1話
「先輩、起きてください!まだ寝ちゃダメですよ」
肩をゆさゆさと揺すぶられる感覚に、眠い目を擦る。
重い瞼をひらけば、そこはよく知るオフィスの一角だった。
「え……私、死んだんじゃ……」
思わずそう呟くと、私を起こしてくれた後輩はぷりぷりと怒り出す。
「いくらこの会社がブラックだからって、縁起でもないこと言わないでくださいよぅ。夢でも見てたんですかね?納期も近いのに、先輩ったら図太いんだから」
0時をとうに回った時計に、静まり返った社内でエナジードリンク片手にパソコンと睨めっこする後輩。
見慣れた光景に、悪い夢でも見たのかと思いながらため息をつく。
「それにしても、今回は溺死ですか。あの子、全然幸せになれませんね」
「え?」
突然冷え冷えとした声色になった後輩に驚いて、彼女の目を見れば、彼女は不思議そうに首を傾げる。
「あれ、ちゃんと夢で見ましたよね?リリネット・アンバー。イグニアス王国の聖女の悲惨な死に様を」
それは、たった今私が見ていた夢に出てきた少女の話だった。
締切間近の仕事に追われて、現実逃避した私が居眠りした時に見た、ただの夢……そのはずだ。
「なんで、それを……」
恐る恐る尋ねれば、後輩は「あぁ」と言って説明を始める。
「言ってませんでしたっけ?私、いわゆる創世の女神ってやつでして、あの世界の少女に定期的に加護を与えてるんですけど……あの子だけ、何回ループさせても死んじゃうんですよね。呪われてるんじゃないですかね」
後輩は、そう言うとうーんと唸った。
「え、待って、創世の女神って……何それ」
「そのままですよ。リリネットたちの生きる、あの世界を作った張本人、それが私。今は暇つぶしで人間の真似事なんかしてますけど、本業は神様なんですよ。あの世界の少女に加護を与えて聖女とし、女神への信仰心を高めてるんです」
後輩は……いや、神と名乗る後輩の形をした何かは、そう言って眉間に皺を寄せる。
「しかし、困りましたねぇ。このままだと、当代の聖女を亡くしたまま、あの世界は魔物に侵食されて人類は抗うすべもなく滅亡ルート待ったなし……」
「えぇ……」
状況を上手く飲み込めないまま、女神の話に相槌を打つ。
「だから、ちょっと手を加えることにしました。今回だけ、私の力であの子を死ななかったことにしてあげます」
「そんなことが出来るのなら、初めからそうしてあげたら良かったのに……。あなたの話を信じるとして、何回もってことは、私がさっき夢で見た子は何度も死に戻りを経験してるってことでしょ。そんな可哀想なことしなくても……」
「いやぁ、条件が揃わないと、コテ入れも難しくって」
後輩はこちらを見ると、私の手を取った。
「先輩の魂を、リリネットに捩じ込むことにしました」
「は?」
「つまり、異世界転生的な?この場合憑依って言った方が正確ですかね」
彼女の言葉に、私は狼狽する。
「待って待って、転生?憑依?どういうこと?あなたの言うことを全部信じたとしても、私、まだ死んでないよね?」
さっきだって、死ぬなんて演技の悪いことを言うなと言ったのは後輩の……女神の方だ。
私が死ぬなんて、その上異世界の人物に憑依だなんて認められない。
「えー、先輩気づいてないんですか。先輩は死んじゃったんですよ。過労死ですね、こりゃ。あーあ、完全に課長のせいです、あの人が先輩にばっかり仕事振るから」
はぁ、とため息をつく彼女に、私は頭を抱える。
私が過労死?一体どういうことだろう。
百歩譲って私が死んでいたとして、これから異世界に飛ばされますと聞いて冷静でいられるわけもない。
「それじゃあ先輩、聖女業務頑張ってくださいね。ついでに能力も強化しておくので、ご安心ください。ちゃちゃっと世界を救って、イケメンとハッピーエンドってのも悪くないですよ。むしろそっちが異世界トリップの醍醐味ですよねぇ」
後輩がニコッと笑うと、私がなにか言い返すよりも早く意識は暗転した。
***
「どうなってんの!?」
目覚めると同時にそう叫ぶと、そばにいた見慣れない少女が驚いたようにこちらを振り返る。
「あ!目が覚めたんですね、良かったぁ」
少女は破顔してこちらに駆け寄ってくると、起き上がるのを手伝ってくれた。夢の中でリリネットが着ていたような、麻のローブを身に纏う少女は、派手な美人という訳では無いがニコニコと笑顔のかわいい女の子だった。
「お姉さん、川の上流から流れてきたんですよ。ある程度の治療はさせてもらったんですけど、どこか痛いところはありますか?」
「……ううん、平気よ」
「良かった!今リーダーを呼んできますから、今後のことは彼と話し合ってください」
少女はそう言うと、名乗りもせずにパタパタと足音を立てて部屋を出て行ってしまった。
とはいえ、あまりのことに頭を整理する時間は必要だ。ひとりになれたのは僥倖だろう。
少女が席を外したので、辺りを見回す。
どこかの宿屋と思われる小綺麗な四人部屋、ベッドのひとつに私が寝かされており、ふたつには人が使用した跡がある。
