十一話
地面に置いたニンゲンを前に、オトコは得意げな様子を見せてる。嬉しいか? と聞かれれば、やっぱり嬉しい。美味しい獲物を食べられるんだから。
「……コレ、本当にワタシにくれるの?」
「ああ。絶対美味いぞ。だからオレと一緒に食おうよ」
一緒……?
「全部ワタシにくれるわけじゃないんだ」
「え、いや、オレはアンタと一緒に食って、もっと仲良くなろうかなって……そう思ってたんだけど……独り占めしたいならそれでもいいよ。オレは文句なんて言わないから」
「だけど、アナタも食べたかったんじゃないの?」
「そ、そんなことないよ。まあ、ニンゲンはいつでも狩れる獲物じゃないけど、アンタが喜んでくれるなら、オレは何匹でも捕って来てやるさ」
そう言いながら目線は足下のニンゲンを見つめてた。やっぱり食べたい未練があるようだ。それでもワタシのために我慢して、全部譲ってくれるっていう気持ちは、ちょっとだけワタシの見る目を変えさせた。馴れ馴れしいだけのヤツかと思ったけど、優しいところもあるのかも……。
「……じゃあ、遠慮なく、いただこうかな」
ワタシは地面に置かれたニンゲンに歩み寄る。まだ生きてはいるけど、弱って動けないようだ。急に暴れられても面倒だから、念のため喉を噛み切って仕留めておこうかな――そう思って首に顔を近付ける。
「あっ、ちょっと待って」
オトコに話しかけられて、ワタシは顔を上げた。
「……何? 食べるところなんだけど」
「あのさ、食べる前に、オレの寝床、見に来ない?」
「何で?」
「オレんとこの寝床、すごく快適なんだよ。暑くも寒くもなくてさ。アンタも見に来れば、絶対気に入ると思うんだよね」
「ふーん、でもワタシ、この寝床気に入ってるから、別にいいかな」
口を開けてニンゲンに噛み付こうとすると、すぐにオトコが言った。
「それだけじゃなくてさ、肉もいっぱいあるんだ。取っておいたやつだけど、アンタなら好きなだけ食ってもいいよ」
「へえ、アナタも肉を取って置いてるんだ。そんなことするのワタシだけだと思ってた」
「もしもの時のためにな。オレもいろいろ考えてるんだ。へへっ、意外だったか?」
「そうだね……」
軽そうな見た目と違って、案外しっかりしてるのかな。
「このニンゲンは後のお楽しみに取って置いてさ、その前にオレんとこ、来なよ。な?」
誘われてワタシは考える。このオトコ、最初に思ったほど嫌なヤツじゃないのかもしれない。狩る機会の少ないニンゲンを、わざわざワタシのために狩って持って来てくれたんだから。自分で食べたいのを我慢してまで……。一応相手を思い遣る優しさはあるようだ。だけどそれだけで、こっちから仲良くしようって気にはまだなれない。でも、このニンゲン貰っちゃったからな。貰っておいて突き放すのも、何か申し訳ないし、可哀想だよね……まあ、ちょっと見に行くぐらいなら、いいかな……。
「……わかった。じゃあ連れてってよ。見に行くから」
「マジ? やったー! それじゃあ早く行こう! こっちだから付いて――」
「あ、待って。このニンゲン、入れておかなくちゃ……」
ワタシはぐったりしたニンゲンをくわえて貯蔵庫に持って行く。
「オレ、手伝おうか?」
「はいひょうふ」
助けを断って入り口の木を前足で横にずらす。と、すぐ目の前に獲物がいて、こっちを悲痛な顔で見上げてた。……何だ? いつもと様子が違う。怯えたり苦しかったりしても、こんな顔になったことはない。よく見ればその視線はワタシじゃなくて、くわえてるニンゲンを見てるようだった。……ああ、わかった。狩られた同族を見て心配してる顔なのか。ニンゲンは群れで行動するから、仲間への意識がきっと強いんだろう。
