封じられた逃げ道
夢の中で、俺は表彰されていた。
綺麗な制服。やたら整った髪型。周囲からの拍手と歓声。 壇上に立ち、騎士団長だか国王だか知らない男が言った。
『これは勇気ある行動だった! 誇り高き我らの英雄だ!』
俺は静かに壇上から飛び降りた。
逃げたかった。全力で逃げたかった。
──目が覚めたとき、寝汗をかいていた。
「……最悪の目覚め」
鳥の鳴き声すら悪意に聞こえる朝だった。
廊下を歩けば、また聞こえてくる。
「推薦、今週中には発表されるらしいな」
「お偉いさんが視察来るんだろ?たぶんそれに間に合わせるってさ」
「推薦枠、誰になるかなー」
俺の耳には届いていない。断じて届いていない。
現実逃避ではない。これは防衛行動だ。
「……なあ、お前さ」
不意に肩を叩かれ、振り向くと同僚のラルフがいた。
「推薦、されそうな空気あるよな。最近、隊長やったし」
「やめてくれ」
即答。最短、最小、最冷の反応。
「うわ、怖。冗談だって、冗談」
ラルフは苦笑して立ち去った。
(冗談じゃないんだ。お前らのその何気ない一言が、俺にとってどれだけ危機か分かってない)
午前の訓練が終わった後、俺は中隊長──シアではない中間上官──に話しかけた。
「……あの、推薦の件。自分には不要です」
即答に近い形で切り出す。丁寧な言葉に包んではいるが、意味はひとつ。
回避。全力拒否。
「おお、そんなに気負わなくてもいいぞ、レイ。責任感があるのはいいことだ。やっぱり君は違うな」
「……違いません」
言葉が通じない。
いや、たぶん言葉は通じているが、意味が真逆に解釈されている。これでは何を言葉にしても意味がない。
俺の心の声が実体化すれば、今ごろ世界は三回滅びてる。
午後の訓練。
無心で槍を握り、隊列を組んでの模擬演習。
いつも通り、“やや凡庸”な立ち回りを心がけていた。 が、横の隊員が足を滑らせ、突進してきた。
咄嗟に捌いてしまった。綺麗に、滑らかに、無駄なく。
「すげ……レイ、ああいうの咄嗟にできんの、地味にすげぇよな」
「たまたまです」
「いや、たまたまってレベルじゃなかったぞ今」
(しまった)
確かに、抑えたつもりだった。
でも、抑えきれなかった。
積み重ねた“地味”の壁が、一瞬ひび割れた気がした。
夕方。
書類整理の名目で副隊長室に呼び出された。
机越しに、シアが静かに視線を向けてくる。
「推薦者、決まりました」
「そうですか」
平坦な返事。顔も声も変えない。
だが、内心では脈拍が倍になっていた。
「その人物には、後日正式に通達が行きます」
「……そうですか」
シアはそれ以上何も言わなかった。
名前を出すことも、質問も。
ただ、一つだけ──その目が言っていた。
“あなたですよ”と。
俺は、軽く頭を下げて部屋を出た。
扉が閉まり、静かな廊下に一人残される。
(もう……終わったな)
推薦は逃れられない。
俺の人生最大の敵──“注目”という災厄が、いよいよ目の前に迫っている。
今さら騒いでも仕方がない。
ならば──
(誰にも覚えられずに、去る。それしかない)
この時、俺はまだ知らなかった。
それが、どれだけ難しい目標であるかを。