、ああ、そうか……そうだな。それはオレが悪いよな。ごめん。悪かったよ。アンタみたいなオンナに出会った嬉しさと、美味そうなニンゲンを見つけたのとで、ちょっと気分が昂ぶって調子に乗ってたな……だけど、これだけはわかってくれ。オレはただ、アンタと仲良くしたい、それだけなんだ。怒らせるつもりなんかなかった」

「どこまで本当なんだか……」

「全部本当だ! 怒りが収まらないなら何度だって謝るよ。この通り……だから、オレを嫌いにならないでくれよ」

 気弱な声でそう言うオトコを、ワタシは疑いの目で見やる。

「謝られたって、口ならどうとでも言えるし……その気持ちを示すものでも持って来てくれたら、また別だけど」

「つまり、俺が誠意を見せれば、嫌いにならないでくれるのか?」

「まあ……とりあえずは」

「よし……わかった! じゃあアンタのために、とっておきのものを持って来てやるよ。そうしたら仲良くしてくれるか?」

「持って来るものにもよるけどね」

「それは心配ない。アンタなら絶対気に入ってくれるはずだからさ。へへっ、腕が鳴るぜ……じゃあ手に入れ次第、またここに来るから、それまで待っててくれよな!」

 明るさを取り戻したオトコは、ワタシの言葉を鵜呑みにして走り去って行った――やっぱりああいう感じのオトコとは、あんまり気が合いそうにないな。正直、もう来ないでほしい。仲良くしたってうざったいだけだ。

 枝の上の獲物を見上げる。少し怯えた感じの顔を浮かべて、抱き締めるように枝にしがみ付いてた。オトコに近付かれそうになって、きっと怖かったんだろう。まったく、ワタシのものを奪おうとするなんて、本当けしからんやつだ。

 その時、見下ろしてくる獲物の目と合った。何か伝えたそうな雰囲気があったから、そらさず見てると、口がおもむろに動いた。

「――……」

 何か言った。けど、ボソボソして小さい声だったからはっきり聞こえなかった。まあ聞こえても意味はどうせわからないけど。でも様子から怒りや苦情の類じゃなさそうだ。ワタシに何て言ったんだろう――考えようとしたけど、そんなの無駄な時間だ。それより早く寝床を作ったほうがいい。それと貯蔵庫も。獲物をいつまでも枝の上に置いておいたら、他の動物に狙われるかもしれない。食べ物をあげるにも、あんな高いところだとあげづらいしね。獲物も怖くて安眠できないだろう。急いで作ってあげないと。

 ワタシは夜を徹して寝床と貯蔵庫作りをした。草を踏みならすだけの寝床のほうはすぐに完成したけど、大変なのは貯蔵庫だ。前の時はちょうどいい穴を見つけて、そこを掘って広げて使いやすく造り変えたんだけど、この場所には……見渡す限り穴なんてなさそうだ。少し歩いた先も確認してみるけど、やっぱり都合よく穴なんて開いてなかった。獲物を捕まえておくには絶対貯蔵庫が必要だ。だからって前の場所に戻って入れるわけにもいかない。ここから距離があるし、何より獲物の仲間の臭いが流れてくる場所にいさせることなんかできない。危険過ぎる。仕方ないな……一から造るしかないみたいだ。

 新たな寝床からそう離れてない場所を目安に、ワタシは穴が掘れそうな場所を歩いて探す。この辺りの地形は前の場所に比べて地面がデコボコしてるから、穴が掘りやすそうな場所はいくつもある。決め手としては、石や木の根が邪魔してない場所だろうか――ウロウロして、そうしてワタシは一つの場所に定めて土を掘り始める。両前足の爪を立てて、ガシガシ掘る。とりあえずワタシが入れるぐらいの広さを目指して無心で掘る――どのぐらいの時間掘ってたのか、気付けば前足は真っ茶色に染まり、見下ろした先にはどうにかワタシの身体が入れる空間ができ上がってた。入り口は急な下り坂になってしまったけど、まあ、これはこれで外から見えづらくなるから、獲物を隠すにはいい造りになったんじゃないだろうか。欲を言えばもうちょっと広くしたいけど、森の中に白んだ光が差し込み始めてる。もう朝だ。前足は疲れたし、お腹も減ったし、少し眠い。こんなもんにしておくか。

 後ろ向きで穴から出たワタシは、枝の上の獲物を見やる。うつ伏せの姿勢で変わらずしがみ付いてたけど、その目は半分閉じようとしてて、いかにも眠たそうだった。獲物も眠いんだな。じゃあ早く安全な場所で寝かせてあげなきゃ――後ろ足で立って、ワタシは獲物に前足を伸ばす。慌てふためく獲物の身体を引き寄せて、いつものようにくわえてから地面に着地する。そして大人しくなった獲物を新しい貯蔵庫内へ運び入れた。ワタシが入るとちょっと狭く感じるけど、コレだけならまだ空間に余裕があって、そんなに窮屈さは感じなさそうだ。一番奥で座り込んだ獲物は、まだ慣れない穴の中を見回してる。その顔は何だか緊張気味だ。無理もないか。いきなり掘ったばっかりの穴に入れられてもね……早く慣れて、しっかり休んでくれるといいけど。

