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狩りのあとさき  作者: 柏木椎菜


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八話

 入り口を塞ぐ石と壁との間にある隙間、俺はその前に座って手を伸ばしてみる。二の腕まではかろうじて通るけど、肩からその先は通れそうにない。そうわかって腕を引っ込めた俺は、隙間から見える外の景色を見つめた。今日は天気がいい。洗濯日和だろう。山菜を採るのもいい。アリーンや母さんは今、何してるだろうか。知り合い達や狩人仲間は、まだ俺のことを捜してくれてるかな――離れた村に想いを馳せて、俺は緑の間から見える青空を眺める。

 水浴びをした日に聞こえた俺を呼ぶ声……村の人間が俺を捜してると知ってから、気持ちがものすごく前向きになった。当初は死のうとか、運よく逃げられればと考えつつ惰性でやってたけど、今は違う。真剣に逃げたいと思ってる。捜してくれてるのに、もう死のうなんて考えられない。名前を呼ぶ声を聞いたら、こんなところで食べられて骨にされるわけにはいかない。絶対に村へ帰る……そういう気持ちが強く湧き上がってた。

 でも、やる気は出ても、現状俺は洞窟に閉じ込められてるわけで、逃げるのは簡単じゃない。ここにはまったく逃げ道はないし、あるとすれば、獣が入り口の石をどかした時だろう。でもその瞬間に逃げるのは危険過ぎる。俺は獣の世話のおかげで食べ物には困らず、体力もそこそこ戻ってはいるけど、折れたっぽい右足は今も痛みがある。そんな足を引きずって逃げたところで、獣にすぐ追い付かれて、爪でザクッとやられておしまいだ。逃げるなら獣の目がまったくない時じゃないと、逃げ切れる可能性は限りなく低いだろう。他の逃げ道としては、獣が気まぐれに俺を連れ出す時なんかもあるけど、そんなことがもう一度起こる保証は何もない。たとえ再び連れ出されたとしても、水浴びの時みたいに獣は近くで俺を監視するだろう。見られてる間は俺に逃げ道はなくなる。つまり実情、ここから逃げる方法はないんだろう。これが冷静に考えた結果だ。

 でも俺は全然絶望なんかしてない。なぜなら一つの光明を見出してるからだ。今まさに眺めてる入り口の隙間……これこそが難題を解決してくれるものと俺は思ってる。獣は俺の様子がどうしても気になるらしくて、この隙間から毎日中をのぞいてくる。通りすがったついでだったり、食べ物を持って来た後だったり、とにかくよくのぞく。のぞいてしっかり見たいのか、石を動かした時、たまに隙間の幅が広がってることがある。数日前までは腕の肘でつっかえてたのに、今日は二の腕まで通るようになってた。これはいい傾向だと思った。獣の俺に対する警戒感や慎重さが薄れてるんだろう。逃げられることより、自分がのぞきやすいほうへ意識が向いてる。だから隙間も無意識のうちに広がってるんだと思う。このまま雑に隙間を作り続けてくれれば、いずれギリギリ通れる幅になるんじゃないか……俺はそこに期待してる。

 そして、その期待が叶う日がとうとうやって来た。

 外は日暮れが迫ってるのか、薄暗かった。食事も終わってそろそろ横になろうかと思ってると、ガサッという音と共に気配がして振り向く。入り口の隙間に二つの光る目が浮かんでた。いつもの光景だったから、俺はほとんど気にせず、洞窟の奥へ移動しようと思った。するとわずかにズズッと石の動く音がした。中に入って来るのか? と振り向いたけど、石は動いてなかった。よく見れば石の端に獣の前足がかかってる。俺が奥へ行ったから、よく見ようと石を少しずらしたのかもしれない。しばらく光る目は休む俺を見つめてたけど、満足したのか不意に立ち去って行った。それもいつものことだ。地面に横たわって目を閉じてさっさと眠ろうとした。だが数分も経たないうちに異変を感じた。……今日はやけに隙間風が入り込んでくるな。風の音はしないから強風が吹いてるわけじゃなさそうだけど――気になった俺は起きて入り口に向かった。

