今日も
三題噺もどき―ななひゃくななじゅうに。
秒針の音がカチカチと、部屋に響く。
外は真っ暗な夜が広がっている。
空にあるはずのぽっかりとした穴は、今日は見えない。
新月の夜だから。
「……」
それでもまぁ、天気は良かったので散歩には行ったのだ。
なんとも寒いこと……。急に冷え込んだような気がするな。
少し前はまだなんというか、若干の温さが時々あったようななかったような……。それもなくなって、ただひたすらに冷たいだけの風が吹いていた。
春風くらい暖かなものにしてほしい。
「……」
おかげで冷えた体を温めるのに時間が掛かった。
指先なんて仕事を再開したころは思うように動かなかったぞ……なんとか動くようにはなっても時々滑ったりしていた。
この部屋もまぁそれなりに冷えてはいるからなぁ……暖房を付けてはいるのだけど、あまり暑いとこう、息苦しくなるもので。
「……」
そのぬるいような部屋で、全身の体重を椅子に預け、少しお行儀の悪い状態でパソコンを操作している。
電気をつけていない真っ暗な部屋では、眩しすぎるほどに煌々と画面が光っている。
これでも一応光量は落としているのだけど……まぁ、暗いから仕方ない。
眼鏡越しでも眩しいと思ってしまう。
「……」
マウスを適当に動かしながら、確認作業を進めていく。
もう仕事は終わりに差し掛かり、一旦の目途がつくくらいにはなっていた。
とは言えこれはまぁ、一旦でしかなくて。仕事はもういくつかあるのだけど。
「……」
ちら。
と、時計を見ると、もうそろそろ同居人が呼びに来る時間だった。
そろそろ片づけをしておこうか……。
「……」
今日は机の上はさほど汚れてはいない。あまり広げるような紙もなかったからな。
端の方に置きっぱなしになっていた、えんぴつを拾い、ペン立ての中に放っておく。
後は、パソコンの画面を整理していけばいったん終わりだ。
「……」
確認をしながら、次々と閉じていく。
最後に現れたのは、季節外れの向日葵の咲く丘の写真だった。
……ただのパソコンのデスクトップである。ランダムに設定しているから、季節関係なくこういう写真が写ったりする。たまに訳の分からない風景写真だったりもする。
「……」
今年の夏は、やけに長かったように感じたな。
そして気付かぬうちに秋が過ぎて、今や冬のようになっている。
もう11月だから、きっとこのくらいの温度が正常なのかもしれないが……少し前まで暑い暑いと言っていたのが嘘のような感じだ。
「……」
画面の中で揺れる向日葵を眺めながら、なんとなく、今年の夏を思い出す。
夏祭りに行けたのは、かなり楽しかった。花火は遠くからではあったが、それなりに綺麗なものだった。まぁ、少し面倒事が起こったりもしていたが……いやあれは春頃だったか。
「……」
なんにせよ。
毎日変わらぬ日常が過ごせていたのは、いいことだろう。
少なくとも、私にとっては毎日かけがえのない日々だった。
「……ご主人」
「……」
なんて、少し感傷に浸りかけたところに。
ノックもなしに部屋の戸が開けられ、廊下の電気が滲む中で1人の小柄な青年が立っていた。今日のエプロンはご機嫌のいい、猫の尻尾付きのやつだ。
廊下の奥からチョコレートのような甘い香りが漂ってきた。
「休憩にしましょう」
「……」
いつもと変わらぬそのセリフを聞く。
どこか安心するその声は、幼い頃から変わらず私を呼ぶ。
いや、あの頃よりは少し高い声かな。
「……どうかしたんですか?」
「……いや、なんでもないよ」
パソコンの電源を落としながら、椅子から立ち上がる。
さて、今日のお菓子は何だろうな。
「ん。うまいなこれ」
「砂糖の量を調整してみたんです」
「これくらいの甘さが丁度いい」
「それはよかったです」
お題:春風・向日葵・チョコレート