ワタシは獲物の側にニンゲンを置いてやった。するとすぐに獲物は近寄って、仲間を心配するような様子を見せた。その姿にちょっとだけ心が痛んだ。ワタシが狩ったわけじゃないけど、何だか申し訳なく感じてしまった。そう思うのはおかしいってわかるんだけど、獲物が悲しそうにしてるのは、どうも見てられない――ワタシは顔をそむけて、さっさと穴から出て入り口を塞いだ。
「……もういいのか?」
「うん。行こう」
獲物の悲しげな顔を頭の隅に追いやって、ワタシはオトコの後に付いて行った。
オトコの寝床は森の斜面を上った先にあるようで、木の間を縫い、草をかき分けながらズンズン進んで行く。こっちのほうまで来ると、足下は大量の雑草や、折れた木や枝なんかが積み重なって、かなり歩きづらい状態になってる。こんなんじゃ獲物も避けて通りそうだけど。よくこんな上のほうに寝床を作ったもんだ。それでもいいって思えるぐらい、居心地のいい場所なんだろうか。
「着いたぞ。ほら、あれがオレの寝床」
鼻先で示した先を見ると、並ぶ木々の向こうに苔むした岩壁が見える。
「……どこ?」
「だからあれだよ。あれ」
もう少し進むと、岩壁にぽっかりと穴が空いてるのが見えた。まさか、あの穴……?
「……ここが、オレの寝床だ! どう?」
穴の前まで来ると、オトコは誇らしげにその中を見せた。ワタシはのぞいて驚いた。岩穴の中に寝床を作るとは……。基本、寝床は草を踏み潰して作るものだと思ってたから、草の生えない岩穴を寝床にするっていう発想がもとからなかった。だけど考えれば、ここなら雨も風も防げて、危ない時は身も隠せる。ワタシの寝床だと、多少の雨なら我慢するしかないし、嵐みたいな日は一時的に岩の陰に身を寄せなきゃいけない。身を隠すなんて、はなから想定もしてないから無理だ。寝床ってこういうものだと思い込んでたから、この岩穴を見て、ワタシは目から鱗が落ちた気分だった。
「本当、言ってた通り、快適そうな寝床だね」
「だろ? オレは嘘なんか言ってないから。中、入ってみなよ」
促されてワタシは奥へ進む。中はゴツゴツした岩壁が囲み、いびつな空間になってたけど、広さはワタシ達が同時に入れるほど広い。天井や壁の隅に溜まった暗闇が、また何とも言えない落ち着きを感じさせてくれる。悔しいぐらい、いい場所だな……。
ふと横を見ると、壁際に肉の塊が置かれてた。かすかに美味しそうな匂いが漂ってる。
「あ、本当に肉があるんだ」
「あるって言っただろ。信じてなかったのか?」
「そうじゃないけど……でも、いっぱいってほどでもないね」
「そ、それは……オ、オレにとっちゃこれがいっぱいなんだよ」
オトコは明らかにごまかしてる。ちょっと見栄を張ったらしい。
「あの肉、食べさせてくれるんでしょう? ちょうどお腹も空いてきてるし――」
肉へ近付こうとすると、オトコはその進路をサッとさえぎってきた。
「……何? 邪魔なんだけど」
「食べる前にさ、あっちの寝床で寝てみろよ」
「何で?」
「ここまで来て疲れてるだろ? オレの寝床、すっごく寝心地いいんだ。体験してみてほしいな」
「会ったばっかりのワタシに、自分の寝床貸すの? 嫌じゃない?」
「嫌なわけないだろ。アンタとは仲良くなりたいんだから。気に入ったら好きなだけいてもいいよ」
好きなだけって、さすがにそんな図々しいことはできない。場所は最高でも所詮自分の縄張りじゃないんだ。きっと落ち付けないだろう。
「それより、ワタシ今、あの肉が食べたいんだけど……」
オトコの脇を通ろうとすると、すかさず巨体がさえぎってくる。
「肉は後で食べればいいよ。まずは身体を休めようぜ。その間にオレが食うとかしないからさ」
このオトコならしそうな気もするけど……この距離であからさまな意地悪なんて、さすがにしないか。しかし、まったくしつこいな。そんなに寝床自慢がしたいんだろうか。こっちはそこまで興味ないんだけど、見てあげないと肉、食べさせてもらえそうにないからな……もう、しょうがないな……。