 薄い光が差し込む隙間を見て、すぐに違和感を覚えた。何か、いつもと違う……ああ、隙間の幅が広いんだ、と気付いた。それで隙間風が入る量も普段より多く――と考えたところで、ハッと息を呑んだ。そして隙間をまじまじと見る。これは、今までで一番広い幅になってないか? 少しドキドキしながら俺はそっと腕を差し込んでみた。手首、肘、二の腕、そして肩……すんなりと通った。でも問題はここからだ。身体を横向きに変えて、頭と上半身を差し入れる。背中と胸、頭の側面はさすがにこすれる。肌は引っ張られるけど、完全につっかえてるわけじゃない。強引にねじ込んでいけば、通れなくは、なさそう――夜の静けさの中、俺は隙間を通ろうと身体の姿勢や角度を微調整しながら外を目指した。こすれた肌がヒリヒリするが、そんな痛みはどうでもいい。もう片腕が外へ出てるんだ。ズリズリと身体を動かしてほのかな光の下を目指す。そして――

「……出れた……」

 隙間からズルッと抜け出し、入り口の石の前に立つ。何だか呆気なくて、俺はしばらくその場でたたずんでた。でも次第に嬉しさと解放感が湧いてきて、両の手で作った拳を天に突き上げた。本当は声も上げたかったが、騒げば獣を呼ぶことになるから、さすがにそれは我慢した。やっと、やっと自由になれた! あいつに気付かれる前に早く逃げないと――走り出そうとしたところで、ふと冷静な思考が俺を止めた。今逃げて、大丈夫なのか……?

 はやる気持ちを抑えて辺りを見渡す。あるのは暗闇に覆われた森。星空の明かりも隅々までは届かない。進む先の視界はほぼ見通せない。その中を灯りも持たず歩くのは、子供でもわかるぐらい危険なことだ。何より、この森には狼も住んでる。獣のおかげか、ここに閉じ込められてから声も姿も見てはないけど、ここを離れれば出くわす可能性もあるだろう。やつらの活動時間は、まさに夜の今だ。何の対策もなきゃ、取り囲まれて餌になるだけだ。それじゃせっかく逃げ出せた幸運も機会もパアだ。死んだら何も意味がない。

 俺は何も見えない暗闇の森の奥を見つめる。あのずっと先に村があって、アリーンも、母さんも、仲間達もいる。心は今すぐにでも駆け出したかった。でもそれをグッと抑え込む。そして向きを変え、再び隙間に身体を差し込んだ。出られたっていうのに、また中へ戻るなんて、自分でもこんなことしたくない。だけど夜はやっぱり危険過ぎる。生きて村に戻るのが俺の目的なんだ。もっと安全な時間を狙うべきだろう。

 肌をこすって洞窟内に戻った俺は、深い溜息を吐いて地面に座り込む。残念な気持ちにはなるけど、でもこれでいいんだ。絶好の機会はまだ続いてる。この隙間が通れるものだって知れただけで今日は十分だ。動くのは明日……夜が明けて、獣が石を動かす前までにどうにか逃げたいところだ。動かされると隙間の幅が変わって通れなくなるかもしれない。だからその前にここを出る。獣の行動パターンも少しは把握できてる。それを踏まえて明日、必ず成功させるんだ――強い決意を胸に、俺はしばしの眠りについた。

 そして翌日――目を覚ますと隙間から見える外はもう明るかった。夜は明けてる。でも俺は今しばらくまどろんだ。獣は昼間も行動するが、早朝はあまり動かない傾向にある。見てる限りだと、昼近くになってやっと動き始める感じだ。だからその時を待って、俺は隙間の側でまどろみながら獣の気配が現れるのを待つ。

 数時間が経った頃、耳に足音らしき音が届いた。落ち葉をザクザク踏み締める音が次第に近付いて来る。俺は何も気付いてないふりで、じっと座って待った。やがてうごめく気配が入り口に到着すると、中に差し込む光をさえぎって大きな影が隙間から目をのぞかせた。俺はそれを見上げる。お互いの視線がぶつかる。いつもと変わった様子はなさそうだ。この後、獣は多分食事するため狩りに行くはずだ。その前か後かはわからないけど、ついでに俺の食べ物も採りに行くだろう。それが最近の獣の行動パターンだ。そして、ここから逃げ出せる最大の機会になる。絶対に逃しちゃいけない。