その光景は、見慣れた安アパートの寝室とはまるで違っていて、寝起きの頭には状況が理解できない。
私は職場で残業をしていて、後輩とくだらない話をして……そうだ、その時、私は死んだと後輩が言っていた。
後輩だと思っていた彼女は実は女神であり、この世界の少女に加護を与えていると。そして、加護を与えた少女が何故かどうやっても死んでしまうため、私の魂を捩じ込むことで今回だけ「死ななかったことに」してあげるとも。
それなら、これは私が……いいや、私の憑依先、リリネット・アンバーが死ななかった世界線。
私は彼女に代わり、聖女としての役目を果たすためにここへ来たのだ。
「そんな馬鹿な」
思わず口に出して呟くが、胸元には光らなくなった聖石のペンダントが揺れていて、少なくとも今の私がリリネットで、命からがらイグニアス王国を抜け出してきた後であることだけは確かなのだと思い知らされる。
「……本当、なのかしら」
私がひとりで思い悩んでいると、ほどなくして、少女が戻ってきた。その後ろには爽やかな笑顔を浮かべた青年もいる。
「良かった、目覚めたんだな」
青年は心底安堵したように、優しい声でそう言った。
「助けてくれたみたいで、どうもありがとう」
あの夢では、リリネットは川に転落して死んでしまったようだった。
少女も先程私は川から流れてきたと言っていたし、救助するのは大変だっただろう。
「いいんだ、人助けはヒーローの仕事だから!」
すると、青年はどこか誇らしげに胸を張る。
「ヒーロー?」
私が聞き返すと、青年の代わりに少女が口を開く。
「リーダー、ヒーローになりたくて冒険者になったんです。ちょっぴり子供っぽいけど、いい人ですよ」
少女が微笑ましげに目を細めるのを、青年は照れくさそうに頭を掻いた。
「自己紹介がまだだったな。俺はレヴィン。Dランク冒険者パーティー『朝日の剣』のリーダーで、剣士だ。で、こっちはヒーラーのマニ。よろしく頼む」
「マニです。よろしくお願いします」
青年がレヴィンと名乗り、マニと紹介された少女がぺこりと頭を下げる。
「私は……」
リリネットです、と言いかけて、はたと口を噤む。
ここがどこかも分からず、いつ追手が来るか分からない今、本名を名乗るのは良くないかもしれない。
少し悩んで、私は「リリです」と言った。
「リリ、これからどうしたい?君は川の上流から流れてきた。元いた街に戻りたいのであれば、この村から北へ向かう荷馬車が出ているから、それに乗せてもらったらいい。もし戻りづらい理由があるなら、どこか違う場所へ向かってもいい」
レヴィンに真っ直ぐな目でそう問い掛けられ、しばし思案する。
イグニアス王国には、もう戻れないだろう。
ヴィニアのことが気がかりだが、かと言って戻ったら今度こそ殺されるかもしれない。
ヴィニアだって、もう二度と戻ってくるなと言っていた。
「私は……今どこにいるのかもよく分からなくて。出来れば、元の場所には帰りたくないの」
私がか細い声でそう呟くと、レヴィンは悲しそうに眉間に皺を寄せた。本気でこちらを心配してくれているのだろう。
「そうか……なら、俺たちが向かっているエバノの街に一緒に来ないか?エバノの街なら大きいし、治安もいい。そこで暮らすにも、旅の支度をするにも、うってつけの場所だ」
レヴィンはそう提案して、机の上に地図を広げる。
「まず、今俺たちがいるのはこの村だ」
彼が指さしたのは、イグニアス王国から南に行ったところにある隣国ロベルタ王国の、北東部にある小さな村だった。
無事にロベルタ王国にたどり着けていた事実に、まずは安堵する。
彼はそこから指を南の方に滑らせて、トントンと叩いた。
そこには大きな都市が描かれており、ロベルタ王国の王都と比較しても遜色ない繁栄をしているだろうと予測できる。
「ここがエバノの街だ。真っ直ぐジュノー森林を抜ければ1週間ほどで着くが……今は魔物が活性化しているからな。安全を取って迂回路で向かおう。大体10日もあれば着けるはずだ。リリはそれで構わないか?」
地図を指しながら説明してくれるおかげで、おおよその地理については把握できた。
私は彼の言葉にこくりと頷く。
「うん、構わないけど……」
そこで言葉を切ると、彼は不思議そうに首を傾げる。
「なんだ、心配事か?」
「ううん……どうして私にそんなに良くしてくれるの?自分で言うのもなんだけど、私、すごく怪しいじゃない」
川を流れてきたのも、元いた場所に戻れないのも、何をとっても今の私は怪しい。
そんな私に手を差し伸べてくれるなんて、何か理由があるんじゃないかと疑ってしまう。
「そんなの、ヒーローならそうすべきだからだ。困っている人がいたら手を差し伸べる。それがヒーローのあるべき姿だ」
けれど、返ってきた言葉は酷く単純明快なもので。
ニカッと歯を見せて笑うレヴィンに、毒気を抜かれてしまう。
その隣でマニもニコニコと笑っているし、この人達はきっとどうしようもなくお人好しなのだ。
「それなら、ヒーローに助けてもらおうかな」
私がそう言うと、彼らは顔を見合せて「任せてくれ」と胸を叩いた。