「……わかったよ。じゃあ、ちょっとだけ休ませてもらう」
「へへっ、寝てみてよ。本当にいい寝床なんだよ」
嬉々とした様子で案内するオトコにワタシは付いて行く。穴の一番奥にある寝床は、草や枝を重ねて作られたようで、ワタシの寝床よりかなり分厚い仕上がりになってた。
「これ、全部運んで作ったの?」
「ああ。何度も往復して、草と木の枝を運び入れたんだ。手間かけただけあって、ぐっすり寝られる寝床になってる」
確かに、草と枝の量が半端ない。草だけでも、ワタシの寝床の量の数倍は使われてる。それだけじゃなく、枝と草がまんべんなく混ざってるから、寝た時の感覚も硬過ぎたり柔らか過ぎたり、どっちかに偏ることがなさそうだ。見た目には、寝やすそうだ……。
「少しは興味出たか? 実際寝てみれば、もっと良さがわかるはずだ」
促されてワタシは恐る恐る寝床に足を踏み入れる。自分以外の寝床で寝るなんて初めてのことだから、結構緊張するな――ギュッと踏み込むと、弾力のある感触が伝わってきた。わあ、想像した通り、ほどよい柔らかさだ。そのまま後ろ足まで寝床に入ると、寝床は私の身体をすっぽり受け入れてくれる。オトコの大きさに合わせて作られてるから、当然寝床は幅があって大きい。この包み込むような大きさが、染み込んだオトコの臭いがある中でも、何とも言えない安らぎを感じさせる。本当に、いい寝床じゃないの……。
「どうだ? 寝やすいだろ」
「うん……すごく、いい感じの寝床だね」
「だから言っただろ? しばらく休んでなよ。疲れ取れるから」
「そうさせてもらう……」
ワタシは身体を丸めて、本格的に寝る姿勢に変えた。このオトコの言う通りにするのは癪だけど、こんなに寝心地がいいんだ。ちょっとだけ休んでみたい――足を折り曲げ、目を閉じて、身体の疲れを癒そうとしばしの眠りに入ろうした。でもそれはすぐに妙な違和感に邪魔された。
「……ん?」
背中の辺りが温かく、圧迫感がある。しかもモゾモゾ動いてるような――ワタシは顔を上げて振り向いた。
「あ、起こしちゃった? 悪い悪い」
そこにはいつの間にか、ワタシにぴったりと身を寄せるオトコの姿があった。
「……ちょっと、何で一緒に寝てるのよ」
「別にいいだろ? オレ達もう仲良しなんだからさ」
「ワタシはまだ、そんなふうには思ってないけど」
「オレの寝床で寝てるのに? しかもこんな近くでくっついてるんだ。仲良しとしか言えないだろ」
「いや、くっついて来てるのはそっちでしょう? ワタシはワタシだけで寝ようとして――」
「そんなつれないこと言うなって。俺も一緒に寝たいんだよ」
オトコはヘラヘラしながらゆっくり立ち上がった。
「寝たいなら別の場所に行ってよ。ワタシは一緒に寝る気なんてないんだから」
「別の場所って言ってもな、地面じゃ硬くて身体痛くなるし、そもそもここ、オレの寝床だし。追い出される理由なんてないと思うけど」
こっちを見下ろして、オトコはワタシの身体をまたぐように近付いて来る――何か、嫌な予感がする。
「じ、じゃあ、ワタシがここをどくから――」
立ち上がろうとすると、それを止めるようにオトコの顔が迫って来た。
「アンタはどかなくていいから。まだ休んでなよ」
「もう、いい。やっぱり休むのやめる」
オトコから離れるため、寝床から這い出ようとした時、背中にズンと重さがのしかかってきた。そのせいでワタシは寝床に押し付けられる。
「なっ、何……?」
「どこ行くんだよ。行かなくていいって言ってるじゃん」
「重い……身体、どけて……」
ワタシに乗っかるように体重をかけてくる……何なの? このまま押し潰す気?