 俺の様子を見終えた獣は、入り口から離れて森へ去って行った。その後ろ姿を隙間から見届けてから、俺は早速動き始める。立ち上がり、隙間に身体を差し入れる。一度通ってるから二度目の今回はそんなに痛い思いもしないで通り抜けられた。眩しい太陽の光を全身に浴びる……今度こそ、自由になるんだ! 獣が消えた方向は避けて、俺は怪我した右足を引きずりつつ森の先へ駆け出した。

 新鮮な空気と緑の濃い香りを吸い込みながら、今出せる最高の速さで木々の間を駆け抜けて行く。とにかくあいつの巣や洞窟から離れたい一心で走った。だけどただ無闇に逃げてるわけじゃない。一応村の方向を推測して、そっちへ向かってるつもりだ。それが合ってるかはわからないけど。でも正確な方向はわからなくても、山の斜面を下って行けば、そのうち森を出ることはできるだろう。それまでこの体力が持つかどうかだが……今はそれが心配だ。

 結構下って来たと思うけど、前方にはまだまだ森が続いてる。山の出口が見えて来ないと、自分が走ってる方向はこれでいいのかと疑いたくなってしまう。多少のずれはあるかもしれないけど、真逆へ向かってるわけじゃないのは確かなんだ。大丈夫、必ず村に戻れる――自分の中の焦りと不安をなだめながら懸命に走り続けてたけど、心配の種だった体力がかなり減って、さすがに足を緩めないとまずかった。側の木に寄りかかって乱れた呼吸を整える。はあ、喉が渇いた。周囲を見渡すが、池や川は見当たらない。洞窟内で溜めた水を持って来るんだったなと小さな後悔をして、またゆっくり足を動かし始める。呼吸が苦しくなったら休憩して、また走る……それを繰り返しながら着実に前進してたけど、気付けば辺りは薄暗くなってた。もう夕暮れ? 夜になったら遭難しかねない。天気次第じゃ凍え死ぬこともあり得る。完全な闇になる前に村へたどり着かないと――気合いを入れ直して足を速めようとした時、俺は視界の先に赤い何かが揺らめいてるのを見つけて、目を凝らした。

 かなり遠いのか、その赤い物体は点のように小さくて、木の後ろだったり間をゆらゆら動き進んでるようだった。何だあれは? と見つめてると、耳がかすかな音を拾った。

「――だ! ――しろ!」

 人の声……ハッした。と同時に胸がドクンと鳴った。正体が人間とわかって、赤い点も照明の松明だとわかった。こんな暗い森に松明を持って声を上げてる理由なんて一つしか思い当たらない。今日も村の仲間達が俺を捜しに来てくれてるんだ。その姿はもう目の前にある。俺は帰れるんだ。生きて戻れるんだ……!

「お……」

 こっちも声を上げて呼ぼうとしたけど、すぐに口を閉じた。まだ駄目だ。向こうとは距離がある。合流する前に獣に俺の声を聞かれるわけにはいかない。もうちょっと近付いてから呼んだほうがいいだろう。最後の最後であいつに捕まるのは絶対にごめんだ――慎重を期して、俺は薄暗い森をそのまま進むことにした。

 もうすぐ皆の元へ戻れると思ったら、何だか急に足が重くなった。ここまで張り詰めてた緊張の糸が目の前の光景で緩んで、疲れを押して動かしてた足にどっと疲労がのしかかってきた。そんな自分に、まだ気を緩めるのは早いと言い聞かせるけど、一度緩んだ緊張を戻すのはなかなか難しい。だって皆がこの先にいるんだ。それを知って喜びが湧かないはずがない。早く進みたいけど、そう思うほど足は動いてくれない。でも大丈夫だ。遅くても一歩ずつしっかり進めてるんだ。転ばないように進めばちゃんと皆と――