 貯蔵庫から出てふと気付く。入り口を塞ぐものがないぞ。前は石を置いてたけど、周りを見ても、入り口を塞げるような大きな石は見当たらない。このまま塞がなかったら獲物は簡単に逃げ出せてしまう。それじゃ穴を掘った意味がない。うーん、どうしよう。石じゃないもので塞げるものは――あちこち見て、視線があるものに留まる。苔やつたが覆う倒れた木……前の石より大分小さいけど、これでも大丈夫だろうか。疑いつつ、試しに入り口へ運んでみた。前足と鼻でゴロゴロ転がして行くと、木は腐ってるのか、バキバキ音を出しながら少しずつ崩れていく。入り口に着いた時には、苔の付いた表面はほとんど剥がれて、中心部分に大きな亀裂が入ってた。最初より大きさは半分ぐらいになっただろうか。そのせいで入り口を完全には塞げてない。だけどそれでも、獲物が逃げ出せる隙間はできてなさそうだ。一応、塞げてはいるよね。うん、もうこれでいいかな。遠くまで探しに行くのも疲れるし。

 ワタシは真新しい寝床に戻って、早速身体を横たえた。まだフカフカで柔らかな草がいい感じだ。少し寝たら狩りに行こう。それと獲物の食べ物も採ってこないとね――横目で貯蔵庫のほうを見ると、入り口を塞ぐ木の隙間から、外をのぞく獲物の顔が見えた。左右に動いて、何だか落ち着きがない。こればっかりは時間に解決してもらうしかない。長くいれば、慣れて居心地もよくなってくるだろう。じゃあちょっと眠ろうかな――少しずつ明るくなり始める森の中で、ワタシはしばし休息を取った。

 それからの数日間、特に悩みも問題もなく、ワタシは新しい寝床で過ごせてた。狩りもできるし、獲物の食べ物も採れて、前の場所とほとんど変わらない時間を送る。ニンゲンの臭いもここまで流れて来ないし、その不安を解消できたことを考えれば、ここに移動して来てよかったなと心底思う。最初は落ち着きがなかった獲物も、今は大人しく座るようになった。時々木の隙間からこっちを眺めてる様子もあって、とりあえず元気そうにはしてる。でもいつ元気をなくしちゃうかわからないから、そこは毎日確認してる。最近はワタシに気付いても、あんまり怖がらなくなってくれたことがちょっとだけ嬉しかったりする。これで逃げなければもっと嬉しいんだけど……それはさすがに無理か。

 そんな感じで平和に過ごしてたから、ワタシはすっかりあのオトコの存在を忘れてた。そしてある日、ワタシが休む寝床にオトコが不意にやって来た。

 落ち葉を踏む音に顔を上げると、風に乗って嗅ぎ覚えのある匂いが流れて来た。瞬時に、ああ、アイツだってわかった。立ち上がって寝床から出ると、視線の奥からちょうど大きな身体が現れた。

「……よほぉ」

 数日ぶりに来たオトコは変な声で挨拶した。その原因は、オトコが口に獲物をくわえてるからだ。

「……何しに来たの?」

「おいおい、ふめたいなあ、いっはだろ? ほっへおひのもの、ほっへくるっへ」

「何言ってるか全然わからないんだけど。それ、置いたら?」

 ワタシが指摘すると、オトコはああと言って、口にくわえてた獲物を足下に下ろした。

「じゃあ、改めて……あの時のこと忘れたのか? オレがとっておきのものを持って来るって言っただろ」

 ワタシは頭の中の記憶をさかのぼる。

「……言ってたかも、しれない」

「かもじゃなくて言ったんだよ。持って来たら仲良くしてくれるって、約束しただろ?」

 ワタシはもう一度記憶をさかのぼる。

「……いや、約束はしてなくない?」

「あれは約束だよ。だからオレはこうして、コイツを狩って来たんだ。ほら、見てくれ!」

 促されて、ワタシはオトコの足下に転がる獲物に歩み寄った。小さい身体はぐったりして動かないけど、お腹はかすかに動いてるからまだ生きてるようだ。地面に赤いものが流れ出てる……怪我をしてるらしい。だからぐったりしてるのかな。それにしても、まさかこんなものを狩って来るなんて、正直驚きだ――思わず見上げたワタシを、オトコは得意げに見下ろして言った。

「アンタの好物なんだろ? だから山の下のほうまで行って、コイツ一匹だけになってるところをガツッと狩ったんだ。ちょっと小ぶりなニンゲンだけど、でも美味さは変わらないはずだ。コレをアンタにやるよ。嬉しいか?」

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