「何を今さら……アンタもそういうつもりだったんだろ?」
「そういうつもりって……何が?」
「ツンツンした態度取ってたけど、本当はオレが気になって仕方なかったんだろ?」
「はあ……?」
「だからここまで来てくれたんだろ? じゃなきゃこうも簡単にオトコに付いて行くわけないもんな」
コイツ、何勘違いしてるんだ? ワタシが惚れたとでも思ってるのか?
するとオトコはさらに顔を近付けてきて言った。
「もっと仲良くなってさ、アンタもここで一緒に過ごせばいいよ……」
背中に乗っかるオトコがお尻のほうでモゾモゾと動き始める――き、気持ち悪い! やめろ! このままじゃ絶対に危ない。ワタシは出せる力を全部出して、全身でもがき、暴れた。
「どいてっ……ワタシは、アナタのことなんか、何とも思ってないから!」
「お、おい、暴れるなって。うわっ……足を出すなら、こっちも……」
思わず声が漏れそうな痛みが首根っこに走った。コイツ、噛み付いてきた! こんなんで怯んで大人しくなると思ったら大間違いなんだからね――怒りの感情に任せてワタシは身体をよじり、オトコの腹に何度も蹴りを入れた。
「うっ、うへっ、おふっ……やめ……やめろって!」
ワタシの暴れっぷりに怯んだオトコは、蹴りを避けるため寝床から一旦離れた――よし、今だ。この隙を逃さず、ワタシは兎のように駆け出して岩穴から飛び出した。
「あっ、待てよ! 行くな――」
後ろからオトコの呼び止める声がしたけど、当然止まりなんかしない。一切振り向かずにそのまま自分の寝床まで一気に駆け抜けて行った。
「……ふうー。あんなオトコに、付いて行くんじゃなかった」
見慣れた寝床が見えてきて、ワタシは足を緩める。ニンゲンをくれたから、ちょっとはいいヤツかと思ったのに、とんだ思い違いだったな。あーあ、肉は食べられなかったし、ただ怪我しに行っただけだった。噛まれた首、ちょっと痛いし――前足でその箇所に触れてみると、チクチクした痛みを感じたけど、血はたくさん出てなさそうだ。軽い傷みたいだからすぐ治るだろう。にしても、いろんな意味で疲れたな。寝床で一休みするか――そう思って行こうとした時、近くで響いてる声に気付いた。
「――ココ――レ! ――ヨ――ケテ――ダ!」
これは、獲物の声か? やけに必死な声に聞こえるけど――ワタシは貯蔵庫に近付いて、獲物の様子を見てみた。
入り口を塞いでる木の隙間から獲物の顔が見えた。ワタシを見ながらまだ大声を上げてる。……何だろう。苦しそうじゃないけど、普通にも見えない。顔はいつもより険しい。怒ってる、のか? 何を伝えたがってるんだろう……。
ずっと声を出され続けるのもうるさいから、ワタシはとりあえず入り口の木をどけてみることにした。すると獲物はようやく大声を止めた。でも何だかそわそわしてる感じだ。その目は心配そうに自分の傍らに向いてる。そこには壁にもたれて座る、オトコに貰ったニンゲンがいた。……あ、そう言えばいたんだったな、ニンゲン。見た感じ弱ってるし、新鮮なうちに食べちゃおうかな。ちょうどお腹も減ってることだし――ワタシは足を伸ばしてニンゲンを引き寄せようとした。が、その瞬間、目の前に獲物が立ちはだかったと思うと、ものすごい剣幕で叫んでワタシを威嚇してきた。不意のことに驚いて、思わず足を引っ込めてしまった。……こわ。何? 急にどうしたんだろう。獲物の様子がやっぱりおかしいな……。