「……っ!」

 瞬間、背後に気配を感じて振り向いて、俺は瞠目した。銀色の毛むくじゃらの巨大な顔が、目と鼻の先まで迫ってた。いつの間に――悲鳴を上げて逃げる隙も与えないように、獣は俺との距離を一気に詰めると、大きな口を開けて腰部分に噛み付いてきた。とうとう食われた、と思ったが、獣は本気では噛んでない。いつも通り俺をくわえただけだった。そうか。やっぱり俺を食べずに連れ戻すのか。また振り出しに戻される――俺は揺れる手足と一緒に頭もうなだれた。最大の機会を活かせなかった。まったく、がっかりだ……自分は何でこんなに詰めが甘いのか。こいつを狩ろうとしてた時もそうだ。うたた寝した隙に襲われてこんな目に遭うことになった。そして今も、仲間達の気配に気を取られた隙に捕まった。こんな自分が不甲斐なくて、呆れを通り越して悲しくなってくる……。

 すっかり暗闇に包まれた森の中を、獣は巣へ向かってずんずん歩き進んでる。何もできない俺は抜け殻みたいな状態で、されるがまま運ばれて行く。だけど途中でふと違和感があった。こいつの足ならもう巣に着いててもよくないか? 自分じゃかなり遠くまで逃げた感覚はあるけど、それにしたって長く歩いてるような気がする。この暗闇だから、辺りを見ても景色は何にも見えないけど、時々急斜面でも上ってるのか、身体が大きく揺らされる時がある。巣までの道程で急斜面とか段差なんてなかったはずだが……それとも、水浴びに連れ出された時と同じで、獣は巣へ向かってないんだろうか。まさかこんな時間に水浴びなんて考えてないよな――じわじわ増す不安を抱えながら、俺は真っ暗な視界の先を眺める。

 やがて獣の足が止まった。頭上からわずかに差す星明かりが照らすのは、開けた場所に密集して生えてるたくさんの雑草。……何だここは? 初めて見る場所だ。ここも獣の縄張りなんだろうか。しばらく立ち止まってた獣は、何か思い立ったように歩き始めると、一本の太い木の前に来た。すると突然、身体がふわりと持ち上がる感覚と共に、俺の視界が高い位置へ移動した。な、何が起きてる? と視線を下へ向ければ、前足を木の幹に置いて、後ろ足だけで立ち上がってる獣の身体が見えた。その姿に俺は、獣が木を登ろうとしてるんだと思った。俺と同じ高さにはちょうど枝もある。ここに登りたいんだろうか。でもこの巨体で登るのは無理があるような……枝も決して細くはないけど、獣の体重は多分支えられそうにない。何で木登りなんかしたいのか知らないが、やめたほうがいい――そんな俺の気持ちとは逆に、獣は俺をくわえたまま枝に首を伸ばそうとじたばた動く。そのたびに俺の身体は枝にバシバシ当たる。い、痛いから、ちょっと、そんなに動くな。やめてくれ。こんな高さから落ちたらタダじゃ済まないぞ――不器用な獣の動きに怖さを感じた俺は、誤って落とされる前に自ら枝にしがみ付いた。そんな俺を獣は引き剥がそうとしてたけど、さほど強く引っ張ることもなく、すぐに諦めて口から離した。そしてそのまま地面に前足を戻した。……あれ? 木に登りたかったんじゃないのか? 俺を枝に残したままだけど、いいんだろうか。何かよくわからないが、とりあえず枝の上によじ登って身の安全を確保する。

 うつ伏せの姿勢で地面を見下ろすと、獣がこっちを見上げる顔があった。一体何をしたかったのか……でも俺を呼んだり、また木登りしようとしてはないから、これで一応満足なんだろう。にしても、やっぱり木の上は高いな。逃げる隙があったとしても、これじゃ簡単には逃げられない。滑って落ちて、左足も折るなんてことにならないよう、しっかりつかまってないと……。

 俺が動かないことに見飽きたのか、視線を足下に移した獣は密集した雑草の中に入って行くと、前足でその雑草をギュウギュウ踏み潰し始めた。ピンと立ってた長い草が、少しずつ倒れて緑の塊を崩していく。これは、もしかして、新たな巣を作ってるのか? だとすると、元の巣にはもう帰らないってことだろうか。つまり、ここへ引っ越して来た……そういうことなのか? 何で急に引っ越しなんて……あっちはあっちで特に問題もなく、快適そうに見えたけど。こいつには何か不満があったんだろうか。となると、俺はこれからどこで過ごすんだろう。このまま枝の上に放置するわけじゃないよな。見晴らしはいいけど、寝るには危険過ぎる場所だ。できれば雨風がしのげる場所にしてもらいたいところだ。そう考えると、あの食料庫は結構いい場所だったのかもしれない。雨で濡れないし、水も手に入ったし。それと同等の場所を、こいつは作ってくれるだろうか……獣相手に期待するなんて、やっぱり馬鹿なことか。

 夜は更けて、辺りの暗闇はどんどん濃くなっていく。でも獣にとっちゃそんなことは関係ないんだろう。新たな巣作りのために黙々と、ひたすら雑草を踏み潰してる。その様子からはまだ休む気はなさそうだ。俺はそんな光景を、枝の上から見下ろし続けてた。正直、安定した地面の上で休みたい。ここから下ろしてくれないかな。こんな不安定な場所じゃ目を瞑るのも怖い。気を抜けばバランスを崩して真っ逆さまだ。そこに神経を使うのはいい加減疲れる。そろそろ作業を終わらせてほしいんだけど――心でそう願うが、一心不乱に足を動かす獣にやめる気配は微塵も感じない。多分、完成するまでやめるつもりはないだろう。俺も、もうしばらくここで耐えるしかなさそうだ。はあ、寝たい。硬くて寝起きが最悪でも、地面の上で寝たい……。

 何度目かのあくびを噛み殺した時だった。せわしなく動いてた獣が急にピタリとその動きを止めた。一瞬完成したのかと思ったが、踏み潰した雑草は中途半端な量で、まだ巣が作れたとは言えない見た目だった。さすがに疲れたんだろうかと獣をよく見ると、顔は足下でも俺でもなく、森の奥へ向けられてた。何かを見てる……獲物でも見つけたのか? 耳をピンと立てて注意深くしてる様子は、何だか妙に緊張を感じる。一体何を見てる――俺は獣の見る先の暗闇に目を凝らした。だが当然何も見えない。すべてを呑み込んでしまいそうな黒が広がってるだけ。それでも見えないかとじっと見つめてると、ザクッと落ち葉を踏む音が聞こえた。眼下の獣は動いてない。つまり他の生き物が近くにいる――固唾を呑んで、俺はそいつが姿を見せるのを待った。

 足音は徐々にこっちへ近付いて来る。ゆったりと、重さを感じる音。少なくとも小動物じゃない。となると熊だろうか。もしかすると獣が狩りをするところを見られるかも、なんて少し期待した時、それは見えた。

 暗闇からぬっと、大きな影が出て来た。のし、のしと歩く身体は周りの木に劣らないほど巨大だ。でも何より俺が目を見張ったのは、星明かりを受けて輝く銀色の体毛……まるで下にいる獣と同じだ……四本足で歩く姿も、耳や鼻、顔の形まで――ああ、そうか。これも幻の獣ナフォカだ。いくら幻だからって一頭だけなはずがないんだ。それだと子が残せず、今日まで生き残れてもないだろう。暗がりから出て来た身体は、下の獣より二回りほど大きい。……この体格差、年齢の違いじゃないと思う。獣のあの賢さを見るに、もう十分成獣の年齢にはなってるはずで、身体も成長し切ってるんじゃないだろうか。そう考えると、この二頭の体格差の理由は、おそらく雌雄の違い……下の獣はメスで、大きいのがオス。動物じゃよくある違いだ。たまに逆のパターンもあるけど、あのたくましい身体や顔付きからは、やっぱり大きいほうがオスのように感じる。……すごいぞ。幻の獣が目の前に二頭もいるなんて。狩れる状況じゃないのが残念だけど、でも目撃できてるだけでも興奮してくる。だけど、冷静に見ればこの状況、かなり危ないとも言える。俺の予想通りオスとメスだったとしても、動物は繁殖期以外だとお互い近付かず、普段出会ったら攻撃して追い払うことが多い。同族だけど、敵でもある――新顔の獣が近付いて来る姿に、俺は興奮を覚えつつも、同時に何が起こるかわからない恐怖も感じてた。

